Episode89 魔法学校の七不思議Ⅲ
玄関ホールで寝ているパトリックくんを叩き起こした。
起きるや否や、辺りを見渡して何が起こったか思案してる様子。
「パトリックくんは恐怖で気絶していたみたいだ」
「えっ……全然覚えてないです」
「大丈夫、いろいろ解決したから」
「そうなんですかっ! じゃあもう帰りましょう!」
ささっと立ち上がり、裾を払って居直すパトリックくん。
清々したような顔つきだ。
解放されて嬉しいという顔つきである。
だがまだ付き合ってもらう。
「最後に図書館についてきてもらおうか」
「なんでですかっ」
「まだこれが残されてる!」
俺は七不思議メモをパトリックくんの前に差し出し、指差した。
=【バーウィッチ魔法学校の七不思議】=====
………
《6》真夜中の図書館に現れる黒い幽霊
図書館の2階の書庫の奥に厳重な金庫がある。
その金庫を暴こうとすると、黒い幽霊が出てきて殺される。
《7》神隠し
他6つの秘密を知った人間は神隠しに遭う。
=======================
《6》の部分。
「真夜中の図書館」だ。
「ここまで来たからには最後まで気になるだろう」
「気になりませんし、もう帰りたいです」
「パトリックくんには知る権利があるっ!」
「拒否する権利もありますよねっ?!」
頑なだったが、パトリックくんも帰り道が怖いみたいで渋々ついてきてくれることになった。
ちなみに俺は図書館に一回しか行ったことがない。
こないだこの国の戦士事情を調べただけだ。
それだけで黒い幽霊の噂なんて立てられるとも思えない。
ということは六番目の七不思議に関しては俺とは関係ないはずだ。
○
大図書館は丸々別棟になっていて、2階建の建物だ。校庭を挟んで第一校舎とは反対側にある。暗くて広い空間を歩いていると自分が何者なのかわからなくなってしまいそうだ。
月明かりを頼りに歩いた。
「お兄ちゃん……怖いよぉ……」
七不思議に慣れてきたリナリーもさすがにこの暗闇を歩くと恐怖心が戻るみたいだ。
「お、おぉおお兄ざん! ご、ごわいでずぅ゛ぅ゛!」
その5歳児のさらに後ろを、泣きじゃくりながら内股でよたよた歩く8歳児がいた。パトリックくん、キミはもう少し男になろう。
…
扉は重く閉ざされていた。
鍵がかかっている。
この街の貴重な資料が保管されているんだから当然だ。
「……そうか、日が暮れると施錠されて入れないのか」
「カギは~?」
「……ない」
「えーっ」
目を丸々見開くリナリー。
ここまで連れてきておいて信じられないって言いたげだ。
……しまった、昼間は普通に入れたから鍵のことすっかり忘れてた。
夜中に盗っ人でも入って本盗られたら大変な事だろうし、施錠は当然と言えば当然だ。本そのものが貴重だし、魔法学校の図書館はバーウィッチ一帯の歴史や魔法の資料を保管している。そもそもここの鍵はそんな気軽に貸し出してはくれないだろう。
「お、お兄さん……それならもう帰りましょう……六つ目のも単なる噂ですよ、噂」
パトリックくんは肩を震わせて涙目でこっちを見ていた。
「……そうだな。ここまで付きあわせて悪かった。俺たちも帰ろうか」
「えー、帰るのー……」
リナリーだけは不満そう。
その反面、パトリックくんはガッツポーズをしている。
「まぁほとんどは人の仕業だったわけだし、怖がる必要はないってことだ」
「で、ですよね~! いや~、さすがはリナリーちゃんのお兄さん」
明らかにおべんちゃら使われてるのが分かるけど、彼にも色々と苦労をかけてしまったから、調子を合わせて労いの言葉くらいかけてあげないと可哀想だな。
「パトリックくんもこんな所まで付いてこれたんだ。なかなか度胸ある」
「えぇ~、それほどでもないですよぉ~」
本人は体を捩らせて満更でもない様子だった。そんなやりとりの中、俺たちが踵を返して暗がりの校庭を歩き出した所だった。
"―――まだ帰るには早いよ……さぁ、おいで……"
後方から声が響いた。
その声はどこかで聞いたことのある声だ。
「なんだって?」
「……?」
「どうしたんですか、お兄さん?」
俺は後ろを歩くリナリーとパトリックくんの方へ振り返った。
「今なんか声がしなかったか?」
「ぎょぇええ!! や、やややめてくださいよお兄さんっ!」
「リナリーはどうだ?」
「きこえなかったよっ」
「そうか……」
今の声。
聞いたことがある。
俺は少し黙って考え込んでいた。
その直後。
しばしの沈黙の後、―――何かの力が俺の身体を強く引っ張った。
「ん?!」
体が引っ張られる。
まるで図書館に引き込まれるかのようだった。
気づくと、俺の身体には真っ黒い魔力の渦が取り巻いていた。
これは新手の魔法かっ!
