◆ 暗殺者Ⅲ
マルクが死んだ。
帰郷して俺がそれを報告すると、同胞たちは口を揃えて「アイツは早死にしてくれて良かった」「集落の恥晒しだ」と冷淡に言い放った。彼が早死にするだろうということは俺も予想していたが、しかしこれほど早くに別れが訪れるとは思いもよらなかった。ましてや、良かったと思うなんてとんでもない。
あの少年が里の中で一番、信念が強かった。
商売道具として飼われていることに疑問を抱かず、ただ淡々と仕事を熟すこの戦闘狂の連中と比べれば、こんな狂った世界に抗う術を誰よりも知っていたのだ。
俺も、そんな少年を羨ましいとさえ感じた。
―――冒険者になりたかった。
その彼が目指した"冒険者"という職業に興味を抱いたのも確かだった。だからこそ、マルクとの思い出を、俺という人間の始まりとして語りたい。
次に訪れた転機もその彼がもたらしたものだ。
○
遺されたのは、五歳の弟のトーマだった。
俺は悩み抜いた末にトーマにはマルクのことを話さまいと決めた。五歳ならば兄の存在も時間とともに朧げになるに違いない。安易だが、そう決心して寝泊りしていた長屋に戻った。
しかし、軒先で明るく出迎えたトーマは開口一番にこう言った。
「あれ、兄ちゃんは~?」
……甘かった。
あれほど引っ切り無しに兄弟でじゃれ合っていたのだ。人の情調とは歯車のように淡泊に回せるはずがない。暗殺の心得を習熟した俺ですらそうなのだ。
結局のところ、暗殺者といってもヒトの子。感情なしでは生きられない。
剣ヶ峰にて体得した ≪秘剣ソニックアイ≫ も、激昂がもたらした影真流の極み。皮肉にも、最速を極めた最高峰の剣技は、心の平静を保った者が刹那的に感情を爆発させることで生み出す慟哭の十連撃だったのだ。
マーティーン氏が俺に教えた"生"と"死"への執着は、そんな崇高な奥義を手にする基盤だった。
「……兄ちゃんはどこ~……? いつもお兄ちゃんと一緒だったじゃん」
トーマは、返答に困る俺を見上げて眉をひそめた。その明るく茶色の髪や、よく変化する柔らかい表情も亡き兄と酷似している。
どうしていいか分からない。
もうマルクは戻らない。暗殺者の代わりはいくらでも居たとして、トーマの兄の代わりは何処にも―――。
「俺が……」
ふと漏れた言葉に、俺自身も戸惑った。
「……俺が、兄ちゃんだ」
その言葉にトーマは一瞬ぎょっとして一歩身を引かせた。俺はそのひ弱な肩を両手でつかみ、引き寄せた。演じなければならない。トーマにとって、唯一の兄が俺であると、信じ込ませなければいけない。
抱き締めて、その小さな頭を撫でた。
彼はよくこうして弟の体によく触れていたはずだ。
「よしよし、トーマ」
だが、上手く言葉は出なかった。
いきなり理想の兄にはなれなかった。あのような明るく快活に言葉は発せられないし、感情も表に出せない上に、彼ほど感情の起伏が大きいわけでもない。
それは五歳のトーマから見ても、不器用な演技に映ったかもしれない。
俺がしばらく頭を撫で続けると、トーマも強張っていた体の力を抜いて、俺の腹に顔をうずめてきた。
「……おかえり、兄ちゃん」
顔をうずめたまま、トーマは言った。
きっとすべてを察したのだろう。その証拠に、俺の腹にじわりと温かいものが染みこんでくるのを感じた。
俺が今日からトーマの兄だ。
代行者の役割には慣れている。
兄の代わりとなり、俺がこいつを守っていかなければ。
「あぁ、ただいま」
○
連れ帰った奴隷のうち、長は使えそうなものを篩にかけた。
身体能力が高そうな者。
魔力の素養が高そうな者。
それらは依頼主の奴隷商に「死んだ」と伝え、他は引き渡した。
そういった選別の中で一際目を引いたのが、マルクの死に際に出会った金髪の少女だ。彼女は金色の長い髪と赤い瞳が特徴的な少女だった。どう見ても暗殺者として育て上げるには容姿で損をしている。闇夜に紛れるには不利であるし、そもそもこの少女は痩せ細っていて戦闘能力が低そうに見える。
