Episode143 イザヤの受難Ⅰ
時系列上ではロストたちが王都に着く前です。
俺の名前はイザヤ・オルドリッジ。
現世にその名を轟かせた大魔術師イザイア・オルドリッジの息子だ。
魔法大学では主席の成績。学科単位の取得数も四年の履修が終わった時点で史上最多。この世界で最も優れた魔術師であることは間違いはない。
親父も学生時代は怠け者で成績は下から数えた方が早かったそうだ。
去年卒業した兄貴も引き籠ってばかりの論文屋だった。
俺は違う―――。
理論はもちろん、それを実演する能力も高い。
自他ともに認める文部両道の魔術師だ。
親父、兄貴も凌ぐ、魔術師としての最高峰に至ったと自負している。
大学の講義が終わり、教室を出れば颯爽と黄色い声があがる。
頭脳明晰、運動神経抜群なだけではない。
東方と西方の貴族の血を受け継いだ端麗な容姿も持ち合せている。
「きゃー! イザヤ様、私とデートして!」
右を向けば女の子。
左を向けば女の子。
両手どころか、四方八方に"花"が常に居る。
俺はそれらを適当にあしらって……かといって女の子に失礼のないようにそれとなく往なし、振り払う。表面的には素っ気ない態度を出しつつ、狙いのつけた女の子には特別をプレゼントするのだ。
こっそりと人気の喫茶店、飲食店でデートをして、君は特別だと言い放つ。
するとどうだろう。
女の子はそれぞれが、自分は周りの取り巻きと違う、特別なんだと思って俺に夢中になる。
抱いた女は数知れず。
けれど、色欲に溺れるわけでもなく、学識を詰み、肉体も鍛え続ける。
そうやって大学生活を満喫した後は将来事業でも起こして独立する。東方の貴族の跡取りなんて御免だ。最後は王侯貴族と結婚して、実業家、貴族としても歴史に名を残す。
それが展望だった。
「ごめん、今日は図書館で勉強するから。また今度ね」
俺が何と言おうと、取り巻きはきゃーきゃーと声を出して燥ぎ出す。
野に咲いている花などに興味はない。
本気で落とすなら、高嶺の花を摘みたいものだ。
今日も今日とて図書館通い。
○
俺が最近狙いをつけている女は二人いた。
まずそのうちの一人が大学の図書館で働く司書の女だった。
噂によると魔族で歳をとらないのか、延々と変わらない容姿をしている。
先輩の卒業生も、そのまた先輩の卒業生も、在籍期間中に司書が変わったことはなく、ずっとその女が図書館にいたと云う。
薄紫色の長い髪に、毛先がふわりと巻かれていて可憐だった。
雰囲気は物静かで、そして神秘性も兼ね備えた興味をそそられる女。
人間族の基準でいえば幼い子どものようにも見えるあどけない顔立ち。
年齢など関係ない。あんな風貌で人生経験を百年も二百年も詰んだ姉のような存在なのかもしれない。そんな意外性のある女と一度付き合ってみたかった。
図書館に入り、円柱状に吹き抜けた巨大な本棚の数々を見上げる。
二階にあがって本棚の影からその女を発見した。
本の整理をしている。
「どうも。すみません、リピカ先生。探している本が見つからなくて……ちょっと尋ねてもいいでしょうか?」
「はい。何という本かしら」
「えーっと……『魔力因子の生態配分とアガスティア運命論』っていう本なんですけど」
「イザヤくんは神智学に興味があるのね」
「えぇ、もう運命って言葉に目がなくて―――」
司書は脚立を下りてこちらに歩いてきた。
背格好は小さいが存在感のある女だ。
その黒い地味な服の下にはどんな神秘が隠されているんだろう。そんな妄想を繰り広げながら、司書は手に持っていた本をそのまま渡してきた。
「その本ならちょうど今本棚に戻そうと思っていたわ」
「わぉ、それはすごい偶然ですね」
「そうかしら?」
「俺が探していた本をリピカ先生がたった今その手に持っていたなんて―――これって何か運命を感じません?」
俺は本だけでなく、司書の手も両手で包み込んだ。
そして青い瞳を真っ直ぐ見つめる。
これで堕ちない女はいない。
自信があった。
リピカは詰まらなさそうに俺に握られた手を眺め、そしてこちらに向き直った。
「熱心に図書館に通う貴方が探しても見つからない……それはつまり、まだ私が本棚に戻していない可能性の方が高いわ。何より、昨日返却されたばかりの本だもの。今日日、私が棚に戻すことは分かっていたでしょう。昨日返却した張本人だったら尚更―――」
すべてお見通しのようだ。
しかしこれは俺なりの茶目っ気でフォローできる。
「先生には敵わないなぁ……俺がこうして先生に会うために仕組んだとバレてましたか」
「因果律の改変に興味があるのなら、こっちの『四元素説のリゾーマタと集合離散法則』をお奨めするわ。オルドリッジの悲願にも結びつく話が載っているかもしれない」
そういうと素っ気なくまた本の返却作業に戻ってしまった。
失敗は失敗だが、成功につながる失敗だ。もうあと二、三回積み重ねればリピカ・アストラルとはお近づきになれるだろう。
