Epilogue 大団円
エンペドを葬ってから一ヶ月。
色々あった。
まず、俺はオルドリッジ家に迎え入れられた。
戦いで壊れた壁や床修理は終わってないが、広い屋敷だから使える部分はまだ使えるのだ。
久しぶりの豪邸での生活はまったく慣れない。
母さんは未だに言葉を発しないものの、仕草や身振りで愛情表現してくる。頭を撫でたり、ハグしてきたり、添い寝してきたり……。もう良い歳なんだからやめてくれと思う。長い間注げなかった愛情を今頃になって前面にぶつけるつもりらしい。
まったくもって小っ恥ずかしい。
そんな屋敷での生活の中、鏡で体を確認した。
予想通り、俺の体は顔からつま先まで全身赤黒い幾何学模様が刻みこまれている。今まで白かった皮膚も浅黒く変色し、人間族とはかけ離れた容貌に姿を変えてしまった。そして胸の中心には銀の指環がくい込んだままだ……。
―――これ、元に戻せないのかよ。
大元の右腕を作った女神に文句の一つでも伝えてやりたかったが、その本人はもうどこにもいない。
女神"ケア"が消え去った後、抜け殻として残った少女はただの少女だった。
口癖は「あぅ……」だ。女神みたいに饒舌でもないし、無口であまり喋らない。俺は「ケア」と呼んでいるのだが、少女は何も覚えておらず、文句が通じるわけもなかった。
もちろん親戚もなく、今はオルドリッジ家に居候させている。
女神が消え去る直前に「この肉体を好きにしてくれていい」と甘い誘惑の言葉を残していったが、神に誓って……いやまぁその神が許したという事実はさておき、手は出していないのでそこは断っておく。
兄貴のアイザイアも、屋敷で俺と接するときは微妙な雰囲気だった。
今まで否定し続けた弟がこんな姿で現れたんだから仕方ないのかもしれない。だがそれ以上に、戻ってきた弟が父親の転生した存在だったという謎めいた関係に複雑な感情を抱いているみたいだ。
アイザイアには事情を全部話してある。
その目で俺とエンペドの闘いを見たんだから信じずにはいられまい。
彼も当主交代とともに「イザイア」と名乗る予定だったが、このままアイザイア・オルドリッジとして当主になることが決まった。アリサが嫁候補として決まったみたいだし。
これからは当主アイザイアだ。
もう「イザイア」の名前は我が家の封印指定だ。
―――ちなみに俺の名前だが、この家との復縁記念に『ロスト・オルドリッジ』に統一した。
よくよく考えた結果、やっぱりシアが付けてくれた名前を捨てたくない。
そのシアは現在、俺と一緒に屋敷で暮らしている。
離れたくないと言ってくれたし、俺も離れたくないので一緒に住まわせることにした。イザイア特権で屋敷のことはある程度融通が利き放題になっているから、そういった我が儘もすんなり通ってしまった。
そんなこんなで今この屋敷に住んでいるのは、俺、母さん、アイザイア、シア、アリサ、ケア、警衛役のトリスタン、そして使用人多数という奇妙な組み合わせの大所帯だ。
一気に賑やかになって、母さんは毎日上機嫌な様子だったが、アイザイアは事後処理云々で忙殺の一途を辿っているらしい。
小さい頃、俺を虐めていた代償だと思って辛抱してくれ。
シアの体だが、体中の傷跡はわりと偉い立場の治療師さんの懇切丁寧な治療によって綺麗さっぱり元通りになった。リナリーも同じように治してもらったらしい。
その治療師さんというのが、カレン・リンステッド先生。
リナリーが通う魔法学校の非常勤医も務めていて、前に少しだけ授業参観したときに名前だけは聞いたことがあった。そんな彼女もアルフレッドたちと一緒にこの屋敷で戦ってくれたという。
実は今日、その人に俺の変質した肉体を元通り戻せないか診てもらうために呼んでいる。
予想よりも随分朝早くからカレン先生が到着してしまったらしく、使用人も焦って出迎えていた。俺は寝ぼけ眼のまま一階のホールへと降りていった。
シアと使用人の二人が、玄関でカレン先生を出迎えている。
