Episode119 日常Ⅰ
オルドリッジ家の朝は早い。
この感じは懐かしい。
一階の方からドタバタと、忙しない使用人たちの朝支度の物音が聞こえてくるのだ。
書斎に閉じ込められて生活しているときにもよく聞いた。
あのときは薄い一枚のシーツにマットも置いてない固い寝台の上が寝床だった。その時に比べたら、今こうして大の字になっても余りある広いベッドは、快楽を通り越して極楽だった。
貴族ってすごい。
何がすごいって、こんな贅沢をしても惰性に溺れないのがすごい。
兄貴なんて家の中にいるというのに、寝ぼけた姿だったり髪の毛を乱していたりという姿を見たことがない。
いつも金の装飾を施した生地の堅そうな正装に身を包み、髪型はオールバック。
有力貴族の当主然としていて、我が兄ながら美丈夫だと思った。
ミーシャ譲りの線の細い顔立ちや細身の体も中性的な印象を与えてくる。
俺はなんとかその兄の油断した姿を見たいと思って、隙を見計らって当主の寝室の前に張り込み、寝る直前の姿を見納めてやろうとしたことがある。でも深夜になっても兄貴は寝間着など着ることもなく、当然のように正装姿で寝室に入っていったのである。
その後を追うようにメイドさん二人が寝室に入って、少ししてから兄貴の衣装を抱えて出てきたので、おそらく寝室で着替えをしているのだろう。
アイザイアにとっては寝室以外はもう"外"なんだ。
そんな堅苦しい生活でよく疲れないなと感心する。
育った環境の違いってやつだろうか。
といっても、まぁ俺自身も自堕落な生活を送りたくない。
実家に帰ったのはあくまで通過点だ。
過去も清算できたことだし、目標に向かって進もう。
魔性の布団を取っ払い、身を起こした。
…
適当に自室で着替えてから部屋を出る。
クローゼットを開けるときも、扉を開けるときも、慎重に力を加減する。
油断すると扉ごとぶち壊す。
今の俺の全身は、かつて右腕だけがそうだったように、浅黒く変色し、赤黒い線が何本も体中を奔っている。一見して怪物のようだが、力も怪力だった。以前の力感覚でドアノブをひねると簡単に折れるし、食事の席でグラスを取ったと思ったら握りつぶしてしまう。
母さんは俺が食器を台無しにしても、にこにこして頭を撫でてくれる。
きっとリンジーがその場に居たら度重なる俺の破壊行動を叱っていた事だろう。
どっちも愛情を感じるから悪くはないけど。
それよりも問題は見た目の方だ。
街中を歩いても怖がられる。
事情を知ってる人たちは何とも思わないけど、貿易盛んなバーウィッチの中心部へいけば様々な人が俺を怪訝な顔で見てくる。逆に、柄の悪そうな冒険者集団にスカウトされることもある。
一度、ストライド家の侍女リオナさんにメイクをお願いしに行った事もある。
あの人の変装の腕前は十歳の頃に体験済みだ。
しかし、お願いしたその日に女装させられ、「まだいけるわね」とご満悦に言われてしまった。
それからはもう二度と頼まないと決めた。
悩みながら歩いてると、あっという間に庭園の端へ辿り着く。
滅茶苦茶になった庭園の補修工事をするとき、兄貴が俺のために用意してくれた空間だ。
剣術の修練場である。
修練場といっても土砂を敷き詰め、柵を置いて、打ちこみ用の案山子が置いてあるだけの質素なもの。庭園で素振りをされても困るから空間だけ用意した、という感じだ。
「………」
「おはよう、トリスタン」
修練場にはいつも先客がいる。
まだ朝日が顔を出したくらいの時間帯だというのに、トリスタンは既に素振りを終えた所だった。
トリスタンは深夜まで起きて、夜明け前には目が覚めるらしい。昔話を聞いた事があるからどうしてそんな体質になってしまったのかはよく知ってる。
破門にされたとはいえ、結局こうして顔を合わせるので剣術は隙を見て盗み見ている。
俺は、欠伸をかきながら赤黒い魔力で剣を創りだした。
もはや魔力自体から剣を創りだせるようになったので、この武器の名前はなんて呼ぼうか……。
他の材質から錬成する剣は ≪複製剣≫ と呼んでいた。
これは……魔剣?
