◆ 大人の恋愛トーク
女二人が酒場で語り合うだけ。
王都の歓楽街。
商業区とは中央通りを挟んで反対に位置する華やかな世界。
夜更けまで王都で暮らす市民が溢れ、賑わいを見せる。
ほとんどの客層は庶民だが、貴族もお忍びでこの歓楽街一帯を訪れ、高級な酒場へと向かうことがある。職業的に身分が高い者も―――。
今も歓楽街の奥まった路地裏にひっそりと佇む店に訪れた女性がいた。
そこは王侯貴族ご用達の高級店だ。
庶民はこの店の存在は知らないし、そもそもお代が払えない。
女性は旧来の友人の姿をカウンター席に見つけると、真っ直ぐ歩いていった。夜遅くだというのに背筋を張り、まったく疲れた様子を見せていない。背は高く、ジャケットスーツを着こなす様は雄々しささえ感じさせた。
「早いな」
「あら、カレン。貴方こそ早いわ」
高級店に訪れたカレンは、イルケミーネの陽気な姿を見て溜息をついた。どうやら一足先にやってきたイルケミーネは既に飲んでいたらしい。
待ち合わせの時間の三十分も前に来たというのに、おそらく彼女はそのさらに一時間くらい前からこの店に居座っているようだ。
他に客はいない。
高級店ということもあってそもそも客足も少ないのだ。
カレン・リンステッドとイルケミーネ・シュヴァルツシルトは古くからの親友だ。お互い忙しい身となり、久しぶりに顔を合わせたこともあって一緒に酒を興ずる約束をしていた。
カレンもまた東方バーウィッチへと帰り、官庁の公務や魔法学校の医務に勤めなければならない。
今宵はお互いが顔を合わせる最後の日だった。
「まぁまぁ、気遣う仲じゃないんだし、別にいいでしょ?」
「まぁな」
イルケミーネは飲み進んだグラスを振って愛想を見せた。
カレンもそんな彼女の様子を見て、肩の力も抜けるのである。
……落ち着いて顔を合わせる最後の日になろう。
お互いの近況や次に顔合わせするまでの抱負なんかを語らい、楽しく羽目を外す。
夜遅くまで飲み騒ぎするのは力仕事ばかりしている職人気質の男や冒険者あがりの野盗だけではない。女も仕事や日頃の生活だけでストレスも溜まるもの。
鬱憤晴らしに酒をかっ喰らうのだ。
カレンはイルケミーネの左隣に座り、適当な醸造酒を頼んだ。すぐさま店の主人はグラスに注いで提供する。さすがは価格の張る店というだけあって、対応の速さも目覚ましい。食器の各種もかなり高そうなものばかりを扱っている。
少し雑談を交える。
しばらく飲み続ける中で、お互いの仕事上での愚痴やら笑い話やらを披露し合い、和気藹々と二人の時間を楽しんでいたところ、少し酔いも深まって感傷的になったカレンがぼそりと呟いた。
「ミーネは何も変わらないな……」
それは様々な意味を含めての言葉だ。
仕草や考え方もそうだが、見た目的なものもある。
シュヴァルツシルト家は代々童顔の家系だった。
父親のアンファンは四十を迎えても青年のように若々しいままだった。弟ももう十五になるというのに少年のようなあどけなさを残している。
イルケミーネもまたその遺伝子が色濃く受け継いでいた。
もう二十八歳にもなるというのに、初対面にはまだ十代に見られることがある。
本人もそれで得した事もあるし、損した事もある。
得してると言えば、学園都市に暮らしてると学生によくナンパされて、ご飯を奢ってもらったりすることだろうか。損してると言えば、≪家庭教師≫のアルバイトで貴族の屋敷に行くとたいてい小馬鹿にされる事だ。
しかし、性格や礼儀正しさから年齢以上の歳に見られるカレンからすれば羨ましいことこの上なかった。
「そんなことないわよー……カレンだってずっと綺麗なままじゃなぁい」
「ふーむ。最近はなんだか自信がなくなってきたな」
「うえぇ? ―――あ、そういえば前に話してた人とはどうなったの~?」
銀髪の魔法使いは既に相当酔っていた。
もしかしたらカレンが到着する前にはかなり飲んでいたのかもしれない。
呂律も回らなくなりつつあった。
「あぁ……それなんだが、どうも望み薄のようだ」
「ふぇ!? なんでよ~……カレンはこんなに可愛いのにぃ」
ついには頬を抓りだす始末。
カレンはその手を煙たそうに叩いてあしらった。イルケミーネが飲み過ぎるとこうなる事はよく知っていたし、その対応にも慣れていた。
「どうも向こうには意中の相手がいるらしい。片田舎の宿屋の娘の話をよく聞く」
「宿屋の娘~? なによそれ。カレンを超える女なんて早々にいないんだからぁ……」
イルケミーネはさらにグラスの葡萄酒をぐいっと飲み干してさらにおかわりを頼んだ。その様子を見てカレンも「おいおい」と止めに入ろうと思ったが、今日くらいは思う存分飲んでもいいかと思うと止める気もなくなった。
それに酔いに任せて、色々と愚痴りたいと考えているのはカレンも同じなのだ。
