Episode105 黒騎士の奇襲
魔道具工房から各々解散し、私は空を飛んで急いでリベルタ邸へと帰りました。
帰り際、グノーメ様から手渡されたのは、改良を加えられたヒガサ・ボルガ。使い方はいろいろと教えてもらいましたが、もうこれが日傘である部分は、その形でしかないです。
見た目が日傘で、実際は凶器。
元々日傘だったのではなく、敵を油断させるために日傘の形態を取った武器と言っても過言ではないような感じです。
明日はこれの力に頼らずに済めばいいのですが……。
ソルテールの町を空から見下ろし、その先の小高い丘にリベルタ邸が見えました。
高度を一気に落として、その庭先の草原へと着陸する。
この動きも何回か繰り返して慣れたものです。地面に近づいたら、その着陸点に空気を凝集させて見えない空気緩衝を作り上げ、そこにくるりと前転しながら倒れ込みます。
すると自然に、足先から地滑りしながら降り立てる。
空中浮遊する魔法なんてあまり聞いた事はありませんが、風魔法はこういう使い方が出来る唯一の魔法なのかもしれません。鳥系統の獣人族であれば、魔法なんか使わなくても飛べるのでしょうけど。
家に入り、アルフレッドさんとリンジーさんに事情を話す。
居間では昨晩から重々しい雰囲気が漂っていました。
平穏無事に過ごしていたはずのこの二人が、今では子どもを人質に取られた親のように苦しげな表情を浮かべていた。明日にはさっそくそのリゾーマタ・ボルガがあるかもしれない場所へと向かう事を話したところ、思っていた通り、アルフレッドさんも一緒に行くと言い出しました。
しかし、今回はリンジーさんもです。
「アルフィ……私も行くよ」
「いや、俺一人で十分だ」
「行かせてよっ!」
リンジーさんの気迫に、アルフレッドさんも一瞬押し黙りました。
我が子の窮地を何とかしたいという思いは同じもの。
それを押し留める道理は、夫であるアルフレッドさんにもないのでしょう。
「いつも家でじっと待つなんてイヤだよ。私だって……私だって助けたい。リニィも、そのいなくなった男の子のことだって……」
「リナリーはどうするんだ! あんな苦しんでるってのに、家で独りにさせるってのか?」
「それは――――」
アルフレッドさんの反論に、リンジーさんも答えようがないみたいです。
さすがの放任主義のこの二人も、今の状況ではリナリーさんを独りにさせるのは心配に違いない。
仮に危険な状態に陥ったとき、ましてや激戦となってこの夫婦が共倒れになってしまった場合、残されたリナリーさんを守る存在はいなくなってしまいます。そんな可能性は考えたくはないですけど。
それを加味して、アルフレッドさんも残れと言いたいのでしょう。
どの選択が正しくて、どの判断が失敗に繋がるのか……想定外のこの状況では仲睦まじいこの二人ですら意見が衝突してしまうのは仕方ないのかもしれません。
そんな言い争いの中、階段を下りてくる小さな足音が聞こえてきました。
「パパ……ママ………」
「リナリー!」
昨晩から朝にかけて苦しそうにしていた赤い髪の女の子。
今はわりとしっかりした足取りのようです。
少し波が収まったのでしょうか。
「ケンカはだめっ」
リナリーさんは駆け寄ったアルフレッドさんのおでこを、こつんと小突いた。
その仕草にアルフレッドさんも少し呆然として娘さんの様子を眺めていました。いつもの調子に戻ったリナリーさんを見て安堵してるようにも見えます。リンジーさんもそこに加わって抱き上げる。
「リニィ、大丈夫なの?」
「ちょっとふらふらするけど、わたしならだいじょうぶだよ」
「………」
本人は大丈夫とはいえ、不安定な状態であることに変わりはない。いつまた突然倒れるか分かった状態じゃないのです。リンジーさんも優しくその髪を撫でて抱き締めた。
