◆ 暗殺者Ⅱ
九歳。
マーティーン・ストライド氏から伝授されたのは暗殺の心得、剣術、体術、心眼の四つだった。暗殺の心得は五箇条ある。
一、清粋の心得。
暗殺者と申すは、命を喰らうべき業にして、此の餌を取り失ひ、軽々しきは悪しく候。
二、没義の心得。
温情を煩悩と心得て除け置き、血統の雌雄を家格門閥と心得て守株せり。
三、平蕩の心得。
心荒ぶとも情動に投身せぬが能きなり、有余あるに非ざれば、清粋に心付かぬもの也。
四、耐睡の心得。
緩急の所業に入て暗を以て貫き殺を以て裁す為、朦に至りて睡に偏めば成し難き事となるべし。
五、練磨の心得。
僅少を大造に観せ、慢心して鼓舞するは仮令才ありしも其の用を果たさず。戮に転じぬ気象と狂を往なす器量こそ、誠に暗殺者の体と云ふべし。
この心得を誤解したままでは、きっと仕事道具と成るための都合のいい戒めになっていただろう。二年前までの俺がそうだったように。だから此れをあらためて老師から説いてもらえて良かった。
今ではこの心得も正しく理解できる。
そして剣術も―――。
…
草木も眠る丑満時。
闇夜に潜む敵を心の眼に写し取る。
視覚に依存せず、五感を刺激して己のすべてで世界を感じる。
音、匂い、空気の感触。
生と死に無頓着ならば、これらを身を以て感じることは出来ない。
概観的ななにかを瞳を通してぼんやり眺めるだけなのだから。
《心眼》とは、経験則が物を云う。
だからこれまでの虚ろな俺には《心眼》を使いこなせなかった。
しかし、今は違う。
「………」
切っ先で風の切れ目を縫った。
俺の剣閃は音も立てずに、右から迫る対象へと辿り着いた。
対象の顎へと突き立て、動きが止まる。
「お見事じゃ」
老師は首に一筋の血線を垂らす。
お互いが盲目のまま、振り抜いた一閃の勝負。
技比べだ。
老師の剣の流派は"影真流"という。一代目の「闇討ちのストライド」が極めた暗殺に特化した剣技だそうだ。暗殺向け故に少数派の剣技だが、世界にいくつかある流派の中では最速の剣を誇っている。
国で一番門下生が多い流派は"聖心流"という一騎打ち向けの王道の剣技。
次いで多いのが"機神流"という多数戦で真価を発揮する変則的な力押しの剣技。
影真流は、上段の構え、中段の構え、下段の構えの三つを基本として、そこから派生した技を以て相手を斬る。俺はそれらの技をこの二年で身に着け、今放った《影斬り ソナーアイ》も老師の技と互角にまで登り詰めた。
「これで影真流のほとんどの技を伝授してしまったようじゃ」
マーティーン老師は首を拭って、溜息を一つついた。
「もうおぬしに教えられるのは影真流の秘奥義くらいかのう」
「秘奥義? そういったものは後継者の一人にしか受け継がないと聞きます。いいのですか?」
「うむ。ストライドは既に暗殺業などやっておらぬ。富と地位が十分築かれた今となっては、わしの息子にも暗殺術など教えておらぬよ」
「そうだったのですか」
「おぬしに最後教えるのは《秘剣 ソニックアイ》。残された時間ではすべてを伝授することはできぬかもしれんが……まぁ、たかが九歳でこれほど上達するのなら、自己鍛錬で体得できるじゃろう」
雲間から漏れる月明かりが老師を浮かび上がらせた。
風が舞い、この集落の木々を騒がせる。
今一度、剣柄を握りしめ、対峙する老人は剣を中段に構えた。
「良いか、トリスタン。討つ前に敵に発見されれば暗殺も未遂に終わる。そこから始まるのは真っ当な殺し合いじゃ。じゃが、この秘剣は敵に見つかった後さえも"暗殺"を可能にする奥義―――」
老師は腰を低く落し、足を踏みしめた。
「ゆくぞ………!」
刹那に消える影。しっかりと月明かりが照らし出したはずの老師は、瞬き一つの間にその場から消えた。
―――そして目の前で十の剣戟が空を斬り裂き、通り過ぎてた。
視えていたはずが、視えなくなった。
不可視の剣技《秘剣 ソニックアイ》。
