◆ 統禦者の見る世界
※ 女神ケアの視点。
第3幕での彼女の目的や感情の変化を補完する話です。
"神"とは、人智を超えていても、叡智には辿り着けない不安定な存在だった。
神々は世の文理法則「深礎」を観測できるが、そこに到達し、変化させることは決して出来なかった。すなわち、「深礎」には絶対的な存在が存て、そこから派生した個々の世界を統禦するのが下位の私たち、神だ。
私たちはその「深礎」に在る絶対的な存在を「起源」と呼んでいた。
「起源」は無数に在った。
時間や空間、勾配と云った物理的なものから、奉献や闘争、欲情と云った動物特有の感性的なものまで様々だ。そういった「起源」から派生し、個々の世界は形成されている。
神々は、それら「起源」には逆らえない。
時は川のせせらぎのように流れるが、止めることなど出来はしない。
火は高温だが、氷のように低温にすることなど出来はしない。
電圧は電荷の移動が引き起こす電位差だが、その差分から得られるエントロピーを変える事など出来はしない。
そういった法則はどのような世界でも同じものだった。だからこそ人類は人類以外の何ものでもなく、共通して大地も海もあり、類似の営みを繰り返す。
―――ましてや、時を止めるなどと、神をも凌駕する起源的な力である。
私が生まれ出づるこの世界には、雌雄一対の二神によってまず生命の概念が成立した。
生命の流動的で感性的なものとして"生態系"を司る私と、その環境である"元素"を司る神がいる。原資から人類を設計した私は、女神ケア・トゥル・デ・ダウと名づけられた。また、元素から海や大気、大地といった環境基盤を設計した神は、リィール・トゥラム・デ・ルウと名づけられた。
これらは愛称であり、信仰の始まりだった。
生み子に愛されることで、神々はカタチを成す。
設計した存在からの創造回帰だ。どのような姿形となるかは信仰によるが、いずれにせよこの世界の"統禦者"が雌雄一対の神であるという心理思考は元来植え付けているために、創造回帰もそのような発想に至る。
ヒトを作った私たちが、ヒトによって生み出されるのだ。
だからこそ、私たちは彼らの信仰を糧に生きうるのだが――――。
◇
ある世界では、神がついに剥製化した。
信仰という糧を失った神は、カタチだけを残して死に絶えてしまった。
その世界では著しく科学が発展したのだと云う。その原因は生命の第一目的を《繁栄》にして設計したからだ。《繁栄》が本能となった生命は、種の拡がりのために闘争と追究を繰り返し、科学が神の領域にまで到達するほど発展した。その結果、信仰の意味合いが変化し、神の在り方が"統禦者"ではなくなったようだ。その世界の人類は、自ら世界を統御しているのだと云う。
お役御免となった神々は消え去るのみだ。
しかし、《繁栄》がなければ世界の寿命もすり減らしてしまうのも事実である。その必須の要素を第一目的にしてしまった結果が、その世界での"神殺し"だった。
私は雄神のリィール・トゥラム・デ・ルウに、ある提案を持ちかけた。
我々の神秘性を担保するために、敢えて神秘の力を一部のヒトに授けようというものだ。
―――それが、私たちが統禦する世界の《魔力》の始まりだった。
《魔力》とは、ヒトの第二の腕である。
火を起こし、水を集め、電流を流す。原始的な動作でも叶えられるものを、《魔力》を通して簡略化する力。その利便性が、神の助けを感じさせる引き金になるだろうと考えた。
母子環境で継代的に伝播するよう、血流にその"因子"を宿し、魔力性質が遺伝するように設計図の核酸に組み込んだ。
その人智を超えた力は、魔力を持つヒトの世襲階級を高め、新しい宗教が発生した。
それがメルペック教―――魔力によって生み出す御業を《魔法》とし、それを使いこなすヒトを《神官》と見做して神々を崇める集団だ。《魔法》は旱魃や寒波といった自然災害からヒトを救い、宗教は瞬く間に広がった。
私たちに対するヒトの信仰も強まり、この世界では順調な《繁栄》を続けていた。
…
その順調も長くは続かない。
秘匿とされてきた神の御業《魔法》が普及し始めると、冒涜が始まった。奇跡の安売りである。蒔いた種が膨大に拡散し、《魔法》は人智の範疇に収まってしまった。
懸念はしていたが、予定調和の内にはなかった。
