Episode137 女神再臨・銘
祭壇の奥には地下へと続く階段。
恍惚と輝くステンドグラスの直下、幻想的な万華鏡が照らし出す闇への入り口が対称的だった。
洞窟の類いにトラウマのある俺は一瞬だけ立ち止まった。
リピカが振り返り、俺を煽る。
「どうしたのかしら?」
「……いや、なんか怪しすぎて」
「地下聖堂には埋葬物があるものよ。聖遺物の封印――とは言うけれど、実際にやってることは埋葬の類いね」
意を決して後をついていく。
今更もう怖いものはないはずだ。
支柱だらけの怪しい地下洞。
地下の聖堂はいくつもの蝋燭で照らし出されていた。
怪しく、赤く染め上げる炎の揺らめき。
影と光をつくりだし、地下の境界を曖昧に象っている。
それがやけに、この謎めいた女、リピカにお似合いだった。
地下聖堂には台座がいくつも並んでいた。そのうちの三つの上には、黄色い魔力の球体が浮かぶ。リピカはそれら台座に寄り道しながら、一つ一つ紹介してくれた。
魔力の中が透けて見える。
――これが、封印された聖遺物。
剣らしきものが包まれた球体が二つ、濃い緑色の板が包まれた球体が一つだ。
大司教のリピカがそれぞれ指を差して説明してくれた。
「その基板が見えるかしら? それは怪基板『ティマイオス手稿』。雷の賢者ティマイオスが造りだした装置。この時代の文化潮流を著しく変革させる可能性があったから封印指定として埋葬したわ」
「文化潮流を著しく変革させる?」
「ティマイオスはこれと電撃魔法を組み合わせた機械を用いて、異界との交信を試みていたのだけど……」
「異界っていうのはエンペドの魂が元々生まれた場所か?」
「ええ――ただ、文明の在り方が違い過ぎるようで、読み取った言葉は暗号のようだったわ。普及すれば明らかにこちらの風土が狂わせる危険性があったから、ご覧の通り埋葬してあるの」
異界との交信って浪漫を感じる。
グノーメ様も飛び付きそうだな。
ティマイオスってのとは会ったことはないけど、グノーメ様と同じ毛色の賢者なんだろうか。
リピカは別の台座へと歩いていき、その後を俺とパウラさんとケアが続く。
「そしてこの青い模様の波打つ剣が、聖剣『リィールブリンガー』。一振りで物理法則が崩壊する浸食剣。大地が突然隆起したり沈下したりする災害起こしの聖剣ね」
黄色い魔力に包まれたそれは特殊な形をした剣だった。
災害起こしの聖剣って……。
なんだかその言い方も矛盾していた。
リピカは事も無げにどんどん紹介していく。
「――さて、ではこれは何でしょう?」
その隣の台座を俺たちに示してきた。
そこにあったのは、刀身から剣柄まで赤黒い一本の剣だった。
刀身は真っ直ぐで何の装飾もない。
形状はグラディウスに似ている。
その剣には見覚えがある。
見覚えがあるというレベルではない。
だってそこにあるのは――。
「これ、魔力剣か?」
俺がいつも赤黒い魔力で造りだしている剣そのものだった。
それが黄色い魔力の球体に覆われて、ふわふわと浮かんでいる。
近くで覗き込み、しっかりと観察した。
どこからどう見ても『魔力剣』と寸分たりとも違いがない。
「見覚えがあるようね。これは魔剣ケアスレイブ。これを遺した男は、その生涯を女神に捧げた。この魔剣は女神の眷属である証よ。如何なる魔力も相殺する『反魔力』の必殺剣。これら聖剣と魔剣は最も古くからこの地下聖堂に埋葬されているわ」
「ちょっと待て。今なんて言った? 反魔力?」
「ふふふ」
俺の問いにも応えず、リピカは嗤い続ける。
今こいつは、反魔力の必殺剣と言った。
