Episode106 屋敷制圧戦Ⅰ
黒い砂塵が舞い上がる。
それは黒騎士が動いた跡だ。
対峙していた赤毛の戦士アルフレッドは、その動きを肉眼で捉えることはできなかった。気づけば背後へと移り、パーティーの弓師、シア・ランドールを剣戟で斬り上げていた。
その速攻を見切れなかったアルフレッドは自分自身に腹を立てた。
――かつて共闘していた同胞と張り合えるかどうかの自信が持てない。
そんな脆弱な男に成り下がってしまった自分自身が許せないのだ。ましてや愛娘のことすら冷酷に襲ったその男、ここで斬り伏せなければ己が信条も廃る。
「ほう……また失敗か。なかなか骨のあるメンバーを揃えたじゃないか、フレッド」
「………トリスタン……テメェ……!」
立ち尽くす闇に染まった騎士。
背後に尾を引く黒の外套を翻し、こちらへ振り返った。
それと同時に風を纏った二本の矢が黒騎士の背後から迫る。その矢は強襲で突き飛ばされたシア・ランドールが離脱の最中に放った反撃の矢だ。
トリスタンが並の戦士であればその矢で射抜いて傷を負わせることに成功していたのかもしれない。しかし、トリスタンはその背後の弓矢に一切目もくれず、背後に剣を振り上げ、そして振り下ろすだけの二度の動作で切り払った。
そもそも彼の視界は仮面によって遮られている。
闇魔法によって強化されたその能力は、視覚など既に必要としていない。
"心眼"―――武術において、これまでの経験則や研ぎ澄まされた五感によって本来見えぬものすら可視化する能力。即ち、心の目で視る能力である。未来視さえ可能とするその特殊能力は、相手の剣技、体術を見切る。
その"眼"の前では不意打ちや騙し討ちさえ難しい。
アルフレッドが得意とする攻撃手段はそういった騙し討ちの類いが多い。
つまりこの状況、圧倒的にアルフレッドが不利なのだった。
「どうした、お前はそんな冷静な男だったか……?」
トリスタンは黒い刀身を水平に構えた。
中段の構え――それは間合いを広げた遠距離攻撃の構えだった。振り下ろすのではなく、振り払う。今この疾風の如き黒騎士がこの構えを取ったとき、如何ほどの間合いを持ち得るのか、目測することは難しい。もしかしたら、今この場で息を呑む者すべてがその間合いに入ってる可能性すらある。
次の瞬間には、誰か斬り殺されていても不思議ではない。
トリスタンはぴたりと動きを止めて、静止していた。
呼吸とともに体が動くこともない。
石像のように止まっている。
その静止、動けば殺すと周囲へ伝えるほどの気迫を感じさせた。
だが、アルフレッドはその時、決意した。
「ちっ……」
両手に握りしめていた火剣ボルカニック・ボルガの切先を下げた。
緊張感を緩め、肩を竦めてみせた。
「トリスタン……俺たちはこの家で探さなきゃならねぇもんがあるんだ……リナリーを襲った事は百歩譲って許してやろう。だから―――そこを通せ」
怒りを抑えての交渉。
その黒い騎士の気迫に臆したわけではない。アルフレッドはここに来た目的を忘れていない。トリスタンが立ちはだかるその先の屋敷が目的地。そこにあると思われるリゾーマタ・ボルガを壊す。そして、失われた英雄を取り戻す。娘のことを救う。それが目的だ。
ここでトリスタンと戦うことが本来の目的ではない。彼との遭遇は予想外のことで、さらには戦うことも不本意な事だ。なぜこちらに殺意を向けているのか腑に落ちない部分があるが、かつて仲間だった者ならば事情さえ話せば融通も利くかもしれない。
その可能性に掛けたのだ。
時は一刻を争う。
「………」
トリスタンはその交渉に答えることはなかった。
中段に長刀を構えたまま静止している。その沈黙は拒絶の意思を表しているのか、一向に戦闘態勢を解除する様子はない。
「……そうかよ」
アルフレッドはその様子に悪態をつく。
義理も人情も感じられないその態度が気に入らない。旧友を斬り伏せてでも守るべき命令があるのかと苛々の度合が増してくる。かつてのトリスタンはそんな男ではなかった。冷静沈着だが、胸の内は自分というものをしっかり持った熱い男だったはずだ。
それがこんな黒い魔力に充てられただけで様変わりしてしまった。
