Episode104 落とされたパンくず
なさいませ。シア・ランドールです。
翌日、ドウェインさんと治療師の方をお呼びしました。
治療師さんというのは、ドウェインさん一押しの腕の良いお医者さんだとか。
その方は治癒魔法のランクの高さを買われ、バーウィッチ官庁直属でお仕事をされています。地域で大災害や大規模な事故があったときに治療師として派遣される公務職の人だそうです。
カレン・リンステッドさんという女性。
綺麗な青い瞳をした人。でも表情は硬く、人を寄せ付けないような堅い雰囲気があります。整った顔立ちが人形めいた造形美を感じさせる一方で、能面のような怖さも感じました。治療師なのに患者を怖がらせてるのではないかと余計な心配をしてしまうほど。服装も治療師が好んで着るような白い羽織り物ではなく、黒いジャケットを着ています。
ドウェインさんから聞いた話だと、魔法学校の医務室にも非常勤で来ているらしい。
子どもたちから見てどう思うのかも気になる所です……。
今回お呼びしたのは、言うまでもなくリナリーさんの容態を診てもらうためだ。
サラちゃんが言うには、リナリーさんの不調は"過去改竄の兆候"。
リゾーマタ・ボルガによる一つの"魔の手"だとか。私も探しているその"彼"の存在が無かった事になった時、その影響は思いがけない所に現れるそうです。
カレン先生は、横になるリナリーさんを注意深く観察してから首を横に振った。呼吸の乱れと青ざめた顔色といった肉眼所見は、生命力や魔力低下などの機能不全によるもの。ですが、マナグラムの測定結果では、リナリーさんの生命力や魔力も最大回復している。
原因の分からない特発性の病気でした。
カレン先生は立ち上がると、小さく息を吐いて悩ましげに喋りました。
「原因不明……すまないが、私では手の施しようがない」
「そうか、カレン……。キミでも難しいとなると、やっぱり賢者さまの言う通りなのかな」
ドウェインさんも顎に手を当てて眉を潜めた。
本来、治癒魔法ヒーリングをかければ生命力が回復し、症状も良くなる。魔力の枯渇であれば、安静にしていれば自然回復する。でも、それらが回復しきった状態であるリナリーさんには手の施しようがない………。
サラちゃんの予測が確信に近づきました。
となると、この子を救う方法は、ただ一つです。
リゾーマタ・ボルガを止めること。
その能力が完全に作動してしまった時、今のこの世界・この時間は取り戻すことは出来なくなってしまう。即ち、探している"彼"とリナリーさんが完全に消えた世界に変わってしまうのでしょう。
そうなった場合、"彼"から影響を受けた私や周囲の人もまた、全く違うモノに変わる可能性がある。
改変の連鎖が引き起こされてしまう―――。
「サラマンド……俺をリゾーマタ・ボルガの所へ連れていきやがれ……」
苦しむ娘さんのベッドサイドに膝をついて見守るアルフレッドさん。
その彼が苛立たしげに呟いた。
早く助けてあげたいという思いが横顔からも窺い知れました。
「そんなふざけたもん、俺がぶっ壊してやる」
「所在が分かりゃ苦労しねぇよ。俺様だって焦ってんだ、何が起きるか分からねェからな……」
「クソがっ……!」
アルフレッドさんは苛立ちを握り拳に込めて、床を一度殴りつけました。
私も悔しさが込み上げる。そうやって苦しむ人を見る度に、そして助けたい、救いたいと願う度にその"彼"の背中、横顔が脳裡に過る……。
その人はそういう人でした。
自分で何とかしてみせる―――強い男になるべく、いつも真っ直ぐ生きてる人でした。
その"彼"のわずかな痕跡だけが頼りです。
私を愛してくれた彼。戦士だった彼。多くの人を導いた彼。
きっと、英雄的な人だったのでしょう。
霞む"彼"との思い出を辿る。
それは雲をも掴むような話だ。
でも、今の私に出来ることは、その彼の性格をヒントに推理することです。
記憶を頼りに、どうしてこんな事態に陥ったか冷静に……。
―――まず一つ目の推理。
"彼"との思い出はそれほど遠い過去のことではない。
それこそ、つい最近まで―――リンジーさんも言っていましたが、つい最近までその彼は確実にいました。という事は、居なくなったのはつい最近だという事。
そしてそれと同時に《リゾーマタ・ボルガ》の力は発動した。
"その陰謀を打ち破ったのはシアだぜ。その時にリゾーマタ・ボルガも回収し、シルフィードの奴から託された……どうだ?"