「あ、ロストさん。おはようございませ」
「おはよう」
「カレン先生がお越しになられました」
階段を降りる俺に気づいて、シアが振り返った。
シアはコンラン亭での給仕仕事の経験柄、うちの使用人以上に使用人のような振る舞いをする。なぜか服装もメイド服を気に入って着ているし、朝からよく働く。
屋敷の人間だと思って堂々としてくれていいのに。
眼福だから放置してるけど。
「ついでに鳥人間も付いてきたみたいですけどー」
シアは声の調子を下げて、不機嫌そうに呟いた。
それを聞いたカレン先生の背後の鳥人間がぴーぴーと不平不満を吐いた。
「鳥人間とは失礼な小娘ですわね! 第一、私はあなたのせいでもう飛べませんのよっ」
カレン先生の後ろから出てきたのは聖堂騎士団のパウラさんだ。祝典で会ったときは腰の大きな翼を悠々自適に伸ばして畳んでを繰り返していたが、今は片翼が無くなり、もう一方の翼は折りたたまれたままだ。
シアと喧嘩してあぁなったらしい。
……恐ろしや。
「すまないが、キミの体のことは私の医術の知識だけではよく分からない事もある。彼女は教会の人間だから今回一緒に診てもらうことになった」
「あと原聖典と黒の魔導書の所在もはっきりさせないといけませんわ」
―――原聖典『アーカーシャの系譜』
女神が残した聖遺物だ。今は抜け殻の少女ケアが持ち続けている。
そして魔導書『黒のグリモワール』
これもエンペドを葬った聖遺物だが、どうしていいか分からずだった。
○
「もうすぐパーティーだったか」
小さなスコープを使って、手始めに背中の模様から覗かれている最中、カレン先生が俺に尋ねた。
身体検査は俺の部屋で行われた。
窓際にはパウラさんが腕を組んで傍観している。
扉付近ではシアが無表情のまま、その様子を眺めていた。
「そうですね」
「ふむ……。まぁ私も参加予定だ。キミの誕生日は盛大に祝おう」
「ありがとうございます……?」
なんで今その話になったのだろう。
俺は首を傾げながら、場つなぎ的な会話かと思って受け流すことにした。
ちなみに寒さが和らいできたこの季節、もうすぐ俺の十六歳の誕生日だった。家を追い出されてから誕生日なんて祝ってもらったことはない。というか、自分自身の誕生日を忘れていた。マナグラムに表示される月齢で何月生まれなのかくらいは分かっていたが、ちゃんと知らなかったというのもある。
「その後日はなにか予定はあるのか?」
「はい?」
「誕生日パーティーの終わった後の予定だ」
「………いえ、特に何もないですけど」
何もないというか、本来の俺が目指していたものを目指そうと思ってる。そもそも実家に戻ったのは過去を清算して、決意を新たに一歩前進するためだ。
俺は戦士になる。
傭兵か騎士団か決めかねているのはあるけれど、とにかく戦いに身を投じたい。
カレン先生は背中を診終わると、横に回り込み、今度は浸食の激しい魔造の右腕を観察し始めた。一通り見終わって、スコープを下げると俺に視線を合わせて何やら提案してきた。
鋭い真っ直ぐな視線が物憂げに訴えかけてくる。
「一度、私とともに王都へ向かってくれないか?」
「え!?」
動揺していたのは俺だけじゃなく、シアもだった。
二人して顔を見合わせて何事かと訝しむ。
その様子を察して、カレン先生は付け加えた。
「実は公務の都合で王室の議会に出向くことがあるのだが、議会では今キミが注目されていてな」
「……議会? なんで俺が?」
「バーウィッチの筆頭貴族が起こした事件だ。話題にならないわけがないだろう」
厳密に言えば、バーウィッチの領主はオルドリッジ家のようなものだ。しかしこちらの地方では貿易機能が高まりすぎて一貴族だけでは治めきれず、国の内政や外交補佐のために地方官庁が設置されている。
そんな地方の元領主なんだから注目を浴びても不思議ではないということか。
「無論、キミ自身のことも既に伝わっている。議会もそうだが、何より王家が気にしているのがキミの特異能力だ」
