Episode116 運命の代償
切り取られた時間の中で、独りになる。
時間魔法の使い方も分かったところで、エンペドをどう料理してやろうかを考える。赤黒い複製剣を握る手に、思わず力が入った。
幼少期から続いた仕打ち以外にも、こいつには色々と恨みがある。
まず過去の、母さんに対する扱い。
そして、リンジーの事も利用した。
それから、この部屋にいるシアとリナリーも……。
シアは部屋の端っこで跪いてる瞬間だった。さっき俺が一瞬だけ時間魔法を解除したときに、首を絞めていた存在が忽然と消えて、床に投げ出されてしまったみたいだ。
そしてリナリーも、扉付近で仰向けになって倒れている。メドナさんからは何も聞いてないから死んでないとは思うけど、身動き一つとらずに投げ出された女の子を見ると、なんとも居たたまれない。
……なんか思い出したら余計に苛々してきた。まだ斬り殺すには早い。
目の前には、寝そべったまま、魔法を使おうと腕を突きだしてるエンペドがいる。とりあえずその腕を掴んで天井に放り上げてから、二、三発蹴り上げた。
俺との繋がりが切れると静止した時間の住人になってしまうので、攻撃した実感がない。エンペドも蹴り上げられた状態で静止している。
再び、動けと念じる。
空間中を覆い尽くしていた赤黒い魔力が剥がれ落ちて、普通の部屋の光景に戻った。
「がぁぁあああっ!」
再び時間は動き出し、悲鳴と衝突音が頭上から聴こえてきた。
天井が抜けて、木材が剥がれ落ちる。
それと一緒にエンペドも落ちてきた。
俺は後ろに跳び、距離を空けて蹲るシアの前に降り立った。
シアもやけに嬉しそうな顔で俺の名前を連呼するので、ちょっと小っ恥ずかしい。メドナさん曰く、リゾーマタ・ボルガの力で俺の記憶も抹消されていたという事だから、この反応は"思い出せた"って事でいいんだよな。
恥ずかしいのも相俟って、皮肉っぽく返事をしてしまった。
「……まったく、名づけ親にすら忘れられるとは思わなかったぞ」
「………あなたを失わないで良かった……おかえりなさい……」
息も絶え絶えにシアはゆっくりと喋った。よくよく見ると、体が傷だらけなのに加えて顔色も悪くなって体を小刻みに震わせている。魔力を使い果たした人はこんな状態になるらしい。
思っていた以上に危篤なようだ。
復讐よりも救助の方が先か。
「……ぐ……神を超えたとは……どういう事だ!? 貴様が造りだした肉体だろう……!」
「魔造の肉体にヒトの魂を繋ぎ止めておけない……アレは本来、存在ではなくただの器となるはずだった。それが、ヒトとして現界した……してしまった。意思のある魔造兵器なんて、どんな未来展開をさせるか読めないわ。時を操る兵器なんて尚更ね……」
「ならばどうすれば―――」
目の前の二人はあぁでもないこうでもないと言い争っていた。
明らかに狼狽している。
「なるほど」
俺が一言つぶやくだけで、ケアとエンペドはびくりと反応して会話を止めてしまった。エンペドは冷や汗も流して肩で息をしている。
俺のことが恐ろしいらしい。
「まぁお前の相手より先にやることがある。待ってろ」
止まれ、と念じて、また世界が止まる。
俺は振り返ってしゃがみ、シアの手に触れた。俺の手に触れてからシアを覆い尽くしていた赤黒い魔力の膜は消え去る。シアは小刻みに震え出した。
「大丈夫か?」
「……ロストさん………」
意識が朦朧としているようで返事になってない。
俺はそのぼろぼろの体を慎重に抱きかかえた。冷たくなり、震えも止まらない。出血も酷い。早いところ治癒魔法が使える人のところへ連れていってあげないと……。
シアを背中におんぶする形にしてリナリーのもとにも近寄った。
リナリーも傷だらけだった。まだ息はしているけど、胴体の何ヶ所から血を流している。こっちも早く助けてやらないと……。
シアをおんぶして、リナリーも抱きかかえた。
やけに二人の体が軽いと思ったけど、自分自身の体も軽くて動きやすい。
肉体が変質して、以前より力持ちになったって事だろうか。
俺は部屋を飛び出して、廊下を駆け抜けた。
すごく速く走れる。
廊下中にメイドさんが倒れているんだけど、これもシアとリナリーがやったのか……?
