Episode150 魔相学総論(魔力の色)
初日は魔力培地を大量に作って終わった。
それだけでもかなり夜更けまで時間をかけてしまった。
虹色魔石をすり鉢で粉々に磨り潰し、それを三等分に分ける。一つは魔力培地へ。一つは液体魔力培地へ。一つは原末のまま保管する。
魔力培地は、魔石粉末と魔法植物の樹液と井戸水を混ぜて釜で熱し、それを小さな皿に小分けにして冷やすことで出来上がりだ。
液体魔力培地は言ってしまえば魔力ポーションの原液である。
魔石粉末と井戸水を混ぜたものを濾過させて、抽出した液を一度煮沸して冷やすだけ。それをガラス瓶に満杯になるまで流し込み、先生が魔法で凍らせて凍結保存した。
魔力ポーションはここから飲めるように甘味をつけて加工するらしい。滅茶苦茶に苦いと評判の魔力ポーションでもちゃんと甘味つけてあるのか……。
原液はどれだけ苦いのだろう。
翌日、研究室に行くとイルケミーネ先生はまた新しい道具を仕入れていた。あれら器材や魔道具の数々は理事長特権でいろんな研究室から横取りしてこれるらしい。
それにしてもアレはどこかで見たことがある。
物を乗せられる用の台とその上には筒状の覗き穴。
あの筒状の魔道具はグノーメ様の魔道具工房にもあったかな。
「それは確か、小さいものを見る魔道具ですよね。"Particle Scope"だったかな」
「お、正解。ロストくんって知識はあるのね。前世の記憶?」
「俺自身の経験ですよ。迷宮都市ではグノーメ様にお世話になってたので」
あぁ、と言って先生はそれ以上何も言わなかった。もしかして迷宮都市という言葉がいけなかったのかもしれない。
アンファンの死を連想させてしまうから。
「さっそく作った魔力培地でサンプルの中身を調べるんですか?」
俺は話題を変えることにした。
アンファンは俺とシアが殺したようなもの……正確に言えば、エンペドがすべての元凶だったが、エンペドとオルドリッジ家の因縁にこの親子を巻き込んでしまったのだから無関係とは言い切れない。
質問に対して、イルケミーネ先生はぼんやりとしたまま返事をする。
「……ううん、今日は昨日作った魔力培地がちゃんと機能するかを調べるよ」
やっぱり気にしている。
そういえば先生は俺のことをどう思っているのだろう。
王都ではアンファンの所業は悪として語られていた。魔術界の発展のために手段を選ばず、エンペドの復活を望んだ悪徳魔術師だと――。
それを救ったのはロストという冒険者。つまり俺だ。
実際にはアンファンは、ユースティンを救うために自ら犠牲となった。
でも現場を見てないイルケミーネ先生にとっては、俺こそが親仇にあたるのでは……。
俺を拒絶した兄貴と同じように。
「ロストくん、どうしたの?」
顔を覗き込まれていたことに気がつく。
俺は端正な顔立ちの女性に間近で見られたことに面食らって、あ、いえ、その、くらいしか声を出せなかった。
「ははーん、その顔は何でそんなことしなきゃいけないんですか、とでも言いだけね?」
「え……」
「いい? ロストくん。実験というのはね、それこそ正確に、検証すること以外に間違いがないかを一つ一つ確かめて、地盤を固めながら進めないと必ず最後には失敗してしまう。だから、完成した魔力培地が本当に完璧な魔力培地かどうかを検証することも、大事な―――」
人差し指をくるくる振りながら得意げに語る先生を見て安心した。
俺の思い過ごしだったのかも。
「……シュヴァルツシルトは……それを蔑ろにするから、肝心な最後で失敗する……」
「え、なんですか?」
「ううん、何でもないよ。さ、まずは私の血を一晩培養して、マナグラムの測定結果と、培地で確認できる小結晶の数が一致するかどうか確かめましょ」
