Episode115 静止した時間
『さて、なんとか間に合ったようだ。父親をぶん殴る準備はできてるかい?』
暗闇の中、頭上には突如として白い大穴が開いた。
メドナさんからヒントを貰った直後の事だから、あまりに急で言葉が出なかった。
ヒントっていうのは、俺の魂を肉体へ戻す方法の事。
魔道具"Presence Recircular"があれば俺の魂は完全に追放されることはなく、肉体に残れるという話だ。
その魔道具をトリスタンが持っているらしい。楽園シアンズへの突入の直前に壊れたから、てっきりトリスタンの持ってる方も壊れたと思っていたんだけどな。
俺の慌てふためく様子を見て、メドナさんは付け加えた。
『言ったでしょ? ここには時間の概念がないからね。実はもう色々と手配は終わってるのさ』
メドナさんはやけにニコニコとした表情で俺に微笑みかけた。
『じゃあ、トリスタンはもう俺を助けてくれたんですか!? ………ん? でも今、間に合ったって……』
『ははは、間に合ったのはキミの気持ちの問題さ』
『ん……?』
あぁ、そういう事ですか。
俺は幼少期のトラウマから、オルドリッジに対して弱腰で過ごしていた。
演奏隊として忍び込んでも、結局後ろめたさだけで父親と母親に会おうと思っていた。
でも蓋を開けてみれば、なんてことはない。
俺がそのイザイア・オルドリッジ本人だったわけだし。
曾々々々………爺さんのエンペド・リッジとか言う頭のおかしな魔術師が仕組んだものだったってだけだ。俺には魔力がないとか、俺の失敗で友達、仲間、恋人に迷惑をかけたというわけじゃない。
全部、アレが仕組んだ陰謀だったんだ。
何も後ろめたさを感じる必要はないって事だ。
だったら、そこに正義の鉄槌を食らわせてやればいい。
単純な話だ。
最後の仕上げは、俺の意気込みだけってことか。
『それにトリスタンも―――――いや、まぁいいか。細かいことは気にしなくていい。キミは英雄思想だから何でもかんでも掌握したがる悪い癖がある。他人の助けに気づかない時があってもいいんだよ。みんなキミに気づいて欲しくて助けてるんじゃない。そんな事に構う余裕があるんだったら、さっさと目の前の敵を倒してきなよ』
メドナさんは煽るような口ぶりで俺を捲し立てた。
この真っ黒な空間―――現世と死後の世界の架け橋のような世界だったか。ここで長い間、古代から近代までの歴史を振り返っていたから、俺がいなくなった世界で何が起こっていたか知る由もない。
既に手配は終わったって言う事は、もしかしたら俺が想像してる以上の壮絶な戦いがあったのかも。それなら、その期待に全力に応えるのみ。
さっさと舞台に上がってこいよっていう話だ。
『よしよし、良い顔だよ。その顔つきに私は負けたのさ』
そう言うと、メドナさんは片手で俺の頬を撫でた。
明るい微笑みと赤い瞳を見て、俺は思い出した。
『あっ……待ってください!』
『残念、もう待ったは無しだ』
その直後、頭上の白い穴が突然光り輝き、無数の光の粒が舞い降りた。
それが激しさを増し、俺の体がふわりと浮いていく。
吸い込まれるようだ。
俺はまだ聞いてない。
メドナさんとの最後の戦いでのこと。
この人は最期、自害した。
俺がつくりだした剣を胸元へとあてがって、無理やり刺させるように。
その理由だけ知りたい。
『ふっ……少年、それを聞くのは野暮ってやつだよ』
何も言ってないのに俺の意図を察してくれたのか、メドナさんは明るく答えた。
『ただちょっとだけ、私も英雄を信仰したくなったのさ』
『え……!?』
言っている事の意味がよく分からなかった。
手を伸ばし、メドナさんの手に掴まろうとしてみるが、身体は吸い込まれるように上空の白い穴に向かっていく。
『メドナさんっ! また……また会えますよね!?』
『キミも馬鹿なことを言うね~』
俺はじたばたと足掻いて宙に浮く体を押し留めようとした。
だが、メドナさんはどんどん小さくなっていく。
『ここは死者が通る敗北の道だよ』
白い穴に呑まれ、やがれ体全体を光が包み込んだ。
黒い世界はもう見えない。
メドナさんの事ももう見えなくなってしまった。
でも最後までその言葉が耳に残った。
『もう私に会わないように頑張って。敗北宣言は英雄がしていいものじゃない』
○
光に包まれ、体が温まるのを感じた。
死んだと思った時に降り立った雪の積もった世界とは正反対だ。
心地が良い。
生まれ落ちる瞬間とはこういう感覚なのだろうか。
眩しすぎて視界もぼんやりとしている。
自分という存在が、新しい世界に迎え入れられる穏やかな感覚。
初めてこの世界に産声をあげ、母さんに抱いて貰う赤ん坊もこういう温もりを感じているのだろうか。
―――すんなりと、その肉体に魂が馴染んだ。
ゆっくりと回転する円月輪が、上から下へ、右から左へと視界を遮っていく。ここは神の羅針盤リゾーマタ・ボルガの内部なのだとすぐ気づいた。
赤黒い魔力が俺の身体を覆い尽くして、靄のように漂っている。
右手や左手を確認して、ぎょっとした。
何度も魔族と見間違われるきっかけになった例の赤黒い線形の紋様が、体中に張り巡らされている。
右腕と頬のとこだけじゃなくて、全身である。
両手両足、それこそ半裸状態の俺の胴体まで。
なんだこれっ!
