Episode98 オルドリッジ事変Ⅰ
午前中の最後のリハーサルを終え、昼休憩の後からいよいよ会場入りだ。
メルペック教会提供の演奏隊という事で、一斉に馬車で入館することが許可されている。馬車は三台並んでいるが、俺は二台目の馬車を選んで乗り込んだ。俺は現在、その馬車に乗ってオルドリッジの屋敷、すなわち自分の実家に入館するところだった。
「やぁ、大丈夫かね、魔族の若者よ」
「………?」
ガタガタと小刻みに震える体。足も竦んで、果たして馬車から下りれるのか心配になってしまうほどだ。話しかけてきた老いた奏者は俺のことを気遣って声をかけてくれたようである。ハンチング帽がやけに似合った白髪のお爺さんである。
「わしも若い頃は本番前にそうやって緊張したものさ。大丈夫、始まってしまえばどういうことはない」
「は、はぁ……」
俺の緊張の原因は合奏本番前だからというわけじゃない。
実家に入るという事に恐怖心を感じているだけだ。
「お前さん、なかなか良い眼をしておるな。その正装も似合っているじゃないか。うむ、魔族の血が入っておるのに、貴族のように端正な顔立ちをしておるぞ」
やたらと俺の容姿を褒めてくる。
きっと緊張を和らげようとしてくれているんだろう。
でもお爺さん、俺は魔族の子でもないし、実はこの家の直系の息子だ。気持ちだけありがたく受け取っておく。
…
幌の隙間から外の光景が目に映る。これが嫌で前後一台ずつ挟まれる二台目の馬車を選んだのだが、特に意味を成していなかった。
馬車は一度停車すると、御者との間で少しやりとりがあったようで再び駆け出した。大きな門を潜り、いよいよ馬車は敷地内に入ったようである。
背後に映る景色は見る見る変わっていく。
長い土の通路とその左右に展開される大きな庭園。腕のいい庭師を雇っているんだろうが、模様をかたどったように芝生と細い通路が折り重なっている。そこから高低差のつけた樹木がいくつも植えられて回遊式庭園ができている。
よく見た光景だ。
俺は恐る恐る眺めてみたが、体の震えがより強まっていく。
これは武者震い?
―――両親に会わんとする己を奮い立たせようとでも。
いや、そんなんじゃない。
トラウマがまた呼び起されているんだ。
せっかくここまで来たというのに。
こんなところで臆病風吹かすわけにはいかないんだ。
しっかりしてくれよ、俺の体。
「………?」
いや、それもまた違う。
震えているのは全身じゃなかった。
右腕だ。
右腕が俺の意思に反してガタガタと振動していた。
もしかして俺が勝手にトラウマで震えていると思っていただけで、実は以前近くにきたときも右腕が震えているだけだったのか? それにしても、長年この異形の右腕と付き合ってきたけど……こんな反応は経験したことがない。
鎮まれー、鎮まれー、俺の右腕ー。
冗談っぽく念じてみたけれどまったく反応は変わらない。手先から肩の付け根まで、痙攣してしまったように筋肉がビクビクと震えている。それが全体に伝わってガタガタ震えているように見えるのだ。
どうしてしまったんだろう。
俺は逆手でその言う事聞かない右手を抑えつけ、必死に抵抗した。そうこうしているうちにどうやら馬車は屋敷の玄関口付近まで付いてしまったようで、ついに停車してしまった。
「さぁさぁ、みなさま、到着されましたわよ! 気をつけて降車くださいなっ」
先立って降りた操車席の御者は女性だったようだ。
丁寧だが、少し早口な喋り方がやけに耳についた。
俺は他の演奏家たちが続々と馬車の後部から降りていくのを見送りながら、変な挙動を示す右腕に悪戦苦闘していた。こんな腕が痙攣した状態で降りていったら変な奴に思われるし、今日の合奏もできないと判断されて合奏団として省かれるかもしれない。
「あら、貴方もさっさと降りなさいな。もう到着されましてよ?」
浮き上がるように、後部から女の人がひょいと乗り込んできた。
いや、"ように"じゃなくて本当に浮き上がったらしい。その人の腰から黒い大きな翼が付いている。どうやら獣人族か魔族のようだ。ゴージャスな黄金色の髪に宝石のように透き通った青い瞳の女の人だった。一見して綺麗な人だが、切れ長な目が怖そうな印象を受ける。
プライドも高そう。
「どうなさいましたの?」
「あぁ……いえ……今、降ります……!」
どうしようかと考えながらもここで立ち止まるのも不審に思われるという結論にいたり、俺は素直に降りることにした。女の人は腰の大きな黒い翼をふわりと広げると、浮き上がりながら軽やかに馬車を降りて行った。俺もその後を追う。
屋敷の玄関前に降り立つときも、右腕の震えを抑えるのに必死だった。
先に降り立った女の人が不審がって俺を眺めている。
「………?」
そして何を思ったのか、俺の右腕を突然に掴んできた!
