Episode133 ランスロットの挑戦Ⅱ
※普段より長めです。
ランスロットの重鎧を叩いた。
緊張を和らげてやるためだ。
どうやら王様は運命とか御縁とかって言葉に弱いタイプらしい。このチャンスを掴ませてあげたい。
―――ランスロットは震える足を引きずって、なんとか騎士団訓練場に足を踏み入れた。
城門を潜って隣の広大な屋外施設。
厩舎や乗馬用の障害物があったり、剣術修練用の案山子があったりと充実した訓練施設だった。
驚いたのが、四隅に竜を象った置物を設置した広場だ。そこではランダムに火球や氷粒、電撃弾が吹き荒れ、騎士たちがそれを回避しながら対人戦などしている。
魔法が入り乱れた乱戦にも対処できるように特別な訓練も用意されてるようだ。
今も大勢の騎士団員が手ほどきを受けている。
各隊の隊長である"茶帯"が、新米白帯に指導して剣術や騎乗術などを指導している。
活気あふれる光景だ。
戦士たちの勇ましい掛け声。
切磋琢磨する騎士たちの対人戦。
各騎士たちは皆一様に丈の長い胴着に身を包んでおり、鎧は部分的に装備しているだけだった。
そのほとんどが白帯。
茶帯は指導者側が多かった。
服装はどうあれ、その競り合いは俺の憧れ。
―――目指していた"THE 戦士"の姿がここにあった。
「おぉ……!」
思わず感嘆の声が漏れる。
白帯・茶帯は騎士団たちは真面目に訓練しているんだ。これなら彼らの方が黒帯よりもよっぽど思い描く戦士のイメージに近い。
実際に何人か黒帯の姿もあった。
でも特に訓練に勤しむ様子もなく、木蔭で呑気に他の騎士たちの様子を眺めているだけ。
強さを理由に怠け腐ってる感じがする
そんな中、一際目立ったのが、下半身だけ黒帯の服を着て、上半身は全部剥き出しにした色黒の大男だ。
偉丈夫――の次元を超え、まるで巨人族のようだ。
人里で巨人族を見かけるのは珍しいけど……。
「ガーハハハハハッ! 女郎、その程度で最強を名乗るとは不憫にも程があろうっ!」
馬鹿でかい声が訓練場に木霊する。
他の騎士たちも何事かと注目していた。
「くっ……この馬鹿親父がァ!」
ハスキーな声が続いて響く。
大男と対峙して剣を交えていたのは白帯の女性。こちらも肌は褐色で、色黒と言えば色黒。
馬鹿親父……?
「ほれほれ、どうした! 我輩を倒すのであろう? 得物一つで挑んでも一撃も与えられぬとは阿呆の極みであるぞ! ガーハハハハッ」
「このぉおお! いつか素手でも張り倒してやるからなっ」
白帯の女騎士はバスタードソードとカイトシールドで巨漢に立ち向かう。
それを、男は張り手だけで弾いていた。
その動きはまさに豪快。
巨漢男は剣の切先を見極め、張り手で叩く。女騎士も弾かれた剣をすぐさま構え直し、また乱暴に振り回していた。
「ぬおおおおおおおっ!!」
「ふんぬうううううっ!!」
両者、攻撃の手を辞さない。
剣に流派などがあるようにも見えず、動きは我流を極めた一心不乱な動き。
白熱する無茶苦茶な剣筋。
それで一切の傷を負うこともない黒帯の巨漢男も凄まじいが、そもそも黒帯の一人に果敢に食い下がり、少しも後退しない白帯の女騎士も凄い。
現に近くにいる他の騎士たちは「あの新米、何者だよ……」と驚嘆の声を上げている。
「ヤァッ!」
いよいよ白帯の女騎士が、高々と剣を掲げる。
渾身の力を込めて飛び跳ねた。
そして黒帯の巨漢男の首を刈ろうと剣を振り被った。
「馬鹿……娘がァ!!」
その隙を見逃さず、巨漢男は女騎士の盾に拳骨を食らわせた。
―――ガツンと、乾いた音が城内に響き渡る。
「おぁあああっ!」
女騎士は悲鳴を上げ、後方へと弾き飛ばされた。
身体を地面に打ち付け、何回か地面を跳ねて滑った後、俺たちの足元まで転がり込んできた。
「………うっ……」
女騎士は目を回している。
褐色の肌。金色の髪。
修道士服のような王宮騎士団の白服を着てセクシーなボディラインを曝け出すその騎士は、俺とシアがよく見知った顔だった。
「アルバさん!?」
またか、この人!