「時間魔法のことですか」
……どうやら手に入れた能力があまりにも強大すぎるようだ。
王家も面白半分恐怖半分な状態で俺が危険分子にならないか心配しているらしい。時間を止めるなんて奇跡、悪用しようと思えばいくらでも出来るからな。あわよくば手中に収めようという魂胆もある、とカレン先生は一言添えた。
反乱を起こす前に我が軍門に下れ、というつもりらしい。
「ちょっとちょっと! お待ちくださいまし」
そこに待ったをかけたのは窓際で立っていたパウラさんだった。
「なんだ、パウラ・マウラ。聖堂騎士団からも彼の勧誘か?」
「あんな古臭い没落騎士団のことなんてどうでもよろしくてよ! そんなことより魔術ギルドからも通達が来ておりますの」
「魔術ギルド……? パウラさんは魔術ギルドの人?」
「……ええ、元々は魔術師ですから。私レベルなら肩書きなんていくつもありますのよ。メルペック教会聖堂騎士団第二位階、魔法大学特任教授、魔術ギルド・クラス大魔導士……挙げだしたらキリがありませんわ」
やっぱり高飛車な性格が人となりを示していた。予想通りだが、それはそれは栄えあるエリートコースを歩んできたのだろう。そんなパウラさんが何か言う度に、シアはじと目を向けて不機嫌そうな顔をしている。
犬猿の仲というものだろうか。
「通達によると、ロスト・オルドリッジを魔術ギルドのクラス魔導士として迎え入れたいとのことですわ」
「……そうか。ギルドが彼の魔法に目をつけないはずもないからな」
カレン先生は口元に手を当てて考え込んだ。
「まぁ大事なのはキミの意思だ。議会にはキミの経歴や背景、人柄も伝えているからそれほど無理強いはしまい。しかし一度は会わせてくれと言ってくるだろうな……一つ考えておいてくれ」
予期せぬ提案に俺自身もどうしていいか分からなくなる。
まぁ目指す道は戦士なんだから、そこだけはブレないように考えよう。どちらにせよ王宮騎士団や傭兵として将来設計を考えるなら、王家と顔合わせするのも悪くないかもしれない。
魔術ギルドは……あまり興味ない。
そもそも俺が使える魔法なんて、時間を止めるのと、魔力の塊で剣をつくるくらいだ。
カレン先生とパウラさんの身体検査が終わり、二人とは別れた。結局、俺の体のことは「わからん」の一言で済まされ、ただ単にさっきの話を持ちかけにきただけなんだなと納得した。
それと家で保管している原聖典『アーカーシャの系譜』、魔導書『黒のグリモワール』は一目確認されただけ。パウラさん的には聖典は怖ろしいもので触りたくもないらしく、魔導書は誕生日パーティーが終わった後に回収にくると言っていた。
……あと念のため、円月輪の残骸も見てもらった。
神の羅針盤『リゾーマタ・ボルガ』の成れの果てだ。
これも確か聖遺物の一つだったはず。
パウラさんの判断では、残骸だとしても教会の封印指定にするべきだということで、それも黒の魔導書と一緒に回収すると言っていた。
○
そして迎える、誕生日パーティー当日。
俺もいろいろ手伝おうと朝から忙しなく働く使用人やらなんやらに声をかけた。だが、どこに尋ねても「お坊ちゃんは動かないでください!」と怒られる始末。自分から動くタイプで生きてきた俺は、人を使うことが下手らしい。
母さんや兄貴たちはいつも通りの優雅な朝を過ごしていた。
シアに限っては空を飛びながら屋敷の外の飾り付けなんかをしている。メイド服を着ながら低空飛行しているせいで風の力でスカートがふわふわと捲くれ上がり、時折パンツやらガーターベルトが丸見えになっていて、下から覗くと、そこから見えるのは神々しき純白の輝き。
空圧制御、万歳。
「なんか手伝おうか?」
「いえ、ロストさんは主役なのでどーんと構えて、ばーんと登場しましょう」
「シアのパンツもばーんと登場してるぞ」
「………」
あー、不味い。怒っただろうか。
俺もパウラさんのように翼をもぎ取られて片翼のロストとなるのか。
「別にいいけどー」
