Episode117 憎悪の後始末
中庭から跳び上がり、三階の窓を突き破って屋敷内へ。
これくらいの動作は苦痛でもなんでもないけれど、どうも体が気怠い。
見覚えのある廊下を辿り、さっきまでいたエンペドの部屋を目指す。眩暈がする状態で迷路みたいになった屋敷を駆け回るのは煩わしい。面倒くさいので、部屋の壁に体当たりして壁をぶち破り、特攻した。
いくつか部屋を突き破って、もう一人の罪人のもとへと辿り着いた。
――――黒衣の少女は赤黒い円月輪の前で祈りを捧げていた。
俺が壁をぶち破って入ってきたのに反応する様子もない。
何に祈っているのか。
神は自分自身だというのに。
ただ静かに、そこに跪いていた。俺が近寄ろうと一歩踏み出したところでケアもすくりと立ち上がり、俺の方に向き直る。その表情は硬い。邪悪な色をした渦が瞳の奥で渦巻いていた。
「あなたがこの世界の救世主だったのね」
「………」
「ハイランダーの業火も、本当はこれからエンペドの歌になるはずだったのよ」
今更、存在を認められたところで俺は女神の事も赦すつもりはない。
エンペドが首謀者だったとしたらケアは共謀者。
そこにいる神が、俺の運命を弄んでいたんだ。
「分かっているわ。私は現世を離れて《統禦者》に戻って死を待つ―――信仰も集められず、邪神にすら成り得ず、結局のところ私は破滅していたんだわ」
その自嘲めいた口調は以前よりも酷く人間臭く思えた。初めてガラ遺跡で会ったときのあの無機質で単調な口調とは違う、一人の少女の仕草。諦めがついたのか、それとも何かに満足したのか、声色も低めだった。言葉もどことなく消極的で、屈服したようにも感じる。
「自分の過ちを認めるのか?」
「過ち……。そうね、そもそも欲張って現界したことが最初の過ちだったのかもしれない」
ケアは癖のある巻き毛を指先でいじって、邪魔そうに毛先を払った。
「でも、おかげさまで往年の謎に触れることが出来たわ。英雄はヒトの愛に支えられて顕現する。信仰によって支えられる神と同じように……。《愛》は、ヒトが絶望の中でも強く生き抜くための最後の切り札だった。それをたくさん集めた貴方に、私は負けたってところかしら?」
「……俺はただ、報われない人たちを守りたいと思っただけだ」
特に難しいことは考えてない。
助けた人が喜んでくれればそれでいい。
女神は呆れたように笑った。
でも何処か満足げな様子だ。
「最期に、敬愛する貴方に邪神からのプレゼントよ」
そう言うと、女神は手を差し伸べて赤黒い魔力を漂わせた。手の平から煙が立ち込めて、それの輪郭が浮かび上がる。その煙幕が消え去った時、女神の手の平に浮かび上がったのは"黒いトランクケース"のようなものだった。
それはどこかで見覚えがある。黒い鞄に黒い革ベルト。いかにも怪しい雰囲気を漂わせるそれは、俺が魔法学校の図書館で黒い騎士に明け渡したものだった。
黒の魔導書……!