まぁあまり気にしないようにしよう。
…
あっという間に一階へと辿り着き、正面玄関から飛び出した。
庭園を見ると、これまた凄いことになっている。
庭先へ降りる階段は半壊。庭園も土が掘り返されて一部は焼け野原になってるし、火の粉飛び交う庭園で一番驚いたのは、中央で大口開けて吠えた状態で静止している黒々とした巨大猪だ。
あれって確かベヒーモス……?
リバーダ大陸で初めて倒した魔物だからよく覚えてる。
その胴体の真下で拳を振り上げた状態のドウェインがいた。
ベヒーモスから離れたところに正装姿の見知らぬ人が二、三人いる。
そこにリンジーが杖を前に伸ばして魔法を放とうという姿勢で固まっていた。
何が起きたんだろう……。
なんでバーウィッチの貴族の住宅であんな巨体の魔物が……?
訳が分からないけど、とりあえずシアとリナリーを早く助けてあげたい。
俺は庭先へと一気に跳び下りてリンジーの傍までたどり着いた。リンジーなら治癒魔法も使えるし、何とかしてくれるはず。ドウェインもいるし、見知らぬ周囲の人たちも魔術師かもしれない。
「……ロストさん」
庭先を駆け抜けている最中にシアがふと呟いた。
ちょうど耳元で囁かれる形になってこそばゆい。
「もう大丈夫だ。今助けてやるからな」
「また……いってしまうのですか……?」
肩に回された腕に少しだけ力が入ったのを感じた。
「あいつを斃しにいってくる」
「もう……離れたくないです」
間髪入れずに返事が返ってきた。
シアにしては珍しく積極的な言葉だ。
顔を剥き出しの背中に押し当てられてこっちもドキドキする。
「……」
慣れてない状況に返す言葉がなくなった。
しばらく無言が続く。
そうこうしてるうちにリンジーの近くまでたどり着いた。とりあえず意識のないリナリーを先に降ろしてあげて慎重に芝生の上に寝かせてあげた。シアのことも背中から降ろそうと、一度抱きかかえる形にする。足の怪我が酷くて立てなさそうなので、優しく芝生の上へ寝かせてやる。
すると、シアは手を伸ばして俺の腕に掴まってきた。
俺の体に触れている限り、彼女もこの静止した時間を共有し続けている。
その分、足から血が流れ落ちて着実に体力を奪われているはずだ。
早いところ離れてあげないと―――。
「お願いです。もう二度といなくならないと……約束……して……」
もちろんだ。
俺だって離れたくない。
でも、エンペドを―――これまで沢山の人の不幸をつくりだして踏み台にしてきたあいつを斃さない限り、俺は前へと進めない。戦士になりたいと願った十歳の頃からずっと、あいつは女神と一緒に俺の人生を操作してきた。そんな操り人形みたいな人生に終止符を打って、俺は自分の意志で戦士になる。
その未来へ進むためには、あいつが邪魔だ。
「約束だ。だから……未来を取り戻してくる」
俺は最後その細い腕を強く握り返してから、解き放った。
「ロス―――――」
それと同時にシアも静止した時間へと戻ってしまった。
次に時間が動いたときには、リンジーが二人に気づいて助けてくれるはずだ。
あまり長く喋っていたらシアの体力が心配だしな。
二人を安全な場所へと移したところで、暴れにいくとしますか。
俺は立ち上がって踵を返し、再びオルドリッジの屋敷へと戻ろうと踏み出した。
――――その前にこの巨体ベヒーモスも倒しておくかな。
見上げると、そこには凄い迫力の魔物がいる。
拳を振り上げた状態で固まったドウェインも苦戦している様子だ。
あと後ろでサポートしてる黒い背広をきた女性も苦しい表情を浮かべている。
今は静止していて何も思わなかったけど、時間が動きだしたらこの庭園も激しい戦場に変わるのかもしれない。そんなところにシアとリナリーを放置するのも危ないだろうし。
このベヒーモスは昔、ドワーフの村で遭遇したやつより体格も大きい。
でも、いくら大きくても魔力を打ち消す俺の虚数魔力なら一撃で殺せるはずだ。
新生の複製剣を無数に虚空で作り出して、魔物の四方八方から串刺しになるように剣を配置しておいた。これで時間を解除した時には、新生の複製剣が何本も突き刺さって爆散するはず。
よしよし、時限装置も設置したところで奴らのところに戻ろう。
○
俊足で駆け抜けて、再び奴らのところへ戻ろうとした。―――のだけど、なんかすごい気になったから、道中倒れていたメイドさんも全員庭園の端へと運び出しておいた。それほど時間はかからなかったけど何回か庭園を往復した。
