◆ 黒い楽しみ
ラウダ大陸とリバーダ大陸を繋ぐ大型の貿易船。
その船はラウダ大陸――エリンドロワ王国側へと向かう最中だった。
貨物が主だが、乗船客ももちろん居る。しかし今回の出航は非常に貨物の数が少ない状況だった。
とある惨事をきっかけにアザリーグラードの大迷宮が崩壊して以降、リバーダ大陸を訪れる観光客は激減した。さらに迷宮特産だった魔物の素材も入手が困難になってしまい、観光商、貿易商たちは儲けを失ってしまっているのが現状だ。そのため、迷宮都市だけでなく、ラウダ大陸側の港町ダリ・アモールの景気や治安も悪くなる一方である。
この船は貨物が主だが、例年より輸出品が少なく、魔道具入りの木箱や魔物の素材などはいつもの半分ほど少なくなってしまっている。全盛期であれば、この広い貨物室も一杯になるくらいの輸出品を詰め込んでいたものだ。
そんな品薄の貨物室の暗がりに、ひっそりと蹲る古びた黒衣の男がいた。
―――彼の名はラインガルド・オルドリッジ。
彼の有名な魔術師貴族イザイア・オルドリッジの甥にあたる存在だ。
本来であれば優雅な生活を送っていてもいい血筋のはずだった彼が、なぜ悲惨な姿で貨物船の暗がりに潜んでいるのか。
その理由の一つは、彼自身も自問し続けた事だった。
「イザイア……オルドリッジ………」
憎い。
憎くて憎くて堪らないその名を、ラインガルドは口にした。
ラインガルドの父アダルバート・オルドリッジは長男として、そして正統な後継者として今頃バーウィッチで執務を全うしているはずだった。
それが次男坊のイザイア・オルドリッジ――争いごとを嫌い、オルドリッジ家の中でも最も劣等生だったその男が急に伸し上がった。
父アダルバートはすべて奪われた。
富や名声、そして伴侶すら。
未来すべてを奪われた。
そしてその命をも自ら絶ったのだ。
金を借り過ぎて高利貸しから目をつけられていたその分家は、残された財産すべてを押収され、ラインガルドという一人の子どもだけが取り残された。
その彼が辿り着いたのは、光の雫演奏楽団――孤児も大勢匿って、演奏家として養成してくれる"楽園"だった。団長グレイスを筆頭に、副団長のメドナ・ローレン、街の近衛隊隊長だったクレウス。頼れる大人たちがたくさんいた。
だが報われない子どもたちのために組織を大きくする過程で、その楽園も……崩壊してしまった。
そうしてラインガルドが流れ着いた先は迷宮都市だ。
今こうして船舶に忍び込んで密入国しようとしてる時と同じように、渡航しての事だ。
大昔に法治を失ったまま、冒険者たちの非拘束的法源のみで生活が罷り通るアザリーグラードは、ラインガルドにとっても楽園となるはずだった。
尤も、当時から心神喪失していたラインガルドに、そこまでの考えが無かったのは言うまでもない。だが、絶望ばかりだった王国領土から移住を図ったのは、偏に、希望を求める人間本来の習性によるものだろう。
しかし、ラインガルドの不幸はそれだけに留まらない。
自由の街アザリーグラードでモラルを逸したラインガルドは暴挙の限りを尽くした。
偉大な魔術師の血だけは彼には残されている。
闇魔法に特化したその魔法で、ありとあらゆる侵略行為に出たのである。
殺人、致傷、強盗、恐喝、強姦、婦女暴行、破壊行為。
支えも無く、絶望の渦中で思春期を過ごしたラインガルド―――彼にとってそれらの行為が過ちを犯したという認識は一切ない。自己承認欲求が爆発し、存在表明の一つとして行ったに過ぎなかった。
しかし、冒険者ギルド主催アーバン・フラタニティの祭りの最中、バトルトーナメントの戦いを荒らした事でその経歴が明るみとなり、ついには冒険者ギルドから指名手配されることになったのである。それはつまり、放浪者の最後の命綱であるクエスト受注が出来なくなってしまった事を意味している。