……って思ったけど、そういえば封印用の聖典がケアに取られて、右腕から浸食されたんだった。こんな様子じゃ、顔面にも紋様が刻まれていると考えた方がいいかもしれない。
もう人間には思われないだろうなぁ。
しかも、やけに体が軽い。もうジャンプすれば天井もぶち破れるんじゃないかってくらい高く跳べそう。
あと身体も頑丈になって、五感も研ぎ澄まされた気がする。
自分自身の確認は良しとして、部屋の周囲を見渡してみる。
ここは俺が最後に襲われたイザイアの書斎で間違いないようだ。
何人かの人間が、こっちを見て眩しがって目を細めていた。
すぐ近くにケアがいる。
重々しい扉の近くにリナリーが仰向けで倒れている。
そしてその隣ではシアが、エンペドに首を絞められていた。
彼女の体は遠目で見てもぼろぼろだった。
脛には大量に血が垂れていて、両手両足に焦げ跡もある。
一つに纏めた自慢の青い髪も、土埃で汚れて悲惨な姿だった。
シアが頑張ってくれたという事は一目でわかった。
―――というか、エンペド……。
テメェ、どうやら相当苦しんで死にたいらしいな。
殺意が湧いた。
その瞬間に赤黒い魔力が、俺を中心に展開された。床や天井、壁に薄い膜が張られていくように、ぶわーっと部屋全体を覆っていく。赤黒い濁った液体が張り巡らされたような感じだ。
――――それが覆い尽くした瞬間、世界は止まった。
何もかも静止している。
時間制御魔法を使って、俺自身を加速させたときの反応と明らかに違う。俺自身が加速するんじゃなくて、世界の方を完全に止まったような感じだ。
その証拠に、心臓の高鳴りもない。
俺の方は至って普通で、世界の方が異常な状態。
「……なるほど、これが時間魔法か」
肉体の組成がすべて人間じゃなくなったんだろう。それで虚数魔力が体中に浸透して使いこなせるようになったおかげで完全な《時間制御》が使えるようになったと考えよう。
当時学生だったイザイアの記憶も思い出せたから、頭もすごく冴えてる。
一気に大人頭脳を手に入れた気分だ。
俺は静止した円月輪の隙間から飛び降りて、その部屋に降り立った。
女神のケアですら静止している。
その横を通り過ぎて、忌々しいエンペドのもとへと歩いていく。
……俺の肉体だけじゃなくて、女まで奪おうとか。
「おい」
俺はその腕をぐっと掴んだ。
すると、奴を覆ってた赤黒い膜が消え去り、こっちを向いた。
「あれ……は……――――ん、貴様、いつのまにそこに!?」
「おわっ!」
俺もびっくりして思わず手を離す。
するとまたエンペドが赤黒い膜に覆われて、固まってしまった。
一瞬だけ反応を見せたのにまたしても固まるエンペド。
これはまさか……。
勇気を持ってもう一度エンペドの腕を掴んで、引っ張った。
「どわぁあっ!」
奴の体は想像以上に軽く感じた。
俺が腕を引っ張った事によって、凄まじい勢いで地面に倒れる。そんなに強く引っ張った気はしないのに、床に穴が空いてそこに体が嵌めこまれた。
飛び散る木材は空中で静止している。
エンペドは、俺との繋がりが絶たれた途端、また赤黒い膜が張られて、固まった。
振り返ると、シアは首を絞められた姿のまま、固まっている。
つまり、支えもないのに空中で静止していた。
―――そういう事か。
世界の時間が止まっていて、俺が触れたものだけが動くことができる。
静止した時間を共有できる……!