先生は最後に何か重要なことを言っていた気がする。
惜しくも聞き逃してしまったけど。
いや、聞き逃したほうが良かったことなのかもしれない。
先生は指先を針で刺して一滴だけ血を取った。
それを小皿に垂らし、それから俺に魔力培地への血の塗り方をレクチャーしてくれた。銀製食器の腹の部分で優しく、一塗りで薄く広げていく。
塗布した魔力培地は暗所で一晩寝かせると、その翌日には小結晶がたくさん形成される。
その硝子皿を"Particle Scope"で覗きながら、裏面の目盛りを目印に一個一個数えていくという途方もない作業が待ち受けている。
○
あー、目が痛い。
一睡しても酷使した目の疲れは取れなかった。
先生の血を採取したのが一昨日のこと。昨日は培養した魔力培地を顕微鏡で覗き込み、小結晶の数を数えたのだった。
しかも合計六回も。
培養したものは三皿あり、それぞれ俺と先生で二回ずつ数えて合計十二回。
俺が数えた分だけでも六回。
イルケミーネ先生の魔力は色鮮やかだった。
赤や青、黄といった基本属性以外にも"薄緑"、"白桃"、"薄紫"があって驚いたものだ。
何の魔力か尋ねると、
薄緑は『聖、雷、水が混成した鑑定に関わる魔力』
白桃は『聖属性から派生した封印に関わる魔力』
薄紫は『闇属性から派生した次元に関わる魔力』
魔力は日進月歩で進化していて、基本属性以外の様々な色が時折現れるそうだ。多種多様な魔力が混ざったり、変質したりして、人類はまた新たな"腕"を手に入れる。
特にシュヴァルツシルト家のように代々新しい魔法を創り出す家系では変わった魔力の因子が見つかりやすいらしい。
ある学説では、魔力の粒子は偶然進化するわけではなく、新しい魔法を求める人々の想いが魔力を進化させる、と云う――。
先鋭的な心が重要なのだろう。
計測中、最初は「これが先生のナマの魔力かー」と普段見れないものに若干の興奮を覚えたが、それも最初だけ。
二回目からは目が疲れるだけで辛かった。
先生の魔力はマナグラムでは2355と計測されるが、俺が数えた魔力の結晶数は2000ちょっとだったり、2500くらいだったりとバラつきがあった。
「結果が違う……?」
「誤差と計測ミスもあるから多分大丈夫よ。だいたい合ってれば」
それだけで確認作業は終わった。
間違いがないか正確に確認しないと失敗するんじゃないのかよって、つい声に出そうだったが、そこは何とか堪えた。
そもそも魔力が100や200程度の人で試せばもっと楽に数えられたんだろう。それが出来なかったのは、この研究があくまで二人でやっていることだからだ。
それにしてもイルケミーネ先生、魔力2355って……。
冒険者時代は三桁より上の魔術師を見たことがないぞ。
そんなこんなで俺は朝から瞼が重たい。
がたごとと音がして、また先輩が部屋を出ていこうとしているのが分かった。
「ここにきて静止反動力がまた減少……日によって違うのは何故……?」
ぶつぶつ呟いて実験結果に目を落としている。
「ユースティン先輩~」
「なんだ、僕の正義を邪魔するな」
「俺が邪魔しなくても"出禁"という魔の手が行く手を阻むぞ」
「ふん……今は黄昏の谷でやっているからな。もう問題ない。まったく、移動時間ばかりかかって効率が悪いんだぞ。僕がなんでわざわざ……」
そう文句を垂れながら、まだ話の途中だというのにユースティンは出ていってしまった。
王都や学園都市から西に歩くと、西方エマグリッジとの間に谷がある。ここからだと徒歩でしばらくかかると思うのだが、ユースティン・マジックで瞬間移動でもしてるのか。
そういえば、せっかく同じ部屋だっていうのにあまり話してないな。
あいつは大丈夫だろうか?