俺は秘剣に魅了された。
○
マーティーン氏は孫娘が生まれる予定があると言って、《秘剣 ソニックアイ》を見せたあの日から三日後には忽然と居なくなってしまった。
離別は突然で、別れも淡泊だった。
残酷な所業を重ねてきた老師でさえも家族の事となれば一介の老人に過ぎないということか。
三日程度の伝授では、いまいち《秘剣 ソニックアイ》をモノにすることは出来なかった。
自己鍛錬を積み重ねて技を究めようとするのだが、どうにも速戟の剣技との差が生み出せない。俺が魅了されたあの秘剣は、確かに瞬き一つの間に十の連撃を繰り広げた。剣を早く振るうだけでは五、六連撃が関の山といったところ。なかなかに難しい。
ストライド家の孫娘は無事に産まれたと聞いたが、マーティーン氏はもう戻らないそうだ。すっかり溺愛してしまい、当面はこの物騒な里に近寄りたくない、と……。
季節のように遷ろうヒトの立場、そして出会いや別れとは不思議である。
境遇が違えば、まったく別の関係となるときもあろう。
そんな流動的な関係が"人間"というものなのだと漠然と気づいていた。
―――あの日々もそうであったように。
仕事の定番は夜の任務だった。
しかし、子どもだった俺たちにとって、暗殺の形態も千差万別だ。たまに昼に遂行するものもある。九歳になったばかりの俺とマルクは二人組となって、ある貴族の子どもを暗殺する任務に就いた。
依頼人の名前はメルペック教会のドルイド、オージアス・スキルワード。
エリンドロワ王国北方《クダヴェル地方》にいる地方貴族が今回の標的だ。
北方のクダヴェル、西方のエマグリッジは王国領土では田舎とされ、中央のエリンドロワ、東方のバーウィッチが王権統治の中心である。そのため北方や西方は地方貴族がのさぼって顔を利かせだすことがあるようだ。
その勢力を陥れるために貴族の子を殺してしまう。
ままあることらしい。
それを教会の聖職者から依頼されるのだから世界とは殺伐としたものだった。
王都の中心街を行き交う雑踏。
そこを歩く一組の母子と付き人。
クダヴェルの地方貴族ルイス=エヴァンス家だ。父親のヴァンダロイ・ルイス=エヴァンスは現在、公務のために王宮へと向かっている。家族は付き人一人と王都での買い物を楽しんでいた。
俺とマルクは、標的の子ども"ランスロット・ルイス=エヴァンス"に近づいた。
彼はまだ四,五歳ほどの年齢で世間を何一つ知らない。
マルクの弟のトーマと同い年くらいだ。
「なぁ、お前どこから来たのっ」
マルクが都会の子供らしい振る舞いで、標的に声をかけた。
「まぁ、お前だなんて、この子は―――」
「奥様……!」
母親が何か言いかけている最中に、付き人がそれを制した。
今回、ルイス=エヴァンス家はお忍びで王都に訪れている。ましてやわざわざ控え目な服を着て中心街で買い物を楽しんでいるのだから、貴族という身分を周囲に明かしたくないのだろう。事前にそういった情報は伝えられている。
「俺たちはこの辺に住んでいるんだ。俺がマーカス、こいつがタントリス。一緒に遊ぼうぜ!」
「えーっ、遊びたい!」
ランスロットという子は無邪気に返事をして、瞳を輝かせた。
「ダメですよ。お父様がもう少しで戻られます。この辺はただでさえ迷子になりやすいのですから」
「大丈夫だよ、おばさん! 俺たちこの辺には詳しいし、そこの路地で少し遊ぶだけだからっ!」
「お、おば……」
渋っていた母親も付き人との話し合いで俺たちが子ども二人であることや、近くで遊ぶだけということもあって、あっさり承諾した。地方貴族の警戒心などこんなものだ。普段から物騒なことに慣れていないのだから。さらに、俺とマルクは容姿が似ていないから兄弟に思われることはなく、どこへ赴いても地元の子を演じることができた。
すぐさま標的を路地裏へと引っ張り出した。
手を引いて、家の者の目から遠ざける。