しかし、彼女が秀でていたものは魔力だった。
彼女はグレイスと名乗った。
その色の薄い容貌から判断するに北東の紛争が絶えない国から流れ着いたようだ。瞳は輝きを失い、どこか虚ろな表情をしている。人身売買の被害にあった者には珍しくない反応だった。
魔力測定器で魔力を観測したところ、表示された数値は俺たちなどと比べると桁が一つ違った。
件の奴隷商への襲撃の失敗もあり、長は魔術に長けた暗殺者を養成することを優先したいと判断し、グレイスを育てることとなった。
訊くに彼女は俺と同い年だそうだ。二か月ほどが経った頃にはグレイスも体力をつけ、剣術や投擲などに多少慣れてきた。年齢もまだ若かったことが幸いし、成長も早かった。
彼女との出会いは下賤の鮮血を浴びる血染めのものだ。
第一印象が悪かったからか、当初は俺とすれ違うだけで怯え、避けられていた。俺も彼女とは極力関わらないようにしてきた。
マルクのこともあり、人との出会いや別れに過敏になっていたのもある。
しかしある夜更けのこと。いつものように丑満時に、誰よりも先に起きて夜が明けるまで鍛錬を積んでいたときだ。
風も無く、草木の揺れもなく静かだった。≪影斬りソナーアイ≫ や ≪大禍斬りドップラーアイ≫ の練習をしているとき、背後に忍び寄る気配を感じた。
「キミか……」
厚い雲がかかり、月や星々の灯りもない今は視界には何も映らない。
心眼を用いてその姿を写し取り、グレイスの姿を見定めた。彼女は髪と同じ金色の魔力と、紫の魔力を辺り構わず撒き散らしているため、分かりやすかった。
「……その、あのときはありがとう」
礼の矛先が間違っている。
俺は奴隷たちのことなど眼中になかった。
助けようと単独で奴隷商に乗り込んだのはマルクだ。
「ずっとお礼を言いたかったのよ。……でも……怖かったから……」
震える口調だった。
「仕方あるまい。俺もあんな剣技は初めて使った。加減を知らん」
あのときの話はあまりぶり返したくない。
友の死の場面を彷彿とさせるのもあるが、己が美学に反する人斬りだった。
醜い下賤共を鉄錆に変えてしまうのは気分が良いものだ。一種の快楽、はたまた酔狂に浸る行為だ。アレに堕ちれば、狂人ともなろう。それは暗殺の心得 ≪五、練磨の心得≫ に反する。
険のある声音を察したのか、グレイスは押し黙ってから別の話題を振ろうとその場を取り繕った。
「……と、ところであなた、名前は?」
「トリスタンだ」
「……Tristan?」
名前の由来など考えたことなどないが、グレイスは妙に引っかかるのか、俺の名前を何度か反芻した。
「その……友達は、残念だったわね……」
「………」
彼女なりに色々と気遣おうとしているのはよく伝わったが、どうもそれが裏目に出る。思い出したくもないものを話題にあげられるのは些か返答に困る。
気まずい雰囲気を漂わせた。
しかし、それも仕方ないのだろう。
俺とグレイスの接点は、まだそれしかなかったのだから。
「あいつは作戦を守らずに死んだ。一方でキミはこうして新しい道を与えられた。俺はその結果を残念には思わない」
俺なりの気遣いの言葉だったのだが、どうにも口下手な自分では伝えたいことが伝わっていない気がした。だが、俺のその言葉に面食らったように目を瞬かせたグレイスは、戸惑いがちに微笑んだ。
「変な人ね………ありがとう、私はグレイスよ。これからよろしくね」
手を差し伸べられたが、どうしていいか分からない。
グレイスは戸惑う俺の手を取り、握手という作法を教えてくれた。
世界にはまだ知らぬ作法が山ほどあるのだ。
それからグレイスとは夜更けに一緒に修行に励むことが増えた。
マルクは寝坊助だったからこうして切磋琢磨することはなかったが、彼女は俺によく寄り添ってくれたのを覚えている。彼女の技は鮮やかで可憐だった。しかし、仕事を熟すごとに心が病んでいく様子は手に取るようにわかった。俺とは違って、正常な倫理観では暗殺とは心苦しいものなのだと、そんな彼女を眺めていて感じた。