「まじか」
頬を赤らめながらもシアは続けて飾り付けに専念していた。
これはこれで素晴らしい状況だが、良心の呵責に耐え兼ねて逃げ出した。
…
パーティーは昼からなのだが、アルフレッド、リンジー、リナリーのリベルタ親子三人と火の賢者サラマンドはすぐさまやってきた。
「おいおい、これがオルドリッジのアホんだら共の屋敷かよ! ストライドの連中よりデカさが桁違いじゃねえか!」
「ちょっとちょっと……!」
玄関を掻い潜って一階のホールの広さを見たアルフレッドが開口一番に言い放った言葉がそれである。
リンジーがそれを手で制し、出迎える使用人たちに頭を下げていた。
「フレッド、もう傷口はよくなったの?」
俺は空気を切り替えるために別の話題を吹っ掛けた。
「あったり前だろ! 俺は腹にいくつ穴が空こうが何度でも蘇る男なんだよ!」
「俺様の血で塞いでやっただけじゃねぇか。調子にのるんじゃねえよ」
女体化した状態で現れたサラマンドが一言添える。
そこから無限に続くのは喧嘩腰二人による論争。この二人が一緒になると罵詈雑言が飛び交って、一気に貴族の屋敷にふさわしくない不穏な雰囲気が漂い始める。今日のパーティーもちょっと心配だった。
でも今日のアルフレッドはやけに機嫌が良さそうな感じで、サラマンドの憎まれ口も受け流していた。サラマンドの方も似たような感じだ。
というか、二人が少し仲良くなったような気配がある。
助け合いの境地で意気投合を果たしたんだろうか。
「お兄ちゃんっ」
二人のやりとりを意に介せず、リナリーが足元に駆け寄ってきて膝にしがみ付いてきた。
「ずっと会いたかったよー」
あぁ、妹……!
俺の妹!
「おおお、リナリー! 今日は一段と可愛いな」
リナリーを抱きかかえて躊躇なく頬摺りした。
赤を基調としたドレススカートを履いている。
かわいい、超かわいい。
我が妹、最強の天使としてここに君臨す。
まぁ最強というのは冗談でもなんでもなく、あのトリスタンを剣技の鬩ぎ合いで打ち勝ったというのだから驚きである。火剣ボルカニック・ボルガの真の能力がそうさせたというのだが、あの庭園の大地を抉り取ったのがこの細い腕が振るった火剣というのはいまいち信じがたい。
「こら、リニィ! お兄ちゃんの服汚しちゃダメだよ」
リナリーの様子が傍若無人に映ったのか、リンジーが注意した。
どうもリンジーは俺の出生を知ってから遠慮がちな気がする。
「リンジー、俺は俺なんだから別に気にしなくていいよ」
「でもジャックはもう貴族の子で……あ、もうジャックじゃなかったんだっけ……?」
リンジーは躊躇いがちに話している。
彼女が付けてくれた愛称は愛称として、これからもそう呼ばれたいと思っている。
なにより始まりはジャックだったんだから。
「俺はジャックだ。リベルタで育てられた冒険者ジャック。リンジーが育ての親なのは変わらないよ」
その言葉を聞いて、リンジーは少し瞳を潤ませていた。
後から聞いた話では、突然俺が別世界の人になってしまったようで寂しさを感じていたようだ。
アルフレッドも乱暴に俺とリンジーごとハグして「この野郎、でかい男になりやがったな」と頭をぐしゃぐしゃに掻き撫でてくれた。
○
それから魔法学校のドウェイン・アルバーティと校長のガウェイン・アルバーティ、アイリーンやマーティーンさんといったストライド家の御一行、土の賢者グノーメ様、官庁のカレン先生、肩書きたくさんのパウラさんが屋敷にやってきて、パーティーは始まった。
周辺貴族も参加すると名乗りを上げていたのだが、親しい間柄だけでやりたかったので事情を話して丁重に断った。
あんまり堅苦しくやりたくない。
皆にも申し訳ないし。そもそも周辺の貴族の連中はあまり知らない。
俺は暇つぶしに屋根の上でトリスタンと話をした後、彼の手を引いて会場となる庭園まで降りていった。
トリスタンからは俺を破門にすると言われた。