黒ってことは闇魔法の何かか?
右腕も完全に捕縛されて身動きがとれない。
無効能力が使えない。
「うぐぐ……」
「お兄ちゃんっ!」
「ぎゃぁあああ!! リナリーちゃんのお兄さんがっ! リナリーちゃんのお兄さんがっ!!」
その場でなんとか踏みとどまろうと頑張ったが、その引力はあまりに強すぎた。体ごと吸い込まれるように、図書館へとぐいぐい引きずられていった。いよいよ踏みとどまることもできず、体は見事に浮き上がり、図書館の正面扉に体が激突しかけた。
「………っ!」
それと同時に、さっきまで固く閉ざされていた扉が豪快に開く。
勢いよく。
最初から鍵など掛かっていなかったかのように。
「わっ」
宙に浮かんだ体は上下左右めちゃくちゃに反転し、空が下に、地面が上に。視界はぐるぐると目まぐるしく反転し続けた。
「おおお」
間の抜けた声をあげて、俺は図書館の扉に飲みこまれた。
その先は完全な闇。
古ぼけた紙の臭いだけが強烈に鼻をついてきた。
◆
漆黒。
漆黒とはこういう事を言うのか。
何もない空間。
地に足をついているのかどうかさえ分からない。
ある種、宙に浮いているかのような感覚だ。俺は確か魔法学校の七不思議を検証している最中に図書館に飲みこまれたんだった。
ということは此処は図書館か?
でもいい加減に目が慣れていい頃合いだというのに、まったく図書館らしい光景は広がってこない。
いつまでも黒い光景が続くだけだ。勇気を出して前に踏み出してみたが、何の障害物があるようにも感じられない。本棚があるわけでも、読書テーブルがあるわけでもない。
本当に何もない。
「おーい」
声を出しても反響することもない。
少し歩いてみる。
闇。闇。延々と続く闇。
俺はもしかして危ない領域に足を踏み入れてしまったんじゃないか。
不安になってきた。
まさかこれが《7》神隠し?
他6つの秘密を知った人間は神隠しに遭うと書かれていた。
俺が七不思議の秘密を暴いていったから、こんな目に遭ったとでも。
いろいろと思考を巡らせているその隙をつくように。
「――――」
背後に突然、気配が漂った。
「ジャックくん」
背後の気配は、確かにその名を口にした。
懐かしきあの声で。
「元気そうで何よりだよ」
俺は咄嗟に振り返った。
その違和感は当然のこと。
決して二度と再会できるはずのない人がそこにいるのだ。
「メ………」
今までその闇に溶け込んでいたように、その人の輪郭は浮彫りになる。
漆黒のドレス姿だ。
黒いフェザーハットを被り、徐々に白くて長い髪が顕わになる。
赤い瞳が俺を真っ直ぐ捉えていた。
「メドナ……さん……!」
当時と何も変わらないその姿。
混乱する俺とは相反して、落ち着き払った彼女。
何が起こったのか分からない。
確かにこの人は俺が殺してしまった人だ。
大切な人だったけれど、目指すべきものが違い過ぎた。
激化する闘いの中で、複製剣であのとき確かに突き刺した。
こうした再会で考えられる事といえば―――。
「俺は……死んだのか……」
「ふふ、まぁ、そう思うよね」
口に手を添えてお上品に笑うその仕草。その柔らかい声音は、殺し合った仲にしてはだいぶ親しみやすい声音だ。
「大丈夫だよ、キミはまだ死んでない」
「……じゃあ、これは俺の幻覚か何かですか?」
「それも違うね……はは、そうだとしたら幻覚相手に幻覚ですかって聞くのもおかしくないかな?」
「あ……」
言われて恥ずかしくなる。
俺は一体誰と対話しているのか、まずそこが大事だ。
「本当に、メドナさんなんですか?」
「そうだよ。キミの言うメドナが生身じゃなくてもいいというならね」
「……生身じゃない」
メドナさんは死んでる。
ここで話してる相手がメドナさんだとしたら、それは幽霊ということだ。
図書館の黒い幽霊……?