○
十歳。
マルクの死から一年が経ち、転機は訪れた。
グレイスやトーマとの関係にも落ち着きを見せた頃合いだった。
俺は集落の長に呼び出され、あの屋敷で正座させられていた。
「ルイス=エヴァンス家のことは覚えているか?」
それは確か一年前にマルクと組んで子どもの暗殺を依頼された仕事だった。
北方クダヴェル地方の地元貴族ルイス=エヴァンス家。地方貴族ののさぼりを防ぐために子殺しを依頼された件だ。あれが一つの引き金になったのだから覚えている。
「ランスロット・ルイス=エヴァンスを暗殺せよというものですか」
「そうだ。実はあれ以降、依頼人はまだ機をうかがってるのだが、とうとう好機が訪れた」
依頼人とはメルペック教会のオージアス・スキルワード。
教会の聖職者が執拗に殺したい相手とは如何ほどかと思うが……。
「あの襲撃でルイス=エヴァンス家が警戒を強め、屋敷の警衛を募集し始めたそうだ。その募集に乗ってルイス=エヴァンス家に潜伏しろ」
「……老師、僭越ながら俺はまだ十を迎えたばかりです。貴族の用心棒役には向いていない」
体格を見ても一目瞭然だろう。貴族の用心棒は少なくとも成人した者が務めるものだ。ルイス=エヴァンス家も、子どもが門を叩いたところで相手にはしないはずだ。
「だが、募集している警衛の対象年齢が十代の子どもだそうだ。これほどの機会はない」
十代……なんとも信じがたい。
警戒を強化したいわりには、子どもを募集するとは――――さらには一年前にランスロットに襲いかかった刺客も子どもだったというのに、おかしな話だ。
ルイス=エヴァンス家は信頼できる筋から人材を探すために、メルペック教会に頼み込んで警衛を募集したと云う。まさかその教会側の人間から命を狙われていると露も知らずに。
どこか抜けている貴族だ、と滑稽に思えた。
…
ルイス=エヴァンス家はクダヴェル地方の片田舎にあった。
丘の上に位置し、人気が少ない。長閑な高原にひっそりと立つ洋館は古風だったが、それが平和の象徴に思えた。屋敷の門も鉄柵を開閉させるようなもので所々が錆びている。地元貴族とはこういう古い歴史を持っていることが多いが、今どき無防備だと感じた。
俺は用心棒としてその屋敷に住むことが即時決まった。
月に一度は帰省という名目で暗殺者集落へ戻り、情報を明け渡す。
―――諜報者というやつだ。機を狙い、依頼人から合図があればすぐに内部から攻撃をかけるのだ。これは非常に長期間を要する仕事となるため、高度な任務と扱われる。俺にもそんな役回りが回ってくることになるとは思いもよらなかった。
幸いにも、王都で一度会った母親と使用人は俺のことなど覚えていなかった。あのときはマルクがほとんど話しかけていたし、格好もだいぶ変えていたからだろうか。そして警衛の資格用件では十代となっていたが、十歳では些か若すぎないかと心配していたのだが、それもまた奇異なことに、それくらいの年齢がちょうど良かったのだそうだ。
「あれ……お兄ちゃん、僕とどこかで会ったことない?」
屋敷の中、長卓が置かれた食事用広間でランスロットと再会したとき、真っ先に言われた言葉がそれだった。子どもの方が勘は良いようだ。
「いや、ない。俺はトリスタンだ。この屋敷の警衛を務める」
今回はタントリスではなく、里の通名のまま潜入するようにと指示を受けている。失敗すれば後がないということを暗示していた。
当初、貴族の警衛役とはどのような仕事かと期待していたが、与えられた役割を聞いたときには、そういうことかとやけに納得した。
俺は、ランスロット・ルイス=エヴァンスの世話役兼、友人役を宛がわれた。今回の警衛募集の真の目的は、ランスロットの友人を作ることだったようだ。
それも剣に精通し、護衛が務まる者。
その背景を聞かされたのは、まだ俺が屋敷にきて一週間も経たない頃だった。
裏庭の薪割り場にて、ランスロットは遊んでいた。
