Episode141 魔眼のモイラⅡ
モイラ・クォーツは宮殿の医務室に運ばれた。
駆けこんだ宮廷治療師が治療を終え、しばらくすると部屋から出てきた。
容態を教えてもらったが、損傷は右目の眼球のみ。
右目の傷口をヒーリングで塞ぎ、機能回復は時間の経過次第。
その"機能"が以前のまま維持されるかは不明……。
意識はもう戻ったそうだ。
俺が入っていいか尋ねたところ、本人がむしろ会いたがっていた、ということだ。なので詫びの一つでも入れるために果物を採ってきて医務室に訪れた。
決闘による負傷とはいえ俺が傷つけたんだから謝罪の一つでもするべきだろう。ましてやご自慢の"魔眼"が使いものにならなくなったら、黒帯の在籍も難しくなる。
「失礼します」
部屋に入ると、八台くらいある寝台の一番奥の窓辺にモイラの姿があった。
黒髪の女が儚げに座っている。左目は眼帯を頭にずらして巻きつけ、右目は白い包帯を頭にずらして巻きつけ、白と黒が交差していた。
酷いものだ。
ヒトというより壊れた人形を補修した、という風袋。
「大丈夫か?」
「あぁ……ロスト・オルドリッジ」
俺の声に反応し、首だけをこちらに向けて彼女は微笑んだ。
「ありがとう……ありがとう……どう感謝していいか」
「……はい?」
予想外の反応に俺も意味が分からない。
でももしかして―――と予想していることはある。
決闘の最後、モイラは投身して俺の剣筋の軌道に我が目を曝した。
そして気絶した彼女の表情もどこか満足そうだった。
"―――そんな不条理な呪いなのです"
この女は、魔眼を手放したいのでは……。
「だいたいのことはお察しの通りです」
「やっぱりか」
「さすが噂に聞く"女神の奇跡"をもたらす朱い刃―――貴方との決闘は天恵でした。そして、ありがとう。貴方に一つ借りが出来ましたね」
怪我人だというのに先ほどの戦いのとき以上に覇気がある。モイラは嬉しさが込み上がるように意気揚々と語っていた。
「ということはもしかして……」
「はい、右目の魔眼は消失しました」
そう言うと、右目に巻かれていた白い包帯をするすると解き、その眼を晒した。瞳は白く濁っているが、傷口は綺麗さっぱりない。それにその眼に必殺の特異能力を宿すわけでもなく、ただ普通の濁った瞳があるのみ。
あの刹那に垣間見た、石英状の瞳孔もなければ煌めく星々もない。
魔眼が消える……。
俺の反魔力で無効化できる魔法だった、ということか。
「視えるようになるのか?」
「どうでしょうね」
「どうでしょうって、せっかく片方の魔眼がなくなったのに視力が戻らなかったら何の意味も――」
俺の言葉を遮るように、モイラは微笑んだ。
「意味はあります。私の目的は視界を取り戻すことではなく、呪いを消す……ただそれのみだったのですから」
「もしかして黒帯をやめたいのか? あんな高慢ちきな王子様のお相手じゃストレスも溜まるよな」
魔眼を捨てるとはそういう事だ。
特異魔法を失ったら、彼女は『魔眼のモイラ』ではなくなり、ただの武芸者に成り果てる。その結末を望んで―――ということであれば原因は主君であるボドブ殿下だろう。
「いえ、私は殿下の騎士であることに不満はありませんよ」
「じゃあ、なぜ?」
「私事の話になりますが―――しかし片目を潰してくれたお礼に一つ聞いてください。私がしがない魔術師だった頃の話を―――」
それは彼女の過去の話。
人と見つめ合うことさえ許されなくなった、魔術師の話だった。
○
魔眼とは魔術ギルドの定義によると、眼を媒介にして発動する魔法、あるいはそういった眼自体のことを呼ぶそうだ。
種類によっては「即死」「幻惑」「鑑定」「未来視」などが確認されている。つまり、その意味ではメドナさんやイルケミーネ先生も魔眼持ちだということ。
モイラの眼は「即死」効果を持つ魔眼だ。
これら魔眼は効果が強力なものほど制御不能であることが多い。多分に漏れず、モイラの魔眼は制御不能だった。だから普段はリム・ブロワールと同じように『偽聖典』――封印魔法の効果を付与した魔道具で能力を封じている。
モイラは先天的に魔眼を持っていたわけではない。
ごく普通の魔術師として、地味なギルド研究員として、ひっそりと魔石の研究をしていた。
魔石の工学利用の研究だ。
冒険者にとって収入の一端を担う魔石を買い取り、時には自ら採集に出かけて、新しい魔力ポーションを考えたり、魔石そのものを魔法に転換する方法を考えたり、といった研究をしていた。
ダンジョンで採集される魔石は『虹色魔石』が主だが、時として別の魔石が発見されることがある。
五年ほど前、ある有名な冒険者パーティーから魔術ギルドに転身してきた女性が『朱い魔石』をダンジョンで発見したという話を聞き、モイラは興味が湧いた。