またしてもラインガルドは拠り所を失った……。
追い立てられる様に、彼は再び王国へ密入国することにした。
特に考えなどない。愚かと言えば愚かであるが、彼が放浪を繰り返すのはもはや動物程度の思考による常同行動だった。
○
ラインガルドは港町ダリ・アモールに辿り着いた。
懐かしきその光景を眺めても、何とも感想などは湧いてこなかった。
長らく過ごした臭い貨物室ともお別れである。
彼のように闇に身を潜める者には分相応な宿だったのかもしれない。
昼間の日光に嫌気が差し、ラインガルドは影を求めてその乗船場から足早に立ち去った。手慣れた動作で杜撰な関所を通り過ぎ、意図も容易く彼は領土内に舞い戻った。
その小汚い青年を、誰も目に留める者など居なかった。
彼が以前過ごしたダリ・アモールの風景とはだいぶ変わっていた。
何よりもその治安の劣悪さが際立つ。夜間は小洒落た貴婦人たちすら、街灯に照らされた煌びやかなストリートを歩いていたものだが、今では人気が少ない。
だが、人目を避けたいラインガルドにとっては都合が良かった。
今のうちに新たな寝床を探す。心なしか空き家も多そうである。打ち捨てられた集合住宅はどこか寂しげで、孤独なラインガルドには馴染みやすそうだと感じられた。
彼は手際よく、その集合住宅の鍵をこじ開けて侵入した。元々鍵も潮風に錆びついて壊れやすくなっている様子だった。管理も杜撰になっているようだ。
暗いその廊下を突き進み、階段を上がって各部屋を物色する。まだ扉としての形状を残している部屋に目をつけて、徐にその扉をあけた。
「おい、テメェ、なにしてやがる!」
「!」
見つかった。
ちょうど家主に発見されてしまった。ドジを踏んでしまったと彼は冷や汗をかいた。
だが突如現われた家主というのも、見た目がおかしい。所謂ゴロツキの顔つきをしていた。鍛え抜かれた肉体。傷だらけの顔。身体中に張り巡らされた入れ墨。如何にもこの世の裏側で生きている人間の顔つきだった。
「俺様たちのアジトに忍び込もうなんて、とんだバカがいたもんだぜ」
「どうしたんですぁ? アニキ」
「このネズミ野郎が忍び込んでやがった」
「けっ、小汚ぇ野郎じゃねぇですか」
ここはどうやら悪党どものアジトとして使われていたようである。
普通の集合住宅がそんなものとして使われるなど、相当治安の悪化が進んでしまったようである。
ラインガルドは咄嗟に近くにあった蝋燭の燭台を握りしめ、魔力を込めた。
闇魔法"構成変換"―――材質の骨子を組み替えて、形状を変える魔法だ。メドナ・ローレンから教わったこの技は、楽器をそのまま武器に変えて扱うことができる。ランクが低いと棒状のものを槍に変える程度しかできないが、ラインガルドはランクBだ。元から鋭利な燭台であれば、ダガーナイフに換えることなど造作もない事だ。
「お……? 生意気な野郎だな」
―――ガツン、と衝撃が腕に走る。ゴロツキの握り拳が腕に振り下ろされ、ラインガルドはそのダガーナイフを落とした。
「あっ……ぐ………」
そして痺れるその細い腕を引っ張り上げられ、ラインガルドは宙吊りにされた。
「テメェ、まだガキか? 俺様はガキだからって容赦しねぇぞ」
「ぐぁぁ!!」
ぎりぎりと、ゴロツキは握力を込めた。
そのまま右腕がへし折られそうになる。
「あぁん?! どうだ、オラ! 腕一本で済むと思うんじゃねぇぞッ!!」
「………サタンよ……我が僕を遣わせ……」
だがラインガルドは諦めずに闇魔法を詠唱した。
彼の唯一の相棒、召喚獣ブラックドッグだ。黒い魔力が結晶化した犬である。それを背後に出現させると、ゴロツキの後ろから骨をかみ砕くように指先で指示した。
―――ギャイン!