その弱さに腹が立った。
自由の騎士の名が廃る――"お前はホンモノだったはずだろうが"と、視線で訴えかけつづけた。
「仕方ねぇな……。リンジー! ドウェイン!」
アルフレッドは対峙する黒い騎士を睨んだまま、仲間の名前を呼んだ。この緊張感走る状況下で、呼ばれた二人も反応は示すも返事を返せない。
それほどまでに緊迫している。
厭わず、アルフレッドは吠えた。
「お前ら二人は先にいけ!」
「で、でも……」
「腐ったメンバーの後始末はリーダーの役目だ。こんなやつ、俺一人で十分だぜ」
軽々と火剣ボルカニック・ボルガを肩に担ぎ、顎で屋敷の先をしゃくる赤毛の剣士。
その余裕はハッタリと思われた。いかに無謀のアルフレッドと呼ばれた彼でも、この瘴気に当てられた暗黒の騎士――並々ならぬこの殺気と張り合うのは、無謀を超えて自殺行為とも思われる。
声をかけられた二人は戸惑っていた。
「いいから行け! 時間がねぇだろ!」
振り返れば、リナリーはまたしても咳を荒げていた。涸らした喉から出る咳は発作の前兆のようである。その様子を見てリンジーも決意を改めた。優先すべきは目標の破壊だ。ここで躊躇していては、我が子の命さえ救えないかもしれない。
リンジーは、リナリーを守るように抱きかかえた。
それからドウェインと目配せして、意を決したように屋敷本館へと向かって走り始める。追従するように、官庁職員のカレン・リンステッド、その同行者二人も付いていこうと駆け足で追い始める。
しかし、その刹那。
――――……。
またしても瞬き一つのうちに消えるその暗黒の騎士。
その場に残るのは黒い魔力の粉粒だけだ。
狙うはその旧友二人の背中。
彼は、家を守れと言われたら守り通す。
外敵と見做したものを屋敷内部へ入れるわけにはいかないのだ。瞬息で駆け抜け、リンジーとドウェインの背中へと細身の長刀を振り切った。
―――カァンっと、乾いた金属の音が庭園に響いた。
弾かれるその黒の瘴気を纏う長刀。
「……?」
暗黒の騎士は動きを止め、不思議そうに弾かれた己が剣と、その先に対峙する燃え上がる炎の剣、それを握る赤毛の男を見定めた。憎々しげな表情を浮かべた男が真っ直ぐ睨んでいた。
「………テメェの相手は俺だって言ってんだろうが」
トリスタンは眉を潜める。
距離にして先ほどの位置から優に十数メートルを一瞬で肉迫した。
赤毛の戦士もまた同じ程、距離を空けていたはずである。その疾風の動きを、この男も同じ速度で迎え撃ったという事か。
「いいだろう」
トリスタンの表情に変化はない。
だが、その赤い男から同等の力を見測り、対峙してから初めて真っ当な敵として認めたのである。後方へと跳躍して間合いを取ると、トリスタンは今一度、内包した黒の魔力を放出し、その身体能力を強化した。
「……ォォォ……」
その揺らめく闇が濃くなるにつれて、彼の殺気も強化される。威風さえも狂人のものへと変化していった。
アルフレッドは覚悟を決めて、己が愛剣を握りしめた。
…
一方、オルドリッジの屋敷本館へ向けて駆け出したリンジーは、突如現れた旧友の様子に混乱していた。トリスタンは以前、冒険者パーティーとして仲間だった男だ。その彼が、今では敵対している。
……オルドリッジの屋敷の見張り番として雇われていたという事だろうか。
それにしては不自然だ。
こちらも屋敷の使用人の許可のもとで敷地内へ入った。その状況で敵と見做すのは些かおかしな話である。あの奇襲も有無をも言わさぬものだった。しかも狙ったのは、事もあろうに一番幼い子ども。さらに言えばアルフレッドと自分の間にできた娘だ。
考えられる可能性は、あの全身に侵された黒い魔力―――。
「リンジー……混乱しているようだけど……」
存外にも落ち着き払ったドウェインが、同じように駆け足で走りながら声をかけてきた。
「トリスタンのあの状態、闇魔法による毒牙にかかっているね」
「やっぱり……」
信頼する魔術師仲間のドウェインが言うなら、とリンジーは確信が持てた。
闇魔法の中には、対象を"調教"する魔法が存在すると聞いたことがある。魔法学校などでは教えてもらう事が出来ない"黒い魔法"だ。
