表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔力の系譜 ~名も無き英雄~  作者: 胡麻かるび
第4幕 第2場 ―入学準備―
176/322

Episode138 地獄耳のリムⅠ


     ◆



 静かな森の中、黒い襤褸(ぼろ)を羽織った男と、小奇麗な外套の男が切り株に座って密談を交わす。襤褸の男は顔面の隙間から黒い泥が蠢いている。


「黒帯の様子はどうダ?」

「観察を続けてます。それぞれの能力は強大でも、連帯感には欠けるようです」

「クックック……平和ボケした奴らだ。付け入る隙はありそうだな」


 襤褸の男は、肩を大袈裟に震わせる。


「国取りかァ……アザレア大戦ではクレアティオの連中を翻弄しテやったものよ」


 小奇麗な外套の男は、醜悪な男の語り口に何も疑問に思う様子もない。リバーダ大陸の古代史をその目で見てきたかのように懐かしむ青年を見ても、さも当然といった風に眺めていた。


「どうしますか?」

「貴様はそのまま潜んでイろ。隙を見て騎士団を乗っ取る」


 男は襤褸の丈を豪快に開き、懐を剥き出しにした。

 そこからは有象無象の悲鳴、怒号、雄叫び。

 あらゆる"声"が蠢いていた。

 野蛮な男たちの下賤な"声"の数々。


「これは……」

「裏の暴漢たちの悔恨(のこりが)だ。僕が喰っタ。すこぶる馨しイだろう?」

「強い魔力を感じます」


 "声"は膨れ上がった憎悪の塊となって湧き上がる。

 ―――殺せ、奪え、犯せ。

 無数の怨念だ。


「この泥で王家を埋葬してやる、そしてイザイアを―――」



     ◆



 リム・ブロワールは虚ろな目で天蓋を仰ぐ。

 目を覚ませば拡がる無音の世界。

 繰り返される悪夢……。

 今の見慣れない光景は一体なんだろう。

 彼女はその夢を自身の過去と照らし合わせ、不穏な気配を感じ取っていた。


 浅葱色の長い髪を横に流し、隣に眠る王女の横顔を眺める。

 第五王女は深い眠りに就いていた。鼻筋が高く、凛々しさも感じさせる。その安らかな寝顔を見て、リムもまた安心した。

 特異魔法がもたらした怖ろしい日々も、もう味わうことはないはずだ。



 特異魔法『倶有の種子(アラヤ・ミソフォニア)