しかし、オルドリッジの悲願とは何だろう……。
せっかく紹介してもらった本だ。
熟読して話題提供に繋げよう。
そう決心して図書館から立ち去った。
○
次に足を運ぶのは実習棟だ。
ここでは魔術を実演する授業、研究が盛んに行なわれているが、放課後の数時間は大規模魔法実習室が開放されて自由に使えるようになっていた。
重たい鉄製のスライドドアを開け、実習室に入る。
天井までの高さは相当だ。退魔性の魔力塗料でコーティングして頑丈な石材で建てられているため、ちょっとやそっとの魔法で壊れることはない。
図書館と違い、俺が登場することで黄色い声があがる。
身軽な服装になってストレッチする。
杖を一振りして手始めに火や氷を精製し、魔力放出の感覚を確かめた。
次は魔力操作のウォーミングアップ。
電撃魔法を発生させて壁に放つ。それを放出し続け、真っ直ぐな電撃の縄を一本作り上げる。電撃魔法"ライトニングウィップ"だ。
これだけなら大学に通う者は誰でもできるだろう。
それを両手で作り、二本にする。
二本と二本の間を結ぶように、さらに電撃を三本、四本と重ねて編み込む。
幾重にも重ね上げ、出来上がるのが電撃の"網"だ。
これは指折りの魔術師にしかできない芸当である。
"ライトニングネット"と呼び、魔物の捕獲に使うことができる。
その網を水平から垂直に……。
さらには曲げたり伸ばしたりして魔力操作を修練する。
この時点で既に集中力と魔力をかなり消費する。
しかし、俺からしたら些細な消耗だ。
魔力はマナグラム上で三千弱の数値はある。魔力効率学をトップの成績で履修して消費魔力も最小限に抑えられる技能があるので、こんな芸当を披露しても数値上では10~20程度の魔力しか使わない。
「おーいっ! シュヴァルツシルトの御曹司がそんなことしたら危ねぇぞ!」
実習室に大声が響き渡った。
はっとなり、魔術を解除して周囲を見渡す。
修練している面々は天井を見上げていた。
俺も合わせて上を見上げる。
すると、最上部―――梯子で登りきれる一番上で銀髪の小柄な少年が壁を背に身を乗り出していた。背中には鞄のような四角い箱を背負っている
ユースティン・シュヴァルツシルトだ。
この大学ではちょっとした有名人だった。親の七光りもあるが、本人が変人であるために入学して一年であっという間に名を轟かせた。
親譲りの容姿が人気を博している。
……それにしてもかなりの高さだ。
あのまま落ちて打ち所が悪ければ、あの世行きかもしれない。
「僕は空に愛された男なんだ!」
しかもよく分からないことを呟いている。
あれでいて一年の間で学年成績トップなんだからこの魔法大学の学力ももしかしたら衰退しているのかもしれない。そんなことを考えているうちに、とうとうその彼が梯子から飛び降りた。
「う………あぁぁああああ!」
彼の雄叫びと同時に地上から悲鳴が上がる。
身体が投げ出され、真っ直ぐ固い石床に向かって落ちていた。
「―――Fliegen!」
直後、何事か叫ぶと、突然に自由落下の速度を少しだけ弱めた。
しかしまだ落ち続ける。
「くっ……Fliegen! Fliegen!」
連呼しても一向に彼は落ち続ける。
落下速度はもう変化することなく、いよいよ床に身体を打ち付けられる瞬間――。
「Eröffnung!」
床に真っ黒い穴が開通する。
そこに吸い込まれるように落ちると、上空に同じ黒い穴が開き、そこから彼が現われた。また詠唱を繰り返し、床と天井の間をずっと落ち続けている。
―――空間転移ポータルサイトだ。
その間、ユースティン・シュヴァルツシルトは無限ループしていた。
東流の魔法詠唱を言い続け、声を枯らしている。
観衆も唖然としていた。
何がしたいのかさっぱり分からない。
だが、あのままでは彼はいつまでも地上に復帰できない。
一度でもポータルサイトの開通を怠れば、床に体を打ち付けて押し潰されてしまうだろう。一体どうするつもりなのだろうか。
そう疑問に思ったのも束の間。
「くそっ……緊急離脱!」
背負った四角い鞄のベルトに魔力を込めた。
鞄から翼のようなものが展開され、末端から炎魔法が火を噴いた。どうやら魔道具の一種だったらしい。滑空するように方向を変え、垂直落下から傾斜落下へと移る。
しかしその魔道具も制御はできないようだ。
動揺の声をあげながら、こちらに向かって落ちてきた。
「わっ……わわ、どけっ! 僕の正義を邪魔するなぁあ!!」
俺はそれを迎え討つために、雷の網"ライトニングネット"を即時展開し、急速に迫ってくる飛行物体を捕獲した。
「ぎゃぁああ!!」
絡まった電撃の網が彼を襲い、痺れて痙攣している。
俺は魔法を解除して、すぐさま駆け寄り、彼を抱き起した。
意識を失っている……。
今の一連の動きのどこに正義があったのだろう。
「あっ……ユウ! 何やってるの!」
澄んだ声が実習室に響き渡る。