闇魔法"ポイズン・キャプティブ"。
魔力を火や大気といった自然現象に還元するのではなく、対象となる生物の"精神"に直接、魔力を充てる。精神異常は肉体の異常をもたらす。その強化と洗脳によってヒトを使役する魔術があると云う。こういった精神神経系に干渉する魔法は禁忌として魔術ギルドから封じられた一方、まだ裏の界隈ではその魔術が伝授され続けている。
ドウェインは一度、その黒い騎士と対峙したことがある。
その時には既に気づいていた。
だが使役する主人やその目的については結局不明のままとなっていた。ドウェインの推測では、魔法学校の図書館に隠された聖遺物《黒の魔導書》を狙ったことから、魔術に精通した裏世界の人間の仕業だと考えているが真相はまだ分からない。
「トリスタンの事は後回しだ。今は……」
ドウェインの視線が抱きかかえられたリナリーへ移る。
「うん……! 分かってるよ」
リンジーは足を速め、その庭園の間の道を駆けた。
屋敷の本館入口まであと少しだ。
しかし、その視線の先。
階段の段差を上がったところに本館の中へと至る大きな両開きの扉がある。その扉が徐ろに開き、中から出てきたのは十数名にも及ぶ屋敷の使用人たちだった。騒然と扉から顔を覗かせたその面々は各々、剣や盾、杖などを持って階上のテラスへと躍り出てきた。
先頭には案内役として門を開けてくれた執事長のオーブリーもいる。
本人も杖を携えていた。
武装した諸々の光景を見て、足が止まる。
「………!」
一瞬怯んだリンジーだったが、冷静に考えれば不思議な事はない。
―――"黒い魔物"が現われたのだ。
執事長のオーブリーは気前よく官庁職員だけでなく自分たち護衛も迎え入れてくれた。つまり彼らに敵対の意志はない。
その状況下での黒い騎士の奇襲。
トリスタンへの洗脳はオルドリッジの人間の仕業ではなく、第三者によるものとリンジーは考えた。
そんな状況下であれば、使用人の彼らの目にはトリスタンが黒い魔物そのものに見えたに違いない。先の大惨事となった祝典を教訓に、使用人たちが総出でその魔物を迎え撃とうとしたと考えるのが妥当だろう。
今にその十数人の使用人が、背後で戦うアルフレッドに加勢してトリスタンを抑えてくれるだろうと、リンジーは安堵した。
執事長のオーブリーに近寄ろうと、彼女が再び一歩踏み出したところ―――。
「待て、リンジー。様子がおかしい」
「……?」
ドウェインがそれを制す。武装した彼ら使用人たちは明らかにリンジーやドウェイン、官庁の人間たちを見て警戒している。
そして続け様に、執事長のオーブリーがその沈黙を破った。
「若旦那様……彼奴らが侵入者でございます! 先の事件を聞きつけた野盗が、屋敷の隙を狙っておるのです」
「……なんで!?」
リンジーは素っ頓狂のような声を上げた。
先ほどまで快く案内していた執事長が、手のひら返したようにこちらを悪者呼ばわりしている。理解できないその状況に目を瞬かせた。
ドウェインも焦っていたが、臨戦態勢を取るようにすぐさまその空の手を身構えた。
やはりオルドリッジは"クロ"。罠に嵌めるためにこうして誘い込んだという事だとドウェインは理解した。
そうして若旦那と呼ばれた小奇麗な白い正装姿の若い男が、庭先の様子を眺めるように現われる。複数の使用人たちに守られるように囲われているが、無言でその護衛を払い、前面に出てくる。若旦那アイザイア・オルドリッジ。父イザイアの急死により、齢二十歳にしてオルドリッジ家の当主を先日継承したばかりの男である。
どこか酷い傷を負っているのか、一本だけ松葉杖を突いていた。
官庁の治療師であるカレンが、それに呼応するように威勢よく一歩前へと出て、名乗り出た。
「私は官庁の災害救急治療師専任のカレン・リンステッドだ! 何を勘違いされているか知らぬが、我々は本日屋敷の視察に来ただけだ。侵入者とは後ろの黒い狂人のことではないか?」
落ち着き払ったその声に、使用人たちも押し黙る。
アイザイアは眉を潜め、オーブリーへと向き直った。彼自身も使用人の言葉を半信半疑のようだ。カレンの言葉はそれだけ堂々として自信に満ちている。