―――お互いもう良い歳だ。
この国の女性はだいたい二十前後には婚期を迎えて結婚してしまう。
獣人族の中には十二、三程度で結婚してしまう者もいるし、長年生きるエルフや魔族は五、六十から百歳で結婚する者もいるから一概に年齢では言えない。
少なくとも人間族の中で平均すればの話だ。
だから人間族である二人は、二十八ともなれば行き遅れと揶揄される。
カレンも仕事の傍ら、結婚を意識しているものの、なかなか良い巡り合せがなかった。
そんな中、一年ほど前に魔法学校に就職してきた冒険者あがりの男のことが気になっていたのだ。
第一印象では理屈屋で、ねちっこい性格――所謂、魔術オタクっぽい印象で嫌悪していたが、しばらく仕事を共にしてみると中々に良い男であることが分かった。黙っていれば美丈夫だし、それに意外だったのは、戦闘能力が高いことだ。
魔術師の素質もあるし、それに加えて強い――。
後々知ったことで驚いたのが、冒険者の中では名の知れたパーティー出身だったらしい。それが独身とも判れば、気になる存在になっても無理はない。
「カレンはその男のどこに惚れたのよ」
「そうだな……。ナヨナヨしてるようで意外と器用なところか。問題解決能力が高いし、ここぞという時に魅せる男らしさも良い」
カレンは遠い目をしてバーウィッチで暮らすその男のことを思い出した。
「あとはよく彼は袖を捲ってるんだが、意外と二の腕が逞しい。あれは堪らんな」
「ふ……筋肉と意外性ね。にひひ、カレンもやっぱり変わらないわねぇ?」
イルケミーネは悪戯っぽい笑いを見せてカレンの顔を覗きこんだ。その仕草を見て、やはりミーネは相変わらず子どもっぽいなと改めてカレンは思うのだった。
「そんなに好きなら帰ったときに思い切ってアプローチしてみたら~?」
「そっ、そういうのは苦手なんだ……!」
「にひひ……」
イルケミーネはカウンターテーブルに両腕を付いて、顔を下げた。そうして照れるカレンの顔を覗きこんからかっていた。
「そういうミーネはどうなんだ? 顔が広いんだから相手も見つけやすいだろう」
矛先を向けられたイルケミーネは眉を曲げた。
そしてテーブルに項垂れて流れるような銀色の髪もだらしなくテーブルに押し広げる。
「私も出会いなんてないですよーだ……」
「そんなわけないだろう。貴族の家によく出入りしてるんだから。王侯貴族とも繋がりがあるし。ミーネも外国の貴族の出なんだから、色んな男から声がかかるはずだ」
「全部仕事だもん~……そういうので出会っちゃうと逆に無理……」
宮廷教師として宮殿を出入りし、家庭教師として貴族の家に出入りし……そうこうして仕事に忙殺されているうちに婚期を逃してしまった。落ち着いた今ですら父親の葬儀やら弟の面倒やらでそれどころではない。
イルケミーネは突っ伏したまま、さっきの陽気な雰囲気から一変させて、暗い口調になった。
「私もそろそろなー……良い出会いがないかなー……」
カレンもお互い様の話で、何も助言できる事はなかった。
お互い酒に酔いしれ、少し暗い雰囲気になる。明るく楽しく会話した後はこういう神経質な時間も必要だと感じていた。
馬鹿騒ぎして、会話が落ち着いたら真剣な話をして酔いを覚ましていく。
そんなやりとりもまた癒しの一つだ。
年々、傷の舐めあいのような形になっているのは二人とも自覚はしていたが――。
「私、リードしてくれる人がいいな……」
「そうだな。ミーネにはそういう男がよく似合う」
イルケミーネは優秀だった。
優秀ゆえに昔から頼まれごとばかりされてきた。
十歳のときには飛び級で魔法大学に通っていた。
十五歳には卒業して、もう働き始めたのだ。
学者なら誰もが憧れる宮廷教師になり、仕事も精力的だった。
だがそうやって背伸びをしているうちに、安らぎを与えてくれる存在がいないことに気がついた。普通の女として男に寄り添い、甘えたことを言う暇がなかったのである。
だからこれから魔法大学へ行って色んな出会いをするだろうエススを羨ましく思う。
「子守ばっかりだな~……はぁ……」
「……」
カレンは友人のその様子を見て申し訳なく思った。
エスス王女殿下のこともそうだが、ロストの子守も押し付けてしまったようなものである。
「すまないな。ロストも結果的に学園都市へ行くそうだし、私がミーネに押し付けてしまったようなものだ」
「あぁ……ううん。あの子は大丈夫でしょ。力だけじゃなくて心も強いよ」
「鑑定したのか?」
「いや、そうじゃなくてね―――色んな子どもを見てるから何となく分かるんだ。あの眼は相当"強い"……きっと、本当に辛いことをいっぱい経験してきて、それを乗り越えてきたんだって感じるよ。剣術とか魔力が強い子って、心が未熟だったりする子が多いのに……」
