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魔力の系譜 ~名も無き英雄~  作者: 胡麻かるび
第3幕 第3場 ―オルドリッジ祝典―
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Episode96 悲哀と恋歌


 俺のスケジュールは過密さを増していた。


 日課ではアルフレッドとリナリーの朝の鍛錬に付きあわせてもらい、そしてそのまますぐリナリーをバーウィッチ魔法学校へと送り届ける。昼間はグレイスさんとアリサ率いる演奏隊とともに弾き慣れないヴィオラの練習に勤しむ。夕方にはまた魔法学校へとリナリーを迎えに行って一緒に馬車に乗り込む。

 夜は飯を食べたら倒れ込むようにベッドに寝転がるのだが、例の一件以降、シアが毎晩のように声をかけてくるようになり、ソルテールの宿屋コンラン亭のアルバイト中にあった出来事を聞かされてからようやく解放されるため、就寝時間がかなり夜が更けてからになっていた。

 寝不足が続いている。

 生命力が高いからなんとか遣り繰りできているが、疲れ知らずとはいえ自由な時間がないことに心が疲れていく。―――正直言うと、許容量の限界を超えてきた。俺のような未熟者は己の限界を知らないからこういう事になってしまうんだろう。

 リナリーを魔法学校へ送り届ける早朝の馬車の中。

 今もだいぶ気が滅入っている。


「お兄ちゃーんっ」

「……うん、なんだ。リナリー」


 この赤毛の天使の微笑みを見るたびにそんな疲れも吹き飛んでいたものの、それも限界が近くなっていた。だんだん心のトキメキも薄れていく。リナリーは目を爛々と輝かせて俺の顔を覗きこんでいた。

 そんな顔でこんな草臥れた顔を覗きこまないでほしい。

 目に毒だ。


「最近おつかれなの?」

「………」


 五歳児の幼女にそんな心配をされるとは俺もダメダメな兄貴役である。

 自分の兄のことをバカにできない。


「そんなことないさ。ほら、この通り」


 俺はその場で仕込みナイフを指先で回して曲芸師のように扱い回した後に、すっぽり元の鞘へと納めて見せた。リナリーはこの芸当が好きだから馬車の狭い空間でも見せられるように練習していたものだ。


「むうー、元気がないもん」

「そうか……」

「そんなお兄ちゃんに、これっ!」

「ん?」


 リナリーは背後から何か取り出してきた。

 それは籠いっぱいに詰めた赤い木の実だった。


「お兄ちゃんが元気になるように、朝摘んできたのっ」

「おぉ……おぉぉ……」


 感動で打ち震える。

 こんな大量の木の実をどうやって摘んだんだという疑問とか、リンジーやシアの筆跡らしきメモ書きが籠に挟まっているのが見えた事とか、まぁ諸々の背景は置いておいてリナリーのその気持ちに感激した。


「ありがとう……ありがとう、リナリー……」


 リンジーとシアもありがとう。


「うんっ! えとー……オシゴトタイヘン……ナトキダケド、ガンバッテネっ!」


 わかりやすいくらいに片言。

 たとえ仕込まれた台詞だとしても嬉しいじゃないか。

 今日も一日頑張ろう。

 帰ったら2人にお礼も言わなきゃ。

 あの2人にも俺が疲れてる様子はお見通しって事だ。



     ○



 かつての敵陣営と一緒に楽器演奏の練習をする。

 なかなか無い経験だ。

 バーウィッチの街の端に位置するこのメルペック教会。その周辺の庭にて、ベンチに座ったり、芝生に座り込んだりして、演奏家たちが各々譜面とにらめっこして練習していた。教会は新設されたばかりのようで、郊外に廃墟と化した旧教会が置き去りになっているという話も聞いたことがある。だから比較的、他の建物よりも綺麗な場所だった。