だがその直後、ブラックドッグの悲鳴が部屋に鳴り響いた。
背後を見ると、他の悪党の一味が鈍器でブラックドッグを叩きつけている。普通であれば警戒するはずの異形の犬を躊躇なく叩くあたり、悪党という輩は肝っ玉が据わっている。
「ふっへっへ、アニキぃ、こいつ面白ェことしやがりますぜ」
「みてぇだな……おうおう、ちょっとその面見せな」
ゴロツキはラインガルドの腕を引っ張り上げて宙吊りにしたまま、もう片方の手でその顎と頬を掴み、長く伸びきった髪を左右に振ってラインガルドの顔を曝け出した。
「小汚ェが、なかなか好色な奴らが喜びそうな顔してんじゃねぇか」
ゴロツキは下卑た笑みを浮かべる。背後の下っ端たちもニヤニヤと気持ち悪い笑いを浮かべて、遠巻きから様子を見守っていた。
「ボス、金になるかもしれねぇですか?」
「あぁ、こいつは売り飛ばせばけっこう高値でいける」
ラインガルドも数多くの犯罪に手を染めてきた男だ。
この会話の意図は分かる。好色な奴らへの人身売買―――要するに傾倒した性趣味をもった奴らの慰み者として売り飛ばすってことだ。それは屈辱的な事であると同時に、今後のラインガルドの未来を失うという事でもある。
奴隷制というものが存在しないこの国では、人の売り買いは、どうしても裏の世界の住人の仕事となっていた。このゴロツキ達はそういう世界にも手を染めているらしい。
そんな憐れな未来だけは何ととしてでも避けたい。
「……うぁう!! あぁぁうう!!」
無様に犬のように吠え、その巨躯を蹴りつけた。
だが痩せ細ったラインガルドの体では、その大柄な男にまったくダメージを与えられない。
「おっと。ふっへっへ……良かったなぁ。ドブネズミよりかは価値のある生活を送らせてやるよ」
その暴力的な言葉の直後、強力なブローがラインガルドの顔面にぶち当たり、ラインガルドは意識を失った。意識を失う直前にこんな言葉が聞こえてきた。
「へへっ、楽しい未来だよなぁ?」
楽しい未来……楽しい未来……。
そんなものは生まれてこの方、思い描いた事などない。
○
目を覚ましたが、視界は暗いままだった。どうやら布できつく視界を塞がれ、手足が縛られていた。そして猿轡も噛まされているようだとラインガルドは気づいた。
もうどこかの変態へ売り飛ばされるのかと不安になったが、それほど長い時間眠りについていた覚えはない。寝ていたとしてもおそらく一晩程度だろうとラインガルドは考えている。
「よぉ、お目覚めか、ドブネズミ」
気絶させたゴロツキの声が耳に届いた。暗い視界の中でその声だけが聞こえてくる。反響から察するに、まだ集合住宅の一室にいるようである。
抵抗の余力がないことは本人も、そのゴロツキも分かっていただろう。だがラインガルドは抵抗せずにはいられなかった。何としてでも悲惨な未来は回避したい。
「ふー………ふー………」
「まぁまぁまぁ、そう興奮しなさんなって」
ラインガルドの抵抗も、まるで動物を扱うかのように宥められた。
「テメェをどこぞの変態貴族様に売っ払うのは簡単だ」
「――ぅぐっ! が……ぁ………」
「どうどう。だが俺たちが興味わいたのは、テメェのその魔法だ。ほら」
ゴロツキはラインガルドの猿轡を乱暴に外し、喋れるように解放した。
それと共に咳き込むラインガルド。
ラインガルドが得意とするのは闇魔法。
その中でも"使役"が主になる召喚魔法だ。昨晩の争いで悪党どもが目をつけたのは、そのラインガルドの変わった能力だった。売り飛ばしてしまうよりも、裏の仕事を手伝わせた方が役に立つかもしれない。
