Episode148 マナグラム
その部屋に辿り着く。
理事長室、と丸っこい文字で書かれた表札がある。
表札はよく分からない記号で彩られていた。
それを読み上げて溜息一つ。
「先生、マナグラムの不具合って……要するに無詠唱術者が普通の魔術師と違う魔力を使ってて、それを測定できないことが問題なんですよね」
隣にいる美人教師に声をかけた。
横顔を見ててやっぱり美人だなと思う。
ユースティンによく似ているけど、大人の女性の魅力が際限なく盛り込まれた人だった。ボリュームある髪は艶っぽく、鼻筋も通っていて睫毛も長い。
一般人から見たら高嶺の花なのだろう。
そのひとも溜息を一つついて、こっちに振り向いた。
「はぁ……ロストくん、間違っても理事長の前で不具合って言っちゃダメだよ?」
「なんでですか?」
「初代マナグラムはね、理事長がつくったものだから――」
そうだったんだ。
確かにあのパシャリと写し絵を生み出す"マナグラフ"と名前が似ていた。
曰く、鑑定魔法の効果を付与した魔道具で身に着けただけで魔力を数値化してしまうもの。改定に改定が重ねられ、魔力だけでなく、その人の生命力や能力まで数値化してしまうという優れものへと進化を遂げていった魔道具だ。
しかし、それは一つの悲劇を生み出した。
マナグラムが普及し、その基準値が標準化されたことによって"測定外のもの"はまるで劣った存在だと扱われるようになってしまったのだ。
そうして生まれた悲劇は俺の幼少期だけじゃない。
大勢の子どもの隠れた才能が日の目を見ないまま、埋没する原因を作ってしまった。
その問題を初めて提起したのがドウェインの父親、ガウェイン・アルバーティ元教授。
今はバーウィッチ魔法学校の校長をしているが、当時はこの大学の教授の座にいた人物だ。俺も前世で少しだけお世話になった記憶が残ってる。
「あぁ、ガウェイン先生が大学を追放されたのももしかして……」
「……」
イルケミーネ先生は静かにこくりと頷いた。
なるほど。
理事長だったら権力で追放するのも容易だろう。
ましてやあんな傍若無人な理事長だ。
これ間違ってますよ、と伝えただけで「はい退場」と一発解雇を喰らう光景が目に浮かぶ。
権力とは恐ろしい。
ティマイオスが右といったら右、左といったら左なのだろう。
なんて理不尽な大学だ。
入るよ、と一言俺に断り、イルケミーネ先生は理事長室の戸を叩いた。
「ティマイオス様、イルケミーネです」
すると奥から軽い足取りで駆けつけてくる足音。
ばっと開け放たれ、ツインテールの少女が出迎えた。
「やぁやぁ、さっきぶりね。ロストくんもご機嫌麗しゅう!」
「ご機嫌……麗しゅう……」
マナグラムもジャイアントGもこの人が発明したんだよな。
グノーメ様と比べると全然良いもの作ってない。
「むっ……今きみ、あたしがまったく良い仕事していないって顔をしたわね」
「いや、そんなつもりは――」
「ふっ、中に入ればどれだけあたしが優れた賢者かってことが痛いほどわかるわよ! さぁ入って入って」
痛いほどって所がまた恐ろしい。
…
中に通され、どことなくグノーメ様の魔道具工房の光景を思い出した。いや、あれと比べると埃っぽくもないし、綺麗に整頓されている。
だけど、どことなく雰囲気というか……。
所狭しと並んだ謎道具の数々や家具の配置が似ていた。
「……ビッ……ガガー……の時代に……君らは幸運だ! まさに今……ガガ……ビビー……より実用的で……ガッ、ビービー……日夜研究に取り組む学生……」
「え、なんだ!?」
俺たちが部屋の奥へと通されている最中、片隅に置かれた四角い箱からいきなり声が発せられた。雑音交じりではっきり聞こえてこなかったものの、最近どこかで聞いた声だ。
箱の側面に小さい穴が無数に空いていて、そこから声が聴こえた。
「あぁ、それ校長ね」
「は?!」
ティマイオスはしれっとした態度。
今、この四角い箱のことを校長と言ったのか?