「貴方、ちょっとよくお見せなさいな、その右手……」
「あー、だめです」
「何故かしら」
「えーっと、封印された魔族最強の右腕なので、暴走すると世界が滅亡します」
相手は教会提供の演奏隊の送り迎えをする御者だ。大した素性でもあるまいし、これくらい大袈裟な事言えば本気にして怖気づくか、冗談だと思って笑い飛ばすかのどっちかだろう。
「魔族? 貴方は人間族でございましょう」
あっけらかんとした顔で見抜かれた。
さらりと言われたことに、俺も一瞬固まった。
こやつ、何者。
「それに世界滅亡の要因になりうる聖遺物は教会側の封印指定になっておりますわ。それを一個人が持っているケースなんて例外中の例外。さらに生命学の話をするならば、この星のマナの内に生まれた一生命体が、星の崩壊をもたらす程のエネルギーを持つ事など法則上、決して成り立ちませんのよ。その上で申し上げますが、一生命体のエネルギー量を飛躍的に伸ばす魔法兵器もこの世に存在しておりますが――――」
ペラペラペラペラと。
次から次へと薀蓄を並べられて、俺はうんざりしてきた。
メルペック教会の人間だったとしたら色々知識も豊富なんだろうか。
面倒臭い相手に冗談吹っかけてしまった。
というか、この人いつまで俺の右腕を握りしめているつもりなんだろう。
「―――と魔剣ケア・スレイブ、以上の三つでございますわね。あ、それともう一つ、我々が最も危惧しているのは聖典とも称される物ですわ。先ほど申し上げましたマナファクターとネゲントロピー的な関係を打ち破るもの、それがアーカーシャの系…………アー……カー……シャ………の……」
饒舌だったはずの舌がどんどん歯切れの悪さに負けていく。
なんか変だな、この人。
俺の腕を掴んだまま、視線はより手先の方に集中している。そして信じられないものを見たとばかりに目を真ん丸に開いて、ぶるぶると視線も震えていた。怯えているのだろうか。
「アーカーシャの……系譜………」
「む」
俺は黒正装の袖から顔を覗かせるその"包帯"に気づいた。
普通の人から見れば手首に巻いた包帯にしか見えないこの白い羊皮紙の巻物こそ、今この人が呼び上げた《アーカーシャの系譜》その物なのだ。
知る人ぞ知る、アーカーシャの系譜。逆に言えば、知らない人には知られていない物ので今まで何も言われた事は無かったけど、こうやって反応してくる人は久しぶりに見た。俺の右腕を封印しているものらしいが、最近はうんともすんとも言わないので、特に俺も気にしていなかった。
そして、この反応を示すこの人は一体何者なんだろう。
異常に怯えているみたいだし。
「こっ、こっ、こここっ、こここここここっ……」
鳥人間が鶏人間になった。
喉奥で言葉が詰まって何も喋れていない。
「こっ、これをっ、どちらで……!!」
「さぁ……女神様にでも聞いてください」
「腕に巻きつけていらっしゃるのっ? 貴方それで平気なの?!」
「特に問題ないです。なんなら触りますか?」
俺がその右手をその女性の顔面に近づけると、怯えたように後ずさりした。その様子が面白くて、俺は続けて右手を突き出して近づいた。本気で怖がっているようで、さらにその人は身を引いていく。
「ちょ、ちょっとっ! バカにしないでくださるかしら! 私はこう見えましてもメルペック教会聖堂騎士団の第二位階パウラ・マウラでありますわよ!」
「聖堂騎士団!?」
げげぇ、と声を上げそうになる。
聖堂騎士団と云えば、嫌というほど思い出す。
あの蛇みたいな軽口野郎と雷槍遣いの髭のおっさん。
強敵だった。
アザリーグラードでは嫌な二人組だったが、この人はどうだろう。
というか、なぜ聖堂騎士団の騎士が馬車の御者なんてやっているんだ。
「貴方のお名前はなんと仰るのかしら?」
「ジャックです」
「まぁ……。見た目のわりに平凡なお名前ですのね」
「余計なお世話だよっ! ……巷ではロストとも呼ばれてる。そっちのがいいですか」
「"負け組"ですって? まあ。色々悲惨な背景をお持ちなんでしょうね」
「名前なんだから仕方ないだろっ」
やたらと上から来るタイプの人だな。
高慢ちきなのかな。
「では"負け組"と、お呼びしましょう。ええ、貴方はこちらの方がしっくり来ますわ」
すごいバカにされている気がするのは気のせいだろうか。
「今日の祝典が終わりましたら、後日またメルペック教会へお越しなさいな」