そのダンジョンは地下に広がっていて、今は崩落して入れないと云う。
……聞いていて思ったが、おそらくガラ遺跡のことだろう。
転身してきた女性ってのはリズベスだろうな。
モイラは一介の魔石研究者として『朱い魔石』に関する情報を集めた。
ガラ遺跡への侵入は難しいとはいえ、おそらく別の手段があるだろうと思い、ひとまず調査に向かうことにした。
護衛として遺跡探索に慣れた冒険者を数名雇い入れ―――。
モイラはそのときに知り合った冒険者の男に恋をした。
一人の研究員が安い賃金で雇った冒険者だ。それほど冒険者ランクは高くない。しかしその男はランクや数字以上の頼もしさ、そして紳士らしさがあった。
胸板の厚い、頑強そうな男だったという。
男は大剣を軽々と振り回し、時には曲剣を両手で振るって戦うような、そんな手慣れた風貌だったという。
夜、キャンプをしながら話を聞くだけでどんどん引き込まれた。
地味な研究員のモイラからすれば、それはお伽噺の世界だ。魔猪を倒し、獅子を倒し、時にはアンデッドの亡霊にも果敢に立ち向かったと男は武勇伝を語ってくれた。
おそらく、多少の誇張もあっただろう。
だがそんな話を熱く語る男の稚けなさにも惚れていたそうだ。
ボドブ殿下の見栄っ張りなところも、似ていたという。
幾度にわたる遠征調査で、モイラは必ずその男を雇っていた。
しかし、何度目かの調査のとき、事件が起きた。
ガラ遺跡の古代建造物には数多くの魔族言語が刻まれていた。―――それをその男に唆され、読み上げてしまったのだ。古代文明が遺した召喚魔法の術式が刻まれているとも知らずに。
気づいたときには、召喚魔法が発動していた。
光の中から現れたのは、現代には存在も確認されていない古代幻想種のバジリスク。蜥蜴のような形の、岩に苔でも生えたような黒い魔物だったという。
バジリスクは冒険者たちが近づいて倒そうとすると、岩のような瞼を開眼した。目を合わせた者は血を抜かれたように干からびてその場で即死したそうだ。
遠くから魔法を放っても、表皮の黒い魔力に弾かれて消えた。
雇った冒険者たちはどんどん死んだが、惚れた男とモイラだけは何とか生き延び、バジリスクを倒すことができたそうだ。
「どうやって倒したんだ?」
「水鏡です」
「水鏡っていうと?」
「そのときはたまたまでした。私は氷や水魔法が得意ですが、咄嗟に作りだした水魔法にバジリスクの魔眼が反射したのでしょう。魔眼の効果は視覚に依存していますから、それさえ防いでしまえば容易に反射してしまうのです」
なるほど。目には目を、と……。
魔眼が反射したバジリスクはその場で干からび、砂塵となって消えたそうだ。そして生き残ったモイラと男は窮地を共にした仲として慕い合い、モイラの恋はついに成就した。
―――と、ここまでいけば何の問題もない。
しかし、『朱い魔石』は禁断の果実のようなもの。
手を出せば何かしら災いが降りかかる……。
それはシュヴァリエ・ド・リベルタも経験した事だ。
帰り際、モイラは男とキスをしようとした。
ガラ遺跡に差す夕陽を背に、最高のシチュエーションで。
だが、お互い向かい合い、いざ見つめ合ったその刹那。
男は絶叫を上げ、干からび、そしてその場で絶命してしまった。
魔眼を見て死んでいった冒険者と同じように……。
これが『魔眼のモイラ』が誕生した物語。
バジリスクを倒したモイラは、古代幻想種の呪いによって魔眼を手にしてしまったのである。
モイラは何度も自殺を図ろうとした。
水鏡や川のせせらぎに自分自身の顔を映し出せば……と。
しかし、自分の目が怖ろしかった。魔眼によって自殺できるとしても、最期の光景が己の怖ろしい眼なんてことは絶対に嫌だった。
そこでモイラは南レナンサイル山脈を登り、かつて悲恋を遂げた妖精レナンシーに共感し、投身自殺を図ろうとした。それを遠征に出ていた王宮騎士団に止められたことが、後の黒帯となるきっかけだったという。
「即死効果を持つ魔眼は王都では憧れの的でした。バジリスクなどという魔物は現代に存在しませんから、この呪いが他で伝播することもないのでしょう」
「……よく立ち直ったな」
辛い話も淡々と語るモイラに違和感を覚えた。
「立ち直っていませんよ。ただ死ぬこともできずに生きているうちに、この役割に当て嵌まってしまった……というか、こんな私が生きるか死ぬかを選択せずに済む場所は、騎士団の黒帯にしかなかった、というだけの話です」
即死の魔眼を宿した女が普通の生活など送れるはずもない。怖れられ、迫害され、自殺するか否かの決断を常に迫られる人生だっただろう。
そんな障碍を受け入れられる唯一の団体が、王宮騎士団……?