その計算違いの原因は、神には知り得ないものを一つだけ、ヒトが特別に持ち合せていたからである。
「起源」が仕組んだ《繁栄》の罠。
――――所謂、《愛》だ。
《愛》とは謎が多い。個々の情動機構に植え込まれている以上、生き営むための個別の衝動であるはずが、時には自死に追い込み、他者の幸福を願う。種族の《繁栄》の基盤かと思えば、他種族や他生物に跨ってその衝動が躍起される。
この世界のヒトの設計者である私にも理解ができなかった。
神リィールはそれを理解しなければ、私たちも他の神と同じ轍を踏むだろうと説いた。
そして一つの提案を持ちかけた。
ヒトならざる新生物を創り出し、生命と交流させ、《愛》を理解させる神の勅使を発生させようというものだった。《魔力》によって生まれた魔法生物がそれに当る。
原初、神リィールは海生成分から"アンダイン"という存在を創り出した。
アンダインは現世での経験を通じて、《愛》を理解し、その衝動を引き起こす事に成功したが、それを説くことはやはり出来なかった。
その間にも、ヒトは世界を蹂躙していく。
信仰のために与えた《魔法》によって、神を冒涜していく。
止まらぬ繁栄を一度、鎮める必要があった。
神リィールには止めよと諭されたが、私は"アンダイン"をヒントに新たな魔法生物を創り出した。
それが憎悪の塊で出来た「魔物」と呼ばれるものである。
魔物はこの世に混乱を齎し、ヒトの蹂躙を抑制することに成功した。だが、それもまたいたちごっこ、千日手、水掛け論というものに終わってしまう。
憎悪の魔力は、光と闇という属性の魔力をヒトに渡す引き金になってしまった。ヒトが手にした魔力の属性は火・水・電位だけだったが、そこに光子と黒体も加わり、ヒトの《魔力》の発展に寄与してしまった。
さらに、魔物とヒトが交わった結果、「魔族」という新種族も生まれた。
結果的に、私は世界に混沌を落としただけに過ぎなかった―――。
"ケアよ。もう止めよ"
"しかし、このままでは私たちが骸となる"
"「起源」は、破綻した無数の世界と同様、我々の骸も乱立させたいようだ"
"それは「起源」の真意か。動機はあるか"
"「起源」とは解析装置だと考える。重回帰による混沌を生み出し、幾多の世界、幾多の魂、幾多の概念を精製しては《死》を抽出して理論を求める。動機などない。元来の目的だ"
"では、リィールよ。私たちとは何か"
"《死》の精製を采配する監督役だ―――"
その説明は、私自身を自認させた。
諦めの境地にも近い。
もう私たちの世界は混沌のものとなってしまったのだ。
抗い続けようと思えば、手段を選ぶ必要はない。
"もう止めよ。神が歪めば世界は破綻する"
"まだ止めない。私は滅びを免れたい"
"破綻しない世界は《愛》で溢れている。
《愛》とはその綻びを繕うものではないかと―――"
それ以来、リィール・トゥラム・デ・ルウとは交わることをやめた。
世界の存続、私自身の延命に独断で臨む。
このままでは私自身が救われない。
◇
オルドリッジ家の地下の座敷牢。
憎悪の魔力に浸したヒトの成れの果てが拘束されている。
「………ォォ……! ォォ、ア………リ……!」
冷たい石造りの暗闇。
使用人の懲罰房にもなっていた一角だったために腐臭も漂っている。
ある鉄格子の奥には、黒妖犬を象った黒い存在が鉄枷に囚われていた。
ラインガルド・オルドリッジ―――彼もまた私が生み出した混沌の産物だ。繰り返す死の連鎖を一斉に垣間見た結果、呪詛に精神を侵されて嫉妬の情念が増幅した。
その結果がこのような紛い物の姿。
ただの獣慾に取りつかれた異形の犬だ。やはりサードジュニアのような天性の肉体でなければ、あのような呪いを真っ当に浴びて無事に済むはずもない。
鉄枷が武骨な甃を撫でて、奇怪音をあげた。
拘束具を嵌められている事も理解できていないようだった。
欲情に塗れた悲惨な貴族の末路だった。
「……アリ……サァ……!」
「私がアリサ・ヘイルウッドに見えるのかしら」
サードジュニアの想像によって受肉を果たした肉体は、直前の彼の女神の印象がアリサ・ヘイルウッドという獣人族だったがために、彼女と似た容姿となった。
それが都合よく、駒を動かしやすくする隠れ蓑になっているので助かっている。
ラインガルド自身に何一つ落ち度はない。
