Episode99 オルドリッジ事変Ⅱ
演奏隊のスタンバイが終わってから、庭でしばらくチューニングに専念していた。そうこうしてる間に使用人たちも会場設営の準備が終わり、続々と周辺の貴族たちが集まってきた。
いよいよ式典のスタートだ。
黒塗りの馬車でストライド家御一行も登場。
馬車から降りてきたのはパーシーン、チャーリーン、アイリーンの三人親子だ。男2人は黒を基調とした正装。チャーリーンお兄さん全然見てなかったけど、父親パーシーンに似て凛々しい青年になってる。アイリーンに至っては黄色を基調とした派手なドレスだった。橙色の花模様を象るように生地も折られている。コンパクトにまとめられた長い黒髪に、存外似合っていた。
馬子にも衣装。
アイリーンは降りて早々、ドレススカートを両手でたくし上げて駆け寄ってきた。
「ジャーックっ!」
遠くから手を振ってくる。
俺はその様子を見て、首だけ振って合図した。
……よせ、やめなさい。
貴族の社交界と俺とはまったく関係ないんだ。
一演奏家が伯爵令嬢とどういう関係だと不審がられる。
俺が首を振るのを見てアイリーンはしょんぼりした様子で戻っていく。
ほっと肩をなでおろした。
「お前さん、もしや……!」
来るとき馬車の中で話しかけててきたハンチング帽のお爺さんが目を見開いてこっちに注目している。
いちいちこの人リアクションが大きいな。
もしや、何だというんだ。
「うむうむ、叶わぬ恋……若いってのはロマンスがいっぱいだ」
ハンチングお爺さんは遠い目を浮かべて「わしも若い頃はな」と今にも語りだしそうに虚空を見つめていた。何に納得したか分からないですけど、多分それ違いますから!
…
式典は堅苦しい雰囲気でスタートした。
外に並べられた純白のクロスが敷かれた長テーブルに、仰々しい椅子が規則正しく置かれ、そこに貴族たちがズラリと並んで座っている。アイリーンも主賓席に近い側の席だ。オルドリッジ家とストライド家は親交が深いらしいから特別ゲスト扱いなのっていうのもあるんだろうが、もしかしたら兄貴がアイリーンを狙ってる線も考えられる。
兄貴がアイリーンと結婚したら、アイリーンは俺の姉……?
複雑な関係だ。
まぁ、もうオルドリッジとは関係ないからそれでもいいけど。
式典の司会を務めたのはなんと、俺を門前払いしたあのギョロ目の執事爺さん。枯れた声でこれでもかっていうくらい大声を張り上げて頑張っていた。外だからかなり声出さないと響かないんだろうな。
何であんな掠れた声の爺さんにやらせるんだろう。
なんだか可哀想だ。
「これより、アイザイア・オルドリッジ次期当主様 王立魔法大学卒業記念祝典ならびにご成人式典を執り行いますっ! 開式のお言葉と致しまして――――」
開式の言葉はバーウィッチの市長みたいな偉い人が出てきて挨拶して、祝辞を入れて終わった。その間、演奏隊側も盛り上げ時にはそれ相応の音響を奏でたり、厳粛なときは厳粛な雰囲気に合わせた曲を密かに弾いたりと、忙しない時間が続く。俺も目の前の譜面をめくるのに四苦八苦だ。
だから全然周りのこと気にする余裕なんてなかった。
一方で、貴族の連中は優雅に配膳される小さな食器のコース料理を堪能している。これが身分の差。格差社会。身分制度が布かれた世界の現実だ。
そしていくつかプログラムが進んだ後の事―――。
「それでは続きまして、現ご当主様で御座しますイザイア・オルドリッジ様より、この度の式典の式辞を頂戴いたしますっ!」
その名前にビクリと反応する。
ここは演奏隊側は演奏を一回やめるところ。
譜面と睨めっこする必要はない。
……俺は恐る恐る、その壇上を仰ぎ見た。
のしのしと階段を昇っていく勇ましい男がいた。
斜め後ろから見るに、横顔には深い皺が刻まれている。
鍛え抜かれた屈強な肉体と大柄な体躯は、正装の上からでも分かるほどに腱骨隆々としていた。
その姿はまさに、俺にとっての恐怖の象徴。
稀代の魔術師? 老戦士の間違いじゃなかろうか。アイザイアとは雲泥の差で、オーラも全く違う。あれがカリスマという奴だろうか。アンファンと同じ、いやそれ以上のものを持っていた。
その男は壇上に上がると、堂々と言い放った。
「貴家、ご来賓の紳士淑女の皆、今日日、息子の祝典に集まってもらった事、直々に感謝しよう」
会場の貴族たちの身が引き締まるのを感じる。雰囲気がより厳粛さを増していた。さっきまで小声が聞こえてくる程度には緩い雰囲気だったのに、イザイアが口を開いてからは誰一人として喋らない。さらに背筋を伸ばしてしっかり傾聴していいた。それだけイザイアの威厳というものを実感した。
そしてイザイアのその鋭い眼光―――虎でも射殺すのかと思うほどだ。
翠緑色の眼が何かを捉えながら、話を続けていた。
来賓への謝辞、式典に対する式辞、そして息子に対する祝辞。
すべてその段下へと向けられた言葉であるはずなのに。
暴君"イザイア・オルドリッジ"は、真っ直ぐ"俺"を見ていた。
「―――そして何より、一族の繁栄を"いつまでも"見守っていきたいと願っている。以上だ」
「………」
俺は背筋が凍りつくのを感じていた。
何故、奴が俺を見ているのか。
その鋭い視線は、果たして俺を見ているのか?
