Episode128 宿場街での再戦
宿場街の、そこそこ良い宿で泊まることになった。
今の俺は金持ちだ。
金に糸目はつけなくてもいい。
でもそれは無駄遣いしていいってわけではない。シアはその辺をしっかり弁えているのか、なるべく低価格で質の良い宿を選んでくれていた。
窓から覗く景色には、夜の街灯が彩る賑やかな歓楽街が窺える。
さらにその奥に映るのは白銀色に輝くメルペック教会本部の大聖堂だ。
素晴らしい。
こんな一等の部屋を取ってくれたというのに、シアは機嫌がとても悪い。理由はだいたいわかっている。俺がエスという子どもを連れてきたからだろう。王都に来て、誰にも邪魔されずに二人っきりで過ごせる夜を逃してしまったのだ。しかも宿まで用意してくれたんだから怒るのも無理はない。
でも、これからいつでも二人でゆっくり過ごせるわけだし、そんなに機嫌を損ねることもないような……。
「ロスト……ボ、ボクは一人で寝るよ」
遠慮がちに部屋に入ってきたエスは、窓辺に立つ俺に背後から声をかけた。ご覧の通り、エスもシアの怒りの雰囲気を察したのかこんな風に気を遣ってくれている始末。
「いや、そんな気にしなくていいよ。あいつが勝手に機嫌損ねてるだけだし」
「でも彼女さんと一緒に過ごした方がいいでしょ。ボクなら一人部屋でも大丈夫だから、さ……! 気にしないでっ」
「そうは言ってもな。万が一、あの修道士の連中が夜に奇襲でもかけてきたら危ないだろ」
やたらとオドオドしている。
リナリーの同級生のパトリックくんを思い出す。彼ほど悲鳴を上げまくることはないけど、もっと男は堂々としていないと格好がつかないだろう。まったく軟弱な男はこれだからな。
それに、エスはいつまで鎖帷子で過ごしてるつもりだろう。
もう夜だし、宿部屋の中だし。
そう言う俺もまだ旅人衣装のままだった。
豪快にフード付マントを脱ぎ捨て、上着も脱ぎ捨てていく。
もうこのまま寝間着に着替えよう。
「その胸……」
俺の胸元に脈々と奔る血管。
その中心には魔道具"Presence Recircular"。
指環が胸の中心で融合しているんだ。
初めて見たら当然驚くだろう。
気にせず俺は下の方も脱ぎ捨てていく。
下着だけ身に着けたまま、荷包みから寝間着を引っ張りだした。
「ひぃ……」
エスは俺の肉体が恐ろしいのか、唯一覗かせていた目元も手で覆ってしまった。
なんか反応が面白い。
俺は全身の筋肉をぎゅっと絞ってみせた。
ぐいっと音を立ててバキバキの筋肉が浮き立つ。
昔見たアルフレッド以上の筋肉は手に入れたつもりだ。まぁ、これは女神によって弄られた魔造の肉体だから自分で手に入れた訳じゃないし、反則みたいなものだけど。
「どうだ。男ならこれくらいの筋肉は付けた方がいいぞ」
手に入れたものは手に入れたもの勝ちだ。ちゃんと筋トレはしてるし、魅せつけるくらいは許してもらえるだろう。指の隙間から覗くエスの目元が真っ赤に染まってるのが見えた。
少しは自身の軟弱さも感じ取ってくれたかな。
これを機に、エスも筋肉を鍛える習慣を身に着けてほしいものだ。
―――というか、この少年は一体どれくらいのモノを持ってるんだろう。もしかしたら脱いだら凄いんです系の男の子という可能性もある。
エスの体に興味が湧いた。
「おい、いい加減、お前も脱げよ」
「え?」
「そんな格好で寝るわけじゃないだろ?」
「い、いいよ。ボクはこのまま寝るのが好きなんだ」
「そんな鎖ジャラジャラの格好でか?」
