Episode135 女神再臨・偽
寝坊した……。
昨晩の歓迎会のせいで完全に寝不足だった。
ランスロットが虐められていたのを救い出した後、俺は積極的に白帯の先輩騎士の連中と話をしにいき、注目を集めることでランスロットが虐めの対象にならないように立ち振る舞った。
最初は俺に厭そうな顔を向ける先輩も多くいたが、迷宮都市での思い出なんかを語ると、皆すぐ食いついてきた。実は俺も冒険者に憧れていた時期があったんです、と語り明かしてくれる者もいた。
騎士団の連中も、自由気ままな冒険を夢に見る者もいるようだ。
そんなこんなで夜遅くまで楽しんでしまったのである。
実はその翌日に当たる今日はパウラさんとケアとともに、メルペック教会本部へ向かうと約束していた日なのだった。王都に着いてからまだ一週間程度しか経ってない。そう考えると、この一週間はとても濃かった。
歓楽街や劇場通りのある区とは中央大通りを挟んで反対。
商業区の通りを真っ直ぐ、急ぎ足で抜けた。
闘技場を超えた先は草木が増え、自然と調和した街並みになっている。水源となる大きな川も流れていて、その上を巨大な橋がかけられていた。
その橋を渡れば、教会本部の大聖堂がある。
パウラさんとはその橋で待ち合わせをしていた。
橋の上から緩やかな川のせせらぎを見下ろす金髪の女性が立っていた。朝の涼しげな風に当たり、巻かれた毛先も棚引いている。その隣には薄紫色の髪をした小さな女の子もいる。
間違いなくパウラさんとケアだ。
「遅れてすみません」
俺がそう声をかけて近寄ると、パウラさんは虚ろな目をこちらに向け、目が合うと同時に見る見る怒りの表情を露わにし始めた。
遠くから見ていれば綺麗な都会の女性のように見えたパウラさんが、すぐさま普段通りに戻る。
「ちょっとっ! 貴方いつまで私を待たせる気でいたのかしら!」
やっぱり怒ってる。
「それにそんな寝癖だらけの寝惚け顔でまぁ……これから貴方が入るのは神聖な教会本部の、その司教座なのですわよ」
「ここ一週間の間に色々ありまして」
「知りませんわっ」
パウラさんは相変わらずの短気だった。
ケアの方を一瞥すると、ぼけっとした顔で俺とパウラさんを眺めている。こっちも相変わらずなようで何よりだ。俺と目が合ったとき、少しだけ笑ったような気がした。
「パウラさん、ケアの様子はどうでした?」
「あぁ、この子なら特に……いえ、特にどころか重大な事実が発覚いたしましたわ」
「重大な事実? 一体なにがあったんです」
何事かと視線をパウラさんに戻す。
「こ、この子……コホン……お通じが来ませんの」
「……」
「ですから、お通じがありませんのっ!」
「いや、そんな声張り上げなくても意味は分かりますって」
お通じ――つまり排泄も排便もないってことだろう。
そういえば……。
ケアと一番長く関わってきた俺が思い出しうる限り、この子は確かにこれまでトイレに行くことがなかった。食事をすることはあるが、自分から食欲を示すことはなかった。一切ものを食べなくても平然としていたのである。
「それから色々とこの子の身体を調べさせて貰いましてよ」
「色々って……?」
「それはもう爪先から毛穴の隅々まで、隈なく、ですわ」
「……マジですか」
「マジですわ」
パウラさんが少し興奮気味に顔を紅潮させている。
気持ちが高ぶっている感じだ。
もしかしてこの人も小さい子が好きなのか。
「調べた結果、この子は一切の生理反応を起こしていない、という事が分かりましたの」
「生理反応っていうのは?」
「つまり、汗も掻きませんし、排泄もしません。髪や爪が伸びることも、体が成長することもないということですわ」
「じゃあ食べたものはどうしてるんですか?」
「それは解剖でもしてみない限りは分かりませんわね。とにかく、この子の体は自動人形と同じということ。一級の人形師職人でもこんな精度の高い人形は作れないと思いますが――」
人形………。
ケアの体は普通の女の子と同じだ。
抱きかかえた事もある俺だから分かる。柔らかく、普通に肉が付いているのと変わらない。だというのに人形というのは此れ如何に。
でも俺とケアの出会いは極めて歪だった。
その当時を振り返れば、確かに普通の体ではないことは間違いない。
