◆ パインロックの闇
※ ややこしいので貴族リストの整理。
(魔)魔術師家系。(騎)騎士家系。(暗)ストライド家のみ。
東:バーウィッチ地方→ オルドリッジ家(魔)、マグリール家(騎)、ストライド家(暗)
北:クダヴェル地方→ ルイス=エヴァンス家(騎)
西:エマグリッジ地方→ クライスウィフト家(魔)、パインロック家(騎)
登場してる貴族の家名はこれくらいです。
ペレディル・パインロックも心の闇を抱える一人だ。
だから今回、『黒い粘性の魔力』の最初の餌食になったのも必然だったのかもしれない。
パインロック家は初代王宮騎士団の誇り高き騎士家系。
東のマグリール、北のルイス=エヴァンス、西のパインロックと並ぶ御三家の一つだ。
その末裔のペレディル卿は、王宮騎士団の黒帯―――つまり王家の専属騎士になる自信があった。
彼にははっきりこれだと言える特技がある。
それは物を自在に操る力。
すなわち『念動力』の類いである。
魔法の世界といっても念動力は体現していない。
炎・氷・雷・聖・闇の五属性と治癒魔法の計六種類は、魔術ギルドが定義した基本魔法である。そこに廃れてしまった古代魔法の風属性と土属性もあるが、現代では一般的に扱える魔法は大きくわけて六種類だと言われている。
魔法の発動には血脈に流れる魔力を外界へ放出し、それを『結晶化』させる必要がある。結晶化した際に、その場に顕現するのが魔法というものだ。
だから、元々そこに在る物を動かすような魔法など、特殊な力と呼ばざるを得ない。
ペレディル卿は物心ついた頃からそんな特殊な力『念動力』を使えるようになっていた。
その特異魔法に名前はない。
無詠唱魔法に代表されるこれら特異魔法の命名権は教会が有していた。
例えば、王宮騎士団の面々が扱う『不死鳥の冥加』、『悪魔の証明』、『磨礪の幻影』など。
それらもメルペック教会本部の大司教の洗礼を受けて名づけられた。
ペレディル卿も今回の黒帯選抜戦にて必ずや第七王女の専属騎士となり、この『念動力』に名前が付けられると期待していた。
騎乗にも剣術にも自信があった。
人に堂々と言える特異魔法もある。
優勝候補であることは間違いない。―――地元の有数貴族からもそう応援されて王都へと辿り着いた。現に、パインロック家が居を構える西方エマグリッジ地方からはもう一人、王宮騎士団に成り上がった男がいる。
半獣半人の痩身男ボリス・クライスウィフトだ。
クライスウィフト家は西方の魔術師家系だ。騎士家系でもない家が獣人族と契りを交わして生んだ子どもを黒帯に成り上がらせた。
クライスウィフトは強かな女系一族。
魔術師としての血の繁栄を望み、犬系統の獣人族の長に娘を嫁がせたり、東方の魔術師貴族オルドリッジ家へその妹を嫁がせたりと、上手い立ち回りで顔を広げていた。
そんな環境で、パインロック家が受ける圧力も相当なものだった。
だからペレディル卿も、何としても黒帯にならなければならない。
いかなるルール違反を犯したとしても―――。
―――空砲が鳴る。
対峙するのは、北方クダヴェルは騎士貴族ルイス=エヴァンス家の跡取り息子ランスロット。彼は幼少期のトラウマで凶器が扱えないと聞いている。
ならば、馬上試合においてもペレディルが負けることなど在り得ないと思った。
「覚悟はいいか、ルイス=エヴァンス! 君は随分と甘やかされて育ったと聞いているぞ」
「関係ない! 僕も必死に修行したんだ」
「そんな簡単に強くなれると思うな! 英雄譚の主人公にでもなったつもりか」
両者、馬を蹴って大地を駆けた。
双方で迫り合えば一瞬のことだ。
ペレディルは余裕の表情で、相見えた。
しかし、その刹那、多少の不安が過ぎったのである。
……その不安の正体は何なのかは分からない。ランスロットの気迫ある前傾姿勢を見て怖気づいたわけではない。
"―――英雄譚の主人公にでもなったつもりか"
それは自分自身に向けられた言葉。
ペレディルは自分の悲運に満ちた人生が、そして姑息な勝ち上がり方が、どうしても好きになれなかった。物語の主人公はいつだって誠実で、正統派で……そんな生き方にペレディルも憧れていた。
そう成れなかったのは家柄もあるし、周囲の環境もある。
どんな状況でも勝ち残れなければいけなかった。
だから卑怯な手を使ってでも勝ち上がってきた。
その偽りの栄光を補えるほど、実力にも自信があったのだ。
―――だからランスロットのように真っ直ぐな男は、見ていて虫唾が走る。
親に甘やかされて育った。
田舎者でのんびり過ごし、勝ちにこだわらずに生きてこれた。
だからそれほど真っ直ぐ生きていけるのだ、と……。
「ハァ!」
ランスロットが剣を振り被る。
その構えにはまだ未熟ささえ残していた。
そんな教本通りの剣技で、このパインロック家随一の剣の使い手に抗おうという低能ぶり―――ここで斬り伏せて現実を突き付けてやる。
だが……。
―――ヒヒィン!