「うん……!」
「汗ばんで寝苦しいことになるぞ」
「そそ、そういうのがいいの! 汗かいて寝たいなーと思って」
「そうか―――」
俺は視線を下げて、一瞬納得したように見せかけた。
「―――隙あり!」
すっと動いて、さっと鎖帷子を掴む。
そして一気に服をたくし上げた。
ふっふっふ、甘いな。
どうせ俺の筋肉を見せつけられて自分の体を見られるのが恥ずかしくなったんだろう。そんな遠慮し合っていてはいつまでも仲良くなれない。せっかく知り合ったんだし、もっと仲良くなりたい。裸の語らいでもしてな。男同士なんだし、気遣う必要もないだろう。俺は結構エスみたいな子どもは好きな方だ。昔の自分と重なるし、何より反応が面白い。
だいたい、どんな体かは予想はついている。
抱きかかえたときはふにゃふにゃの柔らかい感触だったんだ。
それはそれは貧弱な体をしてるんだろう。
「ひゃぁぁああ!!」
鎖帷子頭巾服を盛大に脱がした。
ついでに鎖帷子のスカートごと剥ぎ取る。
残されるのはタイツだけだ。
黒タイツに上裸の状態で、エスは転んだ。
―――ばさりと舞い上がるのはエスの純白の長い髪。
こけた拍子に全身が露わになる。
白い肌。戦場などとは無縁な体だ。都会で育った軟弱な体。
それがとても艶めかしく映った。
色気を感じるほどに腰もくびれていた。
さらには胸。
胸も二つの双丘がしっかりと膨れ上がり、シアのそれよりも確実に大きさはある。
舞い上がった純白の髪は顔にかかり、真っ赤に染まる頬が強調されていく。瞳は青く、潤んでいる。涙目となって俺を見ていた。顔立ちはとても整っていて……いや、整い過ぎていてまるで人形を見ているかのように可愛かった。
そう、エスは可愛かった。
子どもとして可愛いわけではない。
俺の目には女の子らしさが栄え栄えと映っている。
どうやらこいつは女の子だったようだ。タイツ越しに見えるのは女性用の下着。おっぱいもある。腰のくびれも、尻の膨れ上がりも、全部が全部、女であることを主張していた。
しかも改めて見ると、どう考えても同年代くらい。少女としてのあどけなさとわずかな色気も残している。そんな少女と俺は半裸の状態で、見上げ、見下ろし、視線を交えていた。
「うわぁああああああっ!!」
悲鳴を上げたのは俺だった。
特大の声が宿中に響き渡る。
その後すぐにシアが駆けつけ、絶叫の最中に張り倒されたのは言うまでもない。
○
なんてことをしてしまったのか。
俺のやったことは婦女暴行の域である。
しかし、情状酌量の余地はある。エスは自分が女であることを隠していたんだからな。男だと勘違いしている俺に間違いを指摘することもなかった。
そう、これは不慮の事故だ。
俺には女の子の裸を見ようなんていう意図は微塵もなかった。
事故だったんだ。
「………」
だからもう怒るのはやめて仲直りしませんか、シアさん。
そんな怖い目で朝食を食べるのは止めてさ。
あの後、当然のように部屋割りは変更された。
俺が一人部屋で寝ることになり、シアとエスが二人で寝ることになったのだ。
俺はもちろん顔面が痛くて寝られなかったが――。
そして一人部屋に残されたシアの私物を見て気づいたことがある。
香りのするキャンドルや充実した着替え用品、そして手ぬぐいなどがたくさん置いてあった。これは俺の《直感》が察するに、王都へ到着したその初日からシアも心構えしていたような印象だ。
心構えっていうのは要するにアレ。
アレの準備をしていたという事である。
