Episode144 イザヤの受難Ⅱ
自意識過剰な次男坊の杞憂をご覧ください。
落ち着かないまま時間ばかりが過ぎた。
あれから何度も兄貴の手紙を読み返した。
"もし尋ねたときには色々と支えてやってくれ"
冗談じゃない。
事情はよく分からないが、親父を殺した殺人鬼ってことだろう?
俺たちが生まれる前には親父は親父だったんだから、オリジナルが元々誰だったかなんて関係ない。
サードジュニアは復讐しただけってことじゃないか。
だというのに兄貴は肩入れしている。
これは脅迫されて書いた手紙かもしれない。
あるいは人の精神や思考を操作する闇魔法をかけられて――。
待てよ、最後の手紙には「時間を止める魔法を魅入られ」と書いてある。
時間を止める?
それはイザイアが学生時代に提唱した時間魔法理論を実現させた、ということである。
在り得ない……。
しかし、国王から直々に声が掛かるという事は根拠のある報告である事は間違いない。
それに王宮騎士団と云えば国が抱えるエリート騎士団。
そんな戦闘集団の仲間入りをしているかもしれない?
あんな魔力もなく、ひ弱だった弟が……?
どちらにしろ、こいつは脅威だ。
兄貴は論文屋だったから実践魔術で対抗しきれず、サードジュニアの復讐劇に屈したと考えるのが妥当だろう。
そうだ、これは弟の復讐劇だ。
野に放たれ、この五、六年の間に苛酷な修行を乗り越えた弟が復讐にきた。
考えてもみろ。
自分が弟の立場だったら……。
―――魔力がないだけを理由に実家で虐待されて捨てられる。
そんな不遇に扱われた家に平然と戻ってくるなんて。
もしそんな人間がいるとしたら余程の聖人君子か、自己防衛本能を欠いた異常者だ。この文面だけでは弟の存在がますます不気味に思えた。
ひとまず"ロスト・オルドリッジ"と名乗る弟の襲来に備えよう。
…
しかし、その日を境に俺の日常はじわじわと脅かされていった。
魔法大学の自習スペースでは、王都から発信された≪ 魔力電信 ≫を紙に転写したものが記事として読めるようになっていた。
理事長のティマイオスが発案したシステムだ。
普段は目にも留めない王政の社説記事の一つに目が留まる。
"王家の隠し子騒動、現れたのは誘拐犯か幇助犯か"
見出しに次いで、「ロスト・オルドリッジ」の名前があった。
王の隠し子である第七王女の専属騎士選抜戦の開催日、王女様が誘拐されたと昨日報道されていた。そしてこの記事には、その犯人が"ロスト・オルドリッジ"なる人物であったということが報道されていた。
王女様は外界の珍しい光景に心奪われ、単独で視察に出たかったのだと胸中を明かす。
それを幇助したのがロスト・オルドリッジ。
王宮騎士団の黒帯選抜戦は中止される事態となった。
さらに記事の最後―――黒帯であるボリス、ガレシアの二人を同時に相手して、打ち負かすほどの力の持ち主であり、王宮議会ではこのロスト・オルドリッジ氏の処遇について議論している最中だと云う。
「………」
絶句した。
王宮騎士団の中でも随一の実力を誇る黒帯……その一人一人が歴史に名を残すほど、英雄的な強さを持っているはず。
また、彼らはそれぞれ魔術法則では考えられないような異能力を持っているという噂だ。
一学生からしたら雲の上のような存在。
それを二人まとめて打ち負かした……?
