Episode110 空中戦Ⅰ
シア・ランドール視点。
「Episode105 黒騎士の奇襲」で突き飛ばされた直後です。
後方へと突き飛ばされて、いくつもの草花を薙ぎ払った。
視界に流れるのは私が通り過ぎたことで舞い上がる枝葉や紅白の花弁だ。
背中に気流の塊をつくりだして緩衝材とし、足を地に着けて踏ん張ります。
なんとかそれで体を押し留めることに成功しました。
突然の黒騎士の襲撃で、庭園の端から端まで盛大に飛ばされてしまいました。
……油断していた。
悪あがきで放った二つの矢は、遠目に確認したところ意図も容易く斬り捨てられたようです。しかし私の無事はリベルタの方々に伝わったと思います。態勢を立て直したら後方支援に回ることにしましょう。
右肩には浅い傷。
作りだした気流の塊は日頃の《空圧制御》の修練の賜物です。黒い騎士から逆袈裟斬りを受けても、この能力のおかげで重傷にならずに済みました。この力を授けてくださったシルフィード様には本当に感謝します。
簡単な治癒魔法をかけて傷口だけ塞いでおきました。
体に付いた葉っぱや花弁、土を払い落とす。
よく見たら肩の切り傷だけでなく、足や腕も擦り傷のようなものがいくつも出来てしまっている。飛ばされてる最中、木の枝に引っ掻けて傷を付けてしまったのでしょう。
そういえば、と焦って髪飾りを確認する。
Cold Sculptureはちゃんと髪に留められて冷気を漂わせていました。
この髪飾りこそが、"彼"と私とを繋ぐ絆のようなものだ。
これだけは失くすわけにはいかない。
安心して、周囲を見渡す。
近くに屋敷の厚い外塀がある―――という事は、かなり端まで突き飛ばされたという事でしょう。
オルドリッジ家の庭園は本当に広い。先ほどまで歩いていた道はもう見えない。だからここからだとアルフレッドさん達がどういう状況にあるのか確認することはできません。
造園が邪魔をして視界を遮ります。
これでは狙いのつけようもないので、視界がひらけたところへ移動した方がいいです。
弓師の支援とはつまり狙撃だ。
練習不足であることは否めないですが、"狙撃銃"で黒い騎士に攻撃しようと思います。のろまな私が、彼らの近くに行ったところで邪魔になることは分かっていますので。
私は空圧制御を使って飛び上がり、外壁の塀に登りました。
壁の上には十分な足場がある。
ここからならよく見えます。
どうやらアルフレッドさんと黒騎士が一騎打ちで戦っているようだ。
そしてリンジーさんたちが先に玄関口へ走って向かっている最中。
良かった。これなら狙いやすい。
乱戦状態だと味方にも誤射しやすいですから。
ロングボウに持ち替え、弓矢も背中の矢筒へ切り替えた。
長距離狙撃用へ。
そして弓矢を引いて、狙いを定める―――。
「ごきげんよう。青いエルフさん」
「……!」
突然、真横から声をかけられて、そちらへ振り向く。
気配なんて微塵も感じなかったのに。
そこにいたのは金髪碧眼の貴族風な女性だった。装飾華美な衣装に身を包んでいますが、鷹のような鋭い目が少し冷徹な印象を与えます。しかも腰のあたりから黒い翼が生えて折り畳まれていた。
獣人族でしょうか。
その翼持ちの女性が私と同じく塀の上に立って二の腕を組んでいる。
……しかも大きな胸を、組んだ腕に乗せている感じが癪に障ります。
それは一種のアピールというやつですか。
「侵入者がいると聞いて外に出てみたら……可愛らしい侵入者さんですわね」
「誰……ですか?」
私の狙撃の用意を見ても真っ当に話しかけてくるということは、敵ではないという事でしょうか。
でも「侵入者がいると聞いて」と言っている。
つまり、オルドリッジ側の人間……?