それに納得できないと言い続けた結果、昔話を語り明かしてくれた。話を聞いても結局は納得できないままだけど。うちの屋敷をこれから守り続けてくれると言ってくれたから、いつか隙を見て剣術の盗み見でもしてやろう。
青い空の下。
飾り付けられた庭園で来賓たちがざわついている。
俺は中央前方の長テーブルを丸々一人で使うような状態で座らせられていた。パーティーの名目が俺のお誕生日会なのだから当然と云えば当然だけど、こんなに"主役"感満載でパーティーなんてやったことがないからちょっと緊張した。
祝杯の前は、始めに一言喋ることになっている。
オルドリッジ祝典のような堅苦しい雰囲気を作らず、ざっくばらんな進行で終わらせるつもりだ。
だから俺も極力、形式ばった言葉はやめにしよう。
では、と使用人の一人に促され、シャンパーニュ入りのグラスを片手に取る。酒も前世で少し嗜んだことがあるくらいで、この体では初めてだ。酔った勢いでさらに力が覚醒して世界滅亡とかそういうオチはないよな。
「……えーっと……」
緊張して変な発想が湧く中、なんとか自分を奮い立たせて立ち上がった。
俺を見上げる面々を、一人一人見た。
全員の顔を見渡すとこの六年間、どの人にも本当にお世話になったと思い返す。
「今日は俺のために集まってくれてありがとうございます」
それ以上の言葉は出てこない。
始まりは冷たい雨に晒されて餓死寸前だった。
いろんな人に支えられ、俺は戦士として強さを磨いた。
別に、この家になんか戻るつもりなんてなかったけれど―――。
「……俺は、家族に捨てられてこうなった。父親のことは………許せないけど。でもそのおかげでこうしてたくさんの人と巡り合えた」
それが本音だ。
陰謀が影にあってもこんな素敵な巡り合わせは他にはない。
最後に笑い合えるんだから幸せ者だ。
等身大の言葉で、そんな気持ちだけは伝えたい。
「皆さんにはこれから少しずつ恩返ししていくつもりです。だから、これからもよろしくお願いします」
俺が頭を下げると拍手が沸き起こった。
野次みたいなものも一部飛んできたが、それも愛だろう。
兄貴が立ち上がって前に出ると、祝杯の発声を上げた。
「では、弟の帰還、それと誕生日を祝して―――乾杯!」
「乾杯!」
全員がグラスを上げて、それぞれの席で祝杯の声が上がった。
…
始まると同時に俺のテーブルに真っ先に足を運んできたのは兄のアイザイアだった。
「ロスト―――でいいんだったな」
「うん?」
「……本当に、すまなかったと思ってる」
その真剣な眼差しで何を謝ってきてるのかは伝わった。
「なんだよ、兄貴。しおらしいよ」
「……父上がどうということじゃない。兄として情けないからな。ちゃんとケジメはつけさせてくれ」
「ケジメ? じゃあ正々堂々、喧嘩でもしてみるか」
「おいおい、やめてくれよ。お前に敵うわけがないだろう」
ちょっと意地悪なことを言って、拳を構えてみせる。
俺なりの冗談のつもりだったのだけど、アイザイアはあまり冗談に慣れていないらしくて、反応を見るのが楽しい。こうやって揄うのが昔の仕返しみたいなものだ。
兄貴が去った後、リンジーとアルフレッドとリナリーがやってきた。
「ジャック、あらためておめでとう!」
「リンジー、ありがとう」
「お前のスピーチ、なんか感動したぜ。立派な男になっちまったな」
「うん……でもフレッドにはまだまだ敵わないよ。いつか殴り合いで勝ってみたい」
「へっへーん、いつでも挑んできやがれ」
そのやりとりの中、後ろから母さんが近づいてきた。
母さんはリンジーの手を両手で取って、にこにこと笑っている。
「……? ジャックのお母さん……? えーと、どうもジャックにはお世話になってました」
「………」
母さんは一言も喋らないが、満足そうに頷くとリンジーの足元にいるリナリーに視線を合わせるようにしゃがみ込み、頭を撫でた。
リンジーにはリンダ・メイリーだった頃の記憶がない。