「校長って学校で一番偉い人だろ?」
「なーに言ってるのっ! 一番偉いのはこのあたし、ティミーちゃんなのでーす」
「理事長じゃなかったのか」
「そう、あたしは理事長。ギルド法人のねっ! こう見えても多忙の身なのよ~。魔術ギルドの役員をやりながら学校で一番偉い人でいるには理事長の椅子が必要ってぇ~ことなわけ」
「じゃあ校長はどこだ」
「だから、それっ」
それ、とティマイオスが指差すのはやはり四角い箱なのである。
「魔道具"Mana-Gramophone"っていう発明! そろそろ古くなってきたからたまに誤動作で勝手に喋り出すの。アップグレードしなきゃね~。面倒っちぃ!」
「でも、校長が魔道具じゃマズいような――」
「えーえー、なんで? なんでそうなるわけ?」
「いや、なにかあったときに責任取る人が必要になるだろ」
「そんなものねぇ、適当に捻じ伏せておけばいいの。だいたい校長なんて要る? 入学式と卒業式にだけ出てきて学生の前で喋るだけよっ! 学生は名前すら知らないんじゃない? 一応アルドヘルム・モンタギア=チャーグステンっていうそれっぽい名前は設定しましたけど、しーまーしーたーけーどー!」
「……」
言葉もない。
イルケミーネ先生に一瞥くれると先生は目を伏せて首を横に振った。
なるほど、変に突っかからない方がいいというわけか。
「今はその隣の自動人形がアルドヘルムの模型ね」
蓄音機の隣には人型の模型が置かれていた。
それからティマイオスは自動人形の素晴らしさをつらつらと語りだした。
何を隠そう、この賢者、自分が歳を取らないから周辺の人物も歳を取らず、永遠と変わらない人材を置いておきたかったらしい。だから人ではなく、こんな人形やら魔道具やらにその職務を押し付けているようである。
「といっても……三年くらい前まで教頭は置いてたのよ。でも失踪しちゃってね。まぁ端から雑用係で引っ張ってきた人材だからどうでもいいけどねっ、キャハ!」
「失踪した? なんで?」
概ね、この理事長に嫌気が差したに違いない。
こんな賢者の相手をさせられたら誰だって逃げ出したくなる。
「さぁ? 聖堂騎士団の任務があるって出てったっきり。ジョバンバッティスタ・ヴィンツェンツォーニっていう長ったらしくも舌回りの練習に持って来いの名前なんだけど、どこかで見かけたことなーい?」
「あっ―――」
あの金髪雷槍のおっさん……!
そういえばケラウノス・ボルガってティマイオスの作品だったな。
「きみ、なにか知ってるね? 知ってるのね?! せっかく不老不死と雷槍を授けたっていうのに逃げ出したあの忌々しい加齢臭をっ」
俺は直接その最期を見たわけじゃないが、シアとアルバさんが協力して首を刎ねたと聞いている。
―――だとしたら、もうこの世にはいない。
雷槍ケラウノス・ボルガもシルフィード様が回収してしまった。
言いづらい。
これは言いづらいぞ。
俺が何も言えずに冷や汗を掻いていると、ティマイオスはすぐに切り替えて諦めた。
「ま、いいわ。変わりはいくらでもいるのだし、そーれーにっ!」
しかしてティマイオスは俺に擦り寄ってくる。
片腕を持ち上げ、間近で俺の身体を吟味し始めた。
「どうやらきみも不老不死のようね―――教頭の座に興味はなーい?」
「え……」
「だーかーらっ、きみさえ良ければ特別に教頭にしてあげる。生涯を共にするなら加齢臭よりも若い男のが良いに決まってるのだよっ」
まるで色目を使うように流し目で顔を覗きこまれた。
ちょっと待て、そうじゃなくて。
俺が不老不死だと。
それは初耳だ。
いつから?
いや、いつからなんて決まっている。
こんな身体になった日から……?