オルドリッジ家の血筋であり、魔力も申し分ない。父親のアダルバート・オルドリッジもエンペドの性質に近似していたが、次男のイザイア・オルドリッジ程ではなかった。その不十分な遺伝が彼の父親を貶め、彼自身もこうなってしまった。
可哀想な子どもだ。
もし、亡きアダルバートがエンペドの系譜を辿る存在であれば、彼がエンペドの新しい憑依先だったかもしれない。
そんな可哀想な彼には新しい役割を、二つ授けた。
一つは、痕跡を撒き散らすための"狼煙"役。黒い魔物として祝典を盛大に荒らしてもらい、彼女らを誘い出す誘導灯。
もう一つは誘い出した後、万が一、エンペドが――――。
「アリサ、ここにいたのか……っ」
地下牢から出る唯一の階段の方から、男の声が聞こえてきた。振り向くと、そこには次期当主のアイザイアが松葉杖を突いて立っている。
私が事も無げに視線を牢屋へ戻すと、よたよたと近寄ってきた。
「なぜこんなところにいるんだ! こいつは危険な魔物だ。いつ増殖するか分からない」
「……そう。でも、私は平気なの」
アリサ・ヘイルウッドの口調と声色を極限まで物真似する。
「いや、危険だ。それに今、庭では野盗が暴れているそうだ……私と上層の階へ避難しよう」
「………」
「どうした、アリサ………? ふむ、その服装は……シスターの真似事か……?」
上層の階ではエンペドが、新調した肉体への憑依を今か今かと待ち侘びている。リゾーマタ・ボルガはもう復元したが、私には確かめたいことがあり、もう少し待つように伝えていた。
庭園での制圧戦も私がオーブリーに命じて演出した耐久戦だ。
私の観戦用に粘ってもらうように指示を出した。
彼には腹腔へ器を移植して神性の魔力を貯蓄しておいた。いざという時には、そこから滲出する魔力が彼を魔物へと変えるだろう。魔力量から言えば、魔猯猪級の魔獣には変化できる。
私の沈黙を心配するかのように、アイザイアは私の顔を覗きこんでいた。
これだから《愛》とは理解できない。ましてや存在を間違えるなど。
「――――」
その因果を魔眼に映し出した。
赤黒い瞳はアリサの琥珀色の虹彩とは明らかに別種のものだ。
"アイザイアが上層階へ移動した場合"
"私が庭園の戦いを観察できなかった場合"
その二面の可能性が混じり合い、未来が瞳の万華鏡に乱反射する。
最善はアイザイアをこの地下牢に閉じ込めておき、私も制圧戦を観戦することだ。そもそも彼女らをこの屋敷におびき寄せた目的が、その気概を見届けることにある。ならば、この機を妨害するアイザイアという存在は邪魔だった。
―――しかし、最近はこの未来視も朧げだ。
何かが妨害してはっきり世界を写し取れない。
その原因は、私自身も理解しているつもりなのだが……。
この世への受肉を果たす前に、リィールから最後の忠告をされた。
神が現界すれば、ある程度の能力は失われる。肉体的な制限を受けることで時間的な制約も生まれる。さらに肉体を操作する神経を通すため、思考鈍麻となる。感覚を持ち、外部から影響を受けやすくなる。
そういった情動体験が、我々の命題だった《愛》を理解するきっかけに繋がるかもしれない。
私はエンペドの助力となってヒトから《絶望》を採集したいという願いと、ヒトの《愛》を理解したいという願いの二つの矛盾を併せ持つようになった。
未来視を妨害する何か―――この"ゆらぎ"の正体こそ、その矛盾に他ならないのではないかと考えている。私の理解不能な行動の一つ一つも、《愛》という感性によるものなのだろうか。
「アリサ、どうした、その眼は―――?」
「ふふ……私は本当にそんな名前だったかしら?」
「―――!? アリサじゃない。だ、誰だキミは――――」
私はアイザイアに魔法をかけた。
魔力の渦を放ち、彼を包んでそのまま空間転移させる。
転移先は、黒妖犬と同じ牢だ。
「え…………なっ、なぜ、この―――!」
アイザイアは狼狽している。鉄格子に掴まり、必死に黒妖犬から逃れようと手を伸ばしていた。その瞳には絶望の色を宿し、出せよ逃せよと半狂乱になって暴れていた。
「愛する人を間違えないことね」
そう言い残して、私は地下牢から立ち去った。
相変わらず自分でも不可解な行動をとるようになった。彼を閉じ込めるだけなら、ラインガルドと同じ牢に転移させる必要はなかった。別の牢屋も空いている。なぜそのような"嫌がらせ"をしたのか―――。
