Episode132 ランスロットの挑戦Ⅰ
人生は長い。
将来の夢を焦ることはなかろう――。
カレン先生にはそう諭されてお別れした。
先生はもうバーウィッチへ帰ってしまうそうだ。
あの一ヶ月の旅路をまた往復して帰るんだと思うとカレン先生の逞しさは計り知れない。旅慣れってのもあるんだろうな……。何か嫌な予感がして「くれぐれもバーウィッチのみんなには俺の粗相は黙っておいてください」と伝えたところ、「安心しろ、もう記事になってる」と笑顔で返された。
王都での事件は代々的に各地方へと伝えられてしまう。
俺が仕出かした王女誘拐事件(冤罪)も遍く国中に広まったようだ……。
記事には、王女殿下の城下街への視察を俺が幇助したという旨で書かれていたそうだが、トラブル続きで一時行方が分からなくなり、黒帯選抜戦も中止となる事態となったとも書かれている。幇助者である俺の印象が悪くなるのは避けられそうにない。
"王家のお家騒動"と書くわけにもいかないんだろう。
仕方ないか。
王都の出入り口となる外壁の門。
そこでカレン先生とはお別れだ。
イルケミーネ先生、シア、俺の三人で見送った。イルケミーネ先生は特に強いエールを送り、カレン先生はそれを適当に手で振り払うと、淡泊な様子で馬車へと乗り込んでしまった。
目に見えない絆みたいなものを感じる。
「何の応援をしてたんですか?」
「へへへ~、大人の女には色々あるのよっ」
「はぁ……」
「それを聞くのは野暮ってものよ、少年」
イルケミーネ先生は俺にウィンクして誤魔化してきた。
アンファンやユースティンとは違って、やけに愛嬌のある人だった。いや、もしかしたら女性目線で見ればアンファンやユースティンにも愛嬌があるように見えるのかもしれない。
親子共々モテていたし。
イルケミーネ先生もそんな血を引いてるんだからさぞ人気が高いのかも。
と、まぁそんなわけで俺とシアは次の行先に向けてまた旅支度に入っていた。
次の目的地は魔法大学がある学園都市である。
エススの大学生活を護衛する目的で、俺も入学が決まってしまったのだ。
無茶苦茶だ、と文句の一つも付けたいところだが、ラトヴィーユ陛下の言い分は次の通りだ。
・魔法大学に通うというエススの意見を尊重したい。
・そこに俺の護衛が付けば、自然と主君と騎士の絆も深まるだろう。
・学費は王家から工面しよう。
―――という事だ。
俺もエススには「一緒にお願いして気持ちを整理する時間を貰いにいこうぜ?」なんて気取って言ってしまった事もあり、断ろうにも断れなかった。
せっかくエススも前向きに決意したところだ。
やっぱり俺は降りるなんて裏切るような事を言えるわけがない。
……ちょっと黒帯には幻滅したけれど。
それにもっと研修的に王宮騎士団を体験できれば、俺が求めていた"戦士"の世界が見つかるかもしれない。カレン先生からも先の通りに諭されたのもあって、将来の夢を焦るのは辞めておこうと思ったのだ。
時間ならたくさんある。
もう危険因子は何一つないのだから。
斯くして俺は長い人生の中間地点―――。
自分の道を見つめ直す"学生"へと戻ることにしたのである。
実際、前世での記憶は朧ろげだ。
なんとなく講義室で教授陣から居眠りを怒られたりした記憶はあるものの、どんな事をしていたのかはあまり覚えていない。
だから楽しみと言えば楽しみだった。
○
さて、王都に来てから何度目か思い出せないが、王宮に呼び出された。
貴族院議会で、今回は≪ 転生 ≫を議題として俺に査問が入った。
前回までは再三にわたる≪ 時間を操る魔法 ≫のことだったが、どうやら王侯貴族たちの間で注目されているのはこの≪ 転生 ≫の方らしかった。
俺は≪ 転生 ≫は女神の力だと伝え、自発的にやったものじゃないと主張しているのだが、頭の固い貴族議員たちは納得してくれない。
もういい加減に王宮も懲り懲りだ。
拘束時間が長い上に、議論の終着点がない――。
これならエススに付いて魔法大学に入学するのを選んだのは正解だった。入学するまでのこの期間、こうして王宮議会で貴族たちに引っ張りだこにされ、何かにつけては査問が入り、また、王家が暮らす宮殿に呼ばれては、ラトヴィーユ陛下と内々の世間話に付き合わされていた。