入り口付近に同じ銀髪の女性が立っていた。
飛び切りの美人だ。
俺はその女性を知っている。
知っているどころか、目を付けている女の一人だ。
――イルケミーネ・シュヴァルツシルト。
「すみませんっ、うちの弟がご迷惑を……」
「いえ、とんでもない!」
俺はユースティンを抱きかかえ、機敏に彼女の元へ運んだ。
歳は十近く離れているらしいが、そんなこと気にならないくらいの美人だ。普段は宮廷教師をしているそうだが、この弟の面倒を見るために最近は学園都市に暮らしている。
一目見たときから狙いをつけていた。
「弟さんが危なかったので魔法で受け止めただけです。俺の実力不足のせいでご覧の通り気を失ってしまいました……ごめんなさい」
イルケミーネは腕の立つ天才魔術師だ。
この手の女には謙虚な姿勢で接するのがいいだろう。
「そんな……助けてもらってありがとうございます。あら?」
気絶するユースティンを渡したまま、彼女の腰に手を添えて抱き寄せた。
そして目を真っ直ぐ見つめて話す。
これはまたとないチャンスだ。
「イルケミーネ先輩ですよね? 学生時代に素晴らしい魔術の功績を収めたとお名前は兼ね兼ね伺ってました。もしよかったら今度プライベートで講義を聞かせてもらえませんか? 美味しいお店をご紹介します」
イルケミーネは狼狽して目を逸らす。
この反応はいける……!
「あっ、いや、その……私はですね、弟の面倒もあるので……! ごめんなさいっ」
そう言うと弟を抱きかかえたまま走り去ってしまった。
あれは恋愛経験をしてこなかった女性の反応だ。年上とはいえ、お姫様扱いでこちらがリードするように事を運べば攻略するのも容易いだろう。
心のメモ帳に書き記しておこう。
今度街で見かけたら声をかけることにする。
○
家路に着き、ぼんやりと今日進展のあった二人を思い浮かべる。
順調だ。
あと何日かすればどちらかは部屋に連れ込んで抱いていることだろう。女性経験は豊富であればあるほど良いに決まっている。
ふふふ、と思わず顔を綻ばせる。街往く女学生たちはそんな俺を見て、イザヤ様が笑ってると言っては熱い視線を向けてくる。
ちょろい。
何もかもが、ちょろい。
こんなに人生が順調な自分自身が恐ろしいくらいだ。
学園都市の中でも富裕層が暮らす通りにある借家に辿り着いた。
庭を歩き、平屋の一軒家へ入ろうとする―――。
ふと、郵便受けがいっぱいになっているのが目についた。
そういえばしばらく放置していた。
ほとんどがラブレターだ。
何通か内容を見る前に捨てていく。
その中に、バーウィッチの実家からの手紙が三通も着ていた。
そのうち二つは速達郵便、一つは最近届いたばかりらしく、普通郵便だった。
家の中に入り、居間でパンを一齧りしながら古いものから開封していく。
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イザヤへ
父上が亡くなった。
執事長オーブリーから申告があった。
私もショックが大きく、死に顔はまだ見ていない……。
本当に悲しいことだ。
奇しくも私の誕生日祝典の日が命日となってしまった。
そして急遽、父上が言い遺した言葉だが、私が当主の椅子に座ることに決まった。
イザヤには申し訳ないが、こんな状況だ。
もし埋葬前に間に合うのであれば急いで実家に帰ってきてほしい。
もう血生臭い相続争いをする時代じゃない。
兄弟で頑張っていこう。
追伸
祝典中に魔物が現われてバーウィッチ全域も警戒態勢を布いている。
帰省の際には気をつけるように。
まぁ、お前の腕前なら怖れるほどではないな。
隣のストライド家のご令嬢があっさり打ち倒していたほどだ。
当主 アイザイアより
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親父が死んだ……。
突然の訃報に動揺が隠せない。
しかもそれをしばらく放置していた。
悔やまれる。
当主の座は元々興味がなかったから兄貴に任せても不満はない。
俺は俺の道を歩むつもりだ。
概ね、次の二通も親父の葬儀に関することだろうか。
二通目も速達で届いていた。
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イザヤへ
先日の訃報は読んでくれただろうか。
実は私も動揺していて、どう説明すればいいのか分からない。
一つ一つ整理して書くから心して読んでほしい。
まず、父上は死んでいなかった。
いや、あの手紙時点では死んでいなかったが、もう殺されてしまった。
殺すことができた、という表現が正しいのだろうか……。
実は私たちが知る父上は本当の父ではなかった。
どうやら肉体は父上で間違いないようだが、私たちが生まれる前には体を乗っ取られていたそうだ。
では本当の父上は誰だったか……という事だが。
弟のことは覚えているか?