「ママ……わたしもそこにいきたいな」
「え!?」
驚いて目を見開くリンジーさん。アルフレッドさんも困っているようでした。
「パパとママがケンカするの見たくない……わたしもついてく」
「ごめんね……ごめんね……もうケンカしないから大人しく休んでて……」
「いやっ!」
「リニィ、お願いだから―――」
リナリーさんが首を大きく振る。
目をぎゅっと瞑り、我が儘を張り続ける。こうなってしまったら"イヤ"の一点張りになるのが子どもというものなのかもしれません。両親からしたらいつ具合を悪くするか分からない娘を、危ないところへ連れていくなんて無理な話です。
でも、リナリーさんには普通の子どもにはない意志があった。
「お兄ちゃんがいないんだもん……!」
真紅の髪は闘志の象徴。
父親譲りのその頑固――意志の固さは信念ゆえのものでした。
「おにい……ちゃん?」
「お兄ちゃんに会いたい……。お兄ちゃんはわたしにおしえてくれた。楽器のひき方だけじゃない、勇気をだすことも……」
"彼"の背中を追いかけていたのは私だけじゃないようだ。
リナリーさんは魔法学校に通い始めた。その学校生活も、もしかしたらその"彼"が支えてくれていたのかもしれない。そうやってたくさんの人を手助けしているうちに、いつかは自分を失っていた"彼"。名前も忘れられてしまったその人物を、今では誰もが追いかけている。
「絶対にいなくなったりしないって言ってたのに……! わたしもお兄ちゃんに、はやく……会いに行きたいのっ!」
「………」
その幼い信念を、誰も否定することはできませんでした。
アルフレッドさんは大きく頷いて、納得したように笑ってみせました。
「―――よし、分かった。なら行こうぜ、そのお兄ちゃんのところによ」
「ちょっと、アルフィ……!」
「娘一人守れずに父親なんて務まるかよ。いいぜ、リナリー。俺が連れてってやる」
「うんっ! ありがとう、パパ!」
「………はぁぁ~、父親が父親なら娘も娘ってことだね……」
リンジーさんは呆れたように大きく溜息をついた。
でもその無茶を、懐かしく思っているような節もあります。
《シュヴァリエ・ド・リベルタ》だった頃の二人。
危険は常に付き物だった事でしょう。
それに付いて回ってた当時のことを思い出してるのかもしれません。
○
翌日、待ち合わせ通りにバーウィッチの東区の入り口に到着しました。
バーウィッチには一本の川が流れていて、そこを境に東区と西区に別れています。待ち合わせ場所というのはその川を渡る橋です。
不穏にも、空はぶ厚い雲に覆われていて、昼間だというのにどこか薄暗い。
暗雲立ち込めるとはこの事です。
まるで何か嫌なことが起きる予兆のようにも感じられます。
アルフレッドさんは久しぶりの冒険者の装い。赤を基調とした服をベルトで固定し、背中には彼の愛剣ボルカニック・ボルガを背負っている。そのグレートソードに分類される大剣を軽々振り回すのがこの赤い戦士の特技。
リンジーさんもそれに追従するように、リベルタ時代に愛用していたローブを着て、そして先端に魔石のついた杖も装備されている。魔法使いを名乗るに相応しい格好。
お二人ともまだ現役を名乗るには十分な威風でした。
「けっ……その格好を見るとあの時の記憶が蘇るぜ……気に入らねェ」
その二人を見て、私の肩に乗るサラちゃんも悪態をついていました。
バイラ火山での出来事を思い出すのでしょうか。最近はこのお二人とも仲良くしてくれているので、きっとお決まりの文句を言いたかっただけなのでしょう。
そしてその二人の後ろについて歩く、小さくも凛として立つ赤い髪の女の子。アルフレッドさんと同じ赤を基調とした服を着ています。防具といえば小さな鉄の胸当てだけですが、非戦闘員として扱われる彼女にはそれだけで十分なのかもしれません。特に武器や杖を持ってる事もなく、手ぶらの状態です。