「私はメルペック教会聖堂騎士団第二位階パウラ・マウラ――――諸事情でこの家に長逗留させて頂いている身ですわ」
「聖堂騎士団………痛っ……!」
頭が痛いです。
聖堂騎士団という言葉に聞き覚えがある。そのうちの誰かとは戦ったような覚えすらあるのですが、連想する前に頭痛が遮りました。これもリゾーマタ・ボルガの影響でしょうか。おそらく私は過去に聖堂騎士団と少し関わりがあるはず。
でも悪い印象しかありません。
それに位階序列は詳しく知りませんが、第二位ということはけっこう上の方のようです。喋り方も高飛車な印象もありますし。
また面倒くさそうなのが出てきましたね。
胸を腕に乗せる仕草も感じが悪いですし。
「ここの住人に頼まれてしまいましたのよ。聖堂騎士団の力をぜひ貸してほしいと―――私に頼むなんて杞憂ですけれど、ここで恩を売るのも良いと思ったのですわ」
冗長な喋り方の人だ。
特に聞いてもないような事を自分から語っている。
自分語りというやつですね。
私は呆気にとられてしばらく無言でその方を眺めていた。
「それで、貴方がオルドリッジに攻め入ろうという輩でよろしくて?」
「………」
「沈黙も肯定の一つですわよ」
少し警戒心が高まったのを感じる。パウラさんと名乗るこの女性は目を細めて私を眺め、そして庭園で繰り広げられているアルフレッドさんの戦いを一瞥した。
「どうやらあそこの赤い方は闘志満々のようですわ。貴方のお仲間ですわね?」
「はい」
「―――では、侵入者として撃退させて頂きます」
そう言うと組んでいた腕を解き、パウラさんは黄金色の髪を後ろに払った。そして腰の翼で羽ばたき始める。
ふわりと空中に浮かんだかと思うと、私のことを見下ろした。
この人は会話の調子や頭の切り替えが早い。
急な臨戦態勢。予想外です。どうやら何かの手違いで私たちが屋敷を荒らしにきた強盗か何かだと間違われている。
アルフレッドさんと一戦交える黒騎士もやはり撃退用の門番……?
だが、執事長の方には通してもらえた。
どこかで話が食い違ってしまってるのでしょうか。
「待ってください。私たちはこの屋敷にリゾーマタ・ボルガがあると踏んで調べにきただけです」
「な、なんですって………」
私の主張を聞くと、パウラさんは表情が固まった。
顔を引き攣らせ、震えるような声でぶつぶつと呟き始めた。
あまりにはっきり喋るので、だいたい聞き取れます。
「リ、リゾーマタ・ボルガ……原初封印指定魔法兵器《神の羅針盤》がこんな一貴族の屋敷に………? そんな、ありえませんわ……。あれは大迷宮に封印されているはず……。《黒の魔導書》すら紛失がバレたらマズいですのに、新たな危険因子が……。ああ、あれも早く探さなければなりませんわね……。それに先日の祝典でも《原聖典》をお見かけしたような………。と、とにかくこんな危険な屋敷は早いところメルペック教会の拠点にしてしまわなければっ」
パウラさんは独り言を長々と、はっきり喋ってしまう人のようです。
早口でしたが、教会の人が何故オルドリッジ家に居るのか、理由はなんとなく見えてきました。大貴族に取り入って布教活動に役立てたいといった所でしょうか。
そんな事が分かったところで私には関係ないですが。
聞いた限りだと過去改変の犯人ではないみたいですし。
早いところ中に通してもらい、リゾーマタ・ボルガを破壊しましょう。
そして"彼"を取り戻さないと。
「なので、私たちを中に通してください。決して荒らそうという訳では―――」
「いいえっ! もしそれが事実なら、尚更この家にヒトを近づけるわけにはいかなくなりましたわ。と言いますか、一つに留まらず、二つも三つも封印指定が敷地内に転がっているのでしたら教会からの蹂躙も容易いですわねっ! これはチャンスですわっ」
……あの……最後本音みたいなものが聞こえていますよ。
それに"蹂躙"なんて。私たちより教会の方が侵略者のような事をしているではないですか。
やっぱり悪い印象というのは間違ってないみたいです。しかもパウラさんは両手を握り拳にして「よしっ」と言っている。こんな情報漏えいの塊みたいな人が第二位階で大丈夫なのでしょうか。
「さてさて、そういうわけですので諸々の事情で立ち去ってくださいませ。聖堂騎士団第二位階パウラ・マウラ、参りますわよっ」
パウラさんは緩慢な動作で私の方に手の平を向けた。すると正面から鋭利な氷柱が生成され、何の躊躇いもなく私の足元に放たれる。
これは初級魔法アイスドロップ?