 俺はそんな演奏家たちと混じって、ヴィオラを顎と肩の間に挟み、弾く用の弓を握りしめて音を出すことに躍起になっていた。これがまた地味に顎が疲れる。弾いているうちにどんどん先端が下がっていき、さらに挟む顎の力を使ってしまうのだ。


 んぎぎぎぎ……。

 辛い。

 俺の最近の疲労の原因の八割はこれのせいじゃないかと思っている。


「そんな構え方だと弾けないの」

「―――む」


 俺が悪戦苦闘している様子を見るに堪えかねたのか、アリサが近寄ってきた。遠くで見る分には良かったけど、近寄ってこられると緊張するからあまり関わってきて欲しくないというのが本音である。だが向こうも真剣に合奏を良いものにしようとしている。だから苦戦しているのがかつて敵対関係だったとしても割り切ってるんだろう。

 でもお互い子どもだった頃には何も意識してなかったけど、アリサは獣人族の女性特有の愛くるしさというものがある。特に巻き角やら、ふわふわの髪やらが余計に。

 さらにこの子は例の神出鬼没な女神ケア・トゥル・デ・ダウに似ているときた。傍から見て緊張しないはずがない。


「裏と表に付いてる当て物をうまく使うの。裏面の補助具は肩じゃなくて胸に当てるように……こう。猫背だから楽器が下を向いて余計に力がかかるの。背筋は伸ばして」


 アリサは淡々と俺の持ち方を矯正してくる。

 腕を回し、手取り足取り状態でレクチャーしてくれた。

 至近距離で。

 俺はその綺麗な顔立ちに思わず見蕩れてしまった。

 何回か顔を合わせた当時より、淡泊で感情の変化が少なくなってしまったようだが、逆にそれが大人の女としての魅力を引き立てている感がある。


「………!」


 向こうもそれに気づいて至近距離で目が合った。


「い、いや、特に何でもない………です」

「す、筋は良いと思うのっ。頑張ってね」


 噛みあわない会話と逸らされる視線。

 アリサもだいぶ頬が赤くなっていた。

 いや、こんなところでもその気を漂わせてどうする。

 ただでさえアイリーンお嬢様を引き離すことに一歩踏み出した今日この頃だというのに、ここで変な余韻を与えてしまったらシアに合わせる顔が無いぞ。何をやっているんだ、俺は。別に女たらしになった覚えなんか更々ないのに。気配を感知したらどんどん拒絶していかないと、正真正銘の浮気野郎になってしまう。

 遠ざかったアリサに一瞥くれた。

 向こうもこっちの事を気にしているようである。

 少し振り返り気味に眺めているのが確認できた。


 なぜそうなる……。

 俺は脇に置いてあった籠を近づけ、木の実を頬張った。

 今朝リナリーがくれたものだ。

 リナリーのドジなのか、そういう意図なのか分からないけど、シアやリンジーのメモ書きも挟まったままだ。俺は自分への叱責のためにもそのメモ書きを読んでみた。


『ロストさんへ渡して下さい。元気が出る木の実です、多分。シア』

『かごをふり回しちゃダメだよ。つまみ食いもダメ』


 "元気が出る木の実です、多分"かよ!

 シアに至ってはメモ書きごと俺の手に渡ることも想定して書いている感があるな。リンジーは間違いなくリナリー宛てに書いたものだ。

 何にせよ、ありがたい。

 俺はさらに3つほど木の実を貪って、楽器練習に集中することにした。応援してくれる人たちのためにも、(うつつ)を抜かすわけにはいかない。



     ◆



 深い溜息が出る。

 憂欝なままに教会へと戻り、教壇の奥へと歩んだ。教壇には大きな燭台が置かれていて、その奥には女神ケア様のレリーフが壁に埋め込まれている。そこから上を見上げていくと、煌びやかなステンドグラスが神々しさを演出していた。