今は王の謁見の間。
王座に座るラトヴィーユ陛下と向かい合っている。
今回は俺の方からお願いがあっての謁見だ。
議会が終わった後に少しだけ時間を貰っていたのだ。一応、依頼は筋道立てて考えてあるし、陛下も俺の言葉をよく聞いてくれる。
承諾してもらえるだろう、多分。
「―――というわけで、隣にいるシア・ランドールの学費も工面してください」
「王家で三人分もの大学費用を捻出しろというのか?」
「王女殿下の護衛に野郎だけ付けるってのも変な話でしょう? それとも王女様のお世話役はもうお決まりですか?」
「ううむ……」
陛下が悩ましげに白い髭を撫でる。
俺の隣に立つシアを値踏みするように眺めていた。
「エススはずっと宮殿に置いておったので、まったく気にしておらんかったのう」
エススはボクっ娘であり、女の子なのだ。
陛下が手塩にかけて育てるうちに、同世代の子や兄弟と話す機会も得られず、性別を意識することもなかった。その結果、自然とあんな口調になってしまったらしい。
本人は男女分け隔てなく人懐っこい性格だが、しかしエススもれっきとした女の子……。上裸を見てしまった俺の目には、未だに程良く膨らんだ二つの双丘が目に焼き付いていた。
やはり侍女的な役割をする同性の世話役は必要だろう。
「シアは長年連れ添った俺のパートナーです。弓が得意で、教会の聖堂騎士団に匹敵する実力はありますよ」
「なんと……?」
「はい。王女殿下のお世話と護衛補佐も務めたい所存です」
シアが願い出るように目を伏せ、軽く頭を下げた。
――嘘ではない。
第二位階、第四位階、 第六位階 を見事に討ち取ったのは彼女なのだから。
「アザリーグラードではアザレア王城の復活を阻止したのも彼女です。俺は助けられた側で……。それに博識なので魔族語も話せますし、万が一のことがあっても困らないでしょう。あとオルドリッジ家では一時、副メイド長も務めてました。身の回りのお世話も一通り熟せますよ」
って紹介しているうちに俺自身、シアがいかに有能かをあらためて認識した。
強さや気転が利くだけじゃない。
知識も豊富だ。
人一人分の身の回りの世話をするくらいなら造作もない。
うん、彼女は有能だ。
器用すぎて吃驚する。
陛下も唖然としてシアを眺めていたが、一度頷くと重々しく口を開いた。
「ロストのお墨付きがあれば信頼できよう。護衛は多ければ多いほどいいからな」
「もし経歴が気になるようでしたら冒険者時代のマナグラムの登録情報もあると思いますが―――」
「そこまでせずともよい。見る限り、聡明そうなエルフ族の子だ。財務官には後で話をしておこう」
「ありがとうございます」
シアも深々と頭を下げて応えた。
ちょっと強引だったが、順調にシアも世話役として採用された。
良かった良かった。
さて、護衛が多ければ多いほどいいという発言はこの上ないチャンスだ。
この機に売り込みたい人材はまだいる。
シアよりも、心配なのは逆隣の男の方だ――。
「して、其方は……?」
陛下の視線が動く。
俺を挟んでシアとは反対に立つのは、鎧に身を包んだ青臭い兵士だ。兜は脇に挟み、その童顔、清潔そうな黒髪を曝け出していた。
琥珀色の目が上を向いて泳いでいる。
大物とのご対面で極度に緊張している様子だ。
ランスロットである。
「は、はいっ! ぼ、僕は……その……えーと! エスススススぉ、スぉ、掃除殿下の……!」
「おい、もっとゆっくり!」
「ひゃ……エスススス王女殿下にっ……ご、護衛してもらいたくっ」
「なに、エススに護衛してもらいたいだと!?」
「は、はい……!」
違う、そうじゃない!
俺とシアと同じく護衛補佐役になるって事を伝えないと!
もう緊張しすぎて自分が何を喋ってるのかも陛下が何て言っているのかも耳に入っていないのだろう。
「ううむ……エススも王宮騎士団と同じように剣術は教えてあるのだが、一人の兵士を守るほどの実力はあるかどうかは知らぬ」
「え、えぇ、王宮騎士団と同じ剣術!?」
「そうとも。あれでいてエススは聖心流の使い手だ」
普通に会話が成り立っている!?