だとすれば、アイツは、俺を―――。
「と、言いたいところだが、実は今日発表したいことができたのだ。アイザイア」
「はい? どうされたのですか、お父上」
壇上席に座っていたアイザイアが立ち上がる。
打ち合わせにない事のようで、兄貴も混乱している様子だった。
「これは前々から……そうだ、それこそ本当に以前から考えていた事だが、本日を以てアイザイアをオルドリッジ家の正式な後継者として当主に任命する。継承式はまた後日に正式に執り行う」
「え……っ!」
会場の貴族たちも一斉に騒然とし始めた。今までの厳粛な雰囲気が一気に打ち破られて、貴族たちも混乱しているのがはっきりと分かる。
「なんですってっ」
近くにいたグレイスさんも驚喜したように目を輝かせていた。
「では、諸君らに栄光あれ……ふっ……」
貴族たちがまだざわついている中だと言うのに、イザイアは無理やり式辞を終わらせた。そして最後にもう一度、俺へと一瞥をくれてから怪しく笑みを浮かべる。
やっぱりアイツは、俺を認識している。
…
それからしばらく貴族たちは各々の間でコソコソと噂話を交えていたが、ギョロ目の爺さんが声を張リ上げて式を進行させ、しばらくすると静まった。
来賓からの祝辞、お祝いの電報が読み上げられる。電報には式典に参列できないセカンドジュニアやシュヴァルツシルト家からも届いていてびっくりした。直接送ったのはユースティンじゃないだろうけど、ユースティンもオルドリッジ家の今回の祝典の事は知っているんだろう。
ユースティン、戻ってくるって言ってたけど、いつ来るんだろう。
式の最後はアイザイアが謝辞や突然の当主任命に対する決意表明をアドリブで述べて終わった。
式典が終わり、玄関ホール内で行われる祝典まで時間がある。来賓の貴族たちは屋敷内の各々割り当てられた控室で休むようで、挨拶を交えながら移動していった。その間にもアイリーンが俺のことをチラチラと見ていたが、首を振ってさっさと屋敷に入るように促した。
今はアイリーンに構うほどの余裕なんてない。
冷や汗が流れてる状態でヴィオラの演奏を務めることに必死だったのだ。
「アリサ、当主交代のこと聞いたわね。これはチャンスよ。かなり手間が省けるわ」
「………うん……」
グレイスさんとアリサはまた何やら企んでそうな会話。俺はそんな2人を横目に流しながら、ちょうど屋敷の影に置かれたベンチで腰を下ろすことにした。だいぶ傾いてきた日光が、視界を遮って目が眩む。
イザイアが俺を認識している……。
もしそれが本当なら、俺が戻ってきた事を知ったヤツはどうするだろうか。演奏隊に怪しい男がいるからつまみ出せ、と命令でもするだろうか。せっかくここまで来てそれはあってほしくない末路だ。そんな不安を感じながら少し休んでいたが、一向に使用人たちが俺に声をかけてくるという様子はない。
思い過ごしか?