 少し、お祈りしたいと思う。

 両手を組んで、目を瞑り、深く黙祷する。


 ―――女神ケア様、どうか罪深き私をお許し下さい。

 私の罪とは、過去にケア様の名を騙ってしまった事。

 そして何より、禁欲が剥がれ落ちそうになっているという事だ。


 最近はつくづく、本能というものにうんざりしている。

 男の人を見るとやけに体が疼くようになってしまった。

 さっきもジャックを間近で眺めただけで、変な気分になってしまった。正直なところ、彼に対する恋愛感情なんてものはない。でも、10歳の時から綺麗で整った顔立ちだなと思っていたのは事実だ。造形美を眺めるような感覚に似ていたが、それはラインガルドに対しても似たような感情を抱いていたから、恋とはまた違うものであると信じたい。よくよく考えてみたら、ジャックとラインガルドは偶然にもよく似ていた気がする。


 身体が成長していくに連れて、異性を求めるようになってしまうのは厄介な本能だと思う。獣人族は比較的早くから初潮を迎えて子を成す体へと成長すると聞いている。さらにそこからの発情の周期もとても間隔が短い。純粋な人間族はこの「発情」というものに周期性がないそうだが、獣人族では違っていた。

 獣人族の中でもその系統種によって差はあるものの、私の場合は2週間に一回の頻度でこの発情期というものがやってくる。それはおそらく獣人の中でもかなり短い間隔なはずだ。この感覚に慣れてしまえばどうという事はないそうだが、私は15歳と妊娠適齢に当る年齢であり、現在が性欲の過渡期だった。

 迷わず、グレイスちゃんに相談した。

 恥ずべき事だと分かっていたが、誰かに相談しないと居ても立っても居られなくなったからだ。


 だが、グレイスちゃんは健全なアドバイスをくれることはなく、軽く「女の子はそういうものなのよ」と受け流すだけだった。でも、思い返せばそれがキッカケだったと思う―――グレイスちゃんが私の交際関係について気にしてくれるようになったのは。

 どういう男の人が好みか。

 将来はどんな生活を送りたいか。

 そんなことを聞いてくるようになった。いつもの茶化す調子ではなく、真剣な表情だったのを覚えている。きっとその時から、今回の縁談の話も真剣に考えてくれていたんだと思う。


 私はただ、グレイスちゃんとずっと一緒に静かに暮らせていければいいと思っているだけなのに。



     …



 だいぶ長い間、黙祷に時間を割いてしまった。

 私は教壇の奥から入れる司祭室へと進んだ。


「は―――ぁぁ……く、ぅ………」


 ベッドで苦痛に悶えるグレイスちゃんを見て、すぐさま駆け寄った。

 最近のグレイスちゃんはこんな調子で昼間から寝込んでいる事が多くなってきた。


「グレイスちゃん!」


 すぐに回復魔法をかけてあげるが、それもとりわけ気休め程度にしかならなかった。こうなっている理由を本人から直接聞いたことはない。だがそれも、心配かけまいと気高く振る舞っているからだと私は知っていた。

 我慢できずに図書館へ行って調べた事があるが、この呻くような苦しみ方と昼間から眠りがちという症状、そして痩せ細っていく体から察するに、グレイスちゃんは病気である事が判明した。

 その病気というのは、魔術師に好発するもの。魔法を使い過ぎる事で魔力の枯渇状態が続くと、生命力が奪われ、体の至る所で機能不全が起こる病気らしい。グレイスちゃんはここ5年でだいぶ痩せ細り、こうやって呻きを上げて寝込む頻度も多くなってきていた。

 ――――考えてみれば、グレイスちゃんは常に魔力を消費し続けている。

 その消耗の理由は楽園シアンズにて捕えた一人の白騎士にあった。


 白騎士トリスタン。

 それ以前は、暗殺者トリスタン・ルイス・エヴァンスという名で知られていたそうだ。

 かつてその界隈では「疾風迅雷のアサシン」と畏れられた名高き暗殺者らしい。グレイスちゃんと仲間だったが、暗殺対象の一味が復讐のために彼の肉親や同郷集落を襲った事件を機に、一切の姿を消した。それからいつの間にか冒険者になったという噂が出回っていたが、何の因果かグレイスちゃんの前に立ちはだかることになった。