手が震える。
脅威どころじゃない。
厄災だ。
それが王都まで来ている。
気づけば、過去に弟に対して繰り広げた魔法実験の数々を思い出していた。
魔法だけじゃなくて殴ったり蹴ったりもして虐待を重ねたものだ。そういえば、兄貴はよく虐待の指示をしていたが、実行犯だったのはこの俺だ。
その弟が復讐に来た。
もう目と鼻の先まで近づいてきている―――。
「イザヤ様、どうされたのでしょうか?」
「ひょぁあ!?」
「ひょぁ?」
「い、い、いや、何でもないっ! 今日は体調が悪いんだ……っ」
取り巻きの女の子Aが突然後ろから声をかけてきた。
今は相手にしている余裕がない。
颯爽と自習スペースの席から立ち去った。
…
また別の日。
最近ろくに飯が喉を通らない。
昼飯の時間、心配してくれた取り巻きの女の子たちがお弁当を持ち寄ってくれた。
学食で囲われながらも呆然自失。
じわりじわり迫ってくる厄災のことで頭がいっぱいだった。
「イザヤ様、最近お顔色が優れないような……?」
取り巻きの女の子Bが覗きこんでくる。
「私の作ってきたお弁当、お口に合いませんか?」
「い、いや……すごく美味しい……ありがとう」
無理にでも口に頬張った。
これはまずい。
余裕のなさが顔に出てしまっている。
これまで悩んだ時には一人になって考えを巡らせれば良案が浮かんで乗り越えてこれた。しかし、魔法大学に進学してからというもの、これといって悩みなどなく、気づけば取り巻きもいてハーレムで浮かれていた。
ステータスだった女の子たちが今となっては鬱陶しくなってきた。
先日の取り巻きの女の子Aが問いかける。
「あ、そういえばイザヤ様、今朝の王都新聞お読みになりました?」
「し、新聞……!?」
前見かけた記事が頭に浮かんで動揺が隠せない。
「こないだイザヤ様が王政に関する記事を読まれていたので、もしかして関心があるのかと思って……私もチェックしてますっ! それで気になったんですけど、ここのお名前が……」
「な、に………」
記事の切り抜きを持ってきてくれた女の子A。
その指先が示すところに、またしてもあの名前があった。
慌てて記事を奪い取り、凝視する。
そこには王の隠し子騒動で世間を賑わせていたエスス王女殿下が魔法大学への進学を決めた、という旨が書かれていた。
さらに護衛としてロスト・オルドリッジも入学する、と―――。
「あ、あぁ……あああ……」
嗚咽にもならない何かが喉の奥から湧き出てくる。
血の気が引く。
ついに来た。
俺が脱力してテーブルに記事を落とすと、見出しを見た女の子Cが歓声をあげた。
「えぇー! 王女様が入学!?」
それに対して女の子Aが丁寧に内容を解説する。
「はい。しかも護衛の三人も一緒に入学してくるそうですよ。専属騎士候補としてロスト・オルドリッジ。お世話役にシア・ランドール。小間使いにランスロット・ルイス=エヴァンスって書いてあります」
流行好きの女の子たちが盛り上がり始めた。
「王女様ってどんな子なのかなっ」
「まだ十五歳らしいよ」
「えぇ、若い! 王家の子と友達になれるかもしれないんだ」
「なれるわけないじゃない、何のための護衛よ」
「でも、あれ……? 騎士候補の人、オルドリッジってイザヤ様と同じ―――?」
違和感に気づいた女の子たちの視線が一斉に俺のもとに集まる。
まずい。
まずいまずいまずい。
今は冷静に頭が回らない。
弟が攻めてきたら俺が真っ先に殺される。
しかも、ただ死ぬだけじゃない。
過去にしてきた弟への虐待が大学中に知れ渡り、イメージも下がる。
死ぬなら名誉の死を遂げたい。
いや、まず死にたくはないが、死ぬのに加えて悪評が広まるなんて最悪じゃないか。
ここで弟だと打ち明けてしまえば、取り巻きの女の子が騒ぎ立てて、仕舞いには奴に俺の居場所が知られてしまう。
「あの、ご親戚の方でしょうか? それともご兄弟の?」
「あ、あぁ……も、もしかしたら親戚にいたかもしれない。確か遠い親戚で一回くらい会ったことがあるようなないような……! もう他人同然だよ」
「そうなんですね! 私てっきりイザヤ様のお兄様か叔父様かと思って」
「そんなわけないだろう、ははは……」
本当は弟だ。
取り巻きの女の子たちと一緒に記事を笑い飛ばす。
しかし、心の奥底では笑い飛ばす余裕なんてない。
まさか王女が大学に進学するとは思いもよらなかった。
普通、王家は宮廷教師に学問を教えてもらうから、大学に進学するなんてことはあまり聞いたことがない。
それこそイルケミーネの仕事である。
なるほど……考えたな、ロスト・オルドリッジ。
力を見せつけ、王家に取り入り、王女の進学を利用して大学に来る。
自然だ。
突然、学園都市にやってきたら不審者扱いされる危険性がある。そこをあくまで学生として内部に入り込み、復讐の機を窺うという算段か。
そこまでして俺の世界に入り込まんとするとは……。
ただ殺すだけではつまらないから、俺の人生をかき乱すつもりなのかもしれない。頭には富も名声も力も手に入れた極悪ヅラした弟が高笑いする光景が目に浮かんだ。
とにかく、なるべく会わないように取り計らおう。
校内で有名になってしまったのがここで致命傷になった。
○