こないだ黒帯選抜戦の闘技場でも姿を見たばかりだけど。
また目を回しての登場だ。
迷宮都市以来の噛ませ犬っぷり。
シアが目を回すアルバさんに膝枕をしてあげている。そのまま気休め程度の治癒魔法をかけてあげた。
「まったくのう。ちーっとばかしは成長して帰ってきたかと思ってみたらこのザマよ」
巨漢男は俺の胴体くらいはありそうな野太い両腕を組んでキレにキレキレの筋肉を張り上げさせた。
ビシビシっとした音すら届きそう。
周囲の人間もその迫力に恐れ戦いている。
その逆三角形の上半身が存在感を主張していた。
少し脱色した毛色が老いを感じさせるが、肉体はこの場にいる誰よりも逞しい。
間違いない。
アレが『怪力屋のサウスバレット』―――。
「ん、ん~~……はっ……シ、シアがいる!?」
「おはようございます、アルバさん」
「そ、そうか。私は死んだのか」
目を覚ましたアルバさんは、膝枕するシアを仰ぎ見てそんな事を呟いた。
シアが死んだことになっている。
それをシアは否定もせずに受け入れた。
「はい、死にました」
「やはりか。死にでもしなければ、もうシアには会えない気がしていたんだ」
「でもこうして会えましたね」
「あぁ……親父殿に殺されたのは不服だが、私はまたシアに会えて……幸せだぞ……っ!」
「よしよし」
感極まってアルバさんはシアの細い胴体にしがみつく。
その頭を、シアは無愛想な顔で撫で続けるだけだった。
彼女らはやっぱり変人だ。
「いや、あのー……諸々のことはこの際置いておきますけど、親父殿というのは?」
「親父殿は親父殿だ。あそこの肉の塊は私の―――ってウワアアアア!」
アルバさんは視線を交わした瞬間、悲鳴を挙げた。
その悲鳴はさっきの吹き飛ばされたときより甲高い。
「うわーって何だよ」
「だ、誰だお前は! 怖ろしい! 悪魔のような顔だ!」
「酷いなっ」
「シア、なんだコイツは!」
「ロストさんですよ」
「ロスト!? あいつも死んだのか!?」
「そういえば一回死んでましたね」
「一回だと!? 何回でも死ねるのか!?」
「はい、何度でも蘇ります」
「そうか、お前のような人外は、死ぬと地獄で悪魔の烙印を押されてこんな顔に……」
「なんでそうなる?!」
まともに会話が進まない。
頭を抱えて首を振ると、後ろから低くて渋い声が耳に届いた。
「―――ロスト? お前さん、ロスト・オルドリッジか?」
恐る恐る振り返る。
巨大な肉壁がそこにいた。
親父殿……。
こいつが石碑に刻まれた英雄『怪力屋のサウスバレット』。
その時、記憶の片隅にあった過去の情景が呼び起された。
"―――ほう、怪力屋のサウスバレットか"
"―――そうとも、私はアルバ・サウスバレット。最強の戦士になる女だ"
湧き起る歓声。闘技場の決勝戦。
走り去る後方では女戦士と槍遣いの聖騎士が攻防を繰り広げていた。
思い出した。
サウスバレット姓はアルバさんの苗字だ。
カイウス・サウスバレットは父親。
アルバさんは、王宮騎士団黒帯の娘だったんだ。