視界から消え去った瞬間に即時、斬る。
危険もなく、俺たちに適した簡単な仕事だった。
「ねぇ、お兄ちゃんたちは友達同士なの?」
路地裏まで連れ去ったとき、ランスロットはふと俺の方を向いて問いかけた。
「……」
標的との会話は最小限にとどめることが原則だ。
情報を渡すわけにはいかない。
だが、マルクは平然と答えた。
「そうだ。近所に住んでるんだから当然だろっ」
「……そうなんだ。いいなぁ、僕は近所の子と遊ばせてもらえないんだ」
貴族の幼少期の過ごし方など知る由もないが、だいたい想像はつく。
身分もあって平民の子どもと遊ばせることはあまりしないのだろう。広い豪邸の中で教育漬けにされ、外の世界を知る機会がない。少し経てば社交界に駆り出され、貴族としての世間しか学べない。世俗のことは知ることもなく―――。
それは、暗殺者集落で育てられた子どもたちと似た境遇かもしれない。
俺もマーティーン氏の教えを受けなければ、暗殺の心得も誤解したまま、世界の歯車として生涯を終えていた。
「ねぇ、お兄ちゃんたち、僕の友達になってよっ」
「………」
「………」
そのお願いに、マルクは素の自分に戻っていた。
演じていた仮面が剥がされたように、複雑な表情を浮かべていた。
ランスロットの影に、弟トーマの姿が浮かんだのかもしれない。
気力を逸したマルクに変わって、俺は腿に仕込んだダガーナイフを素早く引き抜き、対象へと突き立てるために背後に回って振り被った。
これ以上の会話は厳禁だ。
情が移れば未遂の確率が高まる。
「だめだ、トリスタン!」
俺の振り翳した刃に対抗するように、マルクは背中から同じ得物を取り出して俺に牽制した。
小さな刃同士が弾け合う。
「……っ! 何をしている、マーカス」
「だ、だめだ。子を殺るなんて、やっぱり間違ってる」
「ただ殺すのとは違う。死を捧げるんだ、美しくな」
「この子はまだ……! まだ何もしていない。死んだら何もできずに終わっちまうじゃないか!」
俺はストライド仕込みの体術で必死に押さえかかるマルクを往なした。
跳びあがり、標的に向かって斬りかかる。
「やめろーーーー!!」
マルクは大声をあげた。俺とマルクが揉めていることに面食らっていたランスロットははっとなり、泣き出した。
その声を聞きつけた街道を行き交う人々が騒然とし始める。
大勢が路地裏を覗きこむ様子が目に映った。
「っ………!」
失敗だ。
俺とマルクの二人は壁を蹴って飛び、屋根の上まで颯爽と逃げた。
屋根上から見下ろすと、ランスロットは泣き喚き、そこに母親と使用人の二人が駆けこんで抱きかかえていた。もし俺が手にかけていれば、あの親子は二度と再会することもなかっただろう。
マルクが一つの運命を変えた。
それが良かったことなのかと何年も経った後に思い返してみれば、功罪相半ばするものだった―――。
俺は身を隠すために屋根伝いを駆け抜けた。
その後ろには後を追うマルクの姿もある。
マルクは何処か満足げな顔をしていた。
この男らしいと言えばこの男らしい。
俺は失敗を責めるつもりは毛頭ないが、帰郷すれば同胞の顔に泥を塗る行為だったと蔑まれることだろう。それは自分自身の立場を危ぶめる。後々のマルクの結末を考えてみれば、彼はランスロットの身代わりになったとも思える行為だった。
しかも今回の依頼に焦点を当てて考えるのならば、失敗どころの話では済まされない。ルイス=エヴァンス家に、刺客が送り込まれたことが伝わってしまったのだ。何処からか陥れるための攻撃を受けたと気づき、今後は警戒を強めるだろう。
この因果が俺の運命も大きく変えた。
○
帰郷してマルクはすぐさま罰――すなわち、拷問を受けた。
依頼主のオージアス・スキルワードは暗殺者集落では得意客だ。これまで失敗がなかったからこそ継続して依頼を貰ってこれた。ましてや警戒心の薄い貴族の子どもを殺すという、集落の者が誰一人として失敗しないような仕事を失敗した。信頼喪失は大きい。