つまり俺との関係をもう一ステップ上げるための準備をだな……。
その姿を見せないために、シアは俺を観光に向かわせて一人で買い物に勤しんでいたようである。なんて健気な子なんだろう。
片や、俺なんて素性もよく分からない子どもを連れてきて、挙句の果てには知らないことを良い事に半裸にさせて生肌を拝むという悪の所業。
昨晩、シアはひっそりと枕を濡らしていたかもしれない。
怒って当然だ。
これも女神が仕組んだ因果の罠ということで責任転嫁できないだろうか。
―――無理だな。
都合の悪いときにだけ、女神はいなかった。
しかも《直感》の能力も女絡みに関してはさっぱり効力を発揮しない。
「はぁ……」
今は朝食の時間帯。
この宿は朝食サービスも付いていた。
三人で宿の食堂テーブルに向かい合って座る。
俺が項垂れたのを見て、エスも焦った。
「あの……ボクがいけなかったの。ロストには女であること伝えてなかったし、ほとんど顔も隠してたからっ」
「そんなことはどうでもいいのです」
「は、はい……」
エスは今は普通の服に身を包んでいる。
シアがいつも着ているチュニックとハーフパンツだった。一方でシアはバーウィッチを発つ前に買ったジャンパースカートを着ていた。これを着ているという事は完全に怒り心頭というわけでもないのかもしれない。
エスは少年っぽい格好が好きなようだが、鎖帷子を剥ぎ取ってみれば普通に女の子っぽかった。髪型も、長くて白い髪を後頭部に編み込んで短く見せているようだが、それが逆に女の子っぽさを引き立てている。
なぜ俺はこんな美少女を少年と思い込んでいたのか。
鎖帷子の擬装力は高い。
「まったく、この人はいつもいつも女の子ばかり」
シアは下唇を噛みながらそっぽを向いて呟いた。
言いたいことは分かる。
占星術師にでも見えもらえば、俺には女難の相が出るに違いない。
"――ロスト、王都の女には気をつけろよ"
人生の大先輩グノーメ様の言葉が想起される。
これは気をつけようにも気をつけようがないのでは……。
「とにかく、昨晩のことは仕方ないので不問にします」
「本当か!」
「でもエスさんは今日限りでお家に帰ってください。ご家族がいるなら絶対に心配しています。一晩だけだったとしても、どれだけ不安なことか……」
「………」
彼女の言う事には説得力があった。
シアの両親はもう何年も前に亡くなっている。大森林の小人族の村で置いてけぼりにされたシアはその日の晩どれだけ不安を募らせ、両親の帰りを待ち望んでいたか。ついにはその願いも叶うことなく、親と死別してしまったのだ……。
「うん、そうだね……ボクは迷惑かけてばっかりだ」
エスも今回の騒動でかなり反省した様子だ。
伏し目がちに吐息を漏らす。そんな様子が絵画的な造形美すら感じさせた。もしかしたら意外と高貴な身分の子なのかもしれない。
「お詫びにならないと思うけど、ボクがなんで追われてるか正直に話すよ。ボクの家の事情も少し知って欲しいんだ」
「それは、やっぱり何か悪いことをしたってことか?」
「違う! ボクはただ、自分自身の道は自分で決め―――」
エスが何か言いかけた。
それは宿屋の外から聴こえてきた喧騒でかき消される。
他の客が外を注視していた。
ガヤガヤと、皆一様に騒ぎ立てていた。
直後、勢いよく宿屋の入口の扉は開け放たれる。
そこには例の白い胴着を着て、剣や槍を構える修道士集団がいた。
「あっ……!」
エスが小さく悲鳴を上げる。