またいつ体調を崩して倒れるか分かりませんし……。
でもこの子を元通り元気な状態に戻すためには、どちらにしろリゾーマタ・ボルガを完全に破壊しなければならないのです。
―――私も今回は気合いを入れた。
いつ戦闘に移ってもいいように、ロングボウとヒガサ・ボルガを背中に担ぎ、手元にはショートボウも握りしめてます。腰と背中にそれぞれ矢筒を携えて、狙撃用、迎撃用の矢をそれぞれ用意しました。髪は後ろで一つにまとめて垂らしています。いつもの戦闘スタイルというやつです。
少しして、ドウェインさん、カレン先生、そして官庁の職員二人が加わった
ドウェインさんの格好はいつも通りでした。
白いシャツの胸元を開けて、袖を捲っている。その上に茶色いベストを羽織っているだけ。
「おいおい、ドウェイン……久しぶりに集まって戦うかもしれねぇって時に、そんな格好……」
「ん? 忘れてもらっちゃ困るけど、僕はリベルタ時代からこの服だったけどね」
「そうだったか? てか、お前その服以外になんか着てた事あったか……?」
「さぁ。人前ではいつもこの服だからねぇ」
「………」
どうやらドウェインさんは、服装に対する感覚が疎いようです。
そんな和んだやりとりも交えつつ、カレン先生を筆頭に今回の流れについて打ち合わせしました。カレン先生は薄手の黒いジャケットを着て、黒い皮手袋を嵌めています。治療師というよりも葬儀屋のような雰囲気さえあります。
本当に魔法学校でも子ども相手にヒーラーが務まっているのでしょうか。
その黒正装の女性は、背後に二人の職員を控えさせ、整然と語り始めた。
真っ直ぐな立ち居姿は麗々として頼もしい。
「まず我々がオルドリッジ家の門を叩く。貴人方の事は、黒い魔物が再来した場合の護衛と伝えるが、もし彼らが"クロ"の場合は怪しまれる可能性が高いだろうな」
「その時はどうしたらいいんだよ?」
「好きにしていい」
「……なんだと?」
「官庁から許可は得ている。オルドリッジ側が屋敷の捜索を拒むようなら強制権が発動する。貴人方は厭くまで争いのときの戦力だ。その時は、思う存分暴れても咎めはしない」
名目は、公務上の視察。
実質は、突入作戦のようなもの……という理解でいいのでしょうか。
一介の元冒険者たちに貴族の屋敷で好き放題暴れてもいいというのだから、降って湧いた特権階級もいいところです。本来であればそう言った事態を防ぐのが官庁という組織なのでしょうけれど……。
「いいねぇ、この感じ……! 昔の血が騒ぐぜぇ!」
「そんな無茶、よく許してもらえたね……」
リンジーさんも呆れ返っている。
「グノーメ様からの具申だからな。バーウィッチ官庁は賢者様への信頼が厚い」
「……そういえばグノーメ様は?」
姿が見当たらない。
私のふとした疑問の声に、他の方々も不思議がっている。
「彼女は後方で火力支援をすると聞いているが……すまないが、私もよく知らない。元来、小人族だった賢者様だから、黒子的な戦い方が好きなのかもな」
思い返せば、グノーメ様が前線で戦っている光景を見た覚えは一度もありません。記憶が曖昧になっている状態なので、忘れているだけかもしれませんけど。
一応、後方で見守ってくれているという認識でいいのでしょう。
こちらの戦力は剣士アルフレッドさん、魔法使いのリンジーさんとドウェインさん、そして弓師の私、さらに賢者様であるサラちゃん、グノーメ様も付いている。カレン先生も腕利きのヒーラーなので回復系統も万全。
リナリーさんを守りつつ、敵影を排除するには十分な布陣です。
もし戦闘になるようなら乱戦が予想されますが、多少の強敵がいようとも乗り切れるでしょう。
○