俺も連帯責任で罰を受けることになった。
俺に対しての罰というのは、マルクのように爪を剥がされたり、頬に胡桃サイズほどの穴を開けられたりというものではない。マルクとともに次回の仕事の囮役を引き受けろというもの。
十五、六の成熟した暗殺者と混じって奴隷商に襲撃をかける。俺たちが襲撃の火付け役となって奴隷商に接触し、配下を引きつけてる間にベテラン達が標的を殺すという多少の連携が必要な任務だ。
エリンドロワ王国領土内では奴隷商は禁止されている。
人身売買は犯罪だが、俺たちの依頼人もまた別の奴隷商。
何てことはない。奴隷を反対する善良な市民から依頼を受けたわけではなく、同業者が幅を利かせ始めた別の商人を気に入らないから消したいというものだった。
エリンドロワ王国東方バーウィッチ地方の、とある平原。
そこにぽつんとその奴隷商の飼い小屋があった。傍に一本だけ木が立っており、風除け雨除けも申し訳程度といった所。掘っ建て小屋という表現がぴったりとくる粗末な小屋だ。
襲撃をかける前日の夜、岩場から俺とマルクは顔を覗かせ、その小屋の様子を遠くから眺めていた。
仕事の最中はマルクの秘匿名をマーカス。俺はタントリスとしている。
「マーカス、頬と爪は大丈夫なのか」
「こんなもんっ、大したもんじゃねぇ……死ぬわけじゃないしな」
マルクの身体は傷だらけだった。
制裁として下された拷問以外にも、同胞たちから虐待を受けているらしい。彼は彼なりの信条を貫いてこうなった。誰も同情などしていないし、俺もそれほど気を遣うことはなかった。暗殺者としては間違ったことをしたのだから当然だ。
「そうだ、タントリス……お前にこれ、やるよ」
「なんだ」
そう言ってマルクが懐から取り出したのは銀の指環だった。
「こいつは魔道具"Presence Recircular"って言うんだ」
「魂の……? 魔道具なんて高価なものを何処で手に入れたんだ」
「知らねえ。物心ついたときからずっとそれだけは持ってた。家族の形見かもしれない」
「そんなものをなぜ俺に―――」
「こないだ王都にいったときに鑑定師に見てもらったんだけど、どうやら闇魔法の効果を二つも宿してんだってさ。一つは気配遮断。もう一つは……輪廻転生を拒んで即身仏になるための……とかなんとか……まぁよく覚えてねぇや。とにかく気配を遮断するなんて俺たちにはぴったりの魔道具だろ? だから、やるよ」
「任務が終わるまではお前が持っていればいいだろう」
「……実はそれ二つあるんだ。俺も一つ持ってる」
もう一つを懐から取り出して、マルクは銀の指環を見せた。
その後、気恥ずかしそうに鼻を掻いて視線を逸らした。
「――――俺さ、この仕事が終わったら冒険者になろうと思うんだ」
それはマルクがいつか語っていた夢の続きだった。冒険者とは迷宮を駆け、魔物を狩り、お宝を手に入れて仲間と世界を旅して回る職業だ。有象無象の悪行の掃除屋である俺たちとは違い、自由を謳歌して気ままに生涯を送る。時として強さを競い合い、好きに生きようと願う荒くれ者の理想。
「タン……トリスタン、俺たちは友達だ。あの子に言われて気づいたんだけど、俺はお前のこと信用してるし、今まで何度も助けてもらった。だから別々の道を歩むことになっても……この片割れをお前に持っててほしいんだ」
俺はその銀の指環を受け取って眺めながら、物思いに耽った。
友達か。
気にしたことはなかった。
そもそも"友"という概念はあの集落にない。"同胞"という感覚だ。
死と隣り合わせの世界で無情を貫く集団にはそれが適しているのだ。
それをあらためて「友達だ」と言われても、そんな感情を持ち合せていない。
困惑とともに、何か胸に引っかかるものがあった。
…
標的は、奴隷を飼う掘っ立て小屋に定期的に戻ってくる。
