Prologue 議会
エリンドロワ王国。
国の南側に王都があり、そこを中心として、北方クダヴェル、東方バーウィッチ、西方エマグリッジの三つの地方に分かれている。北側には山脈が連なり、南側は大海に覆われている国だ。
この国が世界最大の国として栄えたのは、その土地条件にも起因している。
肥沃な土地であること。そして北側の山脈の切れ間以外は、敵国と隣接していないことなど。
さらには隣の小大陸リバーダで大昔に栄えていた、アザレア王国(現アザリーグラード)とクレアティオ・エクシィーロの二国が崩壊したことにより、小大陸全域もエリンドロワ王国傘下の特別自治区として成り立ち、これも国富を潤す要因となっていた。
世界最大となった現在では、そのわずかな隙から攻め入ろうという侵略国もなく、諸外国と友好関係を築き上げている。今この王国の軍備配置は、主にその友好国のガルマニード公国やフリーデンヒェンへの派遣が多い。その国の先ではまだまだ国家間や種族間での紛争が勃発しているのだ―――。
王国は世界最大であると同時に、最も平和な国だ。
その王都中心に居城する王宮で、国王は期待と迷いの胸中で歩を進めていた。
国王が向かうのは"貴族院"会議。
議会は貴族院と庶民院の二つに分かれているが、国内の民意を汲み取る庶民院と比べ、貴族院では外交や王家の慣習的なことを議論する王の助言機関でもある。
年老い、白髪となった国王は重々しい扉をゆっくりと開き、円形状に勢揃いした貴族議員たちを見回した。
議員は王の直属の臣下や王侯貴族で構成されている。一段高いところから入場できるように施された廊下から入り、王は王座の傍らに立つ。すると議員たちは一斉に立ち上がり、国王を見上げた。
「ラトヴィーユ国王陛下、お待ちいたしておりました」
「うむ」
議長の言葉に答えるように、一言そう漏らすと国王は王座に着いた。
「苦しゅうないぞ」
続いて言い放つ言葉で、統制のとれた臣下たちは一斉に着座する。
その動きはまるで軍隊のようだ。
しかし、臣下たちは決して国王を恐れているわけではない。
心の底から王を慕い、敬い、こうしている。
―――国王ラトヴィーユ・ダグザ・ド・エリンドロワ。
人柄は極めて温厚であり、また、王としては珍しく国民に"献身的"だった。王国の繁栄のために歴代の国王は侵略的な思想を持つものが多く、臣民をあくまで国力として扱っていたが、この王は真逆である。
ラトヴィーユ陛下は臣民のための国を作ろうと心掛けた。
多少の王族・貴族に肩身の狭い思いをさせても、豊かで幸せな暮らしを根ざしたのだ。
人間族以外が差別されているとあらば、獣人族や魔族の人権が平等になるような制度を敷いた。奴隷制も全面的に禁止した。かつて貧しい者が率先して身を投げ出して選ぶ職業だった"冒険者"職にも、救いの手を伸ばすため、彼らが優遇されるクエスト制度も充実させた。
政策は基本的に弱者救済に焦点を当てている。
そんな思想では王家、貴族たちに倦厭されるかと思いきや、豊かな国で支持も厚い状況が続き、結果的には王家や貴族たちも国民に慕われ始め、貴族たちにとっても利点が多かった。文字通り、内外ともに"平和な国"を作り上げたのである。
貴族院議会の進行もかなりのんびりとしたものだ。
とりわけ議論する問題がない。
第一読会から始まり、第三読会に終わるまで、議員も欠伸をかみ殺すものもいる。ラトヴィーユの興味も議会の終わりごろに特別に話されるだろうと思う、ある話題のことで頭がいっぱいだった。
「では、現在最も王都の市民が頭を悩ませている"ティマイオス雲海"については―――」
「仕方あるまい……。魔術ギルドが自ら一大被害を請け負っているのだろ?」
「はい」
「期間はどれくらい続くのだ?」
「あと一、二ヶ月程だと賢者様は仰ってるそうですが……なにぶん、あの性分で……」
現在議論されているものも、取り立てて大きな問題ではない。
雷の賢者ティマイオスの大規模な魔術実験によって発生しているぶ厚い雲が、王都の局所的な部分に覆いかぶさり、快晴となる日がないことや時間帯によって激しい雷雨が発生する程度の些細な問題だった。
魔法の繁栄が国家の繁栄。魔術ギルドや魔法大学での問題は、余程のことがない限りは黙認していた。"ティマイオス雲海"についても結果的には期限待ちという結論だ。
議員たちも、なし崩し的に退屈な議会を終わらせようとしている雰囲気だ。しかし、議会の最後、議長である王側近の臣下が次の議題を読み上げたとき、場の雰囲気は一気に変わった。