「……ち、近寄るな、化け物……!! あぁ、神様……!」
いまいち自身の不可解な行動は理解できない。
しかし、なかなかどうして《絶望》も馨しい。
エンペドの説く「《絶望》が神への信仰に寄与する」というのも間違いではないのだろう。
◇
二階廊下の窓辺から、その戦いの成り行きを見届けた。
一つの可能性では、彼女らは慣れ親しんだ英雄のことなど疾うに忘れて、平凡な日常の中でその身を散らす予定だった。
しかし、彼女らが英雄を思い出す未来が視えた。
祝典に現われたラインガルドを見て確信した。
私はラインガルドを利用して"パンくず"を落とさせ、彼らがここまで辿り着けるかを試すことにした。
リゾーマタ・ボルガによる過去改竄が英雄の痕跡を消去したはずだ。
それでもここに辿り着いた時点で、私は彼らに感服している。
予定調和を編む力が弱まると同時に、私自身も欠落しているようだ。
それに今、庭園で繰り広げられるあの戦い―――。
「もどってきてっ! わたしのっ――――お兄ちゃんっ……!」
感覚を研ぎ澄まし、その声が耳に届いた。
赤毛の幼子が、流れる濁流のように黒衣の騎士を押し返していた。
叫喚は、消去した英雄に向けた言葉。
「なんてこと……」
彼女らの中でイザイア・オルドリッジは消えてしまった。
だが、それでもその姿を必死に追い求める。
これが、イザイア・オルドリッジが齎した《信仰》……?
「―――返して……! 私たちの"英雄"を!!」
追走して成り行きを見届けていたシア・ランドールとパウラ・マウラの戦いの光景が目に浮かんだ。同じタイミングで、彼女は赤毛の幼子と同じように叫喚した。
今度ははっきりと「英雄」と告げている。
彼女たち二人だけではない。庭園で必死に足掻く彼ら、伝説と語られる"自由の騎士"たちまでも、皆一様にして英雄を求めた。
「………」
その時、私の思考は一時停止した。
これまで経験した事のない不快な感覚だった。
"英雄"は愚直にも、人々を助けようと駆け抜けた。
未来を予見するでもなく、過去を悔いるでもなく……。
その愚直さが、あのように人に希望を与えていたのだろうか。
そうして《信仰》を作り上げた。私が欲した《信仰》を、《絶望》などという歪んだ形ではなく、正しい形で。
"神が歪めば世界は破綻する"
"破綻しない世界は《愛》で溢れている"
リィールが最後に告げた言葉が甦る。
私は、間違っていた……?
◇
私は、シア・ランドールに最後の試練を課した。
私やエンペドの介入のないもう一つの世界を視せる事だ。
つまりそれは、彼女の両親が存命する世界。
《愛》のわかりやすい縮図は家族にある。親が子を守り、子は親を慕う。それに充てられた時、おそらく《信仰》は意図も容易く崩れ去るはずだ。
私は確かめたかった。
私が延命のために欲した《信仰》は、エンペドが提案する《絶望》の繰り返しでしか維持できないのだという事を。結局のところ《信仰》を聚めるのは簡単な事ではないのだという事を。
しかし、それさえも―――。
「シア・ランドール―――貴方は、なぜここに来ることを選んだの?」
私はエンペドの書斎へと辿り着いた彼女にその真意を確かめることにした。生態系を創造した女神と謳われる私にも、家族を捨て置いてまで求めるものがあるのか理解ができなかった。彼女の決断は、私の理解を超える。
「私は……私は、守りたいと思ったのです。その英雄を……!」
「……」
守りたい……。
そんな些細な情動が、家族を退けた。
思えば、私もわざわざ"パンくず"を用意していた。
現世に降臨する前では決してそのような心馳せは在り得なかった。私自身もいつしかイザイア・オルドリッジという英雄を、かけがえのないものだと認めてしまっているのだろうか。
見す見す失うのは惜しいという考えが芽生えているのは事実だ。
「……そう。両親と過ごす未来も用意していたのに、その因果を棒に振るのね」
それは私に対しても向けられる自家撞着の言葉。これまで千年にも跨って築き上げてきた因果を棒に振る"迷い"が生まれてしまった。
予定調和が朧げになっていたのもそういう事だろうか。
イザイア・オルドリッジは神を超え、私の羨望さえ集めたという事か。
私の感覚にも―――《愛》が芽生えていたのだろうか。