「どうかな。私から見たらまだまだヒヨッコだ」
「あはは。カレンほど強くはないかもね」
そこで再び会話は止まってしまった。
"心の強さ"という話題になり、二人とも出会ったばかりの頃を思い出してしまったのだ。
感傷的になり、店内は静まり返った。
他に客もおらず、店の主人がグラスを磨く音がひっそりと響く。
「まさかとは思ったが……それが白の魔導書だったのか」
店主に聞こえないよう、声を小さくしてカレンはイルケミーネの足元に置かれた革製鞄を差して囁いた。"心の強さ"から"白の魔導書"の話題へと移ったのは、二人の出会いがその魔導書のお導きによるものだったからだ。
「そう……白の魔導書は治癒魔法の原典だからね。カレンが『豊穣のゲーボ』の刻印を宿すきっかけもこの鞄だったもんね」
彼女らの出会いは悲惨なものだった。
新米の宮廷教師となって数年経ち、家庭教師として貴族に招かれて国内のあらゆる地方を転々とする旅の道中、イルケミーネはカレンと出会った。
それは白の魔導書を国王に託された後の事だ。
野盗の襲撃を受けた村で、カレン・リンステッドは発見された。
村人は全滅。
カレンは両親に守られるような形で倒れていた。
まだ若かったイルケミーネは危険も省みずに村へ踏み入り、生存者を探して回ったのだ。だが、焼け放たれた村の中に生存者はいなかった。
誰一人として息をしておらず、それはカレンも同様だった。
胸も刃物で突き刺されたのか、大穴を空けて既に絶命していた。
―――しかし、幸いにもカレンだけは両親に守られる形で灰になっていなかった。他の村人は黒焦げだったが、その少女だけは綺麗な形で死んでいたのである。
イルケミーネは封印していた『白の魔導書』から純白の魔力が漏れ出していることに気づき、一時的に封印を解いた。
それから起こった奇跡に当時のイルケミーネも目を疑った。
白の魔導書から漏れる純白の魔力はカレンの遺体を覆い、蘇生させた。
―――既に死んでいた者を生き返らせたのだ。
「懐かしいね……」
「うむ。胸元の刻印を見るたびに当時を思い出すよ」
蘇生したカレンの胸元には『白の魔導書』の表紙にも刻まれた『ゲーボ』の刻印が宿された。それからカレンは治癒魔法ならたいてい使いこなせるようになった。心の傷は癒えなかったが、一度は死んだ身だと思えば次第に前向きに考えられるようになっていた。
そしてその力を使って、今の優秀な治療師となった。
戦いにもこの治癒魔法を取れ入れている。
治癒魔法によって支えられた人生だ。命の恩人であるイルケミーネにも、恩返ししていかなければならないと常々考えていた―――。
「だからな、ミーネ。もし婚期を逃しそうになったら私が死に物狂いで相手を探してやろう」
「えへへ、カレンに心配されたら私もおしまいだわ」
「ふっ……次に話すときにはお互い相手が見つかっているといいな」
「そうねっ」
そうしてお互い笑い合って夜も更けていく。
恋愛するよりも恋愛話に花を咲かせていた方が楽しいのだと二人とも感じていた。大人の恋愛事情は複雑だが、話してしまえば単純なものだと二人とも知っていた。
そろそろお開きか、というところでカレンは思い出した事がある。
真面目な話だが、気になっていた事だ。
「そうだ。忘れないうちにこれを預けておく」
「なによこれ」
カレンが懐から取り出したのは小さな小瓶だった。
硝子の蓋で密閉され、厳重に封がされている。
そこには黒い粘性の高そうな液体が収められていた。
「王都へ来る途中に不思議なことがあったんだ。この黒い魔力を纏ったコボルド二百体余りに襲われた」
「コボルド二百体?」
「多いだろう?」
「確か、群れを成す種でも社会性はないはず……本当にコボルド?」
「あぁ」
「これは闇属性の魔力かな……それにしては何か、黒すぎるわね……」
イルケミーネは小瓶を受け取り、目の前で注意深く観察してみた。
酔ってるとはいえ鑑識眼は狂っていない。
酔いも多少は覚めてきた。
「粘性もあった」
「うーん……初めて見るわ。闇の魔力も黒とは言え、実際は"濃い紫"に近いからね。これは純粋に真っ黒」
「魔法大学でアリア・フリーの魔力も調べに行くのだろう。気になるからこれも調べてみてくれないか?」
「いいよ。私も気になるし」
そんな気楽なやりとりで、イルケミーネは小瓶を授かった。
―――粘性のある黒い魔力。
それは不穏の象徴だ。
黒とはすべてを飲みこむ色。これに支配された者は心の闇を増幅させ、その在り方を変容させる。発生源は、このときまだ誰も気づいていない……。
それは、あらゆる憎悪の連鎖が招いた怪物が放つもの。
まだ復讐劇は始まったばかりだった。
三角関係の図 カレン→ドウェイン→ナンシー