「嫌だと言ったら?」
「聖堂騎士団の名の下に指名手配とします」
「なんでだよ!」
「当たり前でしょう。貴方が所持するその聖典は教会が封印指定とするものですわよっ! 即ち、その聖遺物に用がありますの。悪いようには致しません。貴方個人には危害を加えないと誓いましょう」
「どうだかな……」
「悪の組織でもあるまいし、メルペック教会の人間が一般人に危害なぞ加えるわけがございません!」
いやいや、貴方の同僚は魔術ギルドの女性とか幼女を捕まえて監禁してたぐらいだぞ。俺の中では聖堂騎士団の印象なんて最悪でしかない。そんな団体どうやって信用できようか。
俺が溜息をついている傍ら、パウラさんはぶつぶつと呟いていた。
「大変な事態ですわ……バロッコ家は何をやっているのかしら。オージアスにも報告を入れなければなりませんわね。まさか負け組の名のついた演奏家の子どもが所持しているなんて……」
やっぱり失礼な事言ってやがる!
と、パウラさんとやり取りしているうちに、気づけば右腕の震えも何故か収まっていた。さっきのは結局なんだったんだろう。疑問に思いながら右手を眺めたが、そこにあるのはいつもの右手だった。
○
右腕の疼きに加えて、パウラさんとのやりとりで気づかないうちにあっさり上陸を果たしてしまった実家の庭。
見回してみるが、どうにも実感がなかった。
庭のテーブルに真っ白なテーブルクロスをせっせと敷く使用人たちには見覚えがない。俺が居た当時とはだいぶ人員も変わってしまったんだろうか。それとも覚えてないだけだろうか。どちらにしろ向こうも変わり果てた俺に気づく由もないだろう。
騒々しい屋敷の中から「新人ちゃん、ストッキング! ストッキング履いてない! 生足はマズいわっ」という金切声と「寝惚けてたみたいですっ! パンツも履いてませんでした! ごめんなさい~!」というやり取りが耳に届いたけど聞かなかったことにしよう。
使用人たちも忙しさのあまりに、混乱しているようだ。
「それでは演奏隊の皆様、よろしくて? 実際の配置を確認いたしますわ。こちらへ」
屋敷内の騒々しさにも目もくれず、落ち着き払った声でパウラさんは広大な庭を案内した。腰のあたりから生える翼がバサバサと羽ばたき、ふわふわと浮かびながら動いている。
浮力の働き方が不自然な気がするが、まぁ細かいことは置いておこう。
その後ろに、別の馬車から降りてきたグレイスさんとアリサも並んでいた。
そういえばあの2人、楽団が解散した後もまだ聖堂騎士団と繋がってるのか。仲直りした手前だけど、やっぱり変な悪巧みしてそうな気配を感じざるを得ない。
仕方ない、聖堂騎士団も演奏楽団も俺からしたら外敵みたいなもんだ。
式典は庭。そして祝典は屋敷に入ってすぐの玄関ホールでやるそうだ。
俺はヴィオラのパートの中でもサードポジションでやるらしい。生まれも三男。サードジュニアで、演奏のポジションもサード。つくづく『3』に縁がある男だ。つまり、サブのサブ……という風に俺は解釈しているが、同じサードポジションの相方がもう一人いて、それは手慣れたベテラン奏者らしい。アリサにパート分けの話が下りてきた時にその事を言ったら「サードポジションは大事なのっ」と怒られた事がある。
俺は自分が他の奏者に囲まれた位置であることに安心した。
まぁ、あくまで主役は兄貴や親父といったオルドリッジの人間。
背景として雰囲気を演出する俺たちに注目する輩はいないだろう。
そして集団で玄関ホール内へと移動する。
こっちも庭と同様、煌びやかな装飾がされている以外は変わっていない。
大きな扉を潜り抜けると広いホールがあり、その正面には幅のある階段が二階へと繋がっている。壁に沿って手摺が設けられ、上からもホールを見渡せるようになっている。演奏隊が夜の祝典で演奏するのはこのホールの端の方だ。
階段降りてすぐ隣のところ。
そこに壇と椅子が敷き詰められている。
長時間演奏するように椅子が配置されているのだろう。
そこに昇り、配置を確認する。
思っていたよりも段差が高く、ここからなら椅子に座ってもアイリーンを探すのもそれほど苦労しなさそうだ。
「ああっ……! アイザイア様がお見えになられたわ」
ホール内を忙しなく動き回る使用人の一人が二階を見上げてそんな声を上げた。一気に周囲がざわつく。
アイザイア……って誰だ?