土の賢者グノーメ様の記憶では、《リゾーマタ・ボルガ》は私が持っているはずでした。
しかし、私にそんな覚えはないです。
この記憶のすり替えは、私と行動を多く共にした"彼"の事と考えられるのでは?
つまり、《リゾーマタ・ボルガ》は最近まで"彼"が持っていた。
それを何者かに奪われ、力を使われた。
そう考えるのが妥当かもしれません。
"彼"の行方を追えば、自然と《リゾーマタ・ボルガ》にも辿り着けると考えられる。
―――二つ目の推理です。
《リゾーマタ・ボルガ》が"彼"でも私でもなく、他の誰かが保護していた可能性。
アザリーグラードを発ち、こちらの大陸へ辿り着いた最後の記憶ではアイリーンさん、ユースティンさんのお二人と一緒でした。そのどちらかが手にしていた可能性はどうでしょう。
ユースティンさんは王都へ向かうと言っていました。
王都で何か事件が起き、リゾーマタ・ボルガが奪われた。
そして、その"彼"に恨みを持つ誰かが"彼"の存在を消した。
……ですが、消された"彼"が王都の人間とどんな関わりがあるのか疑問です。未知数になってしまうので、この可能性は現実的ではない。
では、アイリーンさんが《リゾーマタ・ボルガ》を保護していた可能性はどうでしょう。
先ほどと同様、何者かの襲撃を受けて奪われた。とすれば、ストライド家に何か襲撃の痕跡が残されていると考えられるのでは……。
アイリーンさんは貴族の令嬢だ。今となっては何故そんなたいそうな身分の令嬢と一緒にアザリーグラードで過ごしていたのかさえ思い出せませんが、でも、もしアイリーンさんが襲われた場合であれば事件になっているはず。
「最近、バーウィッチやストライド家のお屋敷で大きな事件のようなものは―――」
言いかけて、私は口を噤んだ。
バーウィッチで最近起きた大きな事件!
ストライド家のお屋敷じゃない……!
「………どうしたの、シアちゃん……?」
"バーウィッチの筆頭貴族オルドリッジで祝い事の最中に大惨事"
先日、ドウェインさんから見せて頂いた記事の表紙が目に浮かびます。
オルドリッジ家―――名を連ねるバーウィッチ貴族の筆頭。
その祝典中に、狼を彷彿とさせる黒い異形の魔物が突然発生した、と。
それは隠蔽された"彼"の存在の手がかりなのかもしれません。
ここまでほとんどの痕跡が消えているのに、分かり易く残された足取り。
まるで誰かが故意に残した"手掛かり"のようにも……。
"黒い魔物の騒ぎも、もしかして何か関係してんじゃねぇのか?"