「なんでそれを……!」
「屋敷の庭に転がってるのを私が拾っておいたの。きっとこれも"聖女"が仕組んだ最終兵器なのね」
「どういうことだ?」
「これが"恐怖の大魔王"を斃す最後の手段って事よ、イザイア・オルドリッジ」
「は――――?」
今なんと言った。
"恐怖の大魔王"とはまた懐かしい言葉だ。
確か昔、まだ何も知らない俺がケアに訪ねた。
世界を救うとはどういう事かと。
別に、恐怖の大魔王がいるわけでもないのに……。
「そして、貴方は世界を救うの―――」
―――屋敷の外で炸裂音が鳴り響いた。
ケアの託宣が終わる直前の事だ
何処かで何かが爆発したような轟音。
「なんだ?」
「……エンペドにとって、肉体の死はあまり意味がない」
「あいつが生きてるってことか!?」
「ええ。イザイア・オルドリッジの肉体は死んだようだけど……元々二回も転生したような男よ。肉体の死には慣れている。アレを斃すには、魂を現世から追放しないと無理ね。そしてここにあるのは"あの世への架け橋"――――あとは、わかるわね?」
そうか、メドナさんはエンペドの滅ぼし方を知っててこの黒の魔導書を……。
あの時、俺が図書館で黒い騎士に渡してなかったらこの魔導書はまだ魔法学校の図書館にあった。エンペドを完全に殺すことは出来なかった、という事か。
何から何まであの人には助けてもらってばかりだ。
問答の最中、さらに地鳴りが聞こえてきた。
部屋は大きく振動している。
明らかに屋敷の外で何かが暴れている。
崩落しかけた天井から木屑が落ちてきた。
それを眺めてから女神も意を決して、俺に強い視線を向けた。
「じゃあ、私は舞台から身を引くわ。鬱憤が晴れないようならこの肉体を好きに貪ってくれて構わない」
貪るって……。
要は、女の子の体だから好きに使ってどうぞという事か。
憎たらしい。誰がそんなことするか。
「―――ありがとう、イザイア。私は貴方を《信仰》します」
親しみを込めるように、フルネームじゃなくて名前だけで呼んできた。
そして女神は消え去った。ケアの肉体から赤黒い魔力が滲み出て頭上で塊となると、背後のリゾーマタ・ボルガと一緒に消えた。元々そんなものなかったかのように霧散した。
それと同時に三つ折り重なった銀の円月輪はばらばらになって床に落ちる。三つの金属がそれぞれぶつかって甲高い音を派手に立て、崩れ落ちた。
リゾーマタ・ボルガの崩壊を意味していた。
そして、女神ケア自身が消滅した事も――――。
ケアの肉体の方は、床に倒れている。
死んだのかと思って、近寄って起こしてみれば、ぱちっと眼を開けて驚いた表情を浮かべていた。
その瞳の色は、赤黒くも、虹色の輝きもない。
普通の青い瞳の女の子がそこにいた。
「……あぅ………」
それは久しぶりに聞いたケアの口癖だった。
なるほど、人格はちゃんとオリジナルがいたのか。
○
当主の部屋から飛び出して廊下を駆け抜けた。
あぅあぅと喋るケアには何の罪もないから、とりあえず抱きかかえて避難させることにする。右手には黒の魔導書を握りしめる。荷物がたくさんになってしまった。
というか、俺の方もあまり本調子じゃない。エンペドを殺すために調子に乗って魔力を使い過ぎてしまった。でも実際は俺の旧肉体を殺すだけに終わってしまったってことだ。時間魔法も結局、俺の血脈を流れる虚数魔力を消費して発動させている。まだ完全に魔力が枯渇したわけじゃないが、少し休まない限り、頻繁には使えないだろう。
廊下を走り続けて、中庭へと出る。
「………」
その光景を見て息を飲んだ。
俺が地中から生やした複製剣の山々は溶けていた。溶けて赤黒い泥のような状態となって周囲に飛び散り、爆散の痕が伺える。そして、磔にされていたエンペド―――否、イザイアの肉体は消えていた。
不安が過ぎる。
エンペドの野郎、どこにいきやがった。
「――――――」
気配を感じ取り、咄嗟にケアの体を突き放した。ケアは悲鳴をあげて中庭の茂みへと飛び込む。俺は横っ飛びでその場から回避した。その直後に何かが凄まじい勢いで地面を踏みつけた。
「ふんぬゥゥウ………!!」
呻り声をあげて舞い降りたのは何処かで見たような怪物だった。
アザリーグラードの迷宮で最後襲いかかったエンペドの亡骸のような生き物がそこにいた。背中からは骨が突き出して翅のように飛び出ている。全身の皮膚が赤黒く変色していた。奴は充血した瞳で俺を睨む。長年邪悪な魔力に浸されたように、頭から足先まで肉体が変質していた。
でも体型や顔立ちを見て、それがエンペドであることは理解できた。
「……ガハァアア………」
口から涎のような赤黒い泥が垂れている。
もはや醜悪な魔物のような姿形だ。
「クックック……貴様が魔力を補充してくれたおかげダ……」
中庭の中心で溶けた複製剣の成れの果て。
あの魔力の塊を吸い込んだという事か?