いよいよその日はやってきた。
今日は王女とその護衛の三人が大学に入学してくる日だ。
校内では話題になっていて、入学式と称する大々的な歓迎式をやることが決まっている。新入生の入学式なんてひっそりと行われるものだが、王女様が来ると騒ぎになっている事もあり、理事長のティマイオスがそう提案した。
とりあえずロストの攻撃に備えて対策をした。
借家の庭先には魔法による罠を張り巡らせる。
・ 踏めば炎が噴出する魔法陣。
・ 引っかければ電流が流れる縄の魔道具。
・ 跳び上がれば冷気が吹き荒れる空中結界。
こんな初歩トラップではまだ足りないだろう。
近づくと蔦が巻きつく魔法植物を玄関に置く。
捕獲用だ。
しかし、これは噂に聞く"時間魔法"の前では無意味だろう。
だから家の玄関、外壁に自動型トランジットサークルを張り、触れたら即追い出せるようにしておく。転移先は街の外れにある通称"茨ロード"だ。
棘だらけの森のど真ん中に転移して一瞬で串刺し地獄になる。
俺しか分からない道順を辿らないと、何かしらの罠が発動する仕掛けだ。
あとは俺の知恵と勘が頼り。
郵便受けには「本日庭の魔術実験中につき配達無用」と張り紙をしておく。これでよっぽどの用がない限りは部外者は入ってこない。
とりあえず要塞の完成に満足して家を出る。
今日の入学式にはギャラリーとして参加する予定だ。王女とその護衛は揃って紹介されるそうだから、ロストの外見だけ確認しておきたい。
…
入学式に向かう。
例年は実習棟の大規模魔法実習室でやるのだが、今回はギャラリーが多いので校庭で行われることになった。
ローブを目深に被って変装した。
俺が現われたことが知られたら、黄色い声が上がって注目されてしまう。
取り巻きの女の子たちにも今日は家に籠ると伝えてある。
校庭は既に多くのギャラリーで埋め尽くされている。
その群れに紛れ込み、設置されたステージを遠くから眺めた。
開始の時間となり、校長がステージで高説垂れ始める。
俺が入学したての頃のものと一語一句同じだ。
台本でもあるんだろう。
「―――魔法至上の時代に生まれてきた諸君らは幸運だ! まさに今は魔術の高度成長の時代! 我が大学では未来に向けて、より実用的で、よりユニークな魔術を求めて日夜研究に取り組む学生ばかりだ! その中で諸君らも―――」
今年は例年とは違って在校生の数の方が多い。
少しは台本も変えればよかろうに。
「諸君らに輝かしい未来を!」
一字一句どころか声のトーンまで同じだった。
懐かしい。
校長は蓄音機でも使っているのか、あるいはそれ自体の可能性もあるな。名前も知らないし、入学式と卒業式のときに現われるだけなのだから。
理事長のティマイオスの方がよく見かけるほどだ。
「それでは新入生を代表しまして、エスス・タルトゥナ・ド・エリンドロワ王女殿下より、ご挨拶のお言葉を賜りたいと思います」
どこからともなく女性のアナウンスが聞こえてきた。
人混みの隙間から壇上を覗きこむ。
ここからが重要だ。
ステージに上がったのは、ぎこちない動きで歩く王女殿下と鎧に身を固めた兵士、それと青い髪に背の低い女と、浅黒い肌に赤い斑模様が刻まれた男だ。
それを見た瞬間、直感的に分かった。
異様に落ち着いた雰囲気だが、間違いない。
あいつがサードジュニアだ―――。
「えー、えーっと魔法大学の皆さん、こんにちわ! エススです!」
やけに陽気な雰囲気でこちらに語りかける王女。
想像していたよりも軽い雰囲気で、周囲も騒然とし始めている。
俺はそれよりも浅黒い肌の男を注視した。
「きょ、今日は良い天気で良かったです! こうして皆さんと良い入学式の日を迎えられたことが嬉しいですっ! ボク……あ、私はっ! 王女という立場ですけど、皆さんと仲良くしながら、魔法をたくさん勉強していけたらいいなと思ってます! よろしくお願いしますっ!」
その言葉を聞いた学生らは戸惑いが隠せていない。
――あれが王女様?
――可愛い!
――仲良くしてほしいだってよ! 俺も俺も!
という声が飛び交っている。
「じゃあ、私の友達―――じゃなかった、護衛の三人を紹介します。まず王宮騎士団所属のロストです。ロスト・オルドリッジ」
言われ、男が軽く会釈した。
特に言葉はない。
王宮騎士団の制服を着ているわけでもなく普通の旅装といった感じだ。
それから順番に、シア・ランドール、ランスロット・ルイス=エヴァンスと記事に書かれていた通りに王女直々に紹介されていく。
事前に噂が広まっていた事もあって、学生たちも各々好き勝手に雑談し始めた。一番ざわめきの声が大きくなったのはロストが会釈したときだ。
やはり俺だけじゃなくて皆怖がっているようだ。
「三人とも護衛だけど、ボクと同じく新入生です。仲良くしてくださいね!」
王女はそれで最後に会釈して挨拶を終えた。
一人称の素が出てしまっている……。
いや、それよりもロストだ。
これだけでは素性が分からない。
少し尾行して様子を探ろう。
奴は魔力もないんだから魔力探知もできないはずだ。
お互いのテリトリーを奪い合う陣取り合戦なら、先に情報を多く得た方が勝つ―――。
俺は守りきってみせるぞ、順風満帆な学生ライフを。