魔法学校でお会いしたグノーメ様も同じ推測を立てていました。
直感にも似た何かが、その答えへと導いてくれたのでしょうか。
そして、オルドリッジというその名前。
"―――オルドリッジのパーティーへ行こうと思ってる"
虫も寝静まる深夜。
"彼"と二人だけの秘密を共有した。
約束を交わした。
その後日、"彼"はオルドリッジのパーティーへ向かった。
そこで事件が起きた。
もし"彼"が《リゾーマタ・ボルガ》を所持していた場合、そこで奪われてしまい、存在を消されてしまった。
これは一つ目の推理に類似します。
その"彼"も、リゾーマタ・ボルガも、オルドリッジの屋敷にあるのでは―――。
「シアちゃん……?」
リンジーさんが私の挙動を不審がって、顔を覗きこんでいます。
翠緑色の綺麗な瞳が、不安そうに私を見つめていた。
―――いえ、多分、不安がっているのではない。
リナリーさんがベッドで苦しそうにしているこの一室。アルフレッドさんも焦りと苛立ちで落ち着かないこの状況。切羽詰まった空気の中、私が何かを閃いた。
きっと、その閃きに希望のようなものを感じているのかもしれない。
どうしようもないこの状況で、苦しむリナリーさんを救いたい。どんなに小さくても、その希望が少しでもあるのなら、可能性を期待したいという懇願の眼差しなのかもしれません。
「リゾーマタ・ボルガの在り処に心当たりがあります……!」
まだ真偽は定かじゃないです。
もう少し裏付けが必要になりますが、もしかしたら――――。
○
私はサラちゃんとドウェインさん、そして治療師のカレン先生をお連れしてグノーメ様に会いに行きました。
バーウィッチのマーケット通りの路地裏に位置する、土の賢者の魔道具工房。
アザリーグラードに居を構えていた時と同じ造りの建物がそこにありました。
大きな倉庫のような建物。大型魔道具を搬送するためのスライド式の大型扉。その隣に人が出入りする用の小さな扉もあります。
「グノーメ様、お邪魔します」
私が声をかけると、扉は豪快に開け放たれ、待ってたぜと言わんばかりに私たち4人を出迎えた。
「うぇ……サラマンドもいるのかい」
「グノーメ、それどころじゃねぇ。リゾーマタ・ボルガだ。あの極悪兵器が―――」
「わかってる! あたしだってアレコレ準備してる最中だってんだっ」
私の肩にのる蜥蜴のサラちゃんと、幼い姿のグノーメ様が会話する様子は、傍から見たら滑稽に映ることでしょう。でも今は緊急を要する状況です。入れ、とぶっきらぼうに言われて、私たち4人はその魔道具工房にお邪魔した。
中はアザリーグラードで見かけた時よりも異様に片付いていた。
その隅に置かれた革張りのソファ周辺に集まる。
土の賢者グノーメ様、火の賢者サラちゃん、ドウェインさん、カレン先生……。
私以外、見事に魔法の世界に精通した人たち。
その間に挟まれ、肩身が狭いです。
言い知れぬ圧力も感じます……。
「まずは情報の共有といこうじゃねぇか。そっちは何までわかってる?」
グノーメ様は私の目を真っ直ぐ見つめて真剣に語りかけた。
そうだ、今は萎縮してる場合じゃない……。
私にもこの事態を止めなければいけない責任がある。その"彼"と二人だけの秘密を共有しているのだから。秘密の内容を覚えていなくとも、そんな"彼"と肩を並べる存在でなければ、私が英雄に寄り添う資格などない。
私は今、起きている事と推測してる事について、あらためてもう一度伝えることにしました。
"彼"がいない事。
残された痕跡。
リナリーさんの容態が悪い事。
オルドリッジの屋敷にその秘密が隠されているのではないかという事。
私から伝えた事にグノーメ様も度々、相槌を打って応えてくれました。私たちが感じている事とグノーメ様の考えている事は、概ね一致しているようです。
「カレン」
グノーメ様は突然、私の後ろに立つカレン先生に声をかけた。
お二人はお知り合い……?
「はい、グノーメ様」
「確か、オルドリッジへ官庁から視察に行く予定があるそうじゃねぇか」
やりとりから察するに、お知り合いのようです。
グノーメ様は土の賢者として世界的に有名な存在。そして最近、その賢者様がエリンドロワ王国のバーウィッチで商売を始めたという事実が知れ渡っている。つまり、バーウィッチの自治をまとめる官庁とも既に繋がっていても不思議な事はない。
ちなみにオルドリッジやストライドのような貴族界の人間も当然、街の公務に携わっています。しかし王政統治を敷くこのエリンドロワ王国の領土内では、貴族たちが地方で好き勝手な事をしないように、官庁のような官僚組織を設置して監視体制も取っているとか。
カレン先生は対岸のソファに座るグノーメ様からの質問に淡々とした口調で答えました。
「仰る通り。私も向かう予定ですが?」
「官庁側はオルドリッジをどう思ってるんだ?」
「……件の黒犬事件は明らかに自然発生した魔物ではありません。発生源は明らかにオルドリッジの敷地内です。何かしらの召喚魔法の痕跡がある事は間違いないと見ています」
カレン先生の言う事には、オルドリッジの人間が悪事を働いて黒犬が発生したと考えているような印象です。
「……しかし、これに関してはオルドリッジ側からも調査依頼がありました。仮にオルドリッジの人間の仕業だとしても、それを隠蔽するような印象はないです。当主のイザイア―――いえ、アイザイア・オルドリッジからの依頼です」
「………うーん、そういえば当主のイザイアは死んだという話だったか」
「それについても不透明なことが多いです。長男アイザイアと執事長からの報告では、前当主の死亡を伝えていますが、葬儀の日取りは一向に決まらず、祝典から四日が経った現在でも何の報告もありません」
事件ばかりで頭がこんがらがりそうです。
祝典に現れた"彼"を襲ってリゾーマタ・ボルガを狙った者と、黒い魔物を発生させた者は、別の人物という事でしょうか。
当初はその二つが同一人物の仕業だと思っていました。
黒い魔物を使って"彼"を襲い、リゾーマタ・ボルガを奪った、と……。
でも実際は、どちらかが外部の人間の仕業で、どちらかがオルドリッジ家の人間の仕業……?