もう何でもありだな。
「簡単なことだ。貴様の魔力で新しい魂の器を作った。イザイアの肉体ヲ触媒にしてナ」
「へぇ……」
エンペドはそんな事も出来るのか。
差し詰め、闇魔法"構成変換"の応用か? ――――俺も前世イザイアだった頃に家具替わりのものをよく作ってたから分かる。極めれば可動式の人形くらいは作れる程度になるんだろう。
さすが稀代の魔術師と畏れられた男。
……あの赤黒い色した神性の魔力に汚染されると、みんなあんな異形の怪物に成り果てるんだな。魔物を生み出した親がケアだから、その魔力源を材料にすると似たようなものになるのかな。
……俺はあんな風にならなくて良かった。
まぁ、全身に歪な模様が入ってるし遠目に見たら俺も異形の怪物だろうけど。でもあんな口から涎だらだらで背中から武骨な翅が生えたような醜悪な見た目ではない。
そんな異形のものになってさえ、この世に縋りつくエンペドの執念が悍ましい。
結局なにがしたいのか。
「エンペド……お前はもう終わりだ。ケアも、リゾーマタ・ボルガも消えた。過去にはもう戻れない」
「……過去に戻る、カァ……そんなモノはもうどうでもよいノダ……」
「どうでもいい? ならさっさと消えろ。お前の妄念に付き合う奴はもう何処にもいない」
「……だが、貴様が……憎イ………イザイアが……憎イ……――――ッ!」
刹那、エンペドの脚が蠢いた。
魔造の肉体が、エンペドの感情に呼応するように畝っている。それがびしりと筋肉のように引締まり、その脚を以てエンペドは突進してきた。
俺に向けて真っ直ぐと―――。
横に跳んで躱した。
その拍子に、黒の魔導書も中庭に放り投げておく。
最後はアレに放り込んでやらないと、奴を完全に斃せない。
また何度でも復活してしまう。
エンペドは突進の勢いで屋敷の壁を蹴りつけて、大きな穴を空けた。瓦礫が飛び散り、残骸が中庭に転がった。またしても肉体が蠢き、突然のことだが奴の腹から二本ほど新しい腕が生え出た。それを鉤爪のようにして地面に突き立てると、またしても俺に突進してくる。
魔造の肉体でやりたい放題だった。
もう人間としての体裁を保つつもりもないらしい。
腕を振るい、俺の身体を切り裂こうと襲いかかる。
単調な動きだった。
憎悪に囚われて、人間としての戦い方を忘れてしまってる。
こいつを突き動かすのは憎いという感情。
殺意の塊。
―――二度目の突進は受け止めた。
奴に振るわれた腕を片手で掴み、腕を握りしめる。単純な力比べなら俺の方が上だ。屋敷の壁を破壊するほどの力があるらしいが、俺は簡単に受け止めることができた。
……だけど、不幸にも、その動作によって俺の魔力が切れかかっているという事はエンペドに気づかれてしまったようだ。
「ほウ、どうした、時の支配者? また時間を止めぬノカ?」
「……」
「ゲッグッグ……ガハァァァハァァァアア!!」
俺の苦い表情から読み取ったのか、歪な魔物の眼が卑しく笑い狂った。
「魔力切れなど三流のやること―――長年魔術から離れて使い方を忘れおったカ!!」
「チッ……」
だから、なんだって言うんだ。
時間なんか止められなくてもテメェをぶち殺すなんて事、余裕なんだよ……!