 他者と己の間では"意識"に境界など存在しない―――とする思想がある。

 唯識無境。

 彼女の特異魔法はその思想を体現する。

 他者の深層意識を"声"で認識してしまう魔法。

 リム・ブロワールは生まれ以てのその魔法に苦悩していた。

 ある魔女が紡ぐ『三千世界』という魔法は自身の心象世界に対象を閉じ込める獄中魔法だ。一方で『倶有の種子』はその真逆。

 共感し、共有し、他者の深層意識を解放して曝け出す。

 すなわち、心や意識を盗聴する魔法だった。


 一聞して便利な魔法だが、制御ができない欠点がある。

 かつて彼女の耳には絶えず他者の"声"が届き、聞きたくない音、知りたくない情報もすべて認識してしまっていた。

 それは悪夢のような日々だ。

 聞こえ過ぎてしまう音は狂気に満ちた耳鳴りのよう。

 しかし、ある事件をきっかけに王家に仕え、偽聖典を耳に巻きつけることで能力を封じた。普段は正常な聴覚ごと遮断して過ごしている。

 彼女は今、何も聞こえない無音の世界で、静かに、そして穏やかに第五王女の護衛を務めていた。



 ―――だが、ここ最近、また別の悪夢がリムを襲う。

 襤褸を纏った男は狼のような影を伸ばす。

 それに付き慕うのは貴族然とした男。

 主従関係を結んでいるようだ。

 いつも黎明(ディルクロロ)の森の深い闇に紛れ、密談をしている場面が聴こえていた。

 "この泥で王家を埋葬してやる"――醜悪な男はそう宣言した。


 胸騒ぎが襲う。

 今一度、第五王女の寝顔を見、リムは体を起こした。


「リム……」

「……」

「……私のこと、ずっと守ってね」


 寝言だった。

 掛け布団を捲る衣擦れの音に反応したようだ。

 もう成人してしばらく経つというのに、王女はあどけない少女のままだ。奇しくもリムと第五王女は同じ歳だった。王女と騎士というよりも、その関係性は親友のそれである。

 天蓋付きのベッドから降りて、リムは着替え始めた。黒帯の胴着を羽織り、緩慢な動作で部屋を出る。

 扉付近の壁に立て掛けてある大斧(バトルアクス)を手に取った。

 それを引き摺りながら歩いていく。

 "声"の正体を探り、不安要素は断ち切らなければ――。

 ごろごろ、ごろごろ……。


 斧の音。

 これほど心地良い音は他にない。

 リム・ブロワールは頭に鳴り響く樵歌を鼻で歌っていた。

 ごろごろ、ごろごろ……。



     ○



 柔らかい太もも。

 嗚呼、太もも太もも。

 太もも最高だ。


「ロストさん、向こうを向いてください」

「嫌だ」

「上から覗き込むとき、これだと光が入ってこないので」

「そこを何とか」

「難題です」


 いつも寝泊りしている宿屋のベッドの上。

 シアに耳掻きをしてもらっていた。

 膝枕でシアの太ももを堪能する。

 ―――だけで済むわけがなかろう!

 俺は敢えてシアと向かい合う形で寝そべり、その腹に顔を埋めていた。これによって耳掻きの気持ち良さ、そして太ももの柔らかさだけでなく、シアの匂いまで堪能できるという三拍子揃った贅沢が出来るのだ。

 耳掻きのときって同じ方向を向かないと、上手い具合に耳の奥に光が届かない。

 でもそんなもの知ったことか。

 耳掻きに特典を付けるなら、この態勢でなければならないんだ。

 そして極めつけには――。


「……ひゃっ」


 腕を回して尻を揉む。

 耳掻きにおける最上級の贅沢。

 身体を密着させていることによって、あらゆるところを蹂躙できてしまう。こんな姿勢だったら魔が差しても仕方あるまい。

 ……この力加減が難しい。

 俺の腕っぷしでは人一人握りつぶしてしまえるくらいのパワーがある。だからシアの身体に触れるときも最小限にまで力を加減して、優しく優しく―――。

 そして時にはちょっと力を入れて撫でる。


「………」


 シアもそれに耐えながら、しかして懸命に俺の耳を掻こうとする。

 ちらりと顔を仰げば、頬を赤らめながらも冷静を装うシアの綺麗な顔。以前だったらこんな破廉恥行為はすぐ張り倒されていただろう。でも今は耐えてくれている。俺の欲求に応じようと二重苦、三重苦を耐え忍んでくれるのだ。