朝から晩まで何回も何回も飛び降り実験ばっかり。
お姉さんも心配が絶えないに決まってる。
そんな彼女は父親を喪ったことをまだ気にしている様子だった。
こんなときだからこそ、弟のお前が傍にいてやれば――。
いや、あいつ自身も父親を喪ったんだ。あの一連の奇行ももしかしたら父親の死で変わってしまったからか。
そうだ、変わらない方がおかしい。
イルケミーネ先生もそう思ってそっとしているのだろう。
「本当に弟なのか、か……」
兄貴にお前は異常だと吠えられた時のことを思い出した。
「…………」
ユースティンだって辛いよな。
アンファンは良い親父さんだったからな。
○
「――対になる魔相はそのまま魔力の弱点を示しています。赤は青に、青は黄に、紫は白に、という具合です。炎は水で打ち消せますが、水は電撃に弱い。闇は聖に負けます。このようにして魔相が分かれば、防衛術にそのまま応用することができます。実はこの弱点の打ち消し合いは、魔法陣の発動にも――」
魔相学の講義がいつものように流れていく。
講師は黒板に、各色相が円形に並んで描かれた紙を貼り付けて、そこを指し示しながら解説していた。そして時折、その円の間に矢印を引いて、対極の色と魔法の属性について書き込んでいく。
いつもの女学生がちらちらとこっちを見ては、またひそひそ話をしてる。
それもだいぶ気にならなくなった。
エススも相変わらずひたすらメモを取って熱心に勉強していた。
最近はよくシアと二人で町へ出かけて遊んでいるらしい。学生が集う町だから、それならではの楽しみ方があるそうだ。
オカイモノにお出かけあそばせられる姫と、それに付き慕う侍女か……。
うん、きっと絵になる。
「――しかし対にならない物がありますね。電撃の弱点は何か? 炎は何に優位性を示すか? これは現代には失われた古代魔法の風属性と土属性がヒントになっています。失われたと言っても、もちろん適性さえあれば……つまり、その属性の魔力を有するかどうか次第ですが、君たちでも使いこなすことができるでしょう。実際に風や土魔法を使う魔術師も多くいますが、普及はしていない、ということです。この魔相学の歴史上では、まだ風と土の研究は――」
土魔法は見たことない。
風魔法はシアがよく使っている。他のエルフ族でも使えない者はいるそうだし、特別な能力といえば、特別なのかもしれない。
確かドウェインやイルケミーネ先生も風魔法を使っていたな。
やっぱり血統次第なのか。
「しかし、色が判明していない魔法が存在するのも事実です。例えば、そうですね……彼がいるのでちょうどいい。あそこにいるロスト・オルドリッジくんのように、王宮騎士団の黒帯の面々は特殊な魔法を有しています。それは魔相学では分類できないような能力です。ぜひ彼の魔力の色は何色か知りたいものですね」
それに関しては絶賛研究中だ。
まだ序盤も序盤の段階だけど。
ちらちら見てくる女学生の小さいキャー音がまた聞こえてきた。
講義で少しだけ俺が取り上げられたことで学生らの視線も俺の方に集まり、雑談交じりな雰囲気になった。
それを講師が咳払いして鎮めた。
「それと今日の講義の最後に、この色を紹介しておきます」
幕締めの前、講師は黒板の紙の中央にペンで黒い丸を書き足した。
「黒――もし仮にこんな魔力が存在したら、どうでしょう? 魔相学の知見で言うと、この黒はどんな性質を示すと思いますか?」
講師が賑やかになった講堂に質問を投げかけるが誰も挙手しない。そこにエススがまっすぐ手を挙げた。
講師は控えめに、エスス王女殿下様、と言って指名した。
「先生。仮に、ということは黒の魔力は実在しないんですか?」
「どうでしょうか。まだ発見されていないだけで存在するかもしれません。エスス王女殿下様は黒い魔力をどのような性質だと思われますか? 例えば、赤の魔力は炎、力、エネルギーの象徴です。調和、浸透、水の象徴である青の魔力に弱く、単純なぶつかり合いでは負けてしまう。では黒の魔力は?」
エススは顎に手を当て真剣に考え込んでいる。
「黒は、何とも混ざり合わない……?」
「素晴らしい。私もそう思います。"黒"はすべてを飲み込む色――その魔力は何とも混ざり合わないか、あるいはすべてを飲み込んで膨れ上がるばかりでしょう。属性はおそらく"支配"や"汚染"……すみません、個人的な研究で仮想魔力の性質同定をテーマにしていまして。若い方々の意見も聞きたかったのです」
黒い魔力はすべてを飲み込む魔力。
どこかで見たような……?
○
また研究室通いだ。
黒い魔力がすべてを飲み込む色か。
じゃあ、赤黒い魔力はどんな性質を示す?