たまに商品を仕入れたり、売り払いに連れ出したりと忙しない様子だったが、人目に付き難いこの平原であれば、こちらの襲撃もやりやすい。
日が変わり、日没からかなり時間が経ったとき、宵闇の中に馬車が駆ける音が聞こえてきた。
標的の奴隷商が新しい商品を仕入れて戻ってきたようだ。
馬車は三台。
三台とも乱暴に車体を揺らし、足早に掘っ建て小屋へと到着した。
多めに見積もっても仲間は五人程度だろう。
こちらも五人いる。
俺とマルク、そして熟練した同胞三人の計五人だ。
奴隷商とその仲間は慌ただしく馬車を降り、乱暴に商品を降ろしていた。怒声や異音を立てて脅している。商品の仕入れ時は奴らも注意力が散漫になっている。狙うならば絶好のチャンスと捉えていいだろう。
俺とマルクは、標的の奴隷商とその護衛二人が小屋に入るのを確認してから岩場を飛び出した。それが同胞三人への合図となっている。外には見張りが二人いる。敢えてこいつらは暗殺せず、騒ぎを起こして護衛も引きつける。そして単独となった標的の奴隷商を確実に仕留める。
―――簡単な仕事なはずだった。
対峙するは見張りの二人。
敏捷性の低い偉丈夫で、俺とマルクだったらこの木偶の坊を相手にするのは苦ではない。静かな平原でこちらの短剣と敵の曲剣が弾け合う。後方へと少しずつ跳ねながら、敵を小屋から遠くへ遠くへと徐々に引きつけようとする。
しかし、一向に護衛二人は外へと出てこない。
そして何か地面に違和感を感じた。
異様な気配とでも言うべきか。
これが初めて感じた外部の魔力だった。
「タントリス! 魔法陣がある!」
マルクが叫ぶ。
マーティーン氏から魔術指南を受けていた俺とマルクは、魔法陣を利用した罠の原理を理解していたため、小屋周辺に敷かれた魔法陣を踏むことなく、回避することは容易かった。
しかし、熟練の暗殺者たちはそういった心得がない。
「ぎゃ……!」
頃合いを見計らって襲撃をかけたであろう同胞の悲鳴が耳に届いた。
掘っ建て小屋の方を一瞥すると、同胞のうち二人が近くで蹲っている。足元に紫電が纏わりつき、雷属性の魔法がその脚部を捕らえたのだ。悲鳴を聞きつけた護衛二人が外に出てきて、罠にかかった者二人を槍で一突きにした。
さらに小屋の内部からも悲鳴。
「うぐっ!」
小屋の戸が勢いよく開き、そこから投げ出されたのはもう一人の同胞だ。
体は丸焦げになり、既に絶命していた。
炎属性の魔法で吹き飛ばされたようだ。
俺とマルク以外の三人は、あっけなく死んでしまった。一度罠にかかり、連携が乱れてしまえば斯様に容易く敗れてしまうようだ。同胞とはいえ情けなかった。しかし、死んでいった彼らもまだ十五、六歳程度の、世間ではまだまだ子どもと扱われる年齢。ましてや魔法について一切の学が無いとなれば、奴らの術中に掛けられても仕方なかったのかもしれない。
「失敗だ。マーカス、退避しよう」
俺は偉丈夫一人を蹴り飛ばし、相方に声をかけた。
だが、マルクは引き返そうとしなかった。
「いや、まだいける」
「作戦では俺たちの任務は囮役だろう」
もう一人の偉丈夫と剣戟を交わし合いながら、マルクは少しだけこちらを振り返った。
「お前と二人なら出来る……! 大した敵じゃないぞ、こいつら!」
そう言いながら偉丈夫の肩口に手をかけて、まるで柵でも飛び越えるように後ろ側へ回ると、敵の急所にダガーナイフを突き立てて、マルクは一人を斃した。
「タントリス、援護頼む!」
そういって振り返りもせずにマルクは駆け出した。彼はその掘っ建て小屋を一心に目指して走っていく。張り巡らされた魔法陣を踏むこともなく、颯爽と……。
俺はこの時、誤解していた。
彼は自分自身の以前の失敗を取り返そうとこのような行動に出たのだと。
あるいは、憧れの冒険者然とするため、自分の意志で敵に挑んだのだと。
―――だが、いずれも違う。
思い返せば、あのときマルクが見ていたのは小屋の戸の奥にいる奴隷たちだった。