舐められたものです。
それを横跳びで簡単に避ける。
足場にしていた塀の石材が一部砕けて、その欠片が庭へと落ちていった。
「あらあら? 狙撃手は敏捷性が低いと思っていたのですが、存外に動けますのね」
「………」
鳥系の獣人族は多弁な人ばかりと聞いています。
パウラさんも多分に漏れず、そのようだ。
こちらに刃を向けながらもよく喋る。
「では、これはどうでしょう?」
続けて生成されたのは初級電撃魔法ライトニング。
弱い電撃の塊が私の足場に向かって放たれる。
着弾した電撃は足場を伝わって這うように襲いかかってくる。
それも難なく跳んで回避した。
先ほどから足元を狙ってきてる当り、殺意はないようです。足止めという意図があるのなら、魔法操作の腕も正確ですね。しかし、それにしても攻撃手段が生ぬるい。本当に追い払うことだけを目的にしてるような易しい戦法でした。
こんな攻撃を相手にしている暇はありません。
「私は逃げません。そんな攻撃しか出来ないのなら無駄です。退いてください」
焦りのあまりに少し乱暴な事を言ってしまいました。時間がないのは間違いない。リナリーさんもいつ消えてしまうかも分かりませんし。アルフレッドさんも苦戦しているかもしれませんし。
それがある種、煽り文句のようにも聞こえてしまったようで。
「なんて失礼な小娘……可愛らしいという前言は撤回させて頂きます」
パウラさんは眉間に皺を寄せ、肩も小刻みに振るわせている。
私の発言が侮辱に感じられたのかもしれません。
「人が加減してあげていたというのに、身の程知らずですわねっ……少々体に傷が残るかもしれませんが、無礼な自分を反省しなさいなっ!」
そう言うとパウラさんはさらに高く飛翔して、"帯状の虹"を自身に取り囲むような形で展開した。幾何学模様がその"帯"に描かれて、虹色の光を放っている。
あんな魔法陣は見た事がない。
魔力の色にも統一感がなく、むらがある。
それが虹色のようにも見える。
迷宮都市でよく見た魔石の輝きと同じだった。
「ふふふ、《魔陣武装》はさすがに見たことありませんのね? 田舎の生娘がこの高位魔法を拝めるだけでもありがたいと思いなさい」
「………」
並々ならぬ気配を感じる。
あの"帯状の虹"―――魔陣武装と言うのか、それに描かれた無数の文字一つ一つに別種の魔力が込められているみたいです。魔法陣とは、魔法発動のための術式が模様として描かれている。口頭で告げる魔法の詠唱とは異なり、魔力を込めるだけで上位の魔法が放てる。ただし、"描く"という時点で制限が生まれる。それは発動場所が固定されるという事。
それを武装する―――つまり、アレはその欠点を打ち消した魔法陣ということですか。
「んー、そうねぇ……では手始めにファイアボール。それとアイススピアでいきましょうか」
パウラさんは取り囲む魔陣武装をぐるぐると回転させて、何やら品定めしているようにその幾何学模様を指で差し始めた。その直後、突然その魔法陣から赤と青の魔力がそれぞれ左右へと放出され、大きく軌道を曲げて私へと向かってきた。
左からは特大の火球。右からは特大の氷柱。
それが私を挟み撃ちにするように同時に差し迫る。
二種類の中級魔法が襲いかかってくる。
外塀を沿うように放つことで私の逃げ場をなくし、一気に堕とそうというつもりのようだ。私は条件反射的に飛び上がり、《空圧制御》の力でパウラさんと同じように空を舞い上がる。
先ほどまで居た塀の上では、二種類の魔法がぶつかりあって爆散した。
「なんですのっ!?」
「……?」
「え……貴方、空飛べるんですの? と、と言いますか、そそそれは、風の魔法っ?」
「はい」
「古代エルフの禁じ手をなぜ貴方のような生娘が……」
それからパウラさんはまた例の独り言をぶつぶつと呟きはじめた。やれ、風の魔法は西の魔法大学の一部の学生にしか教えていないはずとか、やれ、使える人物は限られているはずとか、それからも長々と。
風はそんなに珍しい魔法なのでしょうか。
私の身近な人でも風魔法を普通に使っている人がいたような?
それよりも、だんだん私の方もこのやりとりに苛々してくる。
こちらは時間がない。
私はパウラさんの脇を通り過ぎることにした。
「では急ぎますので。失礼します」
「お待ちなさいなっ! なめて頂いては困りますわ。相手が小鳥なら撃ち落とすまでですわよっ」
そしてまた魔力の気配。
振り返ると、光の魔力弾が魔陣武装から無数に浮かび上がっていた。
「………」
そろそろ相手にするのが疲れました。最初から鼻持ちならない方だと思っていましたが、ここまで私を苛立たせるとは。
対人戦が苦手な私でも、鳥を射ち落すなら慣れたものです。
左手のロングボウを強く握りしめた。