「それでは、件のオルドリッジ事変についてです―――」
議会の雰囲気が一転する。
今回の最も重要な議題といっても過言ではない。
王族や貴族たちが厳粛に耳を傾けていた。
「その場に居合わせたバーウィッチ支部官庁のカレン・リンステッドによる報告を再認しましょう」
議長が型式的に読み上げる報告文書。
そこにはバーウィッチ地方で最も有力な貴族オルドリッジ家で起こった事件の顛末が書かれていた。
・オルドリッジ家は稀代の魔術師エンペド・リッジの血を引く子孫であった。
(当該魔術師による古アザレア王国内での反乱もあり、血は根絶していたと思われていた)
・前当主イザイア・オルドリッジの肉体に、エンペドが憑依していた。
(憑依の明確な時期は不明。近親の貴族によるとイザイアの人格は魔法大学卒業間際に激変した)
・イザイアの元人格は、その息子イザイア・オルドリッジ・サードジュニアとして《転生》していた。
・エンペドの目的は《時間を操る魔法》を体現するため。
・以下、《時間を操る魔法》を会得するためにエンペドが実践した事。
女神との契約により、羅針盤 《リゾーマタ・ボルガ》を発明。
死後、血族を辿り、生前と身体的に類似するイザイア・オルドリッジへの憑依。
《時間を操る魔法》の発動に必要な《虚数魔力》を宿す子孫を繁殖。
《時間を操る魔法》を手にしたサードジュニアへの再憑依。
・羅針盤 《リゾーマタ・ボルガ》の用途
史実上の過去を改竄する。
《虚数魔力》を通過パスとして、過去へ至る。
・《虚数魔力》
詳細不明
・《転生》
詳細不明
・結末
三男イザイア・オルドリッジ・サードジュニアが、仲間の冒険者らと共にエンペドの陰謀を阻止。三男の《時間を操る魔法》の力によって、再憑依は未遂に終わり、現エンペドは死亡。オルドリッジ家当主の座は長男アイザイアへと継承。陰謀を阻止した三男は現在ロスト・オルドリッジと名乗り、オルドリッジ家にて生活を取り戻す。
報告書の読み上げが終わったとき、議員たちのほとんどは頭を抱えた。ラトヴィーユ陛下もその報告には理解不能な点が多く、魔術顧問がいれば解説を頼みたいと思うほどである。
黙考に耐え兼ねた議員の一人が質疑を飛ばす。
かなり年老いた貴族で、議会の老舗の一人だった。
「聖遺物のリゾーマタ・ボルガと言えば、アザリーグラードの迷宮に眠っていたのじゃないのかね?」
「……魔術ギルドのクラス"大魔道士"アンファン・シュヴァルツシルトによって暴かれました」
その疑問に応えたのは聖職貴族としてこの議会に訪れていたメルペック教会代表だ。
「彼は事故で亡くなったと聞いているが―――?」
「野心家だったアンファンは魔法発展のためにエンペドの再来を望み、リゾーマタ・ボルガに手を出したというのがあの事件の真相だそうです」
魔術ギルドを毛嫌いしている聖職貴族は淡々と事実を告げた。この機に魔術ギルドの地位を貶めたいと考えているようだ。そこに、また別の議員が口を挟む。
「待ちたまえ、その大魔道士が死んだ後、リゾーマタ・ボルガはどうしてオルドリッジのもとへ?」
「エンペドが契約したという女神のお導きではないか?」
「そもそも今の時世に女神などという存在が我々に干渉をするというのがなんとも――」
「貴様、神を侮辱するのか……!」
「虚数魔力という魔力は魔術師に聞いて回っても誰一人分からなかった。そもそも何の力なのだ」
「今回の議題の関心は"転生"の秘儀についてであろう」
「時間を操る魔法に"転生"の秘密が隠されているのかもしれん」
様々な憶測や不信が飛び交い、議会は珍しく荒れ始めた。
魔術師であれば《時間を操る魔法》に関心が集まるところだが、貴族院で注目を浴びているのは《転生》という現象の方だった。老い先が短い者も少なくない。転生により生き長らえるのであれば、という邪念を抱くのも無理はないのだ。
―――そして、慕われた国王もそんな老い先短い人間の一人に過ぎない。
実のところ、貴族院の議員含め、王家や臣下、国民すべてがラトヴィーユ・ダグザ・ド・エリンドロワ国王陛下の末永い王政を望んでいた。
この議題が注目を浴びているのは、唯一その"転生"という現象。
事件の首謀エンペドや解決したロスト、諸々の不可思議な魔法などはそれほど関心を集めていなかった。今回の事件を機に≪転生≫という魔法の域を超えた超現象を人類が手に出来れば、ヒトは死も克服できると貴族院の間で囁かれている。