俺はエンペドの蠢く腕を握り潰し、一本千切り捨てた。
「ガァァアアッ!!」
怒声とともに吐き散らす赤黒い泥。
それが中庭に飛び散る。エンペドは腹から生やした腕の一本を使って握り拳を作り、振り上げてきた。本来ヒトにはない変則的な攻撃を予測できず、俺はその攻撃をまともに喰らった。
凄まじい勢いで後方へと吹き飛ばされる。
反対側の屋敷の壁に体をぶつけ、壁が崩壊した。
そのまま、一階のとある部屋へと滑り込んだ。
綺麗な絨毯の上を滑り、部屋の最奥でようやく体が止まる。
「……あの野郎っ………!」
体を起こそうとして、壁に開いた大きな穴を見ると、まさにエンペドが突入して迫っている最中だった。片腕と、腹から垂れた二本の腕を器用に使い、穴を掻い潜って異形の魔物が赤い絨毯の上に躍り出る。
奴は一瞬で肉迫し、腕を振り上げて、俺を天井へと掬い上げた。
鉤爪が俺の背中に食い込み、体を貫通する。
そのまま放り投げられ、俺は天井を突き破って二階の部屋へ。
体を突き破られたというのに、まったく痛みを感じない。
俺は体を回転させて、二階の部屋の天井に足を着けると、真下に向かって突進した。
ちょうどそこには飛び跳ねて迫るエンペドがいる。
―――エンペドの頬らしき部分をぶん殴り、直下に向けて突き落す。
豪快な音を立てて、エンペドは一階の部屋の床を突き破った。地中に埋まったのかと思えば、この一階の下には地下室みたいなものがあるらしく、エンペドは暗闇の中に消えてしまった。
俺はその後を追い、そのまま穴に頭から飛び込んでいく。
怪物の肉体はお互い様だ。
お前が折れるまで、俺だって派手に暴れてやる……!
…
石造りの地下に飛び下りる。
待ち構えていたのは仰向けに倒れていたエンペドだった。
脚を曲げて、俺が落ちてくるのを待っているかのようだ。
「………!」
――――刹那、俺は斜めに蹴り上げられた。
石造りの天井に体を打ちつけ、地下室の床に落ちる。
「ひゃぁああっ!」
隣で突然、悲鳴が上がった。
ふと冷静に辺りを見渡すと、ここは地下牢になっていたようだ。
ある一角の鉄格子に兄のアイザイアが囚われている。
―――何故、と考える余裕すら今はない。
エンペドは体を起こして予備動作もなく突進してくる。
俺はそれを低姿勢になって背中で受け流した。
エンペドはまだ突進をやめるつもりはないらしい。俺に躱されるごとに苛立ちが募るのか、態勢などお構いなしで俺に肉迫し続けた。
「鬱陶しいんだよ……!」
俺はエンペドに回し蹴りして応戦した。
牢屋の鉄格子が派手な音を立てて飛び散り、地下室も崩れていく。
「な、何なんだぁ!! 世界の終わりだぁーーー!!」
兄貴は頭を抱えて蹲り、悲鳴を上げていた。
鉄棒の残骸が兄貴にもいくつも降りかかった。
「バカ兄貴がっ!! さっさと避難しろ!」
「え……? 兄貴……?」
「あぁぁあ! くそ――――っ!」
エンペドはお構いなしで攻撃を続けてくる。
もう俺との激しい攻防で体はぐちゃぐちゃだった。アレは単なる魔造の人形だ。頭部も凹み、眼球が飛び出している。首は変な方向に曲がり、奴はただの赤黒い肉塊のようになっていた。
アイザイアのことも認識していないようだ。
動いたものはとりあえず殺す―――そんな憎悪の塊がそこにいた。
アイザイアは小刻みに足を震わせて涙を垂れ流していた。足を怪我しているようで、松葉杖が近くに転がっている。エンペドだった赤黒い肉塊は、その恐怖を感知したのか、アイザイアへと攻撃の矛先を向けた。
「ガァァァアアアアア!!」
大きく開いた口が人としての名残りを残していた。
エンペドがアイザイアを八つ裂きにしようと腕を振るう。
まずい……!