 現在では、グレイスちゃんの闇魔法「ポイズン・キャプティブ」によって精神汚染と強制従僕化の手にかけて支配している。この魔法は闇魔法内でも上級に位置づけられる魔法であるため、消費魔力が大きく、長い期間は行使できないというデメリットがあった。

 でもグレイスちゃんはこの5年間、その魔法を使い続けることでその男を暗殺者として復活させ、使役させ続けてきた。女2人では様々な賊から目をつけられる危険性があると危惧しての事――とどのつまりは私のためという事だ。

 魔力が枯渇するのも無理はない。


「アリサ……?」


 苦痛の時が終わったのか、汗だくになったグレイスちゃんが体を起こした。そんな様子を見て、私は自然と涙が溢れてきて止まらなくなってきた。


「グレイスちゃん……もう…………もうやめようよ……」

「どうしたのよ。そんな青い顔しちゃって」


 知っている。

 その余裕ぶった口ぶりも、本当は無理して振る舞っている事だって。


「私は……私はグレイスちゃんがいればそれだけでいいのっ……!」


 堪らず、グレイスちゃんのその痩せ細った体を両腕で抱きしめた。

 もうこんな体で無理をされても悲しいだけだ。

 このままではグレイスちゃんが私の前からいなくなってしまう。

 それはあってはならない。

 私にとって――――。


「大丈夫よ、アリサ……あなたにはこれから幸せな生活が待ってるの。私がなんとかしてあげるから」

「グレイスちゃんがいなかったら幸せなんて言えないの……」

「いなくなるわけないじゃない。まるで私が死ぬみたいな言い方ね。失礼しちゃうわ」


 冗談なんかじゃない。

 このままだったら、本当にグレイスちゃんは―――。


「………あ……」


 胸に顔をうずめる私の髪を、グレイスちゃんは優しく撫でてくれた。細くなってもその優しい撫で方は、出会った頃と何一つ変わっていなかった。


「懐かしいわね~。あのときもあなた、こうして泣きじゃくってばっかりだった。また弱虫な頃に戻っちゃったの?」


 それは遠い記憶の中のこと。

 獣人族と好戦的な人間族、魔族が戦場で入り乱れた紛争地帯で生まれ育った私は、物心つく前には両親を失っていた。逃げるように故郷を去り、いろんな町を独り、転々としていた時のことだった。拉致されて闇市に売り飛ばされるところをグレイスちゃんに助けられたのだった。あの時は何も出来ないただの子どもだった。今でも……そうかもしれないけれど。

 グレイスちゃんにはその頃から感謝してもしきれないことが山ほどある。

 初めて水の都ダリ・アモールに連れていってもらい、可愛い洋服を買ってもらった時には嬉しさのあまりに迷子になるほどだった。

 冗談じゃなく、本当に迷子になってしまったのを思い出した。

 あの時もあの迷路のような街を駆け回って私を探してくれたんだ。

 懐かしいな。

 私が孤独の夜に彷徨っても、グレイスちゃんはいつも傍に……。


 そのときだ。

 『水辺のアモール』という歌を作ったのも。

 アモールという言葉が恋人という意味だと知った時に、思いついた歌詞だった。恥ずかしくも、グレイスちゃんのために歌った歌だ。歌い終わった時、何を思ったのか「今度のカーニバル前夜祭の舞台で歌いましょう」と言いだしたのには仰天したものだ。


「――――覚えていますか? あなたとの初めての出会い」


 私は気づけば歌い始めていた。

 涙で掠れた声だけど、しっかりと伝わるように。


「――――街灯が私たち二人を水面に映し出したの」


 グレイスちゃんはその歌声を黙って聞いていてくれた。

 いつまでも傍にいてほしい。

 私はそう思ってその大切な身体にいつまでもしがみついた。

 恋の歌を捧げながら。



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