死の克服は生命の営みを変えるだろう。
皆、永遠の命を望んでいるのだ。
一際高い位置からその荒れゆく議会を眺めるたった一人を除いて―――。
ラトヴィーユ陛下が木槌を叩き、荒れ始めた議会を一瞬で沈めた。
「皆のもの、静粛に」
その音と声によって議員たちは皆、押し黙り、国王に視線を集めた。
「以前、そのアザリーグラードの混乱を鎮めたのは"ロスト"という十五足らずの冒険者だと聞いたが――」
重々しくラトヴィーユ陛下が口を開く。
議会は静まり返っていた。
「まさかその少年が、報告書に出てきたロスト・オルドリッジという少年なのかな?」
「おそらく……」
「ふむ。という事は――――」
ラトヴィーユ陛下は少し考えを巡らせ、口を止めた。
議員たちはその次に続く言葉を待ち、沈黙を守る。
「―――エンペドに肉体を乗っ取られてイザイアの子孫として《転生》したのも彼……《虚数魔力》を有し《時間を操る魔法》を使う三男というのも彼………そして、エンペドの陰謀を今回喰い止めたのも彼。つまり、すべて同一人物ということかな?」
国王の言葉にはっとなり、議員たちもお互いの顔を見合わせる。
報告書ではエンペドや《転生》、《時間を操る魔法》に焦点を当てて書かれているため、その裏で活躍している一人の人物について触れられていない。これだけの情報がありながらも、その少年のことだけはよく分からなかった。
議長である側近の臣下が挙手して進言する。
「陛下、一つよろしいですかな」
「うむ?」
「バーウィッチの貿易港ダリ・アモールにて"名も無き英雄の像を以前ご覧頂いたことかと存じますが―――」
「おおう……あれは素晴らしい像であった。次代を担う子どもの活躍だ。まさに王国安泰の証だろう」
「冒険者ギルドのマナグラム登録情報を照会した所によると、あの像のモデルも、アザリーグラードを救った少年と同一人物だという痕跡が……」
「………なに?」
議長の発言で、再び場が騒然とする。
ダリ・アモールの大聖堂の半壊は、とある吟遊詩人の楽団が企てた少年少女の誘拐と、それを阻止する冒険者パーティー、そして"ジャック"という少年の攻防によるものだという事だ。
少年は消えてしまい、王国からの褒章を与える機会を逃していた。そのため、もう彼此五年も前の事件だが、ラトヴィーユ陛下もはっきりと覚えており、議会で話題に上がった事も記憶に新しい。
―――すなわち、大きく三つ。
三つの事件に少年は関与し、いずれも解決に導いていた。
吟遊詩人の企み、迷宮都市の混乱、稀代の大魔術師の陰謀。
ラトヴィーユ陛下は臣下の言付けを聞き遂げて、今日日、自身が期待と迷いを胸にこの議会に訪れた訳を思い出した。
期待というのは「ロスト・オルドリッジが自身が望む真の英雄である」こと。
迷いというのは「王宮騎士団の幹部増員が必要となるか否かを判断する」こと。
ラトヴィーユ陛下が一つの決心をしたちょうどそのとき、これまで黙っていたその王宮騎士団の団長が口を挟んだ。
「お待ちください。いくら何でも話が出来過ぎている。その少年はまだ歳は十五、六なのでしょう? 世間では剣や魔法の学び舎に通っているような少年が、それほど戦いに精通し、多種多様な功績を納められるとは思えませんな」
「おや、アレクトゥス卿。若輩というが、その強さの秘密こそ魔法にあるのではないかな? そう、キミたち王宮騎士団の面々のように―――」
王宮騎士団団長アレクトゥス・マグリールは何とも言えない表情で言い淀み、しまいには顔をしかめさせた。額に垂れた汗を特製の胴着の袖で拭う。
その胴着の色は"黒"。
王宮騎士団には序列階級によって白・茶・黒の順番で胴着の色が決められている。腰から長い帯を垂らすその特殊な騎士格好から、"白帯"、"茶帯"、"黒帯"と呼ばれて格付けされていた。
王子王女六人に直属で仕える六人の騎士を幹部とし、彼らは黒い胴着を着る。
アレクトゥスも、国王の長男に直々に仕える騎士だ。
次いで、傘下の騎士隊隊長を任されるベテラン騎士は茶色い胴着。
新米や見習いの騎士は白い胴着を着る。
もちろん防具として胸甲や手甲、腰当、兜など部位を選んで好き勝手に装備する者もいるが、"黒帯"陣は必要ないとばかりに装甲は捨て、胴着姿のまま戦場を駆ける。
その姿は修道士が剣や槍を持って奔放に戦うようでもあった。
アレクトゥスが続ける。