「ケアは元々、ガラ遺跡の地下深くにある巨大なミイラの中から出てきたんですよ」
「えぇ……? なんですの、それ」
俺は当時のことを思い出しながら詳細にパウラさんに話をした。
パウラさんも、ケアが女神の化身であることは理解しているから、すんなり話を受け入れてくれた。そもそもパウラさんは教会側の人間だ。神智学や宗教の世界は俺以上に博識であるに違いない。
「……ガラ遺跡はメルペック教の母体となった古代文明が残した祭壇と伺ってますわ。古代といっても二千年くらい前のという事しか分かっておりませんので詳細は不明ですけれど。メルペック自体、千年程度の歴史しかありませんので私の知る範疇を超えてますわ」
「そうですか」
あの巨大ミイラは何だったんだろう。
そういえばあそこでアーカーシャの系譜も発見されたんだ。
確か、棺みたいなものもあったような――。
ガラ遺跡にはまだ謎が残されてそうだ。
○
石橋を渡り、大聖堂の入口を目指す。
歩きながら今回の目的をお浚いする。
パウラさんはメルペック教会の聖堂騎士団の一員だ。
王宮騎士団と並んでその歴史は深く、宗教が軽んじられ始めた昨今ではその存在意義が少しずつ薄くなっていると云う。パウラさん本人もそれは認めていた。
本来、魔法は女神が与えた人類の新たな力である。
――だというのに、魔法が発展し過ぎたことによってその神秘性は薄れてしまった。魔術を秘匿として扱おうという方針は、まだ教会の中でも基本理念のようだが、それも失敗に終わって廃れつつある。
"女神"もそんな身勝手な人類が許せなかった。
そうして生み出されたのがエンペド・リッジという異界からの転生者であり、この世界でいう"悪の大魔王"。戦争をループさせることで人々の絶望をかき集め、神への信仰を取り戻そうと、女神は邪神に堕ちてしまった。
そしてその目的を遂げるために生み出されたエンペドの末裔の俺自身も――。
教会が封印指定とする聖遺物の定義は、『歴史、文化潮流、物理自然法則、既存概念、現存する世界資産に悪影響をもたらすと考えられる聖遺物あるいは魔法そのもの』――それを踏まえれば、俺自身の ≪ 時間を操る魔法 ≫ も封印されるべきものなのかもしれない。
今日持参した聖遺物は、神の羅針盤『リゾーマタ・ボルガ』の残骸、魔導書『黒のグリモワール』、聖典『アーカーシャの系譜』の三つだ。
これから会う大司教は、俺を見て何と言うだろうか。
"――時間を操る魔法? 危険だ、封印しろ"
そんな言葉を告げる白髪の爺さんの光景が目に浮かんだ。
「パウラさん、大司教ってどんな人なんですか?」
「知りませんわよ」
「え!?」
あっけらかんと、パウラさんはすぐ返事をくれた。
無知を恥じるタイプの人だというのに珍しい。
普段の高飛車な様子もなく、自身の尽くす教会本部の親玉を知らないと言ってのけたのだ。国民がその国の王を知らないと言っているのと同じことである。
大司教っては"法王"に位置する存在であるにも関わらず。
「大司教の正体を知る者は過去に三人しかおりませんわ。姿を現すのは封印指定とする聖遺物を持参したときだけですのよ」
「そうなんだ……ってことはその三人は聖遺物を持ってきた人ってことですか」
「その通りですわ」
「そんな稀少な人とお会いできるのか……」
「ですから私も緊張が拭えませんの――封印指定を一挙に三つも持参したなんて、もしかしたら褒章も与えられるかもしれませんわ、ふふっ、ほほほほ……」
パウラさんは口元に手を当てて厭らしい笑みを浮かべていた。やっぱりこの人、名誉とか名声が欲しいだけなんだ。
教会本部の大司教か……。
どんな人なんだろう。
…
長くて幅の広い橋を渡りきり、大聖堂の正面まで辿り着いた。
純白の法衣に身を包んだ男の人が大きな扉の前に立っていた。背後の扉には、港街ダリ・アモールにもあったサン・アモレナ大聖堂と同じく、神々を象ったレリーフが嵌めこまれている。
「聖堂騎士団第二位階、パウラ・マウラですわ」
「お待ちしておりました。よくぞ封印指定を回収してくださいました」
「ほほほ、私の手にかかれば意図も容易いですわ」
「さすがは我らが誇る聖堂騎士団。さぁ、こちらへご案内します」