東区の奥地にオルドリッジの屋敷がある。広大な敷地を有するその屋敷には黒々とした門が待ち構えており、人を寄せ付けない雰囲気を漂わせていました。
その門のドアノッカーを叩き、カレン先生が声をかける。
すると、門に取り付けられた狭い覗き口がぴしゃりと突然開き、大きな二つの目がじろりとこちらを覗きこんだ。
「……どちらさまですかな?」
「官庁のカレン・リンステッドだ。事前に通達した通り、視察に来た。例の黒い魔物の騒ぎの調査も兼ねてな」
「………後ろの方々も同伴の方ですかな?」
「彼らは護衛役の者たちだ。異形の黒犬が暴れた場合、我々だけでは敵わん。熟練の戦士を随行させている」
「ふむふむ……」
見開かれて露出する、その血走った眼球からは訝しむ様子さえ感じられます。
老人は少し考えた後、覗き口を閉じた。
「いいでしょう……。実は一体だけ、黒い犬の魔物を地下牢で捕獲しています。まずはそちらから見て頂きたい」
「……?」
想定していたものと違う反応だったので、私も含めてこちら側は少し混乱しました。
勝手にオルドリッジ家の人間が主犯と決めつけていました。
既に戦う気満々だったアルフレッドさんはやけに残念そうにしている。
多少は警戒して門すら通してもらえないものかと。
「どうぞ、お入りくださいませ……私は執事長のオーブリーと申します。よろしくお願い致します」
門を開けて、その執事然とした老人、オーブリーさんが私たちを出迎えた。
腰は曲がり、既に寿命を全うしても良い程にお歳を召した様子の男性でした。
私たちは腑に落ちないながらも、とりあえず屋敷の中を調べさせてもらうことにしました。もしかしたら一度は家を調査させ、視察を完了させてしまうつもりかもしれません。あるいは油断させて罠に嵌める可能性も考えられます。
どうしても私にはその老人に何か思惑があるように感じられるのです。
門を潜り、官庁職員のお三方を先頭に、私たち五人も後に続きました。
その先には想定していた以上のお庭が広がっている。
整地された道と庭。屋敷の本館へと続く広い道と、その両側にはいくつもの植生を織り交ぜた回覧式の庭園が広がっています。細い道に花や草木が幾重にも植えられています。
見たこともない優雅な世界に、私だけでなく、元リベルタの面々も感嘆の声を漏らしている。
「……整えられた庭園もご覧の通り、件の黒犬のせいでだいぶ荒らされてしまいましてな。お見苦しいもので……」
しわがれた声で笑って言うオーブリーさん。
十分美しい庭園だと思いますが、これでも荒らされたものらしい。
どうにも一般人の目線を大きく外れているようです。
…
圧巻した庭園も見せられながら、続く一本道を歩いた。
だいぶ歩き続けてもまだその本館の入り口にもたどり着けないその広大な庭。
敷地内に入ってしばらく経ち、安堵しきった頃合いにその異変は突如として現われた。
――――……。
風向きが少し変わった気がします。
日頃、風を操ることが多かった私だからこそ気づけた些細な異変だったのかもしれません。
ふと立ち止まる。
「どうしたの、シアちゃん?」
リンジーさんも背後の私が立ち止まったことに疑問を感じ、振り返った。
その刹那―――。
「んぐっ……!」
リンジーさんの前を歩くリナリーさんが喉を詰まらせたような悲鳴を挙げた。
「……!」
「えっ!?」
リンジーさんも焦って、もう一度前へと向き直った。
それと同時にリナリーさんの体が突き飛ばされたようにこちらへ向かってくる。その小さな体を受け止めきれず、リンジーさんは娘さんごと背後へと倒れ込んだ。
「きゃあっ!」
信じられないものを見た。
リナリーさんを突き飛ばしたのは、そのさらに前を歩く……アルフレッドさんだった。
馬の後ろ蹴りの要領で、後ろを歩く娘さんを蹴り飛ばしたのだ。