"――反魔力の魔法使い"
昔、女神がガラ遺跡の洞窟で俺に告げた言葉と重なる。
俺が困惑している間、リピカはまたしても呆然とするケアの袖を引っ張り、魔剣と少女のケアを並べて見せた。
「さて、貴方が造り出す剣とこの魔剣は瓜二つ。そして私とこの子も瓜二つ――これら過去の遺物と現在を結びつけて言えることは何だと思う?」
「それは……」
躊躇いながらも、その答えがなんとなく俺も理解できていた。
「ハイランダーの業火も本当はエンペドの歌になるはずだったのよ」
「………」
崩壊したオルドリッジ家の屋敷。
最後、女神と対峙したときに言われた言葉だ。
それをそっくりそのままリピカが喋った。
"ハイランダーの業火"は俺の歌だとメドナさんは伝えた。はるか昔に一騎当千を果たした英雄を謳った歌なのだと。
もしエンペドが俺の肉体を奪い、そのまま過去に向かったとする。その場合は"ハイランダーの業火"はエンペドの歌になるはずだった。
だけどこの時系列では俺を謳った歌。
そして、こうして大聖堂に封印される『魔力剣』と酷似した魔剣。
「俺が既に千年前に……?」
そうとしか考えられない。
俺とケアは二人揃って既に過去にいた。
そして、これらの遺物はその俺たちが遺した物だと言いたいんだろう。
俺の問いにリピカは答えなかった。
否定もしない。
「抑止力の話をすると言ったわね」
俺が戸惑いながらも色々と検証している様子を見て、リピカは話を続けた。
「抑止力は因果の綻びを修正する『深礎』から派生した強制的な力。私という大司教となりうる少女を、そして"ハイランダーの業火"の雛形となる男を、過去に用意する力が既に働いているかもしれない」
「理不尽だな」
「可能性の話よ。抑止力がどう働くかは判った話ではないわ」
――別に初めて聞いた話ではない。
メドナさんと最後に言葉を交わしたとき、既に理解していた。時間を止めたり、過去を改変したり、そんな滅茶苦茶な魔法が存在するんだ。
時間旅行だって不可能ではないだろう。
目の前のこの魔剣も時間旅行の果てに俺が遺した痕跡の可能性も――。
しかし、と……ふと思考が止まる。
俺の造り出す『魔力剣』は手元から離れるとすぐに霧散してしまう。試しに一本だけ『魔力剣』をその場で造りだしてみる。手元で生成された赤黒く輝く剣は、黄色い魔力に包まれる魔剣と全く同じものだった。だがそれを手から放して床に落とすと、からんと乾いた音を立て、直後には塵が舞うように掻き消えた。
この魔剣は何故このままの形状を維持できているのだろうか。
俺は興味がそそられて、その魔剣に触れようと手を伸ばした。
「やめなさい、イザイア」
「……っ」
「貴方の反魔力は如何なる魔法も解呪する。手に触れるだけでせっかくの封印も解けてしまうわ」
「あ、悪い――って魔剣自体が魔力を無効化するのに、どうやって封印魔法をかけてるんだよ」
「周囲の空間ごと封印しているの」
リピカはこれ以上の解説は不要と見たのか、踵を返して空の台座へと向かって歩き始めた。俺は魔剣が気になって仕方なかったが、渋々ついて歩く。
○
「じゃあ、始めるわ」
三つの台座に三つの聖遺物を並べていく。
パウラさんが持ってきた二つ。
リゾーマタ・ボルガの残骸。
黒の魔導書。
そして、ケアがこれまで手放さなかった一つ。
アーカーシャの系譜。
俺の右腕を封印し続けた羊皮紙の聖典だ。
ケアは王都に来る前、頑なに渡そうとしなかったそれを、リピカが要求した時にはあっさり手渡した。ここに連れて来てもらうために、聖典を持ち続けていた……?