扉の先、白い集団の中に二つだけ黒い衣装が見えた。
昨日の犬耳男と赤肌女だった。
二人とも仁王立ちして宿の中を見ていた。
「今度ばかりは逃がさねぇ」
犬耳男が不機嫌そうに顎をあげて、俺を睨んだ。
朝っぱらから犬耳男は黒い胴着を肌蹴させて着崩している。
……服くらいちゃんと着ろ。
その背後には昨日の倍以上の数の白い胴着や茶色い胴着の一隊がいた。物々しい雰囲気で、各々の武器を構えて入口を取り囲んで塞いでいた。用意周到に準備してやってきた所を見ると、偶然通りかかったってわけじゃなさそうだ。
事前に居場所を突き止め、二度目の逃亡を防ぐために。
「ロ、ロスト……」
その光景を見てエスも怯えている。
まだ聞いていない。
この美少女がこんな連中に追われている理由を。
それは懺悔の言葉だったのか、秘密を打ち明ける決心だったのか。
どちらか分からない。もし懺悔の言葉だったら、ここで大人しくこの連中に捕まってもいいと思ってるのかもしれない。
でも彼女はやっぱりまだ、抗いたかったようである。
「ロスト、お願い! ボクはこんな形で連れ戻されたくない……自分のことは自分で決めたい! いつか決心が着いたらちゃんと戻るから! だから……だから、もう少し時間を頂戴!」
……そうか。
この少女も俺と同じだ。
運命に翻弄されて、その中でも抗おうと戦って、でも暴力の前に捻じ伏せられる。
無理やり連れ戻されるってのはそういう事だ。
力がなければ屈服させられる。
そんな世の中の理不尽は、俺も一番嫌いだった。
「――エス、自分で決めたら後悔はするな」
だからこの言葉だけは伝えておく。
自分で決めるということは、自分で歩いて生きていくということだ。他の誰でもない、自分自身の力で。俺はこの場でそんな彼女の背中を押してやるだけ。
後のことは知るもんか。
世話焼きをしたいわけじゃない。
理不尽は叩き潰したいだけなんだから。
「男も女も関係ない。決めたら最後、情けない声は出すなよ」
「うん……」
返事はもらった。
あとは俺もエスを信じてこの障壁を突破させてやればいい。いつかこの連中と向き合う時間を、作りだしてあげればいい。
「まだ抵抗しようってか? もう無駄だぞ。この宿場街一帯は包囲してある。多重色の結界魔法も張り巡らせた。どんな属性の魔法を使ったとしても脱出のときには遮断される。何処からも逃げられねぇ」
白い肌の犬耳男は淡々と告げる。あれは一語一句、脅し文句のつもりなんだろう。こちらを大人しく投降させて、暴力沙汰にならないように配慮している様子が伺えた。
俺は宿屋から出て、ゆっくりとその集団と対峙した。
数は五十くらいか。
整然と列を成して弧を描くように宿屋を取り囲んでいる。茶色い胴着、白い胴着は雑魚だ。数に含めなくても良さそうだ。相手は二人。
二人程度ならどうとでもなる―――。
「その程度で勝ったつもりかよ」
「あぁん―――?」
―――刹那、低く、そして駆ける。
足を動かすときは大地を踏みしめ、腰は落とす。
呼び声なんて不要だ。
隙をついて相手をねじ伏せるのみ。
あとはいつもの工程だ。
赤黒い魔力の具現化。《魔力剣》の生成。剣柄の掌握。
刹那の動作でそれを作り上げ、走りながら振り切るときには手元に剣を。
中段に構えて、振ろうとした。
それは、犬耳男が咄嗟に袖から取り出した三本の短刀で弾かれた。
相手のもう一方の手にも三本の短刀。
それが逆側から迫る。
俺はそれを頭を下げて回避する。
そのまま前宙して踵落としだ―――!