一人で走り回り、折れた木の枝を振り回し、きゃっきゃと笑っている。その様子を外壁の傍に立ち尽くして眺めているのだが、何が楽しいのかと素朴に疑問を抱いていた。里に置いてきたトーマもそうだが、四、五歳程度の子どもというのは一様に理解しがたいことで笑う。
そも、集落の中でも一際、俺自身が情緒を欠いていた。
ヒトの感情は理解しがたいものばかりだと納得していた。
ランスロットは木の枝を剣に見立てて振り回し、拙い動作で剣士の真似事をしていた。
「どうだい、あの子の様子は?」
外壁の窓から身を乗り出していたのは、ここの当主ヴァンデロイ・ルイス=エヴァンスだった。
想像していたよりもずっと人当りの良さそうな柔らかい表情を浮かべる。司教オージアスの暗殺の標的にされるからには、相当の野心家なのではと予想していたが、差してそんな様子もない。この片田舎の丘の上に構える屋敷でのんびりとした生活を送っている。
俺はその男に目を向けて、淡々と答えた。
仮初めの関係だが、俺が仕える主のような存在だ。
誠意を示してこの男に取り入っておかねばならない。関係性を保ち、今だという合図があれば、あそこで無邪気に駆ける子か、あるいはこの当主を抹消する真の任務があるのだから。
「健康面に問題はない」
「い、いや、そういうことじゃなくてね……ほら、うまくやれそうかい? 友達として」
「……?」
その問いに対して、返答しかねた。
友達として上手くやれるかどうか、そもそも俺に友と呼べる者はこれまで一人しかいなかった。比較対象が少なすぎて何とも言えないのだ。マルクとも死ぬ間際になってようやくそれが友だったと自覚した程度だ。そんな偏った経験では、判断しかねる。
「キミだってまだ十歳程度なんだろう? 剣の腕前は前にも確かめさせてもらったけど、子どもだってことはこっちも理解してる。別に雇われてるからと気を遣わず、息子と仲良く遊んでくれてもいいんだよ」
―――俺は勘繰った。
心眼の能力でも、言葉の真意は汲み取ることはできなかった。
なぜか、その感情の色を窺い知ることはできない。
あるいは、煽られているのでは、と……。計算しつくせる可能性をすべて鑑みた結果、もしやヴァンデロイは一年前に息子を襲った子どもを探していて、その子どもを八つ裂きにでもするべくこうして「十代の警衛」などというふざけた求人を出したのでは、と。
探りを入れるために鎌をかけてみることにした。
「若君は、方々から命を狙われて大変でしょう。俺が身代わりになる覚悟はできている。仲を深めれば、もしものときに心痛めるのでは……」
「………」
ヴァンデロイは目を丸くした後に、少ししてから屈託のない笑顔を示した。俺が鎌をかけたとも思わず、無防備な感情を曝け出している。
「はっはは、キミは本当に十歳かい?」
彼はしばらく笑い続けてから堪えるようにしてから続けた。信頼できる者に真意を打ち明けるときのように、真面目な口調で。
「その精神、息子にも見習ってほしいよ。やっぱりキミを雇ったことは正解だった」
「……?」
「実はルイス=エヴァンス家は、ルーツを辿ればそこそこの騎士階級だったんだ。王族に仕え、騎兵として戦果を上げて、クダヴェル地方の領主階級まで叙任された。今時よくいる遍歴騎士とは違う正式なやつだよ。古臭いけどね」
ヴァンデロイは活き活きと語り始めた。
隠し事をするような素振りもなく、俺もそれがすべて真実だと心眼を通して見極めることができた。
「ただご覧の通り、今は没落寸前で、そんなものは錆びれた名誉だ。………僕はもう一度、ルイス=エヴァンス家に栄光を取り戻したい。だから、息子には強くなってほしい。ルーツとなった当代と、まったく同じ名前をあの子に付けたのも、そういう願いを込めてなんだ」
ランスロット・ルイス=エヴァンスを立派な騎士として育て上げる。
それが現当主ヴァンデロイの願いだった。