「お前さん、だいぶ顔色が悪そうじゃないか」
そう言ってベンチの隣に座ってきたのは例のハンチング帽爺さんだった。
「あぁ、いえ……別に……」
お節介なお爺さんだ。
だいたい勘違いだからあまり相手にしたくない。
だがそんな俺の思いとは裏腹に、お爺さんは勝手に語りだした。
「……どうもお前さんは生き急いでおるように見えるのだが……もっと気長に生きていいんじゃ。人生は一度きりとは言っても、何回だってやり直せるもんだ………それこそいくつになっても、な」
生き急いでいる。
誰かにも言われたような気がする。
どうしてそんなに事を急ぐのか。
その一瞬一瞬を大事にしすぎているからなんだと思う。
「老い先短いこの老いぼれじゃあるまいし、もっとゆったりまったり……穏やかに生きてみ。きっと良いことが待っておる」
"―――いいね、激昂したらキミの負けだ"
あのときのメドナさんの言葉が頭で呼び起された。
穏やかに生きろ。それは簡単そうで難しい事なのかもしれない。
○
優雅なドレスがふわりと浮かびあがる。
いくつもだ。
こちらの曲調に合わせて、ゆらりゆらりと舞うその貴族令嬢たちの舞踏姿はどれも仕込まれた一級の芸術のようにも思える。あれが"貴族の嗜み"というやつなのだろうか。その隙間を縫うように、オルドリッジのメイドや執事たちが銀トレイを持ち、シャンパーニュ入りのグラスをせっせと運んでいた。
オルドリッジ家の玄関ホールはダンスホールと成り代わっていた。
純金の装飾、垂れ幕など豪華な壁飾り。周辺にはいくつも丸テーブルが置かれ、親世代の貴族たちが酒を交わしながら世間話をしている。若い世代も、気が合えば話をしたり、中央で社交ダンスを楽しんだりと、優雅な光景が広がっていた。
きっとホールだけじゃなくて庭やテラスで歓談してる人もいるんだろう。
先ほど、サプライズで当主交代を言い渡された兄貴アイザイアは、今ではとっかえひっかえ貴族令嬢たちに囲まれて忙しそうだった。あからさまな令嬢たちの態度も現金だと思うが、彼女らにも彼女らなりの事情があり、家柄のためだという信念もあるんだろう。
だから安易に否定はしたくない。
でも……もし俺がオルドリッジの魔力をしっかり受け継いで生まれてきていれば、あそこに混じって綺麗な令嬢たちと楽しく戯れて踊っていたのかもしれないとか考えると複雑な気分だ。嫉妬なんかじゃない。今の俺は恵まれてる方だし。
そういうのとはまた違う不思議な憧憬が浮かび上がる。
あそこにいるのは、俺とは別世界の人間。
でも少し運命が違えば、同じ世界の住人だったのかもしれない。
そう考えると―――。
いや、変な妄想を広げるのはやめよう。
今はしっかり自分に与えられた役割をこなす。
夜の演奏隊の役割はローテーション制だ。
さすがに長時間すぎるために交代して曲を奏でるのだ。
指揮者であるアリサも同じで、彼女も途中で交代を言い渡された。
「アリサ、こっちへ来なさい」
グレイスさんが休憩時間に入ったアリサを遠くから手招きしている。駆け寄るアリサに耳打ちし、そのまま2人はそそくさと屋敷の奥へと入っていってしまった。昼間からそうだったけど、一体全体なにを企んでいるというんだろう。変な事件を引き起こさないでほしいものだ。
まぁそんな心配をしている余裕は、今の俺にはない。
演奏に集中しながら、もう一つの役割を全うしなければならない。
俺は隙を見つけては貴族たちがダンスに興じている中、アイリーンの姿を探した。しかし、どの顔を見ても一向にアイリーンの姿は見当たらない。
視線を奥の方へと移し、親世代が世間話で盛り上がっているさらに奥の方を見やる……その我が儘お嬢様は不機嫌そうに口を曲げて壁際の椅子に鎮座していた。
むっすりしている。
ストライド家ご一行が機嫌を損ねた娘を宥めて、ダンスに混じるように促している。だが、アイリーンの重い腰は一切動く様子はなかった。
そこにどこからともなくやってきたイケメン貴族男子が颯爽とご登場。ブロンドの髪を横に流した、いかにも貴族やってます風な男だ。その男がアイリーンの前にゆっくり、そして丁寧な動作で跪き、手を差し出した。あれは明らかにダンスに誘っていると見ていいだろう。遠くからだからどんな会話が展開されているか分からないが、そもそもアイリーンは口を動かしていないので喋ってはいないようだ。
ふんっとそっぽを向くアイリーンを見て、その男は諦めずに再び手を差し伸べる。
アイリーンの失礼な態度に、男は怒りを見せる事はない。
なかなかの器量じゃないか。
その男は恐る恐るといった感じでアイリーンの手を取ろうと、自分の手を近づけていた……。だが、次の瞬間、アイリーンは事もあろうにその手を踵落としで床に叩きつけ、ギリギリと踏みつけた。しなやかに振り上げられた細い脚、そして迷いなく真っ直ぐ振り下ろされた踵は武芸者としてはお見事だが、貴族令嬢としては大失態すぎて目も当てられない。
な、なんて怖ろしいことを……!