「ケア、お前もしかして」
「……あぅ」
「何か知ってるのか? これから起こることを」
「ジュニアさん」
「なんだ?」
「わたし……」
ケアが何事かを喋りだす。
相変わらずたどたどしい言葉だ。
「う~……えへへ」
だが説明するのを諦めたのか、はにかんだ表情を浮かべて笑って誤魔化した。
いつも通りだ。溜息が出る。
「彼女は女神が堕とした器の人形――構造は人間のそれと何も違わないけれど頭を掻き廻された反動で思考が鈍麻している」
「治らないのか?」
「さぁ……もしこの子が大司教になるなら、いつか治るのでしょうね?」
皮肉のようにリピカは言う。
いちいち訳が分からない。
ケアは飯を食ったり排泄したりという生理反応が必要なく、身体も成長しない。ならば、千年経ってもこの姿のまま、こうして教会に居座り続けることも可能……。
リピカは並べられた聖遺物の三つを今一度確かめる。
これから封印魔法を施そうというのだろう。
両手を合わせて、お祈りするように構えると何事かとぶつぶつ呟き始めた。
「生まれ出づる文明の賜物。朝に栄え、夜に脅かし、されど対価は等しく在り続ける」
黄色い魔法陣が大司教を包む。
次第に魔力の粒子が漂い始めた。
三つの聖遺物の周囲も同じ魔法陣が浮かび始めた。
「――聖光に鎮め。祝福は聖洞の蚕架にて恒久なり。安寧は黄麻の揺籃にて悠久なり」
光が直視できないほどに強まる。
そして聖遺物が光に包まれて姿が見えなくなると、リピカは目を開き、両手を広げた。ぶわりと魔力の風が舞い上がり、同時にオーブが三つ、台座から浮かび上がった。
持参した聖遺物の三つが包まれ、ふわふわと浮かび始めた。
「終わったわ」
満足げにリピカが振り返る。
俺を翻弄した三つのアイテムが、こうして封印された。
なんだか俺も安心した。
ちゃんと過去を清算できたような、肩の荷が下りたような、そんな清々しさがある。俺の様子を見てリピカは付け加えた。
「エンペドの最期は悲惨なものだったようね」
リピカは封印された黒い革製鞄を指差した。
あれは魔導書『黒のグリモワール』。その最期、エンペドの肉片を冥土送りにした地獄行きの門だ。その鞄から何かが染み出していた。
「"泥"を飲み込み過ぎたのかしら?」
黒い粘り気のある液体が縁から漏れている。
「なんだこれ」
「溢れ返る憎悪が魔力によって具現化したもの。エンペドが強い恨みを持って葬られた証拠よ」
「……」
あらためて見ると気色悪かった。エンペドを葬ったのは俺自身だが、こうして魔導書から染み出てくる様子は禍々しい。
しかし、この黒い泥、何処かで見たような―――。
またしても嫌な予感がする。
溢れ出る泥と同じように、俺の中でそれは着実に膨れ上がっていた。
○
地下聖堂を出て、大聖堂の身廊を歩く。
ぞわぞわする。
黒い泥を見てから、何か嫌なことが起こるような気がしてならない。
それにリピカに出会ったことで、また謎が増えた。
過去のことだ。
千年前に何があった。
「待ちなさい、イザイア」
「……?」
身廊の途中、大司教に呼び止められた。
「せっかくだから貴方の騎士道の始まりを祝して、その力に真名を捧げましょう」
「真名?」
「時間を操る魔法に名前をつける」
そういえば――。
王宮騎士団の黒帯がそれぞれ持つ特殊な能力は、教会の洗礼を以て命名されると聞いた。
「そんなの要らないだろ。時間魔法って呼べばいいだけなんだから」
「ふふふ……"無銘"を起源に持つ男は命名にも無頓着ね。さすがと云うべきか、『起源』の力は侮れないわ」
「何の話だ?」
「いいえ、こっちの話。でもね、これから黒帯としてエススに同行するのでしょう? 名を持たなければ箔が付かないわ。エススも可哀想よ」