…
バシバシと背中を叩かれる。
豪快に。
俺の背中を一掴みできそうなほどの大きな手だ。
「ガーハハハハッ! 噂には聞いておるぞ」
一騒動を終えて周りの白帯の騎士たちも各々、修練を再開していた。
訓練場は元通り、快活な戦士たちの雄叫びで賑わいが戻る。俺たちは修練場の隅の方で腰を下ろし、そんな光景を眺めながら話をしていた。
「お前さん、ボリスとガレシアの二人を随分懲らしめてくれたそうじゃないか! ガハハ、実に気分が良いぞ!」
ベシベシバシバシと何度も何度も背中を叩かれ、俺の背中もいい感じに腫れ上がっていた。
これ、普通の人間だったら死ぬくらいの張り手だ。
加減ってものを知らないのかよ……。
ボリスとガレシアというのは俺が王都に来て初日に倒してしまった王宮騎士団のNo.2とNo.3である。犬耳の半獣人族の男と赤い肌の魔族の女だ。
「懲らしめるって……勘違いしてまともに戦っちゃっただけですよ」
「良い、実に良い気味ではないか、ガーハハハハッ」
「……?」
なんで仲間が倒されて気味が良いんだよ……。
俺が怪訝そうにその大きな顔を見返した。
するとカイウスは俺の耳元へと手を添えて、大声で囁いてきた。
耳元で話す意味がない。
声は屋外施設中に筒抜けだった。
「いやな、奴らは我輩たち黒帯の中でも問題児よ! ガキどもが調子づいて力なんぞ手に入れおるからさらに若輩に先越されて痛い目を見るのだっ」
大音量で囁かれ、耳がイカれそうになる。
本人は小声で話してるつもりなのかまったく声のトーンを落とす様子はない。しかもカイウスが一瞥くれる先にはその問題児二人のボリスとガレシアがいた。
嫌そうな顔して俺たちの方を見ると、彼らは何処かへ去ってしまった。
……うわぁ、なんか雰囲気悪いな。
黒帯内の風通し大丈夫かよ。
「しかもな、お前さん、迷宮都市にいたのであろう?」
「え、えぇ、まぁ」
「我輩の娘が随分世話になったと聞いておる!」
ガハガハと大口開けて笑うカイウスの脇には、腕を組んで立つアルバさんの姿が。
まったく面影はない。
アルバさんは母親似だろうか。
そもそもアルバさん、王宮騎士団に入ったんだ。
黒帯選抜戦の中止後、そのまま入団する人もいると聞いていた。
しかしアルバさんもそうとは思わなかった。
なかなか白くて丈の長い胴着が似合っている。
「馬鹿娘がァ、何処ぞのじゃじゃ馬と似たんだかのう! 我輩を倒して黒帯の座を奪うとか抜かしてここに来たそうだっ」
「そ、それ以上喋るな、親父殿……!」
アルバさんが顔を赤らめて遮った。
言いふらされるのが恥ずかしいようだ。
「おうおう。さっきの威勢は何処へいった! 抜かすなら堂々と抜かせっ」
「む………わ、私が黒帯の座を奪う!」
「そうとも! サウスバレット家は最強を謳え! 心して頂点を目指せ!」
「黒帯の座を奪って最強の戦士を目指す!」
「そうとも! ―――ガーハハハハッ! ご覧の通り、これがうちの馬鹿娘よォ」
いや、今あなたが言わせてましたよね!?