対戦相手の馬が嘶き、ランスロットを振り落とした。
また、勝負から目を背けてしまった。
ペレディルは卑怯な手を使った。
彼が物心ついた頃から共に生きてきた『念動力』。
場外に忍ばせておいた食事用の銀製ナイフを『念動力』を使って撃ち放ったのだ。それを相手の馬へと突き刺し、脅かして落馬させる。
こうして、弱さを認めながらも正々堂々立ち向かったランスロットが敗北し、強さを過信して勝つための手段を選ばなかったペレディルが勝利した。
――そう、これでいい。
ペレディルはそう自分に言い聞かせた。
「君では黒帯に相応しくない。脇役は大人しく田舎暮らしでもしていろ」
念を押してランスロットに暴言も吐き散らす始末。
それは八つ当たりにも近い負け犬の遠吠えだった。
言い放った後、彼は目を背けた。
姑息な勝利からも目を背くように……。
○
そんなペレディル卿にも天罰が下るような出来事が起きた。
なんと、順調に勝ち進んでいた騎馬戦だが、途中で中止となり、黒帯の選抜はお流れとなってしまったのだ。
新たに発覚した姫君が王宮から逃亡したという騒ぎに加えて、既に国王陛下が考える騎士候補も存在していたというのだ。
ペレディル卿は呆然自失とした。
何のために王都まで来たのか。
どういう心情で勝ち抜いてきたのか。
そして西方の貴族たちにどう顔向けすればいいのか。
タイミングが悪かったと言えばそれまでだ。ペレディルの実力不足で選ばれなかったわけではないのだから。だからこれは不可抗力によるもの。
――しかし、何と言い訳しようとも黒帯になれなかったのは事実である。
そんな生易しい世界ではない。
ここでただで引き返そうものなら、パインロック家から勘当される可能性さえある。西方ではクライスウィフトが羽振りを利かせ、パインロック家も没落気味にあることは間違いない。状況は北方のルイス=エヴァンス家と同じなのだった。
やはり魔法至上主義の世界……。
騎士家系など、もはや廃れる運命なのかとも実しやかに囁かれていた事である。誰がこんな魔法ばかりの世界にしたのだろうか。人類史において、最も魔法を発展させた稀代の魔術師はかの有名な『エンペド・リッジ』だ。
だが現代、稀代の魔術師として名を馳せたのは『イザイア・オルドリッジ』という男だと云う。
こんな時代なのだ。戦士たちからオルドリッジが憎まれても仕方ない。
―――ふと、ペレディル卿はその名を心で呼んでしまった。
それが『黒い粘性の魔力』に感知される引き金となってしまったのは、ペレディル自身も予想だにしなかった。
…
中止を告げられた闘技場内の選手控室で、鎧を乱暴に脱ぎ捨てた。
彼は自棄になっていた。
そんな様子を見せる挑戦者はペレディルだけではない。他の挑戦者も一緒だった。広い控室でも挑戦者同志が不平を募らせて会話していた。
「こんなのあんまりだぜ……」
「まったくだよ。俺なんかアザリーグラードから高速船を乗り継いで王都まで遥々きたんだぜ……カンパしてくれた冒険者仲間たちにどの面下げて会えってんだよ」
「よし、いっちょ王様に直談判にいこうぜ! こんな理不尽はありえねぇ!」
そんな会話を聞いていて、小馬鹿にするようにペレディルはふっと笑った。
冒険者だと―――そんなもの、数日後には馬鹿騒ぎして忘れているに違いない。体一つで何度だってやり直せる職業だ。
ペレディルと背負うものの大きさが違って、馬鹿馬鹿しく思えた。
だがその笑いは次第に、自嘲に変わっていった。
所詮は黒帯になれなかった者同士だ。いくらその中で馬鹿にし合おうが、自分自身の傷を抉っているのと同じこと。
ペレディルは情けなくなって耳を塞いだ。
「―――あー、ペレディル・パインロック。この中にペレディル・パインロックはいるか?」
