Episode120 日常Ⅱ(風呂)
※混浴します
夜更けは湯船とともに。
なんとこの屋敷には俺も今まで知り得なかった『風呂』というものがある。『風呂』は白い大きな陶器で出来た器(浴槽)に湯を入れて、その器に入って体を洗う場所らしい。お湯は水魔法と炎魔法で使用人の誰かがすぐ沸かしてくれるから、場所さえ用意すれば問題ない。
『風呂』が珍しい理由は、体を洗うなら従来の水浴びで十分だから。
わざわざ魔力を消費して『風呂』を用意するよりそっちの方が手っ取り早い。俺も迷宮都市にいた頃はその辺の川で水浴びして体を洗ったものだ。
しかし―――。
「うっ………うーー……」
肩までお湯に浸かる。
一度この贅沢を知ってしまうと何故これが普及しないのだと文句を言いたくなるほどだ。
冷えた体の奥底に熱が染みこんでくる……。
それと湯気が俺の顔面を優しく包み込む……。
オルドリッジ家では『風呂』というものを先祖代々大切にし、住居を移しても必ず風呂部屋を作っていたとかなんとか兄貴に聞かされた。
しかし、何だろう。
先祖代々という言葉が妙に納得できる
不思議とお湯に浸かっていると先祖帰りをした気分になる。
俺の先祖も昔はこの『風呂』文化を楽しんでいたのだろうか。
先祖……。
先祖といえばエンペドか。
あんな卑劣で強欲な奴なんだからこの世の極楽はだいたい味わっていそうだが……。
今頃はあの世で地獄を味わっていてくれ。
風呂部屋の周囲を見渡す。
湿気が籠らないように格子窓を広く開け、空間も広い。
しっかり装飾品は飾りつけてあり、部屋の隅には戸口と視界を遮るための木製の仕切り柵がある。その上に衣類とタオルが掛けてあった。
正直、この風呂も恋しい。
王都に行ったらまた宿暮らしになるのだろうか。
いつバーウィッチに戻ってこれるだろうか。
こっちには仲間の皆がいる。でも王都に知り合いなんて――。
―――がらり。
戸口が開いたような音がしたのだが気のせいか。
湯に浸かって戸口の方を見ても仕切り柵に遮られていて何も見えない。
しばらくそちらを眺めていたら、なんと仕切り柵の上に次から次へと"別の服"が掛けられていった。誰のものか分からないが、どう見ても俺の変えの服とかではない。エプロンらしき物が掛けられたのも見えた。
「……ロストさん」
仕切り柵の奥から聞き覚えのある声が届く。
今の声は間違いなく、俺と長年連れ添った青髪ハーフエルフの声に間違いない。
「何かあったのか?」
俺が返事をすると、仕切り柵の奥から、シアが顔だけを覗かせた。
薄めの布を口元で握りしめている。
明らかに服を着ていない。
おそらく裸身であろうシアが、仕切り柵を隔ててそこにいる。
じとーーっとした目で俺を見ている。
「……な、なにをしてるんだ、シア・ランドール!」
思わずフルネームで叫んでしまう。
気が動転して、ばしゃりとお湯を叩き、後ろに仰け反った。
その拍子に浴槽を引っくり返してしまうところだった。この強化された肉体で白い陶器を破壊せずに済んで本当に良かった。
「ご、ご一緒しても……?」
狼狽しているのは俺だけじゃない。
彼女自身もだ。
極力、平生を装うようにじとーっと訝しんだ目をこちらに向けているが、頬を真っ赤に染めていて、向こうも恥を忍んでいることは間違いない。
そんな状態でご一緒しても?