「うぉ……お……!」
男は計六本の短刀を交差させて、俺の踵落としを受け止めた。
ぎりぎりと、男は歯軋りしている。
相当踏ん張って受け止めたようだ。
「あら、真横がガラ空き―――ッ!」
俺の動きが止まった隙をつき、横から赤肌女が迫ってきていた。
得物は双剣。
女の両手から一斉に振るわれる二本の刃が俺を襲う。
男の六本の短刀を踏み台にして、体をひねらせた。
そして逆足でその双剣を蹴り払う。
「この……ッ!」
飛び跳ねた後、一度着地して姿勢を低くした。
四つん這いのような姿勢で敵二人を見定める。
正面には犬耳男の六本の短刀。
右には赤肌女の二本の双剣。
―――それが真上から同時に振り下ろされようとしている。
八本の刃。
八人分の凶器だ。
今一度、《魔力剣》の精製強度を確かめる。
俺の得物は赤黒い刃、そのたった一本。
本来であれば、数に圧されて負ける単純な目の子算。
敵からの攻撃の手は四度に分かれるだろう。
男の右手、左手。女の右手、左手。
ならば、十連撃を繰り出せば余りある。
「秘剣――――」
数の暴力も一本の得物で捻じ伏せる。
それが影真流の秘奥義。
「ソニックアイ」
ほぼ同時に襲い掛かる四つの剣戟を、俺は刹那の十連撃で弾き返した。
甲高い斬撃の音。
野次馬からは困惑の声だ。
――だが、敵二人も攻撃の手をやめようとしない。
右手と左手から一本ずつ。
左手と右手から三本ずつ。
男と女の剣筋は、ただ一心に俺のみに狙いを定めている。
降り注ぐ攻撃の数々を、俺は秘剣ソニックアイですべて捻じ伏せる。
「なんて速い攻撃なの―――ッ!」
「二人がかりでなんで全部弾かれやがるッ?!」
しかし、俺の《魔力剣》の強度もだいぶ劣ってゆく。
女の右手に握る剣を弾き返した時、ついに硝子細工が割れるような音を立て魔力剣は粉々に粉砕された。
「ふっ、獲ったわ!」
赤肌女は不敵な笑みを浮かべてもう片方の剣を振り下ろす。
腕を掲げたことで、女の胴着が羽ばたいた。
「アルフレッド流……拳闘術……!」
柄空きになってしまった手で拳を作り上げ、真っ直ぐ前に突き出す。
単なる正拳突きだ。
だけどそういう単純な攻撃が一番、効果的なのだ。
赤肌女の鳩尾に拳が喰い込んだ。
「ぐっ―――」
「ガレシア!」
男が女の名を呼び、三爪の刃が俺に振るわれた。
―――魔力の具現化。《魔力剣》の生成。剣柄の掌握。
再び逆手に剣を手にし、男からの攻撃もすべて振り払う。
「ウアァァ!!」
俺の剣戟が男の頬を霞めた。
微量の血が飛び、男は驚愕の表情を浮かべる。男の動揺の隙を突き、俺は《魔力剣》を手離し、姿勢を落として女の脚を払った。
「きゃっ!」
そのまま背中に地を付け、両腕で体を支え、空いた両足で女の胴体を蹴り上げた。
足払いで態勢を崩していたところにちょうど一撃が綺麗に決まり、赤肌女は一直線に空中へと吹き飛ばされていく。
俺はそこに躊躇することなく、空中で《魔力剣》を三つ生成。
――狙いは黒い胴着自体だ。
放出させ、女が建物の壁に体を打ち付けたところに魔力剣で打ち付けた。
あれでしばらくは身動き取れないだろう。
一対一になってしまえば後は楽だ。
背後には低姿勢で迫る狂犬。
突進に応戦しようと振り返った。
闘技場での攻撃と同じように、犬耳男は六本の短刀を俺に投擲してきた。
それを軽く躱して、《魔力剣》を生成する。
……今度は失敗しない。
「大禍斬り――」
素早く、振り切るように見せて相手の背後に。
振りきるように見せたとき、狂犬も俺の剣に応戦しようと六本の短刀を振り切っていた。
―――だが、それは残像だ。
「ドップラーアイ」
「ウガァアアアッ!!」
背中を袈裟方に斬りつける。
前面に滑り込むように倒れ、男は動かなくなった。
背中から血が滲んでいる。
周囲の白い胴着姿の連中は動揺していた。
宿屋の向かいの壁には、杭を打ち付けられたようにして項垂れる赤肌女。
通りの石畳の上には背中から血を滲ませて倒れる犬耳男。