彼はただ助けたかったんだ。
あそこに囚われていた痛々しい人々を。
外で待機していた取り巻き四人を葬った後、俺はマルクの後を追って小屋の内部を目指した。マルクの言う通り、奴らは弱かった。任務外で自由に剣技を振るってみると多少なりしも剣術は"楽しい"と感じられた。
俺は上機嫌となって小屋へと向かった。
この程度の実力であればマルクも既に標的を斃している頃だろうと鷹をくくっていたからだ。標的の奴隷商は事前の情報によると、戦いには不向きな体型で、割腹も良く、戦闘は不得手だと云う大柄な男だった。
だが、小屋の中に入ったとき、俺はあまりの光景に愕然とした。
―――マルクは片腕を切り落とされ、腹に剣を突き立てられている所だった。
それは奴隷商の仕業ではなく、もう一人の護衛によるもの。
敵はもう一人いたのだ。奴隷商含めて五人しかいないと錯覚していた。馬車三台から降りてきたのは五人だけだった。それに何日か小屋を観察していても、出入りする男は五人程度しかいなかった。
おそらく奴隷を管理するために小屋に引き籠っていた男がいたのだろう。
迂闊だった。
「………タ……トリ……」
その男はマルクの髪の毛を鷲掴みにしたままだった。背後に立つ奴隷商は下卑た笑みを浮かべて煙管で一服している。そのさらに背後には値踏みにかけられている金髪の少女がいた。服をすべて剥ぎ取られて全裸である。痩せ細っているが、傷のない綺麗な体が晒されていた。
「………」
「へっへっへ、あとお前さん一人か? 馬鹿ガキめがっ! のこのこ出てきやがって!」
護衛の男が何か言いながら、無惨にもマルクを投げ捨て、剣を構えた。
そのとき、俺の中に熱いものが全身を駆け巡るのを感じた。これが魔力というものなのか、ただの気性の類いなのかは判断できないが……。
ただ、今すぐ目の前の敵を斬り捨てたいという衝動だけは確かに感じた。
―――三、平蕩の心得。
心荒ぶとも情動に投身せぬが能きなり、有余あるに非ざれば、清粋に心付かぬもの也。
暗殺の心得の一つ。
これが無ければ、《一、清粋の心得》にも通じないとする。
心を常に静かにすること。
それを貫いてきたがために俺は何事にも動じなくなっていた。
だが、今は……。
―――……。
瞬き一つの間に十の連撃を重ねる技がある。
"討つ前に敵に発見されれば暗殺も未遂に終わる。そこから始まるのは真っ当な殺し合いじゃ"
"この秘剣は敵に見つかった後さえも"暗殺"を可能にする奥義―――"
「散り失せろ……!」
俺はその日、《秘剣 ソニックアイ》を体得した。
瞬き一つの間に、二体の下賤が肉片を散らす。飛び散る鮮血が体に降りかかり、品評にかけられていた金髪の少女さえも鮮血に身を染めた。
影真流・秘奥義《秘剣ソニックアイ》―――暗殺は死を美しく捧げるものとは理解しているが、なかなかどうしてこの技は醜かった。飛び散る肉片や撒き散らされた鮮血は不浄でしかない。
―――だが、斯様の穢れも気に入った。
俺はすべてが終わった後、マルクの傍まで駆け寄った。既に死に体だが、まだ少しだけ息はあった。俺が胸に手を当てたり、呼吸を感じ取って、この少年はもう助からないと判断したとき、マルクが俺の血濡れの頬を撫でた。
「………これ……を……」
俺の頬に押し当てていたのは例の銀の指環"Presence Recircular"だ。
「こんなもの……持ってたら………。来世では………」
何か言いかけているが、途切れ途切れでよく聞き取れない。だが最期、本当にこの少年の最期という時に聞き遂げた言葉は今でも忘れない。
―――自由な冒険がしたかった。
そうしてマルクという少年は死んだ。
俺に二つの魔道具と、唯一の肉親だったトーマを遺して。
奴隷たちとともにひとまず集落へ帰ったが、"友"のいない集落は何処か別の故郷のようだった。
(「◆ 暗殺者Ⅲ」に続く)