この人たちにも何も罪はないだろうし。
変な人質を取られて手が出せなくなっても困る。
そしてようやくエンペドの部屋へと戻ってこれた。
さっきと同じ状態のまま固まったエンペドとケアの前に立ち、時間魔法を解除する。
「待たせたな」
俺の呼びかけにも答えず、ケアとエンペドは無言で俺を眺めていた。
しばらく無言で対峙してから女神が口を開く。
「……やっぱりね。イザイアは時間を支配している。断片的に切り取った時間を自由に行き来する力………シア・ランドールとあの赤毛の子がこの一瞬で姿を消したのが何よりの証拠よ」
「なぜ奴は魂を留めておけるのだ!?」
「"現界せし無間魂魄"……呪いの指環が彼を引き留めている……あれよ」
ケアが俺の胸元に指差したのに気づき、俺も視線を移した。
よくよく見ると胸の中心に銀の指環が喰い込んで肉体に埋め込まれている。そこから脈々と血管が伸びて、胴体は赤黒い線模様が張り巡らされていた。
皮膚は浅黒くて、自分のものとは思えない。
「貴様、あれは壊したはずとさっき言ってなかったか……!」
「五年前に壊したのだけど、まだ残っていた……いえ、正確には二つあった……? あんな呪いがこの世に二つとあったなんて……識らなかったわ」
「神でも知らぬことがあるというのかっ」
「この運命では、イザイアが神を超えたのよ。その時点でもう私の識り尽くす世界ではなくなってしまった……既に彼自身の手によって隠蔽された過去があっても知る由もないわ」
「この役立たずな神め……!」
エンペドは苦虫を噛み潰したような表情で、俺を睨んでいた。
無駄だというのに魔法で応戦しようと身構えている。
悪党にはそんな表情がよく似合う。
「何をごちゃごちゃと。この世界はお前たちの実験場じゃないんだ。いい加減にしろ」
「……くっ……おのれ、何か手はないのかっ……!」
エンペドが吠え散らす。
しかし、それも空しく部屋に木霊した。
「……無理ね。もうアレは単純な魔力の競い合いの次元を超えてしまった。ましてや魔造の肉体は人間の身体能力を遥かに凌駕しているわ。例え王家の軍隊を率いても、アレに勝てる要素はない」
「在り得ぬ……在り得ぬわ! 貴様のミスだ! 早くなんとかしてみせろ……! このまま失敗に終わっては貴様も死に絶えるのだぞ」
言い争いは終わらない。
この二人の関係を色々と見てきた今だからこそ会話の内容が理解できる。女神ケアは、人類に信じてもらえなくなった時点で死に絶える。エンペドはそれを防ぐために古代のアザレア大戦を繰り返そうと画策した。絶望が、神への信仰を守る礎になるとして―――。
「さて、どうかしら……」
だが、女神からはそんな焦りの様子は見て取れなかった。
目を瞑って悠長に考えを巡らせていた。その瞳が開かれた時には、何か清々しささえも感じる表情で、どこか遠くを見ていた。
「破綻しない世界には《愛》で溢れている。―――神が云った通りだったわ。私の出る幕はもうとっくの昔に終わっていたようね」
「何を言っている……貴様それでも――――」
話し合いにも一区切りついたようだし、俺は時間魔法を展開して時を止めた。
そしてゆっくりとエンペドの前まで歩き、時間魔法を解除した。
「もう話は充分だろう。覚悟はいいか、エンペド」
「――――うっ……」
渾身の力を込めて、拳を振り上げた。
エンペドは勢いを殺し切れず、上空へと体が投げ出された。
アルフレッド仕込みのボディブローはよく効くだろう。あのリーダーが、俺に戦士とは何たるかを教えてくれた。俺がいたから……お前がガラ遺跡に向かうように仕組んだから、リベルタは解散した。アルフレッドの栄光を奪い取った。その一撃を重く受け止めろ。
俺はそのあとを追うように、ぐっと踏み込んで高く跳びあがった。
天井を突き抜けて、屋根裏も突き抜けた奴は、空中にいた。
「ぐ……おのれ……! おのれ、おのれ、おのれ!!」
エンペドは空中で火魔法を使い、器用に体勢を整えていた。
俺に向けて腕を突き出し、氷の矢を何本も作りだして放とうとしている瞬間だった。
俺はその時点で時間を止めて、静止したエンペドの背後に回り込んだ。そして肩に手を回して鷲掴みにし、それを支柱としながら体を一回転して、エンペドを地上へと向けて放り投げた。
エンペドは、自身で作りだした数本の氷の矢の直下で静止した。
―――今だ、動け!