出迎えた男はパウラさんの高慢な態度を気に留めることもなく、やんわりとした雰囲気で大聖堂の中へ案内してくれた。優しそうな壮年の男だった。
意図も容易いって……。
たまたまオルドリッジ家に集まった三つを持ち去っただけだけどな。
重々しい扉口が開かれ、中に入るとまたすぐ扉があった。
それも固く閉ざされていて、開けると奥まで伸びる巨大な身廊。天井はとんでもなく高く、アーチ状に続いている。そこには左右対称の様々な絵が描かれ、まるで万華鏡のような光景を彷彿とさせた。
――ドクン。
大聖堂内部に足を踏み入れた瞬間、俺の全身が拍動した。
「………?」
まるで、魔力同士がぶつかり合って相殺された時のような。
そんな激しい衝突の気配を感じた。
「では奥の礼拝堂まで進んでください。私はこれで――」
そう言うと法衣を纏った男はそそくさと大聖堂を出て行ってしまった。
重々しい扉がずしりと閉められ、俺とパウラさんとケアの三人は閉じ込められたような圧迫感さえ感じていた。
僅かな光で灯される天井や壁の造形美術が、逆に存在感を際立たせている。
「パウラさん、大丈夫なんですかこれ」
不安の中で問いかける。
すごい圧迫感と威圧感を感じる。大聖堂の中は空間的に広く、奥行きもあるというのにこの重たい雰囲気が拭えなかった。まるで地下の洞窟の中に閉じ込められたような錯覚を感じた。
パウラさんも少し冷や汗を垂らして天井を見上げている。
「ここは――この建物自体が強力な魔術を創り出しておりますわ」
「魔法の結界みたいなものですか?」
「いえ、結界と言うよりも……魔法陣そのものの内部にいるようなものですわね。発動させた魔法の中ではなく、その生成過程の狭間に迷い込んだかのような――」
「………」
「神を降臨させる"神殿"はこのようにして建物に魔術式を宿し、建物自体を魔法に置き換えていたそうですわ。ここは聖堂というよりも神殿の類いに近いですわね……。とにかく進みましょう」
何やらきな臭い雰囲気だ。
パウラさんに続いて奥まで進むと、突き当たりには女神を象った彫刻が壁に。
その目の前に祭壇があった。
俺たちがそこに辿り着くや否や、何か言い知れぬ気配を感じた。
"そろそろ辿り着く頃かと思いました"
祭壇の地下深くから聞き覚えのある声がした。
その声は年老いた爺さんのものでもなく、婆さんのものでもなく、幼い女の子の声だった。
パウラさんも聞こえたようで、首をきょろきょろと振っている。
「大司教様ですの……?」
不安の中でパウラさんが声をかける。
先ほどの高慢な様子はなく、怯えるように祭壇に向かって話しかけている。
"わたしは、根源から派生した魔の起源そのものです"
それは酷く、懐かしいものだった。
俺は慌ててケアの方を見るも、ケア自身は惚けた顔で祭壇の方を見守るだけ。その目に何が映っているのか。聴こえる声が何者かを理解しているのか。きょとんとした青い目からは窺い知れない。
だが、この光景はいつかの焼き増しだ。
あの日、俺の運命は動き出した。
ガラ遺跡に落ちて、初めて直接的に女神と接触した。
得た力は三つ……否、初めから持っていた力を三つ告げられた。
"新天地へようこそ、虚数次元の魔法使い"
祭壇の奥が虹色の輝きを放ち、光の粒子が舞い上がり始めた。
大理石の床の上。
そこで色鮮やかな魔力の粒子が舞い上がり、突然現れたのは薄紫色の髪をした女の子だった。純白の法衣に身を包み、首から赤黒い掛けものを下げ、頭には司教冠を被っている。
凄然と立ち、虚ろな青い目をこちらへ向けている。
どこからどう見ても、隣にいるケアと瓜二つの小さな女の子がそこにいた。
動揺が隠せない。
本来いるはずがない存在がそこにいる。
――じゃあ、私は舞台から身を引くわ。
確かにそう言って消えていった神がいた。
俺の隣にいるのはその神が残した抜け殻の肉体。
それが目の前の祭壇の上にも立っている。
同じ姿形をした存在がこの場に二人いる。
「ケア……なのか?」
俺が困惑し、ぼんやりと声を漏らす。
現れた大司教らしき人物は小さく口を開いて答えた。
「久しぶりね、イザイア・オルドリッジ」
その虚ろな目は赤黒くも虹色でもなく、青い虹彩。
だが、その雰囲気だけは以前消えていった女神そのもの。
一体こいつは誰なんだ……?