試しに物体でも試してみた。
エンペドが尻で穿った床から飛び散った木片を一つ手にとって、それを投げてみる。すると、木片は投げつけた直後に空中で静止した。
やっぱりそうだ。
あの木片は俺に触れている間だけ、この静止した世界を一緒に過ごした。
俺から離れることで、本来の時間の流れに戻ったんだ。
ここは時間を一つ切り取った五次元世界だ。
その五次元の世界を今、俺は体験しているという事か。
前世のイザイア知識のおかげで理解が進む。
あの頃、時間を研究していて良かった。
まぁ、原理が理解できた所で俺の怒りが収まったわけじゃない。
この野郎にはお返ししないといけない事が山ほどある。とりあえず憎しみを込めて、俺は尻餅をついたままのエンペドを蹴り上げた。
「ぐ―――――」
蹴った瞬間に、一瞬だけエンペドはこの静止した世界に訪れたが、すぐ空中で静止した。体が逆反りで反り返ったまま止まっている。
……なんか、意外と戦いにくいなこれ。
まぁいいや。
まず最初は、俺を守ろうとした母さんを魔法で突き飛ばした恨みだ。
俺は逆反りになったエンペドの背中をさらに蹴り上げた。
「お―――――」
一瞬だけエンペドは叫び、また固まる。
こっちから見ててあんまりすっきりしない。
攻撃できてる気がしない。
俺は勝手に苛立ちが募り、エンペドの首根っこを掴んだ。
「ぉぉぉお……! はっ……はぁ……ぐはぁ……」
エンペドはさっきの俺の蹴りで、天井へ上昇途中だったが、首を掴んでいた事で無理やりその場に留められた。
様子を見ると意外とダメージを与えているみたいだ。
一度こっちの静止した世界に招待しないと、効いてるか効いてないか判断しにくいな。
「貴様……イザイア、か……!?」
「どうやらそうらしい―――なぁっ!」
会話するのも腹が立つ。
イザイアはお前だろう。
イザイア・オルドリッジという前世の俺の人生を奪い、あらゆる人間を蹴落とした。仮初めの関係だとしても、愛そうと努めていたミーシャの事さえ乱暴に扱った。そんなお前が、俺にイザイアか、だと―――。
怒りに任せて首ごとエンペドの体を放り投げた。
そのまま駆け出して、何度もエンペドの顔と体を殴り続けた。その度、エンペドは一瞬だけ静止が解除されて反応を見せるのだが、断続的な反応のために壊れた絡繰り人形のようだった。
書棚近くの革張りソファまで辿り着き、そこにエンペドを投げつけた。
ソファは派手に破裂して、破裂した瞬間の状態で静止した。
俺から離れる度に動きを止めるエンペド。
―――やっぱり戦いにくい。
色々と念じてみた結果、単純に"動け"と念じれば時間魔法が解除される事が分かった。部屋中を覆い尽くしていた赤黒い膜が剥がれ落ちるように消え、俺自身も本来の時間の流れに戻った。
「ぎゃあぁぁ………!」
その直後、エンペドの悲鳴が耳に届く。
次に俺は慣れ親しんだ動作で複製剣を創り出そうと床に手を当てた。
殴り合いだけじゃ気持ちも収まらないので斬りかかろうと思う。
―――すると、また不思議な現象が起きた。
いつもだったら複製剣は、錬成の原理で床から生えて、それを引っこ抜いていた。でも今創りだした複製剣は、俺の身体から滲み出た赤黒い魔力が空中で固形化して形成された。
もしかしてこれも、体の変化によって完全な《心象抽出》が使えるようになった……という事か?
《心象抽出》は魔力の塊を武器に変える能力だ。
その仕組みなら、本来はこういう剣が出来るのが当然だろう。
まぁ深く考えるのはやめよう。
検証なんて後からいくらでも出来るわけだし。
俺はその赤黒い魔力で生成した剣を手に取った。
そして仰向けに倒れるエンペドの腹を突き刺そうと振り被る。
しかし奴もまた抵抗しようと腕を挙げて、手先を動かしている。
魔法を使おうというつもりらしい。
「そんな隙与えるかよ……!」
止まれ、と思った。
赤黒い膜が世界を包む。
またしても、時が止まる―――。
魔力がゼロなんて嘘だ。
虚数魔力はマナグラムや鑑定魔法で測定できないだけ。魔力の種類が違うだけで、この体にもちゃんと膨大な魔力が貯蔵されている……!
これが、《魔法》というものだ。
こんな不可思議な魔法は世界でも初めてだろう。
因果が複雑に絡み合い、俺が切望した時間魔法はここに体現した。
お前が仕組んだその因果だ。
報いを受けろ、エンペド。
※次回更新は来週の土日(2015/12/19~20)です。
第三幕、あと少しで終わります。