一度胎児にまで戻されたのだから当然と云えば当然だ。『リンダ』という名前に聞き覚えがないわけでもなさそうだが、もうリンジーにとっては前世の自分のようなもの。
でも母さんは覚えているようだ。
目の前にいる女性が、かつての友人だった事を。
にこやかに笑っているのはその友人が幸せそうに家庭を築いていることに満足したからだろう。
イザイア、リンダ、ミーシャの三人は女神の罠に嵌り、立場も関係もばらばらになってしまったけれど、形は違えどこうして顔合わせできた。
それだけで十分だ。
続いて現われたのはアイリーンとその家族だった。
「めでたいのう。やっぱり家族が集まるのは良いことじゃ」
と、祖父マーティーンさん。
「ジャックくん……僕たちを助けてくれたのに、ろくにお礼できなくて申し訳ない。オルドリッジ家の再興にはストライドからも援助をだすよ」
と、父パーシーンさん。
「まさかオルドリッジ家の三男だったなんて驚きだったけどね。僕からもありがとう」
と、兄チャーリーン。
この三人は名前が紛らわしい。そしていつも機関銃のように我が儘を捲し立てるアイリーンは、その三人の背後に隠れて黙っていた。服の裾を握りしめ、下唇を噛みしめている。
「アイリーン、ほら、何かお祝いの一つでも―――」
兄に背中を押されて俺の前に出てきたアイリーンだったが、そっぽを向いて何も言わない。俺がなんだなんだと顔を覗いても、目を潤ませて下唇を噛み続けていた。
「……ふん………私の初恋を返してよ……」
何事かと思えば、そういうことか。
まだ何も言ってなかったけど、アイリーンには俺とシアが恋仲になった事が伝わったらしい。押しかけ女房よろしく俺に全面アピールしていた子だ。失恋とあっては悔しさが込み上げても仕方ないだろう。
気持ちには応えられなかったけど、アイリーンにも感謝しなきゃいけない事はたくさんある。失踪した俺を探そうと必死になってくれたのも、記憶喪失だった俺を思い起こさせてくれたのも、全部この子だ。
それに今日もわざわざ来てくれたんだからな。
「今日は来てくれてありがとう。その……これからもよろしく」
俺が手を差し出すと、アイリーンはその手だけちらりと見た。
そのあと、恐る恐る手を出して俺の手を握り返してくれた。顔はそっぽを向いて視線は逸らしたままだが。それがお嬢様流のプライドの保ち方なんだろうか。
さらに、ドウェインとトリスタンがやってきた。
トリスタンはただドウェインに連れてこられたという感じで渋々だったが、ドウェインは顔を真っ赤にしてふらふらと上機嫌で歩み寄ってくる。
「ドウェイン……いくらなんでも飲み過ぎだ」
「いいのいいの! 今日はナンシーさんもいないし見栄張る必要なんかないんだからねぇ」
ナンシーさん、まだこの男に付き纏われてるんだ。
ドウェインも駄目なところもあり、出来るところもあり、正直なところ元リベルタ内では一番普通の人と言えば普通の人だった。
他が超人すぎたというのもあるけど。
「実はねぇ、今日はジャックくんにサプライズゲストを呼んでるんだ。そろそろ来ると思うんだけど―――」
「サプライズゲスト?」
その直後、庭園の上空をピィーーと甲高い音を立てて何かが横切った。
皆、何事かと思って空を見上げる。それからもピィーピィーと何回も甲高い音が鳴り響く。空には光の尾を引いて、鏑矢のような形状をした何かが何本も横切って空中で消えてしまった。
「鏑矢……? ん、もしかして―――」
そう思って庭園の入り口の方を見ると、門を超えて歩いてきたのは見覚えのある二人組だった。紺色の正装のローブを着込んで歩いてくる女性二人。片方は杖を、片方は今鏑矢を放ったらしき弓を握りしめていた。
魔力の結晶で弓矢を作りだす人物なんて知り合いに一人しかいない。
歩いてきたのはリベルタの元メンバーのリズベスと、それから魔術ギルドの同僚ジーナさんだった。
「おい、まじでリズか!?」
第一声をあげたのはアルフレッドだった。
それに合わせてリンジーも立ち上がる。