――そこで何かが引っかかった。
なぜ王宮騎士団は特異魔法を有する者でなければ"黒帯"となれないのか。
能力なんてなくても強い戦士は幾らでもいるというのに。
まるで世間的には迫害されるような強大な力を匿う団体として機能しているかのように思えた。
「しかし私は今日、貴方に救われました……あの人の、あの人の絶叫を上げる顔は……もうこの片目には映らなくなったのですから……」
俯いたモイラの右目から、涙が一粒零れ落ちた。
トラウマはいつまでも付き纏う。
視界なんて塞がれていれば尚の事、その光景はいつまでも目に焼き付いていたことだろう。それが魔眼の呪いが増幅器となって、彼女の頭には悪夢が駆け巡っていたのかもしれない。
片目だけでも視界が広がれば、それも覚めて現実を視ることができる。
俺の意図しないとこだけど、また一人救うことができた。
「図々しいことを言いますが……」
「なに?」
「もう片方の目も、突き刺してもらえませんか?」
「………」
綺麗さっぱり消し去りたいらしい。
そんなことしたらまた騒ぎになるから王家と相談してからにしてほしい。
あと右目が回復してから。
○
軍事パレードの演習は順調に終わった。
あとは二日後に迫る本番を待つのみ。
俺の愛想笑いは不自然極まりないので、強面路線でいくことになり、キリっとした表情でパレードに参列することで落ち着いた。
それでいいなら最初からそうして欲しい。
治療師の何度かのリハビリにより、モイラは片目の視力が回復し、眼帯も片側だけになった。
右目の魔眼は消え、左目の魔眼は残ったままらしい。
平原への遠征でコボルド相手に片眼だけの効果を確認したそうだが、即死効果には問題なく、しかし効果範囲は縮小したという。
どういうことかというと、これまでは目さえ合わせれば干からびて即死、目を合わせなくとも魔眼を見たものは脱水や膠着のような症状が出ていたのだが、それが及ぶ範囲が狭まったということだった。やはり片目の魔眼では確実に効果は減弱しているようだ。
それでもモイラ本人は満足そうだ。
モイラには何度か追跡されて、事あるごとに左目も突き刺してほしいと頼まれたが、また変な記事にされて悪名が広まると嫌だから全力で断った。
…
パレードが終わったらすぐに学園都市へと向かう。
イルケミーネ先生から聞いた話だと、勉強道具は学園都市の方が安価で手に入るらしい。だから俺とシアはパレード当日まで生活用品を用意し、とりあえず旅路の準備はばっちりだ。
思い残すことはない。
あとは体を休めてパレードに臨み、そして魔法大学でエススの護衛も兼ねて学園生活スタートだ。
だから、それまでのこの余暇で、やるべきことをやる――!
夜、そんなことを考えながら隣にいるシアの顔を覗き込んだ。シアは綺麗な顔をしている。窓から漏れる月明かりが彼女を青白く照らしている。
モイラの話を思い出す――。
確かに好きな相手と面と向かって話せないのはどれだけ苦しいだろう。
俺もシアの顔が見られなくなったら嫌だ。
頬に手を添える。
すると、びくりとしてシアは目を開いた。
「………」
意図を組め、とばかりに俺は目で訴えかけた。
やるべきことをやる。
いつまた忙しくなるか分からないのだ。
ここで攻めなければ男じゃないぞ、ロスト。
「……今日は?」
「……別にいいけどー」
シアは眠そうな目をこちらに向け―――いや、彼女はいつだって眠そうな目をしていた。それが余計に眠そうに見えるのは、シアが敢えて目を細めているからだ。
恥ずかしいからそうしているに違いない。
俺だって恥ずかしい。
何せ、初めてお互いの身体を重ねるわけだからな。
緊張と焦りと不安と、その他諸々を乗り越える十六の春。
頬に添えた手をシアの体の方へと回し、徐ろに身体を触ろうとした。
その瞬間―――。
ドシンと迫る大きな足音。
宿全体が大きく揺れた。
「……!?」
「なんだ!?」
俺とシアは飛び起きる。
その足音が荒々しく階段を駆け上がり、豪快に俺たちの部屋の扉を開けた。開けた勢いで扉は破壊され、大男がドアノブごと扉を抱えている様子が窺えた。
「おぉぉおう! ロストの客室はここかぁ!!」
夜中にも関わらず大声で叫んできたのはカイウス・サウスバレットだった。図体がでかすぎて扉を潜れず、何とか部屋への侵入は許していない。
「カイウスさん、何してるんですか!」
さすがの俺も怒りが湧いてくる。
なんて良いところを妨害してくるんだ、この人―――いや、この一家は。サウスバレット家はオルドリッジ家に因縁でも働いてるのか。
「うちの女郎はここに来ておらぬかのう、ロストよ!」
「は、メロウ?」
「ガハガハ、アルバのことよ! あの女郎、よりにもよってこんな時に家出なんぞしおったわい!」
豪快に言い放つカイウスさん。
そんなの知るか。
なんでこう、次から次へと……!