なにこのノリ、付いていけない。
ところでいい加減に背中叩くのやめてほしいんだが。
感覚なくなってきた。
「して、お前さんたちは何用でここへ来た? ロスト・オルドリッジはエスス様と魔法大学へ行くのであろう?」
「あぁ、いえ、今は準備支度中です。んで、こっちにいるランスロットが黒帯を目指したいと言うので、陛下に実力を見てもらう予定でして」
「ランスロットです。よ、よろしくお願いします……」
現代の大英雄を前にしてランスロットは縮こまっていた。
「ほうほぉう、ランスロットかぁ……。良い名だのう。エスス様といい、最近の子は皆良い名をもらっておる! ロストは微妙だがのう、ガーハハハハッ」
「………」
シアが不機嫌そうな顔でカイウスさんを睨む。
名づけ親がすぐそこにいるんだが……。
そしてその名で生きていくと決めた本人も目の前にいるんだが……。
カイウスさん自由奔放だ。
案外、性格も親子で似てる。
そんな感じでサウスバレット家の会話に呑まれていると―――。
「ほれほれぃ、件の主様の御成りであるぞ」
カイウスさんは野太い指で訓練場の入り口付近を指差した。
そこには豪華なマントを引くラトヴィーユ陛下と、そして田舎の少年のような質素な服を着たエスス、さらに王宮騎士団の騎士団長アレクトゥス・マグリールが凄然と立っていた。
○
騎士と兵士が対峙する。
訓練場の広い土場の上。
一方は黒帯の胴着の上に鉄篭手、胸当てを身に着け、背筋をピンと張る壮年の騎士だ。そしてもう一方は重鎧を全身に纏い、フルフェイスの兜も被った一介の兵士然とした男。ガタガタと小刻みに体を揺らし、鎧の中の人物が震えあがっている様子が遠巻きから見ても分かった。
強キャラと一般兵士が向かい合うような光景に違和感しか感じ得ない。
それを見守るのは王宮騎士団の面々だ。
そしてラトヴィーユ陛下、エスス王女殿下。
俺とシアやアルバさんなどなど。
大勢のギャラリーを迎えてその場で二人は対峙していた。
「よいか、ランスロット・ルイス=エヴァンス。その男が現王宮騎士団団長アレクトゥス。彼に少しでも傷を負わせることができれば、其方に黒帯となる資格を与えよう」
「えっ、お父さん―――?」
「なんだ?」
状況を飲みこめてないのか、エススは困惑の表情で陛下を見上げた。
「ボクの騎士様はロストが就いてくれるんじゃないの?」
「どちらを選ぶかはお前の自由だ。あくまで"資格"だからの」
「う、うーん……ボクはロストの方が安心できるけど」
エススが振り向き、俺の方を見る。目が合うが、何とも反応できずに視線を投げかけるしかできなかった。
そんな子犬みたいな目を俺に向けるな……。
ランスロットは兜を取れば良い男だぞ。
―――当の本人は情けないほど体を震わせているが。
「彼の大英雄と同じ名を持つ者か……尋常に手合せ願おう」
アレクトゥスは腰の鞘からロングソードを引き抜いた。
「本気で討ち取るつもりで掛かってもらっても構わん。この身は不死身の肉体だ。いかに傷がつこうとも首でも刈られない限りは死にはしないからな」
「く、くくく首……!?」
アレクトゥスは特異魔法『不死鳥の冥加』という能力を持つことで有名だ。
簡単に言ってしまえば、"死なない力"……。
そんな荒唐無稽な能力が本当にあり得るのかと疑問だが、そういえば俺が知ってる男にも同じような不死身のおっさんがいた。
あの雷槍持ちの金髭も、そういう能力があったのだろうか。
ランスロットがその気迫に圧されて後ずさりした。先ほどよりも鎧は激しく振動し、肩も大きく上下している。
……なぜか過呼吸になってる。
「首……首……」
しかも何かぶつぶつと呟いている。
何かに動揺しているのは間違いない。
だが、アレクトゥスやラトヴィーユ陛下はそんな様子もお構いなく、試合のルールを解説していた。
試合は一本勝負というわけではない。
ランスロットが白旗あげるまで勝負は続き、その中で傷を少しでも団長に付けられればランスロットの勝ち。
つまりこれは対人試合と見せかけた根性試し。
だが、その挑戦者本人は明らかに様子がおかしい。
エススも心配するように陛下の袖を引っ張った。
「ね、ねぇ、あの人なんか様子がおかしいけど大丈夫かな?」
「深呼吸でもしておるのだろ。では――――」
気にも留められず、アレクトゥスも切っ先を真っ直ぐランスロットに向けて構えた。
その目は真剣そのもの。
まるで獲物を見定めた鷹のよう。
「はじめぇ!」
陛下が声を上げると同時に、アレクトゥスが大地を駆ける。
動きはさすが団長と言うべきか、俊敏で速い。
速さ勝負で云えば、こないだ手合せしたボリスの方が敏捷性は高そうだ。アレクトゥスも速いけど、どちらかというとバランスタイプっぽい。
機敏で、力強い。
対するランスロットはまったく動けていなかった。
「―――!」