「しかし、我々の場合は魔法の才能だけでなく、特殊な身体訓練を数年間受けて王宮騎士となりました。この少年の出生や経歴を見るに、特殊なのは魔法だけで、剣術を学んだ経歴がありません」
それを聞いた国王はもう一度、少年の経歴について報告書を眺め直す。
「どれどれ……"ロスト・オルドリッジは五歳の時点から屋敷内で軟禁生活を送り、十歳にて捨て子となる。拾われた冒険者パーティーには実質半年間のみ所属し、主な役割は雑用………ふむ」
以降も、とりわけ修練を積んだ期間がない。
事件が起こり、解決し、そして大陸を渡り……と言った具合だ。
リバーダ大陸に渡った時点では既に相当の実力を持っていたとある。報告書の最後にこの少年の転生前イザイア・オルドリッジの経歴も添付されているが、一般的な魔術師の経歴と同じであり、戦闘を学んだ痕跡はない。
「おおう……」
ラトヴィーユは感嘆の声を漏らす。
素晴らしい、と。
この突拍子な経歴も輝いて見えた。
彼こそ、新たな王宮騎士団の幹部に相応しい、と。
ラトヴィーユはついに決心した。
「我はその少年に会ってみたいのだ」
国王陛下の鶴の一声。
それに賛同するように議員たちも頷いた。
「陛下、私も僭越ながら同意見でございます」
「転生も時間を操る魔法の秘密も、その少年に会えばすぐ解明されることでしょう」
一方で、議員たちはラトヴィーユ陛下自身が転生を望んでいると信じて疑わなかった。今回の議題の焦点も、オルドリッジ家やエンペドの≪転生≫の秘密を探ることであると思い、そればかりに気を囚われていた。そのため、王がこれから打ち明ける"隠し事"はまさに寝耳に水だ。
ロスト・オルドリッジを王宮に招くという事で話はまとまり、議会が終わりを迎える頃合い、ラトヴィーユは木槌を打って注目を集めた。
「すまんが、まだ最後に我から皆のものに相談したいことがあるのだ」
「はっ―――陛下の詔勅であるぞ。皆、静まれ」
解散間際で少し乱れていた空気がまたとして静粛なものとなる。
ここの所、ラトヴィーユ陛下からこのようにして議会の後に声が掛かることはなかった。臣下たちは、国王がもうすぐ現役を退くつもりであるからだと感じ取り、その振る舞いに寂しいものを感じていた。
慕われる王だからこそである。
そのため、こうして久々に議会後の"相談"の声がかかると、皆、嬉々として静まり返った。
かつては国王も遊び心で「相談がある」と重々しく言っては「次に街で流行させる魔術師ローブのデザインについてだが」や「城下町に住む素朴で可愛い娘ランキングだが」などと下らないことを言って議会を賑わせて締めるというのが慣例のようになっていた。
今回もそんな雰囲気で和ませてくれることを、議員たちも期待していた。
しかし―――。
「王宮騎士団の幹部を増やさねばならん」
ラトヴィーユ陛下は喜ばしい事を話すように、にこやかに告げた。
国王の真意としては、その幹部にぜひロスト・オルドリッジという少年をという意図での発言だ。
しかし、その言い回しに議員たちは皆一様に困惑していた。
開いた口が塞がらない者、目を丸くさせて体を震わせる者、溜息をついて頭を抱える者(これはアレクトゥス騎士団長である)、様々だ。
側近の臣下である議長は悲鳴のような声を挙げた。
「どういうことですか、陛下!?」
悲鳴の理由は、王宮騎士団の幹部の役割によるもの。
王宮騎士団の幹部、通称"黒帯"は国王の子、すなわち王子王女六人に一人ずつ宛がわれるエリート騎士だ。逆に言えば、エリート騎士六人が王子王女に宛がわれ、それぞれ彼らを守る役目を担う。それ以上の役割は平和な国エリンドロワには無いに等しい。増員が必要となるのは、従来の黒帯の誰かが戦いや事故により死亡してしまった場合、空いた"黒帯"の座に補充する必要がある時。
しかし、特に黒帯内で誰かが死んだわけではない。
欠員が出ていないのに増員が必要な場合というのは――――。
「すまん。実は隠し子がいたのだ」
七人目の王の子がいたという事である。
誰からも慕われる王の突然の言葉に、議員の誰もが驚き、戸惑った。
王はその末子を溺愛しすぎるがあまり、王宮騎士団の騎士を付けることさえ拒んでいた。末子の存在を隠し続け、その子が生まれてからこの十五年、騎士不在のまま王直々に守り育てていたのである。
ラトヴィーユ陛下は、ずっとこの機を待っていた。
―――我が子を守る真の騎士が現われる事を。