「ふぅん、あれが次期当主ね」
近くにいたグレイスさんが呟いた。値踏みするようにその階段をゆっくり降りてくる男に視線を投げかけている。
次期当主―――という事は、まさか……。
「アイザイア様、まだご準備が整っておりませんでっ……!」
「構わん。私のために働く者たちを労おうと思って様子を見に来たのだ。尤も、邪魔とあれば消えよう」
「とんでもございませんっ。ご懇意、感謝申し上げます」
「……はて、あそこの者たちは?」
「彼女らは今日の式典や宴席を盛り上げる演奏隊の方々です」
「おぉ、それは素晴らしい」
そう言うと、アイザイアはゆっくりとこちらに近づいてきた。
こいつが長男………兄貴のうちの一人か!
純白のフォーマルドレスに身を包んでいる。そこに金色の刺繍がされていて、明らかに今晩の主役ですって感じのオーラを漂わせている。そのせいか、そのおかげか、肉親の実感がない。それに思っていた以上に貧相な体をしている。
印象としては貧弱。
背はあるものの、肩幅もなく筋力が弱そうだ。
我が兄ながら肉弾戦は不得意そう。イジメられていた時はもっと恐怖の象徴みたいに体格も大きく感じていたのに。
顔も……どうだろう。自分と似てるかと言われたらそうでもないと思うが。他人から見たら似てると思われるのかな。だが毅然としたその態度は俺にはない物だ。次期当主としてそれ相応のオーラを纏っているのは間違いない。―――総じて言えば、頼もしそうではある。
「演奏隊の方々、今日は私のために、式典の盛り上げに一役買っていただいてありがとうございます」
こちらの目線に合わせてくれたのか、一般人でもわかりそうな単語を一つ一つ選ぶという配慮も見せている。しかも、しっかり目を見て話している。無論、俺とも目が合ったが、反応するはずもない。
……なんだよ、兄貴。
しっかり貴族として成長を遂げてしまってるじゃないか。暴君の血を受け継いで、当時のイジメっ子のまま暴君化していると想像していたけど、普通に貴族やっていた。
興醒めだ。
クズ野郎だったら憎さも倍増して一発殴り返してやろうという気も湧くかもしれない。でも人当り良さそうな人間になった以上、俺ももう当時のこと掘り返して復讐してやろうなんていう気も失せた。それに、俺もこの家から追い出されて、決して嫌な経験ばかりじゃなかったし。
「アイザイア様、私、グレイス・グレイソンと申します。この演奏隊のリーダーを務めます」
そこにグレイスさんが律儀に代表として挨拶をし返した。
「おぉ……リーダーもお美しい方だ」
「いえいえ、とんでもございません。このような装いで大変失礼いたします」
このような装いとは言うが、ちゃんと紺色のドレスに身を包んでいる
さすがグレイスさん。いつぞやの舞台で見た時と同様に落ち着いた様子だ。地方有数の貴族相手に飄々としてるようにも見えるが、それもまた愛嬌として見せつけているのかもしれない。
「そしてこちらがリーダー補佐です。指揮も務めますよ」
「アリサ・ヘイルウッドなの……です。よろしく……です」
「どうです? 可愛らしいでしょう」
「素晴らしい。このような方々に奏じて貰えるならば、今宵はきっと華やかなパーティーとなるだろう」
何故か意気揚々とアリサを推すグレイスさん。
その様子に兄貴も少し引いたのか、よろしくと言い放って踵を返した。
そのまま庭園の方へと出ていってしまった。
「アリサ、今夜が楽しみね」
「………」
やっぱり怪しいな、この2人。
まぁ、まさか殺しとか物騒な事をするわけでもあるまいし。
俺の護衛対象のアイリーンとその周辺に害が及ばなければ関係ない話だ。
好きにやってくれ。