サードジュニアだ。
先天的に魔力を欠いていて、世間体のために野に捨てた弟だ。
お前と二人で散々虐めていたことを、今思えば反省したい……。
そのサードジュニアが実家に帰ってきた。
誕生日祝典に演奏隊と一緒に紛れ込んで、私のためにヴィオラを弾いてくれたそうだ。
本当に涙ぐましい。
頭の良いお前でも理解できるか疑わしいが、そのサードジュニアこそ私たちの父親になるはずだった人物だ。
つまり、イザイア・オルドリッジという人物はサードジュニアとして生きている。
(現在ロストと名乗っている)
私も気持ちの整理ができていない。
動揺するだろうが、落ち着いてほしい。
殺された父親が誰だったか、その辺りの説明は屋敷でじっくり話をしたいと思っている。母上も塞ぎ込み、屋敷も倒壊して今は大変な事態なんだ。
見たら返事をくれ。
帰省を待っている。
当主 アイザイアより
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は……?
荒唐無稽すぎて理解できなかった。
サードジュニアがイザイア・オルドリッジだった?
混乱する頭を押さえる。
パンをテーブルに投げ出して、一度庭先へと出た。
日がどっぷりと暮れて、虫の音も聞こえてきた。
頭を冷やし、冷静に頭を使えるようになって気がした。
先日読んだ本に書かれた『アガスティア運命論』には魂の輪廻転生について語られていたが、その類いの話だろうか。
サードジュニアと言えば、本当に頼りない弟でしかなかった。弟のくせにどこか達観的で生意気だなと思って魔法の実験台に使って虐めていたものだ……。
その弟が実家に帰ってどうなったのだろう。
今更、会うなんて気まずくて出来るはずがない。
俺は大学で順調な学生ライフを満喫している最中なんだ。
しかし気になって、何かが胸に引っかかる。
今一度、家の中に戻り、最後の手紙を開封した。
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イザヤへ
元気にしているだろうか。
手紙を読みながらも、忙しくて中々、実家へ帰れないもどかしさを感じているのだと思う。
私もお前の年次には多忙を極めたのを今でも思い出すよ。
あれから一月経ち、屋敷も落ち着いてきた。
弟のロストのことだが、王都へ招集が掛けられた。
時間を止める魔法を魅入られ、国王陛下と謁見の機会を与えられたようだ。もしかしたらその強さから、王宮騎士団に入団するかもしれない。
元々はイザイアだったとはいえ、彼自身も私たちの弟としての意識が強いようだ。
セントラルではこちらからなかなか援助の手を差し伸べることは難しい。
まだ十六になったばかりの子どものようなものだ。
もし尋ねたときには色々と支えてやってくれ。
容貌もだいぶ変わってしまったが、可愛げのある弟だ。
追伸
ロストは正義感は強いが、怒らせると怖い。
屋敷を半壊させたのも、父上を葬ったのも彼だ。
あまり調子に乗って虐めるなよ。
当主 アイザイアより
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最後の一文を読んで、俺の順調だった学生ライフが脆くも崩れ去るのを感じていた。
―――時間を止める魔法を魅入られ?
―――王宮騎士団に入団するかもしれない?
―――父上を葬ったのも彼だ?
一体なにがどうなっているんだ……。
手紙だけでは余計に混乱が深まる一方だった。