いや、それだと物騒だ。
とりあえず ≪魔力剣≫ でいいか。
俺は魔力剣を握りしめて修練場の周囲を走り始めた。
まずはウォーミングアップだ。
剣士は常に得物を携えた状態で体を動かした方がいいと云う。
「ジャック、見た目のことを気にしているのか?」
走ってる途中、トリスタンは俺の様子を見て声をかけてくれた。トリスタンは相手の雰囲気から人の心を読み取る力がある。
足を止めて、腕を広げて見せた。
通常の視力がほとんどないトリスタンの目には俺の姿がどう映ってるか想像することは出来ないが、これまでのやりとりでも普通に視えているように振る舞うので、こっちも気にせず会話している。
「まぁ、こんなだし?」
「ふむ……お前くらいの年頃なら外見が気になるのも無理はない」
意外にもトリスタンは同意してくれた。この人のことだから「剣士は外見など気にするな」「大事なのは心構えだ」とか言ってくるかと思っていた。
「張本人の女神には聞いてみたのか?」
「聞いても無駄だよ。もう女神じゃないし、普通の女の子だ」
トリスタンが言う"女神"というのは致し方なく屋敷に住まわせているケアの事だ。
女神が置いていった抜け殻。
赤黒い瞳でも、虹色の瞳でもない、青い瞳の普通の女の子。
相変わらず「あぅ」が主な鳴き声で、最近ようやく屋敷に住む人の名前を呼んでくれるようになった。そんなわけで侍女として育てるのも難しいし、扱いづらい存在になっていた。
ケアに関しては母さんも、兄貴も、あまり可愛がろうとしない。アリサなんて容姿がまるで似てるから極力避けている。巻き角の有無で見分けているくらい似ている。逆にケアの方はアリサが好きなようで、犬のように付き纏う姿をたまに見かける。
まるで双子の姉妹でも見ているようだ。
アリサは自室に引き籠りがちなので、そんな姿を見かけることも稀だが―――。
「俺には神や魔法といった類いはさっぱりだ。もし気になるようなら専門家に尋ね回るしかあるまい」
「トリスタンもそう思うかー……」
「尤も、俺はその姿のままのジャックも十分格好いいと思うが」
「………」
なんだか最近のトリスタン、丸くなってる気がする。
色々吹っ切れたのかな。
…
朝日も少しずつ高くなる。
修練場の隅で俺はトリスタンの剣技をまじまじと眺めていた。
トリスタンも破門だ破門だと一点張りしてるものの、見る分には文句はないのか、俺の視線に構わず案山子相手に剣技を披露してくれた。
「……は!」
大地を踏みしめて、一瞬でその場から消える。
俺はその剣士の速攻を目で追える。でも並の戦士でもこの動きを捉えることは難しいだろう。
トリスタンは案山子へ向かって駆けた―――。
と、見せかけてもう案山子の後ろに回って頸部に木刀を打ち込んでいた。
力は加減しているのだろうが、ばしんと藁が弾ける音が響く。
「なに、その技!?」
「……?」
「いつのまに後ろに回り込んだの?」
俺の熱い眼差しに耐え兼ねたのか、トリスタンはやれやれと言った具合で答えた。
「お前というやつは………」
「ん?」
「もうソニックアイは使えるのだろう?」
ソニックアイと言えば、十連撃の技だ。
慣れていなければソニックアイのような流れる剣捌きは披露できない。
俺も徐々にそんな連撃の剣を使えるようになっていた。
そもそも初めて見せてもらった生の剣技がそれなんだ。
他は基本の上段・中段・下段の振り方を練習したくらいで、あとは独学だ。
「ソニックアイは影真流の奥義だ。それを使えるというのにドップラーアイも知らぬとは――」
「えいしんりゅう?」
なんか知らない言葉が出てきた。
知りません、教えてください師匠!