本来その子を守る役目だったはずのアルフレッドさんが乱暴にもその弱っているはずの体を蹴り飛ばした……。操られたのか、何かしらの魔術の手にかかったのか。
理解できない状況を目の当たりにして、私の頭も混乱した。
直後として、私の視界にその混乱をもたらした存在が舞い込んできた。
―――視界が眩む。
その黒い騎士は、つむじ風のように突如としてそこに"発生"した。
薄暗い空の下。
その暗雲が地上へと降り注いだように。
黒い陽炎のような魔力を放出し、黒い騎士はその影を映し出す。
黒の風圧がこちらへと舞い込み、禍々しい空気が鼻を掠めた。
「……………」
膝を曲げ、今まさにその長刀を振り降ろした格好で静かに着地した黒い騎士。
その振り下ろした位置は先ほどまでリナリーさんが立っていた位置だ。
つまり、アルフレッドさんが愛娘を突如後ろに蹴り上げたのは、この黒い騎士の闇討ちから守るため。あまりにも速いその一撃から回避させるためには、蹴り上げなければ間に合わないと判断してのことだったのでしょう。
その禍々しい存在を確認し、アルフレッドさんも他の方々も距離を取る。
カレン先生も珍しく取り乱している様子でした。
「く、黒い魔物………!」
言われてみればその黒い姿……これが件の魔物と言われてみれば、その可能性も否めない。
しかし、犬のような姿はしていない。
両手に握りしめる長刀。細身の肉体と身軽そうな軽装備。
戦士―――いえ、騎士のような出で立ちです。
黒い騎士は徐ろにその膝を伸ばし、静かに立ち尽くした。
目元だけを覆う仮面を被り、その面容は窺い知ることはできない。
だが、静かな雰囲気の中にも、明確な殺気のようなものが感じられた。
その黒騎士が周囲を見回すと、ゆっくりと口を開いて一言だけ漏らした。
「ふむ……仕留めそこなったか」
つまらなそうに己れの剣を、空で振る黒い騎士。
その得物が悪くなったのか、剣技が衰えたのかと、たった今の闇討ちを品評するかのようでした。
その冷酷な一言に戦慄する。
子どもも躊躇なく殺そうとするその男の存在が、怖ろしくなりました。
「テメェ……!」
アルフレッドさんが憎々しくその男を睨みつける。
背中に背負った愛剣の柄に手を回し、軽々しく持ち上げる。
火剣ボルカニック・ボルガ。重厚な剣は大型の敵を仕留める得物。
この細身の剣士に対して有効な武器かと言われれば疑わしい。
しかし、アルフレッドさんにとってそんなことは構う事ではないようです。
「何処の誰だか知らねぇが……うちの娘に手出した以上、この場で死んでもらうぜ、くそったれ」
突然、戦場へと成り代わる庭園の道。
周囲の人間も固唾を飲んだ。
不測の事態に、私もショートボウを握りしめるその手に、自然と力が入る。
ふと周囲を見渡して気づいたのですが、いつのまにか案内役だったオーブリーさんがいなくなっています。この場にいるのは、唖然とする官庁の職員二人とカレン先生、そして黒騎士と対峙するアルフレッドさん。困惑するリンジーさんと抱きかかえられたリナリーさん。そしてドウェインさんと、私の肩に乗るサラちゃんだけ。
オーブリーさんはどこへ行ったのか……まさかこの状況を謀っていたのでしょうか。
「―――死んでもらう? やれ、俺の"心眼"によると死臭を漂わせているのはお前の方だ、フレッド」
「……なに?」
まるで旧友にでも声をかけるように、その黒い騎士はアルフレッドさんの愛称を呼び上げた。
「テメェ、トリスタンか?」
「………」
アルフレッドさんの言葉に、リンジーさんもドウェインさんも反応した。
各々が確信を持って、その黒い騎士を見ている。
「しばらく見ねぇうちにだいぶ性根腐りきってやがんじゃねぇか、おい……!」
「………この家を守れと言う主人からの命令でな。暗殺の予定だったのだが、こうなってしまっては仕方があるまい」
黒い騎士は、アルフレッドさんの旧友……?