俺という若造が警衛として雇われたのは、屋敷の警護役でもなく、子守役でもない。幼子に剣術を教える存在、そして刺激を与える友人が必要だったということだ。それが直々に募集をかけて公に知られてしまうと、一年前と同様に何処からか暗殺を企てる輩が現われることを、ヴァンデロイも理解した。
―――だから厭くまで"屋敷の警衛"役。
さらに深く話を聞いた所によると、「王宮騎士団」という王家専属の騎士達こそが、騎士団の中で最も栄誉ある存在なのだという。
ランスロットをその騎士団に加入させることが最終目的なのだとか。
だが、王宮騎士団も古来のように、ただ剣術に優れていれば良いわけではないと云う。剣術に加えて、何かしら秀でた"魔法"を使えなければ認められないということまで、ヴァンデロイは調べ済だった。
そのため、彼には剣術を教えた後、魔術も教えようと考えているらしい。
後々聞いた話だが、メルペック教会側がルイス=エヴァンス家の成り上がりを防ごうと企てた背景も、この"魔法"に起因している。そもそもメルペック教は魔法を秘匿としたい集団だ。ヴァンデロイが何か魔法について探りを入れたことを、教会側が良く思わなかったのかもしれない。
ここでも魔法が付き纏う。
"魔法至上主義"という時代を感じさせた。
……それにしても、どこまでも間の抜けた貴族だ。
周到に用意しているように聞こえるが、一年前の暗殺を企てたのはメルペック教会の人間で、剣や魔法の腕を磨こうとしている事は奴らに知られている。さらには暗殺を実行に移そうとしたのもこの俺だ。
今もこうして俺という刺客が送り込まれ、牙を向けられている。
そんな毒気のない彼らを見ていると、この俺の毒牙も浄化れてしまいそうだ。
○
一月に一度の帰郷で、長には随時ルイス=エヴァンス家の動きを報告した
幸いにも、俺が報告した内容は既に顧客であるオージアス・スキルワードも握っている情報だったようで、しばらくはルイス=エヴァンス家の警衛役として待機せよということだった。
帰郷のたびに、トーマやグレイスとは言葉を交わし、彼らの成長を少しずつだが感じていた。六歳になったトーマにもいよいよ暗殺業としての修練を始めさせるそうだ。俺はそれを聞き、またしても今まで感じたことのない複雑な感情を抱いた。
死んだマルクの影が付き纏う。
トーマも、マルクと同じ轍を踏むのではないかと―――。
一方で、ルイス=エヴァンス家での日々は平穏そのものだった。
俺はこちらの屋敷ではランスロットに剣を教えなければならない。
弟が二人も出来たような気分だ。
半年経ったある日、魔物狩りに同行を頼まれた。
王国北方のクダヴェル地方は、北の国境とされている山脈沿いまでが領土内だ。だからほとんど高原が続くような地形となっていて魔物の数も少ない。たまに冬の季節に"霜の妖精"が家屋に悪戯する程度だ。
こちらの地域で狩りの対象とされるのは、点々と縄張りを移動する"小人魔族"。
今回、俺が同行させられたのはそのレプラコーン狩りである。レプラコーンは魔物の中でも知性が高い。商人をやっている者もいるそうで、魔族(王家が人権を認める魔性の種族)と認めても良いのではないかとよく議論されているところではあるが、残虐性や倫理観といった観点が、魔族とは相反するため、結局は"魔物"扱いである。
魔族と魔物の違いで例を挙げるとすれば、ゴブリンは"魔物"だが、ほぼ同じ概観のホビットは"魔族"である。知性だけでなく協調性や温厚性といった性質も加味されているようだ。
また、独立して国家を築ける種族は、魔族とは別物として扱われている。妖精族や小人族、獣人族などがそれである。
レプラコーン狩りは対人戦の模擬練習によく使われていた。知性があるため、剣などを扱うが、体格が小さいために、非力で、負けても重傷を負う可能性が少ないからだ。
高原を馬車で移動し、俺はその傍らを歩き続けた。
遠くから一体のレプラコーンを確認し、俺は馬車内へと合図を送った。
出てきたのは、ヴァンデロイとランスロットと、もう一人の従者だった。
「ほ、本当に僕が、戦うの……?」