と言い始めると、また破門だ破門だと言われるからうまく会話の流れで聞き出す。
「順番があべこべだな……」
俺が首を傾げる様子に、トリスタンは深く溜息をついた。なんだかんだ面倒見の良いトリスタンは、師弟関係だった時以上に俺に懇切丁寧に剣術の流派について教えてくれた。
―――剣技の流派には大きく三つあると云う。
一つ目は『聖心流』
国内の騎士のほとんどはこの『聖心流』という剣技を学ぶ。
剣士を目指す子が剣の学び舎で学ぶ流派もこれらしい。
だから王国では一般的な剣技として普及していて、門下生も多いそうだ。
どんな剣技かと言えば、片手剣と両手剣の二タイプに対応している。
縦斬り、横斬り、ジャンプ斬りといった対人的な一騎打ちを想定した剣技らしい。対軍相手でも複数対複数となるため、規律の取りやすい『聖心流』を学んでおけば国の兵士も合格とのこと。
二つ目は『機神流』
これは王道の聖心流と相対して、邪道の剣技らしい。
一人で多数を相手にすることを想定した剣技で、変則的な動きを取る。兵士や騎士には不人気な流派だ。だが統率の必要がない冒険者たちや単独行動が多い魔族などは進んでこの流派を学ぶらしい。
三つ目が『影真流』
信じられないことに、一番普及していない流派だ。
俺がこれまで独学で極めた剣技だというのに……。
その理由は、『影真流』が暗殺剣に特化しているからだという。
敵を闇討ちするのに適した最速の剣で、鎧を必要とする騎士や兵士には適さない。
ちなみにマナグラム測定では、この三つの流派のうち一つでも極めれば『ランクS』となり、二つ以上極めれば『ランクS+』が表示される。
俺の場合、たまたま師とした人が暗殺者あがりの稀な影真流の熟練者だった。
だから自然とその剣技を覚えることになった。
「お前が騎士や兵士を目指すのならば……うむ、元師匠という立場からは複雑な気分だが、別の流派をお奨めする」
「………」
そうは言っても中途半端な状態だ。
せっかく教えてもらったんだから、俺は影真流を極めていきたい。
「ううん、もっとこの剣を教えてほしい!」
「そうか……。む、いや、だからお前は破門だと言っただろうっ」
心なしかトリスタンの白い顔に赤みが差したような気がした。それを隠すように背を向けて、トリスタンは修練場の案山子に対峙して、また忙しなく剣を打ち込み始めた。
○
晩餐。
この無駄に長いテーブルにも慣れた。
銀食器を持つ手の力加減もようやく覚え、折らずに済むようになった。
満足に高級ディナーを堪能することができるようになったのだ。
暖炉も豪快に灯され、壁際に立ち並ぶ調度品の数々も豪華だ。
そこから壁際には何人もの執事、メイドが立ち並んでいる。
温もりがないかと言われたら、あると言っていい。
しかし、この雰囲気は落ち着かない。
まず静かだ。
食卓に座っているのは兄貴、母さん、ケア、そして俺の四人だけ。兄貴と話すことはないし、母さんはそもそも喋らないし、ケアももぐもぐと飯を食べ続けるだけで声をかけても饒舌じゃない。
アリサは引き籠りがちで宛がわれた自室でご飯を食べる。
トリスタンはいつ食事しているか分からない。
どちらにしろ家人だけで食卓を囲むというのが貴族流のやり方のようだ。
ケアは特別に許されているけれど。
あぁ、リベルタ邸が恋しい……。
アルフレッド、リンジー、リナリー、そしてサラマンド。
あの一家の夕飯は賑やかで楽しかった。
あるいは外食でもいい。
アザリーグラードのシムノン亭に通い詰めた日も懐かしい。
他の冒険者の喧騒を聞きながら、一人じゃないという安心感を感じていた。声を掛けられれば適当に返事をして地下迷宮の攻略について情報交換するのだ。
貴族の屋敷、田舎の家族、迷宮都市の飲食店。
三つ経験してみて比較しても、やっぱり今が一番落ち着かないと感じる。
それらの日々をすべて共有したシアは、俺の斜め後ろにそっと立っている。メイドたちと並んで整列していた。何故か、副メイド長という立場を確立したらしい。
「………」
俺が後ろに視線を送り、シアに応援を頼んだ。