団長の気迫に満ちた突進に、ランスロットはびくりと震えるのみ。
「ハァ!」
アレクトゥスの突き攻撃がランスロットの肩を掠めた。今のは小手調べ程度に敢えて外してくれたんだろう。
「………」
ランスロットはまた一歩後ずさる。
まだ剣を構えてすらいない。
アレクトゥスはその彼を見て不思議に思いながらも、剣を構え直した。
そして振り被り、今度は真一文字に横斬りを披露する。
空気を切る凶悪な音が伝わってきた。
ランスロットは悲鳴をあげると、臆病者がするかのように頭を抱えて体を曲げた。なんとか身を躱したようだが、地面を見つめたまま、隙だらけだ。
まともに戦えてすらいない……。
頑張れ、ランスロット。
「どうした? 剣を抜かなければ勝負にもならないぞ」
「ひっ……」
反応のないランスロットを、アレクトゥスは膝で蹴り上げた。
「ぐぇっ―――!」
鳩尾に入り、変な声を出してランスロットは吹っ飛ばされる。
その拍子に兜が外れ、重鎧ごと、彼がこちらへ滑り込んできた。
目をぎゅっと瞑って悲痛に顔を歪めている。
彼が転がり込んだすぐ近くにはエススが椅子に座り、その彼を見下ろしていた。
「だ、大丈夫……?」
苦しそうなランスロットにエススが優しく声をかける。騎士団長との圧倒的な実力差を見て、エススも心配なようだ。
周りの観衆からは笑い声が浴びせられた。
白帯や茶帯の連中は無様な彼を嘲笑う。
まぁ当然の反応だろう……。
こんな歴然の差を見せられたら、ランスロットがやっていることはただの無謀にしか見えないはずだ。
ランスロットははっとなり、すぐさま体を起こして試合用の土場へ戻っていった。
腹のあたりを擦っている。
明らかにダメージを追ってるが、大丈夫だろうか……。
お次はしっかりと背中の剣を引き抜き、盾を構えた。
ようやく戦える格好になった。
「さぁ、こい……!」
「ハァァ!」
兜が取れていることもお構いなく、ランスロットは勝負をかけた。
剣を振りかざし、走っていく。
黒髪が乱れ、苦しそうな表情も見えた。
その動きはブレブレで、勢いも相手よりだいぶ劣っていた。
「フンッ―――!」
アレクトゥスはランスロットが剣を振るよりも前にその懐に飛び込み、下から剣柄を突き上げ、胸当てへと打撃をかける。
―――ガンッと鈍い音。
先ほど団長が蹴り上げた鳩尾へ着実に追撃が入った。
「ぐっ……うっ……うぅ……」
ランスロットは後ろへよろめいた。
顔面蒼白だ。
容赦ないが、しかしアレクトゥスも大人げなく実力差を見せつけているわけではないだろう。
遠巻きから見てもその真剣な表情が窺える。
―――きっとアレが騎士道というやつだ。
勝負には手を抜かない。
抜いたら、対戦相手に失礼だからだ。
対等な立場で真剣に戦うことが、勝負では何よりも相手の尊厳を保つことができる。
この訓練場にいる誰よりも強い黒帯。
そのNo.1と一対一で勝負をさせて貰えた時点でランスロットは光栄であるに違いない。
……それを、ランスロット自身も分かっているんだ。
だから無謀であると分かっても、ランスロットは己が全てをぶつけて強敵に挑まなければいけない。
「う……クッ………!」
だらりと下げた腕を、またランスロットは振り上げる。
そしてよろけた体でアレクトゥスへと突撃をかけた。
「オアアアア!」
咆哮を挙げながらも緩慢な動きで駆け出した。
アレクトゥスはそれをひらりと右回りで躱すと、その隙だらけの右手の甲をロングソードで斬りつけた。
――ペシンと鞭でも打ったかのような音が木霊した。
「アアアアッ!!」
ランスロットの雄叫びはそのまま悲鳴に変わり、剣を落とした。
右手は大きく傷ついたようだ。
真っ赤な血が滲み出ているのが見えたる。
「ランスロット!」
「待て、ロストよ。ここからであろう」
「……?」
俺が思わず身を乗り出した。
それをラトヴィーユ陛下が制してくる。その鋭い視線で国王陛下の意図することが何となく分かった。
"―――この男は率先して死地に飛び出ては体に傷を負い、その都度強くなった"
古代の大英雄ランスロット・ルイス=エヴァンスは記録によると、傷を負うほど強くなったと書かれている。
その血を引く彼も同じ能力を有しているのでは、と。
陛下が今回試したかったのは、つまりそういうことか。
アレクトゥスも事前の打ち合わせで理解していたのかもしれない。手の甲にぱっくりと傷を負ったランスロットを眺めて、冷静に観察している。
「グ……あぁ……痛い……痛いッ!」
だがランスロットは痛みを堪えるのみだ。
まったく覚醒する様子を見せない。
実は血が緑色でしたとか、赤黒い魔力を持ってましたとか、別にそういう感じもない。
負傷したただの青年の姿がそこにあった。
「陛下、あれ普通に痛がってますよね」
「うむ……」
陛下は目を伏せて溜息をもらした。
見当違いだったか、という感じだ。
え、ランスロット不採用か……?