俺はもうこれ以上歳も取らなければ死ぬこともないのか。
それは……どう受け止めればいいんだろう。
複雑な気分だ。
「ティマイオス様、ロストくんが困ってますよ……? 彼は一応、王家に仕える騎士なので」
イルケミーネ先生が助け舟を出してくれた。
それに対してティマイオスは俺の腕を放り投げ、つまらなさそうに部屋の奥へと歩いていく。
「あーあー、冗談冗談。そんなの知ってるわ。からかっただけー」
ティマイオスは奥の大きな机に辿り着き、柔らかそうな椅子の上にひょいっと腰を乗せて背を持たれかけた。机に脚を乗せ、随分と偉ぶった態度でこっちを見てきた。
「まぁとにかく本題ね」
俺とイルケミーネ先生は前に立ち、ようやく今回呼ばれた件について話し出した。ティマイオスは椅子の肘掛けを使って頬杖をつき、咋に機嫌悪そうな態度を示す。
気持ちの切り替えが早すぎてこっちが気疲れする。
「マナグラム……そう、マナグラムの改定をしたいって話ね」
「はい、それで私も大学に戻ってきたんです」
「まったくあのクソジジイ、教授の椅子を用意してやったと思ったら調子に乗ってあたしの発明を侮辱しやがって~……もうっ!」
どん、と拳を机に叩く。
思い出しただけでも腸煮えくり返るらしい。
見た目が幼いだけに仕草は可愛らしいが、侮ってはいけない。
この女は権力でヒトを抹消できるのだから。
「しかも自分ができないからってあたしのお気に入りを遣って強行させようというそのやり方も気に入らないっ!」
「………」
―――"不甲斐ない話だが、私は大学に敵が多いからな"
この話を初めて聞かされたときのガウェイン先生の顔を思い出した。
不器用な人なんだろう。
俺もティマイオスの傲慢で不遇な子どもが増え続ける現状は阻止したいと思う。
その志しは間違ってない。
イルケミーネ先生もそれに賛同して、こうして研究の許可を貰いにきたのだ。鑑定魔法の限界を素直に認め、もっと良い世界をつくるために。
「でも―――」
「マナグラムは最初から素晴らしい魔道具ですよ。従来の発想では受動的に発動する魔法を結晶化しようという試みすらなかったですから」
「そうでしょ?! イルケミーネもそう思うわよねっ!」
俺の言葉を遮り、イルケミーネ先生がお膳を立てる。
それに対してティマイオスはご満悦にうんうんと頷いた。腰に手を当てて鼻高々に振る舞うその態度はさっきまでの不機嫌そうな態度とは真反対だった。
切り替わり早いなー。
「私の鑑定魔法が注目を浴びたのもマナグラムのおかげなので……」
「ふっふーん。でしょでしょ~。ほらもっと、もっと言ってみてっ」
どんどんティマイオスの鼻が伸びていく。
この賢者、もしかして扱い易い部類なんじゃないか。
それから先生はマナグラムという文明の利器が普及したことで人類がどれほどの恩恵を得られたかということを仰々しく、かつ冷静に語り続け、ティマイオスのご機嫌を取り続けた。
統計的な水準があることで競争力がついたとか。
模範を作ったことによって秩序ができたとか。
同種間の犯罪率は下がったとか。
優劣づけの適正化が進んだとか。
何かもう俺では理解しかねる王政の話まで持ち出して語っていた。
そして最後にイルケミーネ先生は本題を添えた。
「――だからそれをより良くすることは、ティマイオス様の素晴らしさをさらに世に広めるきっかけになるんですよ」
「そう、そうねっ! 本当にそうっ! さすがあたしのイルケミーネっ」
「なので無詠唱術者の魔力も測定できるように大学で研究させてください」
「いいわねっ! じゃあ、すぐ取りかかって頂戴」
「ありがとうございます」
切り替えはやっ!
さっきの頑なな姿勢が何だったのかと思うほどにティマイオスはあっさり了承した。イルケミーネ先生も戸惑うことなく、ぺこりと頭を下げて交渉は成立。
す、凄い……。
先生の話の持って行き方も凄いけどティマイオスの心変わりっぷりも凄い。客観的に見て真性の阿保なんじゃないかと――いや、皆まで言うまい。
「研究室棟の部屋を一室借りてもいいですか?」
「もちろんっ。確か、不人気で潰れた詠唱時間の研究室が余ってたから好きに使って」
あぁ、俺の前世に所属していた研究室のことか。
昨日見にいったら埃まみれになって"ペテン師揃い"とか落書きされてた部屋だ。
まさか当時の部屋にまた通う事になるとは。
これもまた運命の悪戯だろうか。
ティマイオスは大きな椅子をくるりと回して一回転すると、上機嫌な顔を俺の方に向けてきた。
「ロストくん、きみはあたしのマナグラムの改良作業で忙しいだろうから、履修単位を少しばかり免除してあげるっ」
「えっ……いいのか?」
「とーぜんっ! そもそもきみは"イザイア・オルドリッジ"くんだったのでしょう? ねぇ、そうなんでしょう? 色々ときみの経歴は聞いてるわよ。だったら、きみ自身はもう大学の単位は押さえているということになるのだし」