「追っ手をつけられても困るし、全員こうなってもらうからな」
俺は今一度、《魔力剣》を手元で生成して軽く握りしめた。
取り囲む白い胴着の男たちが、脚を震わせて弱腰になっていた。
…
俺が五十の敵影を駆けまわりながら気絶させている最中、まだ朝がけの時間帯だというのに野次馬が相当集まってきていた。そして時間もけっこう経ったようで、気づけば日も高くなっていた。
「はぁ……はぁ……」
最後の一人を峰打ちで気絶させた。
さすがに疲れた。それに雑魚かと思っていたら白い胴着の男たちも意外と強かった。なかなか応戦してくるのでちょっと時間がかかってしまったのである。
「………」
野次馬も唖然として五十の屍(殺してないけど)の山々を見て、誰一人として声を発せられていない。
そりゃあ怖いだろう。
でもこれは正当防衛だ。一般人に危害は加えるつもりはないということをアピールするために、《魔力剣》を手放して霧散させた。
「エス……終わったぞ……。さぁ逃げろ」
宿屋の方を向くと、戸口付近にシアと並んで事態を見守るエスの姿があった。野次馬と同じように唖然としている。まぁ、もう追っ手もかなり減らしただろうからそんなに慌てる必要はないかもしれないが――。
「ま、待て……」
倒れ伏す白装束の集団の群れの中から、一人が声をあげて立ち上がった。
まだ残党がいたようだ。だがその男は、白装束ではなくて重鎧に身を包んでいた。もしかして関係ない人も巻き込んで倒してしまったのかも。
「ぼ、僕の名前はランスロ――――うっ」
駆けつけて頭から肘打ちを食らわせた。
それだけでまた倒れ、名乗ろうとしていた男はすぐに気絶してしまった。
鎧を着ていて交戦の意思があれば敵でいいだろう。
「ま、まだまだぁ……!」
と思いきや、またしても立ち上がった。
意外と頑丈な男だったようだ。鎧の男は重たそうな装備にも関わらず、体を震わせて気合いで起き上がっていた。ロングソードを石畳の地面に打ち付けて、体を震わせている。
まるで生まれたての小鹿のようだ。
「お前はなんだ? ここの連中の仲間なのか?」
「ち、違う……けど、そうだ!」
「どういうことだ」
「いずれそうなる!」
「いずれ?」
「そう、僕は……僕は絶対に、王宮騎士団にならなきゃいけないんだ――!」
「おぉ……」
王宮騎士団を目指す人だったのか。
それなら確かにここの連中より強いのかもしれない。怪しい集団よりちゃんとした組織を目指す者の方が日頃の修練もしっかりしてそうだ。それに根性で起き上がったのは大したものだ。
いつかはそうなる、か……。
ここの連中の仲間に。
待て待て。
いつかはこの連中の仲間になる。
王宮騎士団になる。
いつかはここの連中と同じ、王宮騎士団の仲間になる……?
ここの怪しい衣装の集団こそ『王宮騎士団』そのもの?
「え、マジか」
もう一度、周囲を見渡す。
死屍累々の数々(死んでないけど)。
「………」
つまり俺はまたやらかしてしまったようだ。
いや、でもなぜ王宮騎士団がエスを追いかけているんだろう。
王宮騎士団が大勢も派遣される騒ぎ。
エスはそれほどの重要人物か重犯罪者ということか。
"―――それが今、王家も大混乱なようだ"
"―――話題の王の隠し子、城から脱走したらしい"
「なんだこの騒ぎは?」
昨日の夕暮れ時に会話した声と、今この惨劇を目にして感想を漏らした人物の声が重なる。俺たちに引率してくれたカレン先生の声だ。
声のする方を見ると、そこにはいつもの黒いジャケットスーツ姿の女性がいた。隣には銀髪に濃紺の瞳を宿した女性も立っている。その銀髪の女性は手元に茶色い大きな革製鞄を提げている。
「イ、イルケミーネ……!!」
その銀髪の女性を目にしたエスが嬉々とした声をあげて、その女性に飛びついた。
あれがイルケミーネ氏?
そしてなんでエスが飛びつく?
シアも訳が分からないといった感じで目を瞬かせていた。
俺も訳が分からない。
誰か説明を頼む。