陛下もなぜかランスロットの言葉をそのまま受け止め、エススが青臭い兵士一人の護衛をするという支離滅裂な流れに何の疑問も抱いていない。
この王家、間違いなく天然である。
エススの天然は父親の血筋だ。
「王族たるもの剣術もしっかり学ばせんといかん」
「そ、そうなんだ~……」
ランスロットもショックを受けていた。
待て、おかしいだろう。
彼の目的は王宮騎士団の黒帯になることだ。
逆に姫から護ってもらったりでもしたら一体何者だと言うんだ。
殿か。殿なのか、ランスロット。
冗談はさておき―――。
俺の見立てでは、ランスロットの風格や力量では黒帯は厳しいと思っている。
でも切っ掛けだけは与えてやりたい。純粋に夢を追いかけるこの男に、平等にチャンスを与えてやるべきだと思うからだ。
俺は代弁して、ランスロットが王宮騎士団に入りたいこと、性格や心構えなんかを全面的に推薦してやり、結論としてランスロットもエススの専属騎士になる機会を与えてほしいと熱弁した。
「ふむ」
陛下はそれだけ呟くと黙ってしまった。
しばらく両者の間で無言の時間が続き、ランスロットも冷や汗をだらだらと垂れ流す。
エススは次期女王陛下だ。
つまりその専属騎士となれば、彼女の女王即位とともに、侍従長に出世するという事だ。
陛下の意向では、だからこそ最強の騎士を仕えさせたいと言っていた。
駄目元を覚悟してのお願いだから期待はしていない。
しかし、ラトヴィーユ陛下は存外にも深く考え込んでいる。
何やら遠い目をしている。
しばらくして、澄ましげな顔でランスロットに問うた。
「其方、名前をまだ聞いておらんかったな」
「あっ……し、ししし失礼しました! ぼ、僕は―――」
「ルイス=エヴァンス」
「そっ……そうです、え、あれ?」
「やはりあの家の者か。名はなんと申す?」
「ラ、ランスロットです!」
陛下はその名を聞いて眉毛をぴくりと動かした。
「"ランスロット・ルイス=エヴァンス"か。まさか大英雄の名をここに聞くことになるとはな」
「は、はい……すみません……」
「怒ってなどおらぬぞ。しばらくルイス=エヴァンス家の名が耳に届くことはなかったからのう。私の先祖もルイス=エヴァンスの活躍には感謝しておる。こうしてその末裔に会えたことは喜ばしい」
「……なんで僕の名前が分かったのですか?」
ランスロットが素朴な疑問を投げかける。
陛下はそれに対してニコニコとした笑顔で応えた。
「時間はあるか? 少し付き合ってはもらえぬか」
陛下は重たそうな腰を上げて、王座から降りた。
真っ直ぐと俺たちの方に歩いてきて脇を横切ると、そのまま謁見の間から出て行った。俺たち三人も首を傾げながらその後を付いていった。
…
連れてこられたのは宮殿にある王様の個室だ。
プライベートとして使っているのだろうか。高い階に位置する広々とした部屋である。天蓋付のベッドなどもあり、こんなところに俺たち庶民が入ってもいいのかと恐縮しながら入室した。
「見てもらいたいのはこの絵だ」
ベッドの正面、一際大きな暖炉の上に掲げられているのは巨大な絵画だった。
普通こういうところに飾られる絵画というのは初代の国王などのものかと思うのだが、そこに飾られていたのはまったく別の絵だった。
「ランスロットさん……?」
シアがその絵を見上げて小首を傾げた。
そこに描かれていたのは一人の騎士の絵だ。
馬に跨り、荒野を駆ける。剣を水平に構えて、前傾姿勢で今にも剣を一閃しようとする、威風堂々とした騎士がそこにいた。
その騎士は黒い髪を棚引かせ、琥珀色の鋭い眼をしていた。
―――『戦場を駆る、ランスロット・ルイス=エヴァンス』と題されている。
昔の英雄の姿がここにある。
その容姿は俺の隣で目を白黒させるランスロットと瓜二つ。
「これは、英雄としてこの国で初めて名を刻んだ王国最強の騎士の絵だ」
「………」
現代のランスロットもその迫力に固唾を飲んだ。
ルイス=エヴァンス家は騎士家系の御三家。