「うぉぉおおお!」
念じて、時間魔法を解除する。
エンペドは自身が作りだした鋭利な氷に体を貫かれ、そのまま地上へと落下していった。そうやってリナリーの幼い体も貫いたのか。すべてお前自身がやってきた所業の代償だ。
俺も自由落下して後を追う。
まだ……まだ死なせない……!
オルドリッジ屋敷の屋根に落ちたエンペドは、血を体中から噴き出して痛みに堪えながら起き上がろうとしている。俺はその付近へと着地してから即時、回し蹴りしてエンペドの体を蹴りつけた。
休ませてやるものか。一秒足りとも……!
―――――止まれっ!
赤の世界が時間を支配する。
屋根を蹴って駆け出した。
吹き飛ばされている最中のエンペドの体に追撃を入れるように、顔面を殴りつけた。
空を翔けて思い出す。
"―――キミは早くから戦士として成長しすぎてしまった"
メドナさんが遺した一言。俺が戦士を目指した事でたくさんの人の運命が翻弄され、争いも生まれた。光の雫演奏楽団の人たちもそうだ。狂った世界を正そうとそれぞれの形で正義を貫こうとした。間違った正義なんて何一つない。
あの人たちのためにも、俺は俺の正義を貫いて戦士になるんだ……!
顎を砕いた音が拳から伝わった。
時間魔法を解除し、エンペドは声にもならない奇声をあげて屋根から飛び出し、屋敷の中庭へと向かって飛んでいく。
足りない……! まだ復讐劇は終わらない!
中庭へと落下していくエンペドの後を追う。
三階建の建物、天井も高いというのもあって屋根から中庭までの距離はけっこうある。
俺は踵落としで落下するエンペドの体にさらに勢いをつけようと迫った。
その脚を、エンペドは受け止めて強く握りしめた。
どうやら悪あがきで一緒に落下してやろうというつもりらしい。
まだそんな力が残っていたのか……。
こんな距離で落ちたところで俺の身体にダメージなんかないが―――。
"――――……僕の息子を………返せ……!"
アザリグラードの迷宮。大きく口を開いた巨大な穴に、二人の親子は落下した。
いつもの回想が頭をかけ巡る。アンファンも最後は息子を助けた。身命を賭して、息子の体を地上へと転移させ、自分だけエンペドの亡骸の餌食になった。
あれですら、こいつの仕組んだもの。犠牲になる必要がなかったシュヴァルツシルト親子は、俺を実家に呼び戻すためにこいつが見せた仕組まれた親子愛の憧憬。
お前ごときが、無為にして弄んでいいものじゃない……!
右手に小さな短剣の複製物を作りだして握りしめた。
赤黒い魔力の塊が得物となる。
それを胸に突き立てる。
エンペドは小さく悲鳴をあげると、俺を離して落ちていった。
「……止まれ……っ!」
時間が止まり、エンペドは中庭へと落下する前に空中で静止した。
俺はエンペドより先に中庭に着地して、頭上を見上げた。
かなり虚数魔力を使い続けて、疲労感が後から襲いかかってくる。
「……はぁ……はぁ……」
――――でもまだ、最後のとどめを刺さないと。
地面に手を当てて、エンペドの落下地点に無数の剣山を生やす。
赤黒い突起物が幾重にも突き出した。
断罪の針山地獄。
ただ単に殺して見送ってなんかやるものか。
死んだ後もこいつが地獄に行くかも分からない。
実際にそんなものがあるのかどうかも。
だが、お前の地獄は、今そこにある。
「消えろ、エンペド……。運命を弄んだ代償だ」
そして再び、時が流れ出した。
直下に生える無数の長剣がエンペドの体を串刺しにした。
突き刺さった剣が支えになって、その体が地面に辿り着くことはなかった。まるで磔にされた罪人のように、宙で項垂れている。
両腕両足から大量に血が垂れていく。
―――間違いなく死んだ。
わずかな吐息すら聞こえない。
「…………はぁ……」
やけに気怠い。
体は軽いのに、意識だけが朦朧として反応が鈍くなる。
これってもしかして魔力切れってやつか。
時間魔法がどれくらい魔力を消費するかも、自分自身がどれだけ虚数魔力を持ってるかも知らずに魔力を使い過ぎた。
でももう一人の罪人のところへ行かなきゃな……。