家族も迅速に役割に分かれ、その脚をどける者(執事のダヴィさん)、不遜な態度を叱りつける者(父親マーティーンさん)、貴族男子の傷ついた手を治癒魔法で治す者 (メイドのリオナさん)に別れて手際よく処理していた。
ご家族も想定済みの事らしい。
父親も体裁として叱りつけているが、諦め顔が窺い知れる。
せっかくのパーティーなのに、常に冷や汗だらだらのストライド家。
苦労されてるんだな……。
というか、あんな様子なら俺の見張りなんて必要ないじゃん。
自衛できてるし―――いや、過剰防衛と言った方が正しいか。見張りってもしかしてアイリーンを守るんじゃなくて、アイリーンから他の貴族男子を守れっていう意味だったのかな。
それなら家族のあの様子も納得だ。
それはそうと、こうして見渡してみても件のオルドリッジの人間をアイザイア以外一人も見かけない。
イザイアも、そして俺の母さんも。
どこにいるんだろう。
俺の目的はその2人と腹割って話すだけでいいんだ。父親は怖いし、母親だって俺のこんな姿見てショック受けるかもしれないけど、とにかく会いたい。会って、話をして、俺はすっぱりこの家の事を忘れたい。
でなければ、俺は自分自身の人生にいつまでも踏み出せない。
…
休憩の時間に入った。
このときが親探しのチャンスである。
演奏隊の休憩所として用意されたのは小狭い空き部屋のような所だ。椅子や木箱が乱雑に詰まれて、今晩邪魔になった飾りをしまう倉庫として使われた部屋。貴族連中の待遇とは酷い違いである。
俺は椅子にヴィオラを掛けると、すぐさま部屋を出た。
ここからは隠密行動。
と言いたい所だが、ここは勝手知ったる人の家。
この家がどういう構造をしてるかは、幽閉される前の5,6歳までの記憶でなんとなく覚えている。いや、幼い記憶だからこそ覚えていることもある。父親や母親の部屋は3階にあったはずだ。もし下のフロアにいないのであれば、自室で何やらしているかもしれない。
ひとまずそこへ忍び込んでみるか。
3階へと至る階段は、今舞踏会場としてる玄関ホールの正面階段から2階へ上がり、その廊下沿いにある階段を使う方法が一つあるが、だがこの広い屋敷には他にも階段はいくつもある。俺は自分の居る位置から最も人目に付かない行き方で、3階へ辿りつける階段を使うことにした。
屋敷の廊下最奥にある螺旋階段から2階へ上がり、廊下をまた突き進んでいく。それからさらに通路を右に曲がり、左に曲がり……引き返したり、突き進んでみたりして、最終的に迷った。
覚えてるなんて嘘でした、すみません調子のりました。
第一、こんな広い屋敷の構造なんて、子どもの目線で覚えてるはずがなかった。
余裕ぶってたけど完全に迷子。
俺が諦めがちにゆったりまったり2階の廊下を徘徊していた時のこと。
「………」
廊下の突き当りを横切る一つの影が目に留まった。
一瞬の陰りだとしても、その懐かしい気配に体が過剰反応する。
滑るようにその突き当りへと進み、影が進んでいった方向を向く。
またその影は角を曲がっていなくなってしまった。
一瞬映った後ろ姿―――綺麗な後ろ髪と細い体、落ち着いた雰囲気は。
「……母さん……か……?」
間違いない。
すぐそこに、母親がいる。