「まったく……私に招待状がないなんてどういうつもりよ、ジャック」
「ロストさんが無事にご家族と再会されたと聞いて、私もお祝いにきました」
驚いた。
あの二人とはアザリーグラードを発って以来、顔を合わせていない。確か魔術ギルド本部に戻るために王都へ向かったと聞いていたが、まさかわざわざ来てくれるとは。
不満を漏らされて、どう答えていいか分からなくなった。
それにしてもドウェイン、粋な事をしてくれるな。
「……いや遠いところにいるだろうから、遠慮しちゃって」
「薄情者ねぇ。向こうの大陸では色々助けてあげたのに」
皮肉げに溜息をもらしたリズベスに、リンジーが我慢できずに飛びついた。
「リズーー!」
「わ……、リンジーも元気そうね」
「うん……うん……久しぶりに会えてよかった」
感極まったリンジーは泣き出した。
ドウェインはそんな光景を見てへらへらと笑っている。どうだどうだとご満悦な様子。トリスタンはただ無表情で眺めていた。アルフレッドもリズベスの登場に驚いてはいたが、わだかまりも気にせず背中をばんばんと叩いていた。
――シュヴァリエ・ド・リベルタの面々もこうして再会を果たした。
「ロストさんもしばらく見ない間にずいぶんと……その……? なんか肌色が違いませんか?」
「あぁ、ちょっとその、色々あって」
リベルタの連中がわいわいと再会を興奮して騒いでいるところ、ジーナさんに話しかけられた。
ジーナさんは相変わらず礼儀正しい。
「魔術ギルドのことはいろいろ落ち着いたんですか? その……アンファンも亡くなって――」
「ギルドはそれほど。大変なのはユースティンお坊ちゃんの方でしょう」
「あぁ……」
出来ればユースティンもこのパーティーに呼びたかった。
あいつもシアと並んで世話になった大事な友達だ。
いつか会いに行きたいな。
「おーーい! ジャック、こっちにこいっ!」
突然、アルフレッドが怒鳴り声を上げてびっくりする。
「え、なにっ」
「リベルタ再会を祝して、お前を胴上げだ!」
「はぁ!? なんだよ、突然―――」
見ると、庭園の真ん中でアルフレッドとリンジー、リズベス、トリスタン、ドウェインの五人、それからリナリーが集まっている。それぞれ、あの時と比べるとだいぶ変わってしまったけど、でもそうやって寄り添う姿を見るとあの日々を思い出す。
俺は、この時ばかりはジャックに戻ってその輪に加わりたいと思った。
「……うん、わかった!」
俺は幸せ者だ。
あんなところにも家族がいる。
…
会食は滞りなく(サラマンドが暴れてケーキを丸焦げにしたり、グノーメ様が俺の胸元に食い込んだ指環を発見して興味本位で服を脱がしてきたりといった賢者インパクトは湧き起こしてくれたが)、日も落ちてきたところで散り散りに解散となった。
貴族界でよくある社交ダンスみたいなことはしない。
飲み食いだけして、適当に好き勝手立ち去る。
冒険者の流儀で最後は締めたかった。
リズベスとジーナさんは王都からわざわざ来てもらったのだから、屋敷に泊まってもらうことにした。ドウェインが呼んだ二人だが、実は兄貴も屋敷の使用人たちも彼女たちが来ることを知っていたようだ。
肉親とも和解し、リベルタの再会も見ることができた。
何もかも順調だ。
後の人生は、自分のことで頑張ろう。
俺は戦士になる。
その夢を目指して、これから着実に歩んでいけばいい。
(第4幕に続く)
大団円につき、ひとまず連載開始から長らく考案していたストーリーは終わりです。第4幕以降はプロットを二つ組んでおり、どちらを採択するか決めかねています。そのため、次回更新までに三週間ほど休載させて頂きます。
ご愛読ありがとうございました。
※ 次回更新は1月31日(土)を予定とします。
作者の未回収伏線メモ:ハイランダーの業火/ラインガルド/王宮騎士団/他の聖遺物/マナグラムの不具合/ユースティンの姉
※ ↑上記以外に気になる点がありましたら教えてください。