 なんて愛おしいんだろう。

 もういい加減に次の段階に進んでもいいのでは。

 さらに魔が差した俺は、もう片方の手をシアの胸へと運んでいく。


 ――パシンと、それはさすがに弾かれた。

 残念だと言わんばかりにシアの顔を覗きこむ。


「まだお昼ですから。そういう事は夜にお願いします」

「別に今日は出かけたりしないんだから、昼でも夜でも同じだろう」

「気持ちの問題ですっ」


 実際問題、夜の方が大人しく寝てしまうのが常だった。

 王都に来てからというもの、昼間が忙しすぎて夜は異常に眠い。そんなこんなでもう何日か経った今ですら俺とシアはお互い未経験のままだった。

 俺自身も不安が大きい。

 普通の人間の身体じゃないし……。


「やってもらってばかりじゃ悪いから、シアの耳も掻いてやるよ」

「絶対に無理……」

「え、なんで?」

「種族柄、耳が敏感なのです」


 種族柄っていうのはエルフという種族の都合ということか。


「そんなの初めて聞いたぞ」

「こんな耳ですよ?」


 そう言うとシアは尖った耳を摘まんで引っ張ってみせた。耳が長ければ耳が良いと通説的に伝えたいのだろう。

 しかしまた一つ、シアの弱点を知ってしまった。

 俺の表情で何かを感じ取ったのか、シアは耳を両手で押さえて警戒の目を向けた。


「……やめてください」

「何も言ってないだろう」

「顔に出てます」

「まぁ、いつかはやろうかなって」

「やっぱり」


 シアの妨害を退けながら、その長耳に手を伸ばそうとする。

 ――その直後、宿屋の階段から誰かが上がる音。

 そのまま足音が廊下を歩いて徐ろに近づいてくる。感覚が研ぎ澄まされて以来、周囲の音もよく聞こえるようになった。

 部屋の前で誰かが立ち止まる。


「オルドリッジ様、お客様がお見えですよ?」


 宿の客室係の人だった。

 またか、と思いながらも渋々起き上がった。

 今日に限っては一日中引き籠ってようと思っていたのに。


「はーい」


 シアが客室係を迎えてくれる。

 扉を開けて、誰かを出迎えた。

 後から顔を覗かせたのは――。


「ロスト、ごめん、また頼みごとがあって……」


 自信なさげに登場したのは兜鎧を装備した兵士のような男。

 妙にやつれた声で登場した。

 こいつは何処でもこんな重装備なのか。


「ランスロットか! 宿に来るときくらい鎧は脱げよ」


 快く迎え入れた。

 俺の態度と相反して、シアは詰まらなさそうな目でランスロットを眺めている。自分の知らないところで王宮騎士団の面々と俺が仲良くなっていく様がどうやら気に入らないらしい。

 ランスロットは今気づいたとばかりに両手で兜を取ろうとする。重たそうに兜を取る様子からも、かなり疲れているようだ。


「え……」


 顔が露わになる。

 そこにいたのは目の隈を真っ黒にし、頬もこけきったランスロットの姿だった。

 一体、何があったんだ。



     ○



「騒音被害?」


 場所を移し、宿屋の食堂に三人で向かい合って座る。

 ランスロットは酷い顔だ。

 自慢の黒髪も元気なく萎れていた。


「うん……数日前から騎士団の宿舎でね」


 話を聞いたところ、深夜帯になると宿舎の周辺を何者かが徘徊し、ごろごろと何かを引き摺る音が聴こえてくるらしい。

 昔似たようなことがあった。

 いつだったか、寝泊りしてる施設で幽霊が出たとか騒いで駆け込んできたご令嬢がいたな。でも今回のは大の大人たちが集う騎士団での事件。幽霊ぐらい騎士団の連中で退治しろよ。


「どんな幽霊なんだ?」

「え、幽霊? 違う違う」

「差し詰め、幼女の姿をした賢者様が助けを求めて送った合図とか」

「なにそれ……それも違うよ」


 まさかね。

 既視感が襲ったからふざけてみただけだ。


「音の正体は分かってるんだ」

「それは?」

「……黒帯のリム様の仕業なんだよ」

「リム様……って、誰だっけ」


 王宮騎士団も入ったばかりだから名前なんていちいち覚えられない。

 俺の反応に、ランスロットは溜息一つ。


「リム・ブロワール様。王宮騎士団のNo.5だよ。第五王女の専属で、耳が―――」

「あぁ、地獄耳のリム!」

「そう、その騎士様」


 地獄耳のリムは確か耳を封印していたエルフの女性だ。

 虚ろな目が印象的だった。


「嫌がらせか?」

「先輩たちはこんなこと初めてだって……」

「止めるように頼みにいったらどうだ?」

「リム様は誰の言う事も聞かなくて……」


 そういえばボリスもそんな事を言っていた。

 人の話を聴こうとしていないとかなんとか。


「他の黒帯たちは?」

「もちろん掛け合ったんだけど、放っておけばそのうち勝手にやめるだろうって」

「無責任だなぁ」

「黒帯は宮殿で過ごしてるから宿舎のことは無関心なんだよ」


 ランスロットは目を伏せた。

 今にも意識を失いそうな様子で頭をくらくらさせていた。

 ふと見ると、右手だけでなく左手にも包帯が巻かれている。身体全体も寝不足だけとは思えないほど傷だらけになっていた。

 あの歓迎会以降も相当虐められているようだ。


「実は先輩たちから、なんとかするようにって指示を受けてしまって」

「なんとかする!? 黒帯の一人を?」

「うん、それまでベッドは与えないって……」


 今一度ランスロットの頬や隈を見る。

 何日か寝ていないって顔をしてる。

 深夜の騒音でも寝台さえあって耳栓でもすれば、すぐ寝れるだろう。それを敢えてランスロットに何とかするように言ってくるあたり、悪質な嫌がらせのようにしか思えなかった。