「痛い……! 痛ぃい……!!」
「アレクトゥス、もう良い。彼の実力は――――」
ラトヴィーユ陛下は声を上げて団長に声をかける。
アレクトゥスも少し困った様子でこちらを見ている。
彼自身もランスロットが覚醒型だと信じて手合せしたのかもしれない。
「ま、待って……ください!」
声を張り上げたのはランスロット自身だ。
顔を歪めてはいるが、懸命に訴えていた。
「僕が諦めなければ――――僕が諦めなければまだ終わりではないんですよねっ」
「そ、そうだが、その手では剣も握れないだろう」
ランスロットは血をダラダラと流す右手を見て、はっとなる。しかし、左手の盾を外して投げ捨てると、左手で地面に転がるロングソードを取った。
「これでまだ戦えます……やらせてください!」
「………」
利き手とは逆で剣を振るう―――。
それは熟練の剣士にとってさほど難しいことではない。
だが、利き手より剣筋が劣ることは間違いないのだ。
ましてやランスロットはそれほど優秀な剣士という感じじゃない。相手も実力差の開いた王国最強の騎士だ。
そんな状態で戦おうなどと……。
周囲の白帯たちも嘲笑うのを通り越して、困惑の表情を浮かべている。
「陛下、私はどうすれば―――」
アレクトゥスも指示待ちしている様子だ。
陛下は大きく肩で息をしているランスロットを見て、目を瞑った。
「……ルールはルールだ。続けるがよい」
その無謀な挑戦を承諾した。
ランスロットはその声を聞き遂げると、またしても鬨の声を上げ、右手を庇うように駆け出した。
不慣れな手で剣を振ろうとする様は、誰がどう見ても滑稽な兵士の姿に見えたが、鬼気迫る様子に観衆も先程のような嘲笑を入れる輩はいなかった。
アレクトゥスも即時に反応して身構えた。
「う……アアア!」
「……っ」
団長も心苦しいようだが、勝負は勝負。
手慣れた動きでその剣を迎え撃ち、剣戟で受け止めると、ぐるりと回して相手を抜き、左腕を斬りつけた。
綺麗な太刀筋だ。
「ぎゃ……!」
衝撃で重鎧が壊れ、左篭手が外れる。
ランスロットの左腕が剥き出しになった。
「くっ、まだ―――!」
ランスロットは基本の剣術もお構いなく、弾かれた剣を真横にいる相手に向けて振るった。
しかしそれも難なく受け止められ、受け止めた後にまた弾き返すという動作でアレクトゥスは応戦し、突進をかけてランスロットを後方へと吹き飛ばした。
「フンッ―――!」
「うわあああ!」
また彼は地面に転がる。
土でランスロットの髪や鎧はぐちゃぐちゃに汚れ、傷ついた手の甲も土と血が混ざって凄い有様になっていた。
ぼろぼろだ……。
意識を失ったように動かなくなったランスロットだが、少しするとまたびくりと反応し、起き上がる。
「まだ……まだだ……」
起き上がると同時に体をよろめかせる。
左手の剣を地面に突き立て、這いつくばるように姿勢を戻した。
その無謀な根性を、皆固唾を飲んで見守っていた。
ふらつく体に、あと一撃でも食らわせればおそらく再起不能にはなるだろう。
アレクトゥスもそんな彼を見て申し訳ないような顔を一瞬みせた。さすがに鬼気迫る無様な兵士の様相に、騎士道を手向けるのさえ心苦しくなったようである。
「僕は………王宮騎士団に……!」
ゆらゆらと動く姿は既に屍のようである。
ここまで傷ついても、ランスロットは強くなるわけでもなく、ただ気合いと根性だけで踏ん張っていた。