彼は心許ない短剣を両手で握りしめて、目に涙を浮かべていた。
剣術に関しては多少は教えたのだが、この五歳児の少年はあまり期待できそうにないと俺は思っている。平穏な環境でぬくぬくと育ちすぎたのだろう。木の枝は振るえても、傷をつける凶器を扱うのは怖ろしいことだったようだ。
俺たち暗殺者集落の人間は、物心つく前から既に小型の魔物の死骸を凶器で解体することを日課に課され、五、六歳となれば生きた獲物を狩らされていたために特に抵抗はなかったが、食事も衣類も与えられる環境で育ったこの少年には、そもそも生き物を傷つけること自体、難しかったようだ。
「ランスロ、お前は、一人前の騎士になるためにはまず戦いを知らなければいけない」
ヴァンデロイは発破をかけるのだが、一向にランスロットは動こうとしなかった。足が竦んでいる。遠くで岩に座っているレプラコーンは休憩をやめ、鞄を背負って再びどこかへ行ってしまいそうになっていた。
焦ったヴァンデロイは近くにあった石を拾って、そのレプラコーンに投げつけた。
ちょうど石が直撃し、その魔物はすぐさま振り返った。俺たちの存在を認識すると、恐ろしい形相で腰に仕込んだナイフを手に持ち、こちらに向かって走ってくる。
「さぁ、ランスロ、戦え!」
やけに厳しい教育方針だ。ヴァンデロイも俺が護衛として控えていることに安心しているからこそ、ここまで息子を追い込もうとしている。
息子の背中を押し、ヴァンデロイは遠くの岩肌に身を隠した。俺も少し下がり、取り残されたランスロは走り迫るレプラコーンと一対一で対峙した。
―――結果は散々だった。
ランスロットは足の竦みに限界がきたようで、いよいよ尻餅をついた。
小便を垂らして泣き叫んだところで、俺は影真流の剣技で速攻をかけ、レプラコーンを解体した。
彼を助ける直前、少し魔が差したのを覚えている。
このまま見過ごせば、ランスロットは死ぬ。
それもそれで楽ではないかと考えた。解雇されて集落に戻れるし、トーマやグレイスとも一緒に過ごせる。別の任務が与えられて、以前のように"暗殺"が出来る。
そうだ、俺は人殺しに飢えていたんだ。
これまで意識はしていなかったが、よくよく思い返せばもう長いこと人を斬っていない。体は血肉を欲していた。ならば、早くこの仕事も終えて次の暗殺に……。
≪五、練磨の心得≫
僅少を大造に観せ、慢心して鼓舞するは仮令才ありしも其の用を果たさず。戮に転じぬ気象と狂を往なす器量こそ、誠に暗殺者の体と云ふべし。
はっとなって、俺はランスロットを助けた。
そんな酔狂は飲みこまなければならない。
殺戮に転じず、狂気を受け流す。
己を律することが、≪暗殺の心得≫ にも標されている。
「あぁ、良かった……。良かった、ランスロ……やっぱりまだ早かったようだね、父さんが悪かった」
振り返れば、親子は抱きしめあっていた。泣き叫ぶランスロットに謝りながらヴァンデロイは我が子に熱い抱擁を捧げる。
「………」
理解ができない。
その境遇へ追いやったのは父親ヴァンデロイ自身だ。
それを後から詫びて、そうやって我が子を抱きしめる。
理解ができないのだが、しかし―――。
きっとヒトというのは複雑な生き物だ。
理想や憧れを抱いては、時には周囲に厳しく当たり、しかし情を持ち出して絆を深める。その光景はあの兄弟のやりとりを彷彿とさせた。
どうもこの親子を見ていると"家族"というものを考えさせられる。
それが理解できない限り、俺はトーマの兄役には成り得ない。
……家族とは何なのだろう。
(「◆ 暗殺者Ⅳ」に続く)
※ 王宮騎士団については「Ep86 想いの系譜」で主人公が調べ物をする中で少しだけ登場しておりますが、次幕から深く関わることになります。
※ 登場する種族(ヒト族、妖精族、小人族、獣人族、巨人族、魔族)についての補足説明を入れてみました。
※ 地域の名前が頻出すると分かりにくいですので、エリンドロワ全域を示す世界地図②を作製予定です。