どういう心理状態なんだ……。
一応、シアとはキスまではしたことがある。
でも裸身は見たこともないし、そもそも俺自身も裸だし……。
「ど、どうぞ」
拒むことはできるわけがない。
シアは既に服を脱いでいるんだ。
これで駄目だなんて冷たいことが言えるはずがない。
俺が声をかけると、シアは恐る恐る仕切り柵から姿を現した。前面は布一枚で隠してはいるものの、それ以外は素肌を晒している。
すらりとした綺麗な肢体はとても白い。
種族柄、そういう色なんだろうか。
覗かせる太ももは程よく肉付き、曲線美を曝け出していた。
だが、筋肉質でごつごつとした俺の体と比べたら、とても柔らかそうで華奢な印象がある。胸もお尻もすべて小ぶりだが、それでも女の子の裸体というだけは魔性の魅力を放っていた。
ポニーテールにして束ねた青い髪に対して、顔は真っ赤である。
全身も少し震えていた。
明らかに恥ずかしさに耐えながら、俺のもとへと近寄ってくる。
俺はまじまじ眺めるのも失礼かと思って、後ろを向いた。
ひたひたと一歩一歩、シアが近寄ってくる音が聞こえる。俺の鼓動はその音に呼応するように、どくどくと高ぶっていた。子ども時代によく使っていた自身を加速させる時間魔法のときと同じだ。
だと言うのに、シアの足音がとてもゆっくりに感じられた。
なぜ突然―――。
聞こうにも何て声をかけていいか分からない。
そもそも体が熱って言葉を忘れてしまう。
湯に長く浸かりすぎてのぼせたのか、裸のシアが迫ってる緊張なのか……。
シアがお湯を掬い、体に少し掛けた。
そして慎重に湯船に浸かり始める。
俺は背中越しにそんな様子を感じていた。
今、同じ湯船を二人で共有している。
浴槽である白い陶器は広いとはいえ、一人用に作られたものだ。だから二人で入るとわりと体も密着状態になるし、シアが吐息を漏らす様子も伝わってくる。
「………」
「……前を向いてもいい……ですよ」
恐る恐る、振り返る。
そこにいたのは布一枚で体を隠そうとして頬を赤く染めるシアの姿だった。顔が真っ赤なのは俺も同じなんだろうけど。
しかし、ここは湯の中だ。
布なんて湿ってしまえば簡単に透ける。というか透けている。胸元を少し隠しているけど透けている。シアはそれに気づいてるのか分からないが、それ以上隠そうというつもりがない。
すべて視えていた。
目の前には柔そうな白肌。
肩の上を水滴が垂れ、艶やかな肌が間近で視えた。
そしてその下の小ぶりな胸、その下の臍や、そのさらに下も――。
「………」
「………」
お互い全裸の状態で向かい合う。
この混乱を招き入れた張本人も特に喋る様子もなく、俺を見つめていた。
何か話さなければと思ったところでシアが先に口を開いた。
「実は今の私は全裸です……」
「いや、見れば分かるけど」
こうしてたまに理解不能なことを言ってみせる。
シア流のコミュニケーション術だ。
「見たのですか?」
「う……うん……」
そんな顔真っ赤にして「見たのですか」なんて言われても、逆に興奮してしまいそうだ。こんなに接近していれば無理やり視界に入ってくるんだから当たり前だ。
会話が続くかと思いきや、シアもこの状況のせいでうまく言葉が出てこないようだ。
下を向いて黙ってしまった。
その目に映るのは自分自身の体なのだろう。
華奢で、小ぶりで、そして柔らかそうな白い肌。
どう見ても綺麗だ。
「……」
「……」
今度こそは俺から話を始めてみよう。
しかし、今度は同時に声が上がった
「どうしてここに―――」
「―――王都へ行くの……?」
シアの躊躇いがちな質問からは普段の丁寧語は抜けていた。
それだけ緊張した状態のようである。
緊張しているのは俺もだ。
視線をなるべくシアの目に移して話そうと努めた。
でもどうしても首から下が気になって会話に集中できない。
シアの質問は、俺の疑問の答えだ。