「私はキミに殺されたからね」
「………」
死人に口なし。
だがこうして会話している相手は既に死人だ。一つ救いなのは、こうして殺した相手がそんなに怨恨を残しているような印象がないところだ。
しかし、いったい何が起こって、こんなことが……。
「混乱してるみたいだから説明するよ」
「……お願いします」
「相変わらず素直でいい子だね」
不意打ちで褒められて、思わず頬が赤くなる。
当時もメドナさんには手駒にされていた気がする。
こういう悪戯っぽいところに弱い。
「まず、そうだね。ここは黒の魔導書――私とキミは、とある魔導書の中にいる」
魔導書の……中?
「魔導書とは名ばかりさ。その実、冥府へと至る門。あの世とこの世の中間……架け橋のようなものかな」
「なんでメドナさんがそんなところに?」
俺の素朴な疑問に対して、メドナさんは面食らったようだ。
そしてすぐに、静かに笑い始めた。
「何か可笑しいですか?」
「ふふふ、失礼。やっぱりキミは変わらないなと思って。普通だったら自分が何でここにいるのか、ここに居続けると死んじゃうんじゃないか、そんな事を聞くもんじゃないかな?」
「そうですか?」
「相変わらず、キミは怖ろしいほどに自分が見えていない。それはキミの長所であって、短所でもある。大切にするべき個性だよ」
この問答。
懐かしい気がする。
メドナさんは相手に考えさせる事を言う。それはたまに大事なことに気づかされたり、考えても考えても理解できないことだったり。でも根底にあるのは正しい答えだった。大切にしろと言われたら、大切にするべきなんだとすんなり受け入れられる。
「まぁいい。私は数多の死者の中でも特殊だからね。元々は虚妄の世界を浄化するために生まれた聖女だ。―――といっても、最期は不浄に負けて堕ちぶれた魔女になった」
聞いた話だ。
フリーデンヒェンという小国で生まれたメドナさんは聖女として讃えられた。その歌声に癒しの力があり、世界を平和にする魔法の力があった。
「そんな私は、あの世でも特等席にいるらしい。こうして比較的自由に動いて、娑婆との境界であるこの魔導書までは顔を出せる」
「すみません、よく分からないです……」
「ははは、そうだよね。まぁ私がここにいる理由は深く考えなくていいよ。強いて言うなら、ジャックくんの気配を感じたから久しぶりに会いたくなった、ってところかな」
最後の言葉にドキっとする。
生前と同じだ。
悪戯っぽく思わせぶりな事を言って、俺の反応を伺う。
ある程度の年になってからやられると余計に破壊力がある。
「それで、キミをここに引き摺りこんだのも私さ」
「そうだったんですか……って、さっき図書館の中に引っ張ったのもメドナさんの仕業ですか?」
「そうさ、それだけキミに会いたかったの」
「……からかうのはやめてください。あ、いや……それとも恨み言ですか?」
俺は少し不安になった。
殺し殺されの間柄が久しぶりに出くわした時、何を思うか。
そんなものなんてただ一つ。
復讐だ。
俺がメドナさんを殺したのは不本意な事だ。
本当は殺したくなんてなかった。でもそんな後悔があろうがなかろうが、やられた側には関係のない話なんだろう。俺はメドナさんの顔色を窺いながら質問した。
「あの時の事は気にしないでいいよ」
でも彼女はあまりにもあっけらかんとしていた。
「でも……俺は……」
「私の命を奪ったこと、後悔してるのかな?」
「もちろん、後悔してます。メドナさんが生きていればもっといろんな事を……」
「ふふふ、嬉しい。私はジャックくんが私の事を想い続けてくれるだけで満足さ」
そんなものなのか?