そう考えたのである。
「……僕の魔法……だと………?」
ラインガルドはその言葉に、自分でも驚くほどに明るい声を上げた。
彼は単純に嬉しかったのだ。これまで貶められ続けた人生で、初めて自分の魔法を認められたと感じる瞬間だったのである。皮肉にも、こんな薄汚い部屋の一室で、ゴロツキに言われた言葉が、その初めてなのだった。
「そうともよ。火や水を放つ奴なんて山ほどいる。俺だってマッチ1本分の火くらいは点けられるぜ? だがあんな動物を生み出す魔法は初めて見た。そんじょそこらにはいねぇ特別な才能ってやつだ」
「くっ……くーっはっは……」
ラインガルドは咳き込むように嗤笑すると、そのゴロツキに痰を吐きつけた。
「おい、テメェ……気でも狂ってんのか?」
「ゲッハ……ハッ………あんなものじゃぁない……僕の魔法は……ハァハァ……」
その嗤笑はブラックドッグ如きで感嘆しているゴロツキに向けてのものである。ならばブラックオクトパス、さらにはもっと異形の魔物を召喚したらどういう反応を見せるのか。ラインガルドはその、程度の低さが可笑しくて堪らなかった。
ゴロツキは器を見測られたようで癪に障ったものの、ただ吠え散らすだけがボスの務めじゃない事は重々承知していた。その怒りをぐっと飲みこみ、挑発するようにラインガルドに告げる。
「ほぉ、そうかよ。じゃあ、一体どんな魔法が使えるってんだ?」
「クックックッ……黒い魔法なら何だってさ」
"黒い魔法"―――その界隈で使われる隠語だ。
"黒"とは即ち闇魔法に留まらない。火魔法だろうが氷魔法だろうが、それを使うには、並の道徳心があれば憚れるような魔法すべてのことを指す。健全な魔法教育の中では知り得る事のない裏の魔法だ。
「………へぇ、気に入った。お前、俺たちの組織に加わらねェか? 仲間になれば闇市に売り飛ばさずにしてやる。だが仕事をこなせ。お前の変わった魔法を使ってな」
「………」
その提案には、選択肢が無い事などラインガルドも理解していた。元からモラルに反した生き方をしてきた。ここでこの連中の仲間に加わって一度、世間から身を隠してもいい。
ラインガルドはそう考え、その男と握手を交わした。
「テメェ、名前は? 俺はウーゴ。盤石のウーゴだ。この界隈ではそう呼ばれている」
「ラインガルド……」
「ラインガルドか。俺のことはこれからボスと呼べ。組織のことは面倒くせぇからいちいち教えねぇ。体で覚えろ」
盤石―――確かに蹴っても動じない岩みたいな男だ。
ラインガルドはそう納得してそのゴツゴツした手を握りしめた。
○
それからラインガルドは裏組織"アルカナ・オルクス"の一員となった。
"裏の暴漢たち"という意味らしいが名前の由来などどうでもいい。
仕事というのもそんなに大したものではなかった。
これまでラインガルド自身が行ってきた侵略行為の延長線だ。闇市に繋がってるアルカナ・オルクスは誘拐業を主にしている。オーナーの注文通りの種族に目をつけて、女子供を掻っ攫う。極めて暴力的で非効率な事をやっていた。
さらにくだらない事にメンバーたちは誘拐で稼いだ金で、酒や女を買い込み、惰性に溺れるだけだった。だがウーゴの存在が大きいのか、統率はしっかり取れている。
仕事はしっかりやり、獲れた商品には手をつけない。
だがラインガルドが所属して間もない頃、メンバーの一員が標的のエルフの女を掻っ攫った後、無理やり強姦に奔ろうとした。しかし、その行為に及ぼうとしたメンバーを目撃したウーゴは躊躇せずに殴りつけた。