「ロストしか頼れる人がいないんだ……」


 力なくうな垂れた。

 よし、俺が何とかしよう。

 幸いにも魔法大学への入学まで暇を持て余した身だ。

 ランスロットも可哀想に。

 早くエススとともに大学へ行ければ虐めからも解放されるんだろうけど、まだ学園都市へ向かう日まで二週間以上ある。



     ○



 話を聞いた後、ランスロットは豪快に俺たちの部屋のソファで寝てしまった。シアもランスロットという男の異常性に眉を顰めていたが、熟睡する彼を見て、迷宮都市にいた頃のロストさんを見ているようです、と笑っていた。

 どういう意味だ、と問えば、自虐的なところが、と簡単に答える。

 それだけで何となく理解した。

 この男は、ただ必死に足掻いている。

 与えられた任務に、卑屈になることなく純朴に――。

 違いがあるとすれば、力があるかどうかの差かもしれない。俺には滅茶苦茶な力があったけど、この男には何もない。その分、根性一つで食い下がるしかない。

 そんな在り方に好感が持てる。



 深夜になり、俺とシアはいつまでも起きてこないランスロットを起こした。もちろん俺たちも夕方頃に寝付いて、睡眠時間を確保してある。

 そして三人で騎士団の宿舎に向かうことに。

 宿舎は訓練場と併設している。

 だから実質的には訓練場に向かうのと変わらない。

 俺たち三人は建物の物陰から城門を観察していた。

 ここからなら城門と宿舎の二つを繋ぐ通りを見通せる。ランスロットの情報によると、リム・ブロワールの動線は城門を通って石畳の道を下り、曲がって宿舎へ向かうとのことだ。


 ここら一帯に住む貴族らも寝静まっている……。

 息を吐けば白い靄が浮かぶ程度には寒い。

 そんな夜更けをひっそりと城壁の松明が照らしていた。

 石畳の道の先、城門前には二人くらいの白帯が気怠そうに立っていた。遠くからでもその二人の雑談が聞こえる。彼らもさすがに黒帯の徘徊を止めることなんて出来ないのだろう。



 ―――ぎりぎり、がりがり。

 しばらくすると、噂通りの物音が深夜の王城から響いてくる。城門に注目すると、門番の白帯二人は会話をやめ、緊張の面持ちでその女が通り過ぎるのを待っていた。

 月夜に浮かび上がる黒い人影。

 両刃斧を引き摺るリム・ブロワールその人だった。

 虚ろな目で、ゆらゆらと歩いてくる。


「きた……!」


 息をひそめる。

 冷たい空気の中、騒音の元凶が歩いていく。

 まるで断頭台に向かう処刑人のようだ。

 重い足取りは罪人を葬るための下馴らしにも見えた。


「うう……」


 リムは呻き声をあげながら徘徊していた。

 石畳を歩き、王城から抜け出る。貴族の邸が立ち並ぶ通りを曲がり、着実に騎士団訓練場、そしてその先にある宿舎に向かって歩いていた。


「後を追うぞ」


 シアとランスロットに声をかけて物陰から飛び出す。

 尾行して何をしているのか突き止める。

 そして徘徊を止めさせる。



 貴族の邸が立ち並ぶ通りは、背の高い外壁に囲まれ、規則正しく配置している。俺たちは角から角へ、リムが曲がる度に素早く移動して尾行する。

 騎士団の宿舎の前に辿り着くと、リムは立ち止まった。

 しばらく固まっている……。

 話によると、ここから彼女は夜通し宿舎の周辺をぐるぐる回り続けるのだとか。

 しかし、一向に歩き回る様子がない。



「今日は……森に……」



 透き通った声で何やら呟いた後、リムは踵を返した。

 今度はこちらへ向かって歩いてくる。


「まずいぞ!」


 大斧を引き摺るリムが近づいてくる。

 しかも今度は焦っているのか、宿舎へ向かうよりも歩が早い。俺たちも忍び足のまま、焦って引き返した。シアは空を飛び上がっていち早く離れ、俺とランスロットも何とか逃げきる。

 リムは俺たちの存在に気づいていないようで、そのまま通りを進んで、中央大通りへ。

 どうやら街の外へ向かおうというつもりらしい。

 今日は森に?

 森といえば、黎明(ディルクロロ)の森だろうか。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
◆ ―――――――――――――― ◆
【魔力の系譜~第1幕登場人物~】
【魔力の系譜~第2幕登場人物~】
   ――――――――――――   
【魔力の系譜~魔道具一覧~】
◆ ―――――――――――――― ◆
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