「止まれ………!!」
―――世界は静止する。
咄嗟に使ってしまった時間魔法。
赤黒い魔力の膜が空間を覆い尽くした。
エンペドの鉤爪が、今まさにアイザイアの体を引き裂こうという寸前だった。俺は魔力切れで冷や汗が噴き出る体に鞭を打って、アイザイアの体を支えた。
「―――あぁあぁぁああっ………あれ? なんだ、どうなってる……?!」
俺が触れた事でアイザイアの時間は動き出した。
とぼけた次期当主だ。
俺はアイザイアの体を抱きかかえて跳びあがり、一階の部屋へと戻った。
だめだ、これ以上は時間を止めていられない。
俺は乱暴にアイザイアの体を投げ捨て、時間の流れを元に戻した。
―――同時に、地下からエンペドの成れの果てが跳び上がってきた。
「うげっ! だ、誰なんだ、キミはっ」
「いいから、早く使用人たちと一緒に庭園に逃げろ! お前が次の当主だろう!」
「………お前は……もしかして……」
アイザイアと会話してる余裕はない。
現われた異形の怪物の攻撃を受け止めて、殴った。
再び戦場は中庭へ。
赤黒い泥の尾を引いて、奴は芝生を滑り込んだ。
俺もその後を追う。
大の字で寝転がっている赤黒い泥人形。
歪んだ翅に、腹から垂れた二本の腕。太々とした足。
まるで虫の魔物だった。
"赤黒い"とは即ち、憎悪の塊。これまで見てきた赤黒い魔力とは、すべて歪な負の感情だったんだ。女神ケアは自分を見捨てた世界を恨んできた。創り上げた魔力のうち、赤と黒は世界に向けた憎悪の顕れ―――。
その憎悪に踊らされた憐れな転生者が、こいつの正体だったんだろう。
その後始末を任せてくるなんて、あの神も随分と邪神を貫いたもんだ。
「フゥ……フゥゥゥウウ……グッギッギ………イザイア………コロス……」
エンペドは起き上がった。
魔造の肉体は蠢いて、歪に凹んだ造型は元に戻ってなんとか人型を取り戻していた。でも、歪みきった負の感情は戻ってはいない。壊れた絡繰り人形のように単調な言葉を繰り返していた。「イザイアをコロス」と……。ただそれだけがアレを動かす原動力なんだ。
「決着だ―――エンペド、この世界から消え去れ」
「消エ去レ……? キサマだ………キサマガ……ゴギギギギギギ……!」
奴の肉体が蠢く。
魔力そのものが肉となり、筋肉が増強されていく。
―――それが今、駆けだした。
俺もあわせて身構える。
アレの身動きを封じるなら、いっそのこと細切れにしてしまえばいい。
複製剣を作りだして、斬りつけてしまえば終わるだろう。
でも、俺の魔力も残りわずか――細切れにするのは本当に最後、黒の魔導書にあいつを放り込むときだ。だからまず、迫り来るアイツの攻撃を往なしてから黒の魔導書を確保する。
魔導書は……中庭の端にある木の下に落ちてる………。
それを取ったら複製剣を作りだし、細切れにして奴を葬る。
よし、それでいこう。
―――三叉の腕から鉤爪が振るわれる。
下から二本、上から一本。やけにゆっくりに見えた。俺はその三方向からの攻撃を腕で払い、横切ると同時に奴の背中を蹴り上げた。
「グギャァア!!」
勢い余って、エンペドは二階の部屋へと突っ込んでいく。
俺はそれを見送り、木の下へ滑り込む。
黒の魔導書を取って、すぐさま起き上がる。
体に痛みはない。
でも魔力切れの症状が酷い。
意識も絶え絶えだった。
俺は黒の魔導書を左手に、奴が突っ込んでいった二階の部屋へ向かって飛び跳ねた。
右手には複製剣。
わずかな魔力で作りだした小さな短剣だった。
崩壊した壁を乗り越えて、二階の部屋へと―――。
「………っ!」
息を呑む。
その部屋には見覚えがあった。
広い間取りの部屋。真ん中には天蓋つきの寝台があり、俺もよく小さい頃には訪れたものだった。
こんなところに、アレを放り込んでしまうなんて。
「……母さん………」
そこには、首に怪物の鉤爪を突き立てられた母さんがいた。
腹から飛び出た二本の腕に羽交い締めにされて、今にも首を撥ねられそうな状態だ。
俺もつくづく運が悪い。