俺のこれからの予定も把握しているのか。
こいつの存在が益々怪しい。
何も言い返さずにいると、リピカは両手を合わせて祈るように目を瞑った。
俺の返事なんてお構いなしらしい。
すると青白い魔力が周囲に漂い始め、リピカを覆い尽くした。それらが文字に置き換わり、文字が宙を踊る。そして文字列が何度か変形したり合わさったりしながら、俺とリピカの間に浮かび上がった。
「――時の支配者」
並べられた文字列をリピカが読み上げる。
あらかじめ用意されていたかのように、その文字列は現れた。
「それがあなたの能力の真名」
「今更そんなもの付けられてもな……それにこの魔法は欠点が多い。魔力だってすぐ枯渇するし、使いどころが難しい。あんまり使わないようにしてるよ」
「………」
またリピカは退屈そうに黙る。言いたいことだけ喋ってすぐに口を閉ざす辺り、口調は違えど、ケアによく似ていた。
「魔法は絶えず、進化し続けている」
俺が踵を返そうとした途端、また口を開いた。
「"最強"を究める余りに弱点が現われたり……"最弱"が実は最強と成るための布石だったり……そういった進化が、魔法の世界では常に在り続けるものよ」
強い眼差しを向けられる。
リピカはやっぱり女神とそっくりだ。
その言葉はきっと後々、嫌というほど痛感するものなんだろう。
そういう厭らしさは健在だった。
「じゃあこの魔力剣も―――」
俺は手元に赤黒い魔力で剣を造り出した。
だが、手放して床に落とすと、少しして塵のように消え去ってしまう。
「いつかは消滅しないようになるのか?」
「それは私が教えることじゃない。魔法大学へ行くのなら、そこで究めればいいでしょう」
「……」
本質に触れる部分は話さない。
女神もそういう奴だった。
俺は疲れて受け答えする気力もなく、大聖堂を後にした。
――リピカの視線が背中に刺さる。
厭らしさを感じるものほど、記憶には強烈に残るものだ。
○
リピカとは別れ、大聖堂の重々しい扉を開いた。
外へ出て、まだ昼下がりであることに驚愕する。
内部では時間の流れがゆっくりに感じられた……。それは何らかの魔術の影響なのか、ただ単に嫌な経験だったからなのか、どちらにせよ、息苦しいものから解放された。
俺もパウラさんも揃って深呼吸した。
「俺は此処には二度と入りたくないです」
「同感ですわね……」
「あぅ……」
ケアだけは、けろっとしていた。
その顔を見るとさっきのやりとりが思い起こされて、ケアには悪いけど苛立ってくる。
「あ、そういえばケアは――」
そこで思い出す。
この子の面倒をこれから誰が見るのか、ということを。
バーウィッチを発つ前には教会に預けてしまおうとか気軽に思っていたけれど、今更引き返して、お願いしますなんて言いに行こうとも思えない。
そのとき、パウラさんが願ってもないことを言い出した。
「この子はもうしばらく私が預かってもよろしくて?」
「えっ、いいんですか?」
それは助かる。
助かるどころか、もうずっと面倒見てあげてください、と言いたいくらいだ。
「ほほほ。この子の身体に興味が湧いたのですわ。大司教様の秘密も隠されているようですし」
「あぅ……」
爛々とした目で、パウラさんはケアを見つめる。
鼻息も荒い。
ケアはつぶらな瞳で俺に助けを求めていた。
その目は小動物のようだ。
……悪いけど、しばらくはパウラさんに養ってもらってくれ。
俺も今日はちょっと疲れた。
予期せぬ存在との遭遇があった。
リピカと名乗る、かつて女神だった少女――敵対の意志はなさそうだったけど、この出会いは吉と出るか凶と出るか。
まだ昼だけど、早いところシアの元へ帰って癒してもらおう。