あるいは、それら二つともたまたまオルドリッジ祝典が現場になっただけで、外部や第三者の犯行……?
オルドリッジ家の人間も被害者……?
リゾーマタ・ボルガを狙う二者と、消された"彼"との間で、三者間の争いが繰り広げられていた……?
その中で当主のイザイア・オルドリッジさんも死亡された……?
考えれば考えるほどに、真相は分からなくなってしまいます。
「………」
それぞれ、私と同じように考えを巡らせているのか、黙ったまま時間ばかりが経ってしまいました。広々とした魔道具工房に、静けさが漂います。
そこで口火を切ったのはドウェインさんです。
「とにかく現場に行くしかないねぇ……召喚魔法なら僕も心得があるし、その視察とやらに同行させてもらえないかな?」
「待ちやがれ。もしオルドリッジの人間が"クロ"だった場合に争いになる可能性がある」
その思いつきに待ったをかけるグノーメ様。
「そんな事言ったってねぇ……。こっちは悠長なことを言ってる場合じゃないんでね」
賢者様相手に、少し高圧的なドウェインさん。
珍しい……。
でも、ドウェインさんの言う事は尤もでした。
賢者様の予想が私と同じものならば、裏付けは出来たも同然。
リゾーマタ・ボルガの力が完全に取り戻されるまでは時間の問題だとサラちゃんも、グノーメ様本人も言っていました。今までの推測が正しくて、その兵器の手掛かりがオルドリッジ屋敷にあるのなら、強行突破をしてでも乗り込むべきです。
でなければ、すべて終わってしまう。
世界が書き換えられたら、"彼"という英雄も、リナリーさんも失われてしまうのだから。
これは時間との戦いだ。
「私も行きます。私は"彼"と―――リナリーさんを助けたいです……!」
急いては明日。
カレン先生の協力を仰いで、明日にでもすぐ官庁の人たちと一緒にオルドリッジ家へ向かう。
最悪、この街の筆頭貴族と全面的に戦いになるかもしれません。
一日で準備を済ませなければ……。
「グノーメ、こいつらの心情も汲んでやれ。俺様たちと違ってこいつらは生きてきた時間が短ェ……その分、ちょっとでも過去が変わった時、その代償も大きいんだ」
「分かってるが……あたしはどこか腑に落ちねぇ。リゾーマタ・ボルガを実際に使えるヤツが、なんで分かり易いように"黒い犬"の事実を消さないのかって事がな………落としたパンくずを拾わせられてるみてぇな気分だぜ」
サラちゃんとグノーメ様――その賢者同士の会話をこの場にいる全員が聴いていた。逸る気持ちの中、冷静な意見はありがたいです。グノーメ様は罠の可能性も見越しているのでしょう。
でも、例え罠であっても、これが相手の思う壺だったとしても、動かなければどちらにしろ負けてしまうのです。
しかもこちらには強力な助っ人が何人もいる。
何も臆する必要はない。
カレンさんの同意を得て、明日オルドリッジ家へ視察へ向かうことになりました。
万全を期して、ドウェインさんや私も一緒に……そしてさらに護衛役はたくさんいた方がいいでしょう。
きっとあの夫婦も、いても立ってもいられないはずです。
※冒頭の「なさいませ」はシアの流行省略語です。脱字ではありません。
紛らわしくてすみませんが彼女の個性です。
※次回更新は今日(2015/11/14)の夜までには……と思ってます。