「黒帯に……なるんだ……!」
何がそこまで彼を奮い立たせるのだろうか。
アレクトゥスもよろめく体で這いずってきたランスロットに剣を振り上げ、そしてその姿勢でぴたりと止まった。
アレクトゥスにも迷いがあるようだ。
真っ直ぐ夢を追いかける男に現実を突き立てることが……。
だがそこで甘やかすのは団長の役目ではない。
一国で名を馳せる英雄は、時には残酷にならなければいけない時もあるのだ。アレクトゥスは剣を握り直し、縦に振り下ろそうと意を決して――――。
「ま、待ってよ! もういいよ!」
それを遮ったのは王女殿下だった。
颯爽と立ち上がり、その土埃まみれた試合場に入っていく。
質素な服装がその辺の田舎の少年を思わせる
「何もここまでしなくてもいいでしょ! ボクに付いてきてくれるなら歓迎するからっ」
震えるランスロットを支えて、その重たい鎧を抱えた。ランスロットももう声も出せずに体を預けるのみだった。田舎者のような格好の姫君と泥だらけの兵士が寄り添う姿は、絵にはならないけどなんだかお似合いだ。
陛下がそこに割って入る。
「しかしな、エススよ。王族に仕える黒帯とは王宮騎士団の顔だ。実力が伴なわない者をエススに付けるわけには……」
「お父さんはいつもそればっかりだね。別に黒帯か黒帯じゃないかなんて何だっていいじゃない」
「何……」
「騎士団の仕来たりとかもういいよっ! この人がボクを守ろうとしてくれるなら、それを拒む理由なんてないでしょ!」
「それでは誰がエススの身に責任を持つか定まらぬ。専属は決めなければならぬのだ」
「じゃあロストとこの人! その二人でいいよ」
「それは―――」
陛下も戸惑って額に汗を流す。
自由奔放な王女様の提案に、言い返す理屈が見つからないようだった。
しかしここで王としての威厳を見せなければ、事態を見守る王宮騎士団の面々に示しがつかない。「では専属騎士を二人とする」などと言ってしまえば、彼らから非難を浴びることは目に見えているのだ。
黒帯は黒帯として風格を示すためには、厳選した人材でなければ意味がなくなってしまう。
「―――か、彼の処遇は、ひとまず王宮騎士団の小間使いとする……!」
「小間使い?」
「エススが望むなら"雑用"として連れていくがよい……」
困った陛下はとりあえずその場を取り繕うためにそんなことを宣った。
周囲の反応も「あー良かったぜ」「あいつが黒帯になってたら俺は騎士団やめてたな」とざわざわと好き勝手に騒ぎ始めた。
騎士団の面々の威厳を保ちつつ、エススの無茶も呑みつつ―――。
陛下も咄嗟のことで苦しい判断だ
しかしランスロットの扱いは中途半端なまま。
正式な騎士と扱っていいのかも不明。
王女殿下の自由奔放さは個々の願いは確実に拾い上げていくが、しかし、王家がこれまで守ってきた規律や仕来たりを曖昧にしていくようで何やら怖ろしい。
本当に『ゲーボのお導き』通り、エススが女王陛下となっても大丈夫なのだろうか。
そんな王女殿下の雑用係か……。
"雑用"から始まる成り上がりも良いかもしれない。
これは彼自身が繋ぎ止めたチャンスだ。
血反吐を吐いて、根性だけで王家との顔を繋ぎ続けるランスロットの姿が幼い頃の自分と重なって微笑ましくなった。
本人は既に意識を失い、その栄光にまだ気づいていない。
目を覚ましたらお祝いしてあげよう。
※次回更新は3月12日(土)です。