すかさず近寄ってきてくれたシアに耳打ちした。
「ロストさま、どうされたのでしょうか?」
「……まずその敬語をやめてくれ」
「ふっふっふ」
シアは邪悪そうな笑みを俺に向けてくる。
最近気づいたんだけど、俺がこの似つかない状況に立たされているのを客観的に見て楽しんでいるようだ。
「頼むから、今度からシアも食卓に加わってくれよ」
「私が入ったところで空気は変わらないと思いますけどー」
「でも俺からは話しかけやすい。頼む」
「無理ですね」
「なぜ?」
「そういう仕来たりがあるので」
「イザイア権限でその仕来たりは撤廃だ」
「その名前は禁句です。それにメイドにもメイドの世間体があるので」
「そんなものなのか……」
俺の落胆の声に、シアは目を逸らして何やら呟いた。
「私が家人の一人になったら別だけどー」
「……何か言った?」
「いえ、気のせいというやつです」
そう言うと、すすすと後ろに下がってメイドたちの列に並んでしまった。
にしても、他の髪色と比べても青い髪はとても目立っている。
俺も諦めて晩餐に向き直ることにした。
「……ロスト、ちょっと話がある」
食後のデザートが運ばれた頃合いで、アイザイアに声を掛けられた。
俺とシアがこっそり何か相談し合っているときから視線を向けていた様子だ。
「なんだよ、兄貴」
「既に聞いてるとは思うが―――」
そう言うと俺に一枚の紙を渡してきた。
薄くて白い、見た事もないような綺麗な紙だ。
どうやら手紙のようである。
「なにこれ?」
「いいから一度目を通してみろ」
言われて、視線を下げる。
何やら難しい言い回しで書かれているものの、宛先が「ロスト・オルドリッジ」となっているので俺宛ての手紙であることは間違いない。
そしてだいたいの雰囲気で分かったことは、これが王家からの手紙であるという事だ。手紙の最後には、王国の国章である盾とそれを囲む竜と獅子の絵が刻まれたデザインの印が記されている。
内容は―――。
「国王陛下直々の招聘だ」
アイザイアが付け加えた。
先日、誕生日を迎える前にカレン先生が言っていた事を思い出した。
――一私とともに王都へ向かってくれないか?
王家では確か俺の存在が注目を浴びているとかなんとか。
「………」
あらためて手紙で出されると本当だったんだと実感する。
いずれ国の戦士になろうと思っていたから、この招聘状は願ってもないチャンス。でも、余りにも急すぎて休む機会がないなと尻すぼみしてしまう。だって、もう少しくらい兄貴や母さんと親睦を深めてもいいと思うし、そもそもバーウィッチを離れるのは生活圏を一転させるという事だ。
約五年も迷宮都市で暮らしてた男が何を言うかと思われるかもしれない。
でも、あの当時は記憶も飛んでたし、事故で漂着したから特に戸惑いもなかった。
どうしよう。
「安心しろ。あっちにはもう一人、兄がいるからな」
「もう一人の兄貴? ……あ」
そういえば忘れていたけど、俺たち兄弟はもう一人いた。
兄貴が長男で、俺は三男だ。
次男坊はまだ魔法大学にいる。
「王都から魔法大学の学園都市まではソルテールとバーウィッチくらいの距離だ。そんなに離れていないし、宛てがなくて困ったときにはイザヤをあたれ」
「いざや?」
「俺たちは皆"Isaiah"だったからな。大学では俺は"Isaiah"、あいつは"Isaiah"だ」
「あぁ、なるほど」
イザヤ・オルドリッジ?
変な名前だな。
「って問題はそこじゃないしっ! そもそもその兄貴ともほぼ初対面だし」
「ふむ、イザヤには手紙で事情は伝えておこう」
「いやいや、そうじゃなくて……」
俺の気持ちはまるで気にされていない。
アイザイアからは俺を王都へ送り出したい気持ちが見え隠れしている。
厄介払いしたくなる気持ちも分かる。アイザイアからしたら俺は弟でもあり、先代の当主のオリジナル人格でもある。その奇妙な関係、そして昔俺にしていた仕打ちで後ろめたいんだろう。
―――いや、王様からこうして手紙を貰うってことは、無理にでも行かないと貴族としての顔が立たないってのもあるか。
覚悟して前進するべきかな?