耳を塞いでも自分の名ははっきりと聞こえるらしい。
戸口の方を見やると、騎乗戦の主審と思しき男が立って、選手リストに目を向けつつも控室を見渡していた。
「私だ」
卑屈になっていて声も張りあがらなかった。
緩慢な動作で起き上がり、主審のもとへと歩いていった。
「あぁ、確かに君だな」
主審はペレディルの出で立ちを上から下までなぞるように目を向けた。
鍛え方は貴族らしいものだ。騎士家系らしく、腱骨隆々とはしているが馬鹿のように体だけを鍛えているようではない。剣術を鍛えて腕っぷしはしっかりしているが、体力作りが不十分なようで足腰はそれほど逞しくはなかった。
くせのある栗色の髪を長く伸ばし、両頬に這うように横分けにしている。
典型的な爵位持ちの男性の顔つきだった。
「試合を見届けていた王宮騎士団の黒帯陣から勧誘の声がかかった。君は才能を認められ、王宮騎士団に入団する資格がある」
「………」
そういって主審の男は用意された証紙一枚を乱暴にペレディルに渡してきた。
その紙には「王宮騎士団 資格受領証明書」と書かれていた。この証明書は、いわば王宮騎士団の資格を得たことの証明。
これで実際に騎士団となれば、王宮から正式な資格証が貰えるのだ。
「おい、勧誘だってよ」
「羨ましいぜ……! やっぱりこういう時でも認められる奴は認められるんだな」
周囲から囁き声が耳に届く。
それをペレディルは虚無感の中で聞き流していた。
―――何も嬉しくなどない。
ペレディルは黒帯にならなければならない。
これではただの白帯・茶帯止まりだ。
黒帯となって王家の血を引くもの――将来的には王侯貴族となる者と顔を繋げなければ意味がない。王宮騎士団の白帯や茶帯は、ただの王宮の兵士。使い捨ての駒に過ぎない。
任務は宮殿の見回りや王城周囲の警備など。
王家と直接話すことなど、ほとんどないのだ。むしろこの資格を持って一度入団してしまえば、黒帯となる道は潰えると言っても過言ではない。
呆然自失なままペレディルはその紙を受け取り、ふらふらと闘技場を後にした。与えられた単なる騎士団の入団資格はペレディルの無力さを助長させた。
○
ペレディルはその紙を破り捨てようと思った。
自分には意味のない名誉だ。
王都の郊外へと向かい、黎明の森の中の切り株で腰を下ろす。彼は卑屈になっていた。西方エマグリッジとは反対の、この黎明の森に向かったのは少しでも実家から遠ざかりたくなったからかもしれない。
そんな心境の中、証書を破り捨てられず、しかし己が認められた証拠にはなると思って破り捨てられず、ただ悶々と紙に書かれた文言を読み返していた。
卑怯な手段を駆使しても、ルール違反をしても、自分の理想を捨ててでも、勝ちにこだわった結果がこれだった。
誰を攻められるわけでもなく、残されたのは勝ち上がれなかった不甲斐ない自分自身と、理想を裏切っても勝利を手に入れられなかった悲惨な自分自身。
なぜこうなったのか。
そもそも私はなぜこんなにも圧力を感じて生きてきたのか。
騎士家系だからか。
魔術師家系に生まれていればまた違う人生が待っていたのだろうか。
魔術がなぜここまで繁栄したのだろう。
やはり、イザイア・オルドリッジが引き金に……。
「―――やレやれ、確かにあんタの言う通りだ」
突如として聞こえてきた暗い声に、びくりと体を震わせた。
その声は子どものように高くも聞こえたし、悪魔のささやきのように低くも聞こえた。
その異様な声に戦慄した。
周囲を見渡しても何もいない。
ただ森に住む鳥が、黒い翼を羽ばたかせて飛んでいった。
「あんタのその悲運……すべテはイザイア・オルドリッジが引き金だ……」
「誰だ!?」
ペレディルは別に何も口にはしていない。
心でその名を考えただけである。