ラインガルドは不思議に思ってウーゴに「なんでボスも加わってヤっちまわないんだ」と聞いた事がある。この組織の屑どもはだいたいそういう現場を目撃すると、後の祭りだとばかりに共闘して、苦労して拉致した商品を台無しにしてしまうのだ。だから同じ世界の住人であるウーゴのその反応に違和感を覚えるのも無理はない。それに対するウーゴの反応は「商品に傷がついたら売れねぇだろう。全員が迷惑すんだよ」と、しれっと言ってのけた。大きな組織を動かすボスには、こういう自律心も必要なんだろうと学んだのだった。
最初の頃はラインガルドは見張りとは名ばかりの番犬役をさせられた。
誘拐・拉致の最中に標的が逃げ出さないように、そして街の警衛役である近衛隊に目撃されないように。その役割は「光の雫演奏楽団」にいた頃と、やっている事は何ら変わりなかった。
ある時、ボスに呼び出されたラインガルドは初めてウーゴと遭遇して戦い合った部屋に訪れた。
「ラインガルド……おめェ、なかなか仕事が板についてきたんじゃねぇのか?」
「さぁ、僕の知った事じゃない。もともと手慣れたことだ」
彼は金回りがよくなって栄養もしっかり取れている。皮肉にも、ラインガルドはこの裏組織に所属してようやく正常な頭の回転に戻ったのである。それは迷宮都市に居た頃の狂人のそれとはまた別だ。正気に戻ったと言っても良いほどに活き活きとしていた。
「へっ、相変わらず生意気な野郎だ――まぁいい。今日はそんなラインガルドにちょっとレベルアップした仕事を任せてみようと思ってんだ」
「そうか。どんな仕事だ?」
「ありがたく聞けよ。下っ端にはシークレットな仕事ってのもあるんだぜぇ? 口の軽い奴らにゃ、ぜってーに漏らすんじゃねぇ」
勿体ぶったウーゴの口ぶりに、ラインガルドは苛々し始めていた。
シークレットだろうがそうじゃなかろうが、別段話すつもりなんかない。むしろここの連中はどうしてそうもお喋り好きなんだというくらいペラペラ喋る。常日頃からそう感じていたラインガルドにとって、そこは聞き流す程度の忠告だった。
「おめェも魔術に精通してんなら聞いたことくらいあんだろう? オルドリッジの名前くらい」
その名に、ラインガルドは身震いした。
オルドリッジ……。
魔術師貴族オルドリッジ……。
その名を何度も何度も恨み抜いて生きてきた。
ラインガルド自身も、その氏はオルドリッジに帰属する。だがそれだけは絶対に否定したいと思っている。憎い存在と同じ姓など、誰に頼まれても名乗りたくないと考えていた。
「それが………どうかしたのか?」
ラインガルドは努めて冷静に振る舞った。
「これを見ろ」
乱暴に投げつけられた紙を拾う。
それは冒険者ギルドなどでよく見かけるクエスト依頼書だった。そこにはメルペック教会のオージアス・スキルワードの名で、奏者募集の知らせが掲示されていた。
彼はその依頼を詳細に読み込んだ。
来週の週末にオルドリッジ本家屋敷にて、長男イザイア・オルドリッジ・ジュニアの魔法大学の卒業記念式典と誕生日パーティーを併せた盛大な会を催すという事だった。そこに"メルペック教会直属の演奏隊"が駆り出されるそうだが、奏者が不足しているためそれを募集するという趣旨だった。
「オージアス・スキルワード……」
ラインガルドはその名前を知っていた。
かつて光の雫演奏楽団に所属していた頃、楽園シアンズの建設資金を提供し、さらには監禁した子どもたちへ洗脳教育を手伝ってくれた初老の男である。