「まぁ、あんまり当時のことは覚えてないけど」
「そうねぇ~……イザイアくんと言えば知識と技能でどちらも優秀な成績で卒業していったからよく覚えているけど、それがきみ? と言われるとちょっとパッとしない。魔相学すら知らないって言うんだから」
「……覚えてないものは仕方ないだろ」
「ま、基礎くらいは勉強し直した方がいいんじゃなーい?」
最初からそのつもりだ。
役割や別の目的があって魔法大学に来たけど、せっかくだから知識の向上も図りたい。
魔法のことで疑問に思ってることは山ほどある。
あと、虚数魔力の使い方ももっと効率的にできないかと思っていたところだ。『時の支配者』はすぐ魔力が枯渇してしまうし……。
その辺りは大学の講義とイルケミーネ先生との個別研究で改善していこう。
○
「先生……ちょっと聞いてもいいですか?」
「うん?」
理事長室から解放されて、廊下を歩くイルケミーネ先生に声をかける。
「その、さっき俺の体が"不老不死"だって言われたことが気になってて……」
ティマイオスが言っていた事だ。
きみも不老不死なようだけど、と。
本当にそうなのかという事も疑い深い。実感もないし。
それに突然そんなことを知って複雑な気分だ。嬉しいことなのか、悲しいことなのかも判断できない。
まるで"もう人間じゃない"と言われた気分だ。
「あぁ、うーん……ティマイオス様はロストくんの体がどうなっているのか、何か気づいたのかもしれないね」
「俺の体はどうなってるんですか?」
「私にはわからないよ。鑑定魔法で見ても何も情報が出てこないから……」
向けられた困り顔は俺をさらに不安にさせた。
その表情の変化に気づいたのか、イルケミーネ先生もすぐフォローしてくれた。
「そんな深刻に考えなくても大丈夫よ。不老不死自体も、それは一つの"結果"で、そう成る手段は沢山の方法があるからね」
「そうなんですか?」
「うん―――例えば、王宮騎士団の騎士団長も不死の力を持ってるでしょ?」
「あぁ、アレクトゥス……『不死鳥の冥加』ですね。どんなに傷ついても死なない体……」
「そう。団長さんは普通の人間で歳も取るけど、肉体の再生能力を高める『自己修復』という強化魔法が恒常的に宿ってる。だから戦士の目線で言えば"不死"だけど、完璧ではないよ。首を刎ねたり、肉体全部が同時に吹っ飛べばもう元には戻れない。当然、老いていくから寿命を迎えたら死ぬと思う」
「………」
先生にしては不気味なことを淡々と語る。
「あとはさっき理事長が話してたジョバンバッティスタね。彼は魔法の力じゃなくて、謂わば改造人間……というか、理事長が体を人工改造して自動人形化した結果、"不老"になった。だから老いて死ぬ事も、傷ついて死ぬ事もなくなったけど、体の大部分が破壊されれば結局死んでしまうわ」
そういえばケアも、パウラさんが「生理反応のない自動人形だ」と言っていた。
その意味ではケアも不老不死か。
「あとは歴代の賢者たちの在り方も"不老不死"に当たると思う……」
「歴代の賢者、ですか?」
「彼らは肉体の柵を超越して魔力そのものへと昇華した。つまり魔力と一体化して生き続ける道を選んだ、というのかな……? 実体がないから捉えどころがないけど、ちゃんと存在し続けてるよ。初代賢者様たちは魔力じゃなくて、精霊力と一体化しているから自然現象として実体化できるの」
わかるようでわからないような。
今の俺では理解するための魔術の知識が足りていない。
そういえば、精霊力って言葉は迷宮都市で聞いた。
大陸を渡ってからあまり聞かなくなったかな。
五大賢者たちが急に幼くなったり大人びたりするのは精霊力の貯蔵量が影響するとか何とか……。
「崇高な人の考えは理解できないです」
「うん、私も」
えへへ、と舌を出して笑うイルケミーネ先生。
「ロストくんの場合は半分ずつかなって思ってるよ」
「半分ずつ?」
「生理反応があるし、完全な自動人形ではないみたい……。でもその身体は女神によって造られた魔造兵器……成長は止まっているから全部が全部、人間オリジナルのものでもない。多分、半魔造融合体って呼ぶのが適してるのかな―――勝手な推測だけどね」
半魔造融合体?
聞き慣れない名前に首を傾げる。
でも先生に尋ねて良かった。
人間部分は残ってるらしいということが分かって安心した。
「だからね、"死なない"とか"生き返る"とかそんな奇跡を魔法が引き起こすことも稀にあるよ。あまり深く考えなくて大丈夫」
「はぁ……」
生き返るってのはまた別の話だと思うが。
先生も何処かで経験したのかな。
※ 次回更新はいつもより二日遅れます。
2016/5/2(月)~5/3(火)に二、三話更新予定。