だというのに悟られたことに不安しか感じえない。
「僕が手伝っテやろう……あんタの願いを叶えてやルよ、クックック……」
ペレディルが辺りを見回すと、木々の間から怪しい青年がゆったりと這い出てきた。
背を大きく曲げて俯き加減だった。襤褸の外套を羽織り、明らかに怪しい出で立ちだ。目深に被ったフードに、顔は隠されている。
隠されているどころか、全身から漂う漆黒の魔力がヴェールとなって見えないだけだった。その漆黒の魔力が狼を彷彿とさせるように象られ、一見して犬に似た魔族にも見えた。
―――だが、ペレディルは直感的に思った。
この男は人間だ、と。
「なんだ? お前は誰だ?」
「僕はラインガルド……」
「ラインガルド?」
相手があっさり名を名乗り、ペレディルは困惑した。
「おっと……その証書は使えル。捨てるんじゃなイぞ」
ラインガルドはペレディル卿の近くまで歩み寄った。外套の袖裏へと腕を隠していて、まるでポケットに手を突っ込んで歩く悪党のような風貌だった。
「あんタを王家に取り入らせルなんて簡単なこトだ。この国の王にしてやってモいい」
「は……」
荒唐無稽なことを言われてペレディルは唖然とした。
だが、あまりに馬鹿げていてもその悪魔の囁きには言い知れぬ自信を感じた。
「僕に協力しテある男を嵌め落とシてくれればそれでいい。どうだ? 手を組むか」
ラインガルドと名乗る漆黒の魔力を宿した得体のしれない男は、切り株に座るペレディルへと手を差し伸べた。
その黒い手は、鋭く、細く、まるで鉤爪のようだ。
ペレディルは今一度、その相手を視ようとフードの奥を覗きこむ。
しかしどれほど近寄ろうとも漆黒の魔力は厚く男の顔を覆い、様子を窺い知ることはできなかった。
迷いの胸中で、手を少し差し出そうと躊躇った。
このまま故郷に帰っても実家から激しい叱責を喰らうことは分かっていた。家柄がすべてで生きてきたペレディルにとって、それはとても辛い日々になるだろう。
―――自棄になっていた。
ペレディル卿がまだ完全に手を取ってもいないのに、ラインガルドは乱暴にその手を掴んだ。
手は鋭利で鉤爪のようではあるが、表面はとてもねっとりしていて粘り気を感じる。包み込む黒い魔力自体が、まるで気味の悪い泥のようだった。
次の瞬間……。
「あ―――」
「クッ……クックック……ハッハッハッハ!!」
黒い泥が腕を介してペレディルの腕を這う。
それに纏わりつかれるに連れて、体に激痛が奔り、熱が滾り、頭が爆発しそうになった。
「アアアアアアッ!!」
激痛。熱発。内側から炸裂するような不快感。
そんなものに襲われながら、ペレディル・パインロックの心の闇は増長されていった。それは自分が背いてきた理想、裏切られてきた理想を掻き消し、心地良ささえ感じさせた。
背徳的な快楽が、ペレディルを襲う。
―――勝てばいい。
―――勝てばいいのだ。そんな理想も取るに足らない下らないもの。
背負ってきた運命さえも乗り越えさせる劇的な負の力がそこにあった。
やがてペレディル・パインロックは完全に黒い泥に覆われた。そこにいるのは黒い粘性の魔力を纏う、ペレディル卿だった何かだ。
エンペドの配下が、ここに一人増えた。
――これはエンペドが残した復讐の序曲。
ペレディル卿にはそんな組曲の最後を彩る華やかな舞台を用意してやろう。イザイアを殺し、国取りで幕を締める。完膚なきまでに奴を殺してくれる……。
狂人の笑い声が黎明の森に木霊した。
実は、犬耳男ボリス・クライスウィフトと主人公ロストは母方の従兄弟同士という設定です。母親ミーシャの旧姓はクライスウィフト。
※次回更新は3月5日(土)の予定です。
第4幕第2場はパウラさん、ケアとともに教会本部へいくところからスタートです。お楽しみに!