そしてその依頼書にある"演奏隊"という単語が気になった。
オージアスに、演奏隊。
その組み合わせは昔の事を彷彿とさせた。
「おめェの仕事はそのパーティーを荒らして、オルドリッジの使用人たちと金品を掻っ攫うことよ」
「なに……? 結局は拉致か」
「おうよ。貴族の使用人たちは調教がしっかりしてる。手間がかからねぇから売れやすい」
「貴族本人を誘拐すれば身代金で莫大な金が取れるんじゃないのか?」
「………」
ラインガルドは思ったことを躊躇いなく告げた。その問いに、ウーゴも一瞬固まった。
「………それもそうだな。ちくしょう、なかなか冴えてんじゃねぇか、ラインガルド」
ウーゴは悔しそうに肩肘ついて歯軋りした。
しかしそれも束の間の事で、即座に居直し、再度口を開いた。
「あぁいや、それはダメだ。身代金の要求は足が付きやすいからな。ハードルがたけェ」
「僕の闇魔法なら問題ない」
「テメェの魔法を疑ってるわけじゃねぇが……デカいヤマ張るときはそれなりの覚悟ってもんが必要なんだよ。アルカナ・オルクスがここまで安定してんのは慎重にやってきたっつーのもある」
「そうか……」
だがラインガルドとしてはこれを契機に、どうしても貴族本人に害を齎したかった。
即ち、オルドリッジ家に対する復讐である。
「どうだ、いけんのか? 今回は相手の縄張りだからな。けっこうリスキーだぜ?」
この窃盗は、今までのように組織的に動けるものではない。街中で縄張りを張ってそこに標的を誘導し、彷徨ったところを拉致というのが組織のやり口だった。だが、大人数の悪党でこんな貴族の屋敷に押し寄せるわけにはいかない。護衛や警備兵も大量に引き連れているだろう。だから今回の仕事に関しては、ラインガルド単独でやれと、そういう意味のようだ。
「お前みたいに器用な魔法を使えりゃ一発デカい儲けが出そうだと思ってな」
「もちろんやる」
ラインガルドは、ウーゴの言葉に間髪入れずに返事をした。
ウーゴはこの男の事が気に入っていた。他の悪党たちと違って組織というものを理解している。魔術師としての能力も申し分なければ頭の回転も速い。
「まぁ単独だから無理はすんなよ。最悪、金になるものさえ獲れりゃなんだって――」
「僕なら大丈夫だ」
盤石のウーゴにしては珍しく労りの言葉が出かけたのだが、それすら遮られた。ラインガルドは既にウーゴの事など見えていなかった。彼の頭は既に別の事で満たされていた。
「……へへっ、任せたぜ。テメェのことは信頼してる」
下卑た笑い声を発するウーゴ以上に、ラインガルドはこれまで見せたこともないような邪悪な笑みを浮かべていた。その笑いに込められたもの、それはオルドリッジ家への復讐である。
この貴族連中の鼻をどう明かしてやろうか。
どう屈辱を味あわせようか。
そんな妄想で満たされていた。
ラインガルドはこの時、初めて未来が明るく照らされたような気がした。
―――楽しい未来だよなぁ?
ウーゴに気絶させられた時に聞いたその言葉を思い出す。
まったくその通りだった。
ラインガルドはこの時初めて、"復讐"は楽しい事なんだと自覚した。
その自覚は時間が経てば経つほど、ラインガルドの心の奥底にまで浸透し、すんなり落ちてきた。それが徐々に心を汚染し、次第にこのチャンスは、神が仕組んだ運命のようにも感じていた。
復讐する。
イザイア・オルドリッジに……。
悲運を掴ませたあの暴君に……。