「あれは嘘ですぞ。公務で来るのはもう少し後と聞いております。こんな突然現れるなぞ、聞いてはおりませぬな……ましてや、あんな冒険者ども、屋敷に通してはなりませぬ」
「……ううむ、面倒ごとは懲り懲りだ。攻め入るようであれば追い払え」
「ちょ、ちょっと……!?」
若旦那アイザイアはそう告げると、松葉杖を突きながら屋敷の奥へと戻っていってしまった。疲れ果てたようなその声に、投げやりな雰囲気をリンジーは感じ取った。
執事長オーブリーはそれを聞き遂げて、ニヤリと卑しく笑う。その表情から、何かしらの思惑があったことははっきり分かった。
そして威勢よく他の使用人たちへと命じた。
「侵入者を追放せよとの旦那様のご命令だ。かかれ」
「………っ!」
使用人たちの一部は一斉にテラスの階段を駆け下りる。
剣や盾といった近接武装をした者たちだ。不格好ながら鉄製兜や胸当て、鉄製のブーツを身に着け、取ってつけたような兵士の姿をしていた。
杖を持った者たちはその場で詠唱をスタートする。
魔法適性が高いのか、後衛からこちらを攻撃するつもりであるようだ。
「リンジー、前衛は僕に任せてっ! リナリーを後ろへ! 魔法のサポート頼んだよ!」
「………わ、わかった!」
「Starkung Anfang―――」
ドウェインの肉体強化の魔法詠唱を合図に、リンジーは抱きかかえていた娘を庭園の道の脇へと降ろしに向かう。この轟然たる雰囲気はリンジー自身、久しぶりのものだった。しかし今はそういった"空白"に甘えている状況ではない。
突如として始まった不可解な戦闘。
その中で、リンジー自身も貴重な戦力だ。
「リニィ……ごめん、少し我慢してて」
リナリーは呼吸を荒げて苦しんでいるが、黙ってこくりと頷いた。
リンジーはその健気な娘の様子が愛らしくなり、膝をついて一度向き合うと、額の汗を拭ってあげてから抱き締めた。リナリーもただお荷物になりに来たわけではない。歴戦の戦士には劣るとも、彼女にも彼女なりの信念を持ってこの場に来た。
―――わたしもお兄ちゃんに、はやく……会いに行きたいのっ!
みんなが追い求める"英雄"を取り戻すために、こうして肩肘張って大地に立つのだ。背伸びし過ぎるその少女の姿に、リンジーはかつて世話をした"その少年"の影を見た。
「……離れないでね」
リナリーの肩や袖に付いた汚れを払ってから立ち上がり、杖を取り出した。
「娘さんのことは我々が守ろう。私も"ヒーラー"として全霊を尽くす―――お前たち、いいか?」
「はっ」
カレンは背後の二人に命じた。連れの二人は部下だったようだ。リンジーはその厚意に感謝し、一度だけ頷くと杖を構えて迫り来る敵陣を迎えた。
振り返ると、既にドウェインの猛攻は始まっていた。
階上のテラスから続々と駆け下りてくるオルドリッジの使用人の男たち。
迎え撃つドウェインは階下の土壌の上で応戦する。
地の利があるとすれば、明らかに向こう側だろう。
しかし、実際の戦況は逆だった。
剣を振るう四、五人ほどの敵勢を、素手で翻弄する魔術師の姿――獅子奮迅とはこの事だ。
左手には青い魔力、右手には赤い魔力を宿した獅子。軽い身のこなしで各敵影の懐に飛び込むと、右拳を振り上げてその胸部の装甲を叩き割る。
その圧迫に堪えかねた兵士姿の使用人が蹲ると同時に、ドウェィンは下段の回し蹴りで蹴り飛ばしていた。追撃で初級バレット魔法も放つという徹底ぶり。一体一体を確実に仕留めていく。
魔法の勢いから察するに殺してはいないだろう。
しかし相手を気絶させることで戦力を削いでいく。
ドウェインの強さはその器用さである。
魔術師でありながらも、それを応用した格闘。
そして魔術自体も飛び道具として戦いに取り入れる。
―――西流の魔法の心得しかないリンジーには到底、真似できない戦い方だった。
「………」
しかし、彼女には彼女の役割があることを熟知していた。後衛から最大出力の魔法を放つ彼女は、かつてリベルタの"主砲"だったのだから。
「―――ラグズは山稜を満たす袖の雫、海神へと還る輪廻の循環……」
杖に青い魔力を集中させ、その主砲発射の準備にかかった。
※次回更新は来週の土日祝日(2015/11/21~11/23)です。