この国の初代王宮騎士団の騎士団長だったランスロット・ルイス=エヴァンスは、エリンドロワ建国史の冒頭にその名を刻んでいる。
遍く有名すぎるその名に、ランスロットも重みを感じているに違いない。
「それにしても……そっくりですね?」
俺は陛下に問いかけた。
「だから先ほど其方を見たときは我が目を疑った」
「ぼ、僕のご先祖様か~……」
当の本人はぼけーっとした童顔でその絵を仰ぎ見ていた。
絵の中のランスロットはもっとキリっとした精悍な顔をしている。彼もそういう表情をすればこんな風になるんだろう。
「この男の伝説は建国から千年経った今でも語り継がれている」
「どんな伝説だったんですか?」
俺も初代の英雄に興味が湧いて、遠慮なく聞いてしまった。
「この男、ランスロット・ルイス=エヴァンスはな、戦場では人が変わったように強くなる男だったそうだ」
「人が変わったように……?」
「強くなる男? 戦場でだけですか?」
俺とシアは二人で疑問符を浮かべて問いかけた。
「そうなのだ。遺された古代史の文献によると、この男は率先して死地に飛び出ては体に傷を負い、その都度強くなったという伝説が残っている」
「へぇ~……」
「古代史を研究する学者曰く、それこそがランスロットの特異魔法だったのではないかと説く者もいるそうだ」
―――血が吹き出るごとに力が漲るような気がした。
静まり返るダイアーレンの森。樵が残した切株。突進する巨大熊グリズリー。
俺はその突進を素手で受け止め……。
「………」
俺も似たような経験をしたことがある。
負傷して血が出ると、そこから滲み出る魔力が俺に力を与えた。通常の魔力を減算させる虚数魔力が、魔物を弱体化させたという原理らしいが……。
もしかして昔のランスロット卿も虚数魔力を……?
あるいはまた別の特殊な魔力……?
どちらにせよ、身体を甚振れば甚振るほど元気になっちゃう自虐体質だったという事ははっきりした。一つ閃いたことがあり、横に呆然として立つランスロットの顔を覗き見る。
「それならもしかしてさ―――」
ランスロットと目が合う。
俺が何を言いたいかすぐさま理解したようで、慌てて首を振って否定した。理不尽に傷を負わされる光景が目に浮かんだのだろうか、青ざめた顔をしている。
「えっ、僕は何も……何もないからっ!」
「もしかしたら緊急時にだけ力を覚醒させるタイプだったりして」
「え、えぇ!? む、無理だ! 僕だって何度も剣の道場で傷を負ったことくらいある」
「その時に何か変わったことはなかったのか?」
「ないないっ! 本当にない!」
ランスロットは頑なに否定した。
せっかく王様にアピールするチャンスだというのに。
国王陛下もそんなランスロットの様子を見てにこやかな顔をしていた。見てて気づいたんだけど、この王様きっと子ども好きだ。エススとかシアとかランスロットみたいな童顔は甘やかしてしまう性格なのかもしれない。
「うむ、平和な時代に敢えて自ら傷つく必要はあるまい」
「ほっ……」
「だがな、名はその者の性質を表すとよく云う。実際、この絵画の男と君は瓜二つだ。……色濃く古代の大英雄の血を受け継いでいることは間違いがないのだ。その系譜に誇りを持つべきであろう」
「……は、はいっ」
陛下の仰る通りだな。
色濃く受け継いでいることは間違いない、か……。
俺もエンペドの血を色濃く受け継いでいる。魔術や魔道具に関連して、学術的な話題に目がないのはそういう事なんだろう。それはそれとして受け入れるしかない。
ラトヴィーユ陛下はランスロットの初々しい返事に気分良くなったのか、さらに表情を和ませた。
「ランスロット・ルイス=エヴァンスよ」
「……?」
「もし其方がエススの専属騎士を望むなら、一度私にその実力を見せてみよ」
「え……」
「なに、これもまた一つの運命かもしれない。現代のランスロットがこうして私の前に姿を見せてくれたのだ。挑戦権を与えようと言っておる」
戸惑うランスロットを俺は肘で突いた。
これはまたとないチャンスだぞ!