冒険者として初めてダンジョンに連れていってもらったときのことだから今でも記憶に残ってるけど、トリスタンの言葉が頭をよぎる。
"――神聖なものだが、だが危険な魔力だ"
あのときトリスタンは『魔力探知』で感じ取ったこの赤黒い色をこう表現した。
生粋の暗殺者ですら危険だというのだから相当だろう。
その魔力の出所の正体は女神。
女神の怒り。憎悪。人類に対する反逆。
……初めて右腕が変になったとき、俺もそんな感情が湧いたかな。
あまり覚えていない。
ただ、全身がこうなった時、俺はエンペドやケアに対する復讐の感情が膨れ上がった。突然手に入れた力だというのに、衝動的に時間を止めたり、無数の魔力剣を作り出せたのはそんな怒りの渦中にあったからというのもある。
実は今日、いよいよ作った魔力培地に、俺やリナリー、その他無詠唱術者の疑いのある血液サンプルを塗って培養する。
本題の研究に着手する日だ。
「じゃあ、血を取るね」
「お願いします」
イルケミーネ先生に手を取られ、指先に針を刺される。そしてぷくりと膨れる血溜まり。こんな繊細に血を取られなくても、腕を剣で切り裂いて豪快に採取すればいいのに、丁重に扱われるとむず痒い。
採取した俺の血、そしてガウェイン先生から預かっていた血液サンプル四つを解凍して、合計五つを用意する。
そして手分けして魔力培地にスプーンの腹で塗りたくった。
「これはリナリーの血か」
小皿に落とされた血を培地に撫で広げながら、遠い故郷の妹の顔を思い出した。
しばらく会ってないけど元気にしてるかな。
教えた楽器は練習してくれているだろうか。
『ハイランダーの業火』。リナリーも良い曲だと言ってくれた。
アルフレッドとリンジーの顔も思い出す。あの二人は兄貴分、姉貴分でありながら俺の育ての親だ。
会いに行きたいな。
リンジーの銀鮒のフライも食べたい。
「え……?! あれ、なんで?!」
思いを馳せていると、隣に座っているイルケミーネ先生が驚いて声を荒げていた。俺と同じ作業をしていて魔力培地に血を塗りたくっている最中だ。
「どうかしたんですか?」
「あ……うん、これ」
硝子皿を見せてくる。
そこに盛られたはずの魔力培地がどろどろに溶けていた。
「ロストくんの血を塗ってたらこうなった」
「え……」
樹液と鉱石の粉末で固まっているはずの魔力培地が、まるで氷を炎で炙ったときのように爛れ落ちていた。
ぶすぶすと赤い煙も上がっている。
「なんですか、それ」
「だから、ロストくんの血」
「あぁ~……」
これまでの経験上、この反応は初めてじゃない。
俺の虚数魔力は謂わば"反魔力"だと力を授けた女神本人に言われた。本来の魔力を打ち消してしまう"負の性質"を持つものだ。
原料が虹色魔石なのだから、それに塗ったところで魔力を消してしまうのだろう。
「虚数魔力って魔力を打ち消す反魔力らしい……というのを今思い出しました」
「……そう。あぁ、そうか、反魔力……魔石の魔力増幅効果も無効になるのね……くー、私のばかばかっ」
「先生?」
イルケミーネ先生は自分の頭をぽこすか叩いている。
「あ、ううん。私も少し考えれば気づけたのにって思って……これじゃあ普通の魔力培地だとロストくんの血は培養できないわね」
「……そうですね」
せっかく方法を考えて俺の魔力の秘密が分かると思ったのに。
実験方法の練り直しだ。
先生は壁に張られた大きな紙の『虚数魔力』の文字の下に『魔力培地での培養不可』と書き込み、その後に続いてバッテンマークを書き加えた。
俺の魔力だけが特別そうなのだろう。
とりあえず残された他の四つの血液サンプルはこの方法で計測することにして、培地に塗り広げた。
当初の見込みで用意していた魔力培地が一サンプル分、余ることになってしまう。
俺が溶けた魔力培地の硝子皿を片付けているとき、イルケミーネ先生は何か閃いたように手をぽんと叩いた。
「そうだ、培地が勿体ないからカレンからもらったアレを試そう」
「……?」
そう言うとイルケミーネ先生は研究室の奥の倉庫としている場所から小瓶を取り出して持ってきた。
「なんですか、それ?」
「これはカレンが旅の道中で採取した魔物の魔力らしいの」
「あぁ、それ……!」
「そういえばロストくんも一緒だったんだっけ」
先生が持ってきたのは、黒く粘ついた魔力が入った小瓶。
バーウィッチから王都へ向かう最中、黒いコボルド軍団を葬ったときにカレン先生が採取したものだ。
"黒い魔力"――それはすべてを飲み込む色。
旅の道中でも感じたが、何か不穏な気配を感じる。
肌がびりびりと震えるような感覚がした。
「黒い魔力……」
「新種の魔力かもしれない。ちょうどいいからこれが何か、余った培地で調べてみようかな」
先生は何も感じていないようだ。
でも俺の全身は警笛を鳴らしていた。
根拠もなく、俺には魔力探知なんて能力もないけど、その魔力は何故か俺の感覚を刺激して、血湧き肉踊るような感覚に陥った。