その凄みを持った威風、まさかリベルタのメンバーの一人でしょうか。
しかし、その騎士は足先からその手の指先まで、這うように黒い魔力が漂っていた。たった今地面に突き立てたその長刀にも、湯気が立つかの如く黒い魔力が揺らめいていた。
武器諸共、全身が闇の魔力で浸されたようです。
「主人からの命令だぁ……? だからってよくもリナリーを……ぜってぇに許さねぇ!!」
その大剣に赤い魔力が揺らめき立つ。
そうして舞い上がる炎の刀身。
火剣ボルカニック・ボルガが、持ち手の怒りに鳴動して唸りを上げた。
勇ましい炎とともに、その闘志を浮かび上がらせる。
「闇討ちで確実に数を減らす……暗殺とは元よりそういうものだろう?」
対する黒い騎士もまた、長細い剣を下段に構えた。
闇の魔力はより刀身に集中し、その凶器の暗黒さを増す。
挑発めいた口調にアルフレッドさんの怒りの表情もより凶悪なものへと変わっていた。旧友だろうが関係ない、この場で憎き相手を殺したいとその表情で語っていた。
私はその二人のやりとりを黙ってみている事しかできませんでした。
少しでも割って入れば戦闘が始まる。
そんな一触即発の状態に、身動きが取れない。
「――――例えば、こんな風にな」
残されたのは言葉だけ。
呟いたと同時にその黒い騎士は消えてしまった。
一度の瞬きのうちに――――。
―――……。
否、消えてしまったのは錯覚だ。
ぞわりと、背筋が凍る。
その戦士は音もなく肉迫したのだ。
私の足元へと……。
「………っ!」
咄嗟に迫ったその殺気に対して、空圧制御の力に頼るしか方法がなかった。
時が止まったかのように、静かな戦慄が襲う。
目下の黒い騎士は今まさに、私の胴体を斬り捨てんとその黒い刀身を振り上げた。
―――斬られた。
身動きの取れない隙を見計らったのか、暗殺の標的とされたのは私自身だった。既に視認されている事も厭わず、超人的な速度で目視下でさえも"暗殺"するこの戦士。こんな強敵が現われるのは想定外でした。
激しい衝撃とずれる視界。吹き飛ばされる体。
……ですが、空気緩衝を咄嗟に作り上げたことで、なんとか両断されるのは防いだようです。
左肩だけ浅い傷が出来てしまいました……。
その騎士の強襲によって庭園の端の方へと体が吹き飛ばされ、先ほどまで居た庭園の道がどんどん遠くなっていく。
傷は浅い。
肩に乗っていたはずのサラちゃんはいつの間にかいなくなっています。
追撃をかけてくる様子はなく、その黒い騎士も静かに立ち尽くす様子が確認できた。
私はせめてもの悪あがきで、後方へと吹き飛ばされる風圧を空圧制御の力で調整しながら、体を捻らせてショートボウを構えた。
体勢の立て直しまでの動作はわずか数秒。
矢筒から弓矢を二本取り出して、弓に添えるまで若干の間。
そして二本矢の"散弾銃"を放ち、黒い騎士めがけて空中で放つ。
こんな攻撃でダメージを与えられるとは思っていない。
でもあの場にいる方々に私の無事を知らせるには十分でしょう。
あの二本の矢は、遠くから援護しますという、私なりの合図だ。
あの標的を狙撃で捉えられるかは自信がないけれど……。
接近戦を交えるアルフレッドさんのご武運を祈りたい……。
※次回更新は明日(2015/11/15)の予定です。
戦闘回に入るため、一時的に三人称に変わります。