先ほどの晩餐で兄貴から渡された手紙には、王様からの招聘依頼の文言が書かれていた。俺がそれに応諾して王都に行ってしまうことに不安を覚えたんだろう。
「その……俺は昔から、戦士になりたくて……」
「知ってる」
一番長く連れ添ってる間柄だ。俺が何をしたくて、どういうことを普段考えていて、将来は何になりたいかなんてシアにはお見通しだった。
でも俺の方は……。
「シアは……」
シアが何をしたいのかよく知らなかった。
今まで当然のように傍にいて、進んで何かやろうとする俺を影で支えてくれていた。
なんだかそんな自分が不甲斐無くて、今更「シアはどうする」なんて聞けない。自信を持って「シアも俺に付いてこい」なんて事も言い出せなかった。
いつもは、何かに悩んだらまず相談して聞いている。
それは今まで俺自身の事じゃなかった。
抱える諸問題に対して、どう対処すればいいか相談してきた。
でも今回は俺自身のこと。
それに、シアがどうするかなんて聞くのは、少々傲慢すぎる気がして……。
「触りますか?」
シアが突然切り返す。
突拍子もない言葉に一瞬何の事か分からなくなる。
目の前には少し顔を赤みを引かせ、火照った顔のシア。
その下は全裸だ。
「触りますかってのは、その……」
「触れるほどのものじゃないかもしれませんが」
気づけばシアは敬語に戻っている。
触るか触らないかってのはシアの体のことだろう。
「………」
再び視線は首元から下へ。
なんでいきなりそんな提案を吹っ掛けてくるんだ。
理解ができない。
俺が何も返事しないでいると、彼女は俺の腕を掴んで引っ張ってきた。
咄嗟のことに一度抵抗する。
その腕を介して、彼女が体を震わせているんだということに気がついた。
きっと怖いのだ。
俺のことが?
違う―――初めて己の体を曝け出し、尚且つ触らせようとしていることがだ。そこまでの勇気を振り絞って俺に接してこようとする意図は……。
「……私はロストさんに依存してます、多分」
掴まれた腕を引いて抵抗している最中、シアははっきりそう告げた。
彼女は俺の腕を離して、俯く。
「でも、私も連れていってくださいなんて言えません……。これはロストさんの夢だから。その重荷になりたくない……」
シアは口元まで湯に浸かり、青い髪の先も湯についた。
自信なさげに声の調子が弱々しくなっていく。
―――つまり、考えていることは一緒だったのだ。
俺もシアも、お互いに干渉し合う自信がなかった。
かといってこのままでは俺が王都へ向かい、離ればなれになる。
シアは暴挙に出て、俺と文字通り裸で語り合う場を作ったということだろう。
隙あらば、仄かな誘惑の匂いを嗅ぐわせて―――。
「きゃっ……」
俺はそんな健気なシアのことが一段と愛おしくなって、堪らず抱き締めた。優しく、華奢な体を壊してしまわないように……。
上半身だけが重なりあい、シアの滑らかな肩や胸が、俺の胸に収まる。
そんな誘惑など必要がないくらいシアは魅力的だ。
俺はずっとこの子と一緒に生きていきたいと思ったほどだ。
こんな風に勇気を振り絞って、あられもない姿を曝け出してくれた。
それを、無理にでも引き連れないでどうする。
「―――俺と一緒に王都にいこう」
今度は俺の方からはっきりと告げた。
別に、シアは裸なんて見せなくても十分可愛い。
抱き寄せて、そのまま裸身は見ないようにした。
反面、胸を通じてその心拍の音は伝わってくる気がした。
こんな全身入れ墨姿のような男に抱き締められて恐ろしくないかと心配になったが、シアはそんな俺の武骨な体を抱きしめ返してくれた。背中に手が回り、包み込んでいたはずなのに、逆に包み込まれたようにその温もりに触れる。
「……はいっ……」
シアは嬉しそうに返事をしてくれた。
そうだ、俺たちは恋人関係なんだ。
別に遠慮する必要なんかない。
最初から束縛するつもりで言ってやればいいのだ。
俺についてこい、と――。
※次回更新は2016/2/6です。