メドナさんからは生への執着心を感じない。
それは生きていた時からそうだったけど。
死んでしまったならそれで仕方ない。
そんな印象だ。
「こほん、それでだけど……この魔導書は今、魔法学校の図書館に保管されている」
図書館の扉に吸い込まれて、気づいたらここにいたっていう理由も辻褄が合う。だけど、普段、学校の生徒が使うような図書館にそんなあの世に繋がる本が保管されているなんて物騒な話でもある。
「なんでそんな危ない代物が?」
「ガウェイン・アルバーティが魔法大学から盗んだんだ」
「ガウェイン先生が?!」
「そうとも。だけどそのおかげでキミとこうして再会することが出来たんだから彼を咎める必要はないと思うけどね。それよりも大事なのはこれからの事さ」
「これからの事……ですか?」
「そう。死ぬと色んな事が分かるみたいでね。殺し合った誼で、少し提案したい事があるよ」
それは"信じるな"と言ってるようにも聞こえるんですが……。
でもメドナさんからは親しみの念しか感じない。怪しいとも思えない。その命を奪った罪滅ぼしとして罠にかかって死んでもいいやくらいの気持ちでもある。
「どんな事ですか?」
「まず、キミはこのグリモワールを出て、図書館に戻る同時に"図書館の黒い幽霊"に出くわすことになる」
「え?! 黒い幽霊ってメドナさんの事じゃないんですか?!」
俺の反応が不躾に感じられたのか、メドナさんは眉間に皺を寄せて、拗ねたような顔で俺を見た。その子どもっぽい仕草は珍しくも、可愛らしかった。
「酷いなぁ……私だって白い部分があるでしょう? この髪とか気に入ってるんだから」
メドナさんはそう文句を垂れながら後ろ髪を手前に持ってきて、砂をこぼすようにサラサラと髪をなぞった。そんな事言われても、髪と肌以外はモノクロ調のように真っ黒だからな……。
学校の七不思議の黒い幽霊がメドナさんと勘違いしても仕方ない。
「まぁいいけど。その黒い幽霊に魔導書を明け渡してほしいんだ」
「……?」
「不安かい? 変だと思うかもね。でも将来のキミを助けるためだ」
「将来の俺を?」
「そうさ。ここに保管され続けるよりも一度"敵"の手に渡った方が都合が良いこともある」
「敵……?!」
敵という物騒なフレーズを聞いて俺は思いの他、警戒した。
なぜなら、もう明確な"敵"と思える相手はいない。
光の雫演奏楽団や魔術ギルドといった、明確な敵対関係はいないんだ。
そういう存在がまた現われるのかと思うと、嫌気が差した。
「あぁ、ちょっと口が過ぎたかな。今のは気にしないで。……これまでのキミの経験上、敵っていうのは明確な存在だったかもしれない。でも今回のはちょっと難しい相手だから、敵という表現も正しくはない―――バタフライエフェクトという言葉を聞いたことがあるかな? それが今回のキミの敵さ。運命や宿命、複雑系、予定調和、ある意味"神"のような存在が今回の敵。そういうのを相手にするときは、運を捻じ曲げる私みたいな死人の手助けが必要になるのさ」
メドナさんは難しい事を言いながら、遠い目をしていた。
こういう時のメドナさんは本音を語っている事が多い。
決して俺を騙そうとしている様子ではない。
俺は自分の直感と、そして何よりメドナさんの事を信じることにした。
「わかりました」
「ふふふ、ありがとう。ジャックくんの事は、私が絶対に守ってあげるよ」
妖艶な笑みを浮かべるメドナさん。そのときの印象は、まるで悪魔と契約を結んでしまったかのような悪い印象だったが、それでも俺は素直にその約束を守る事に決めた。
「さて、そろそろ時間だ」
「え、もうですか……もっといろんな話がしたいです」
「寂しいけど仕方ない。ま、私にはいつでも会いに来れるよ。死ぬほど私に会いたいって言うならね」
「ブラックジョークにも程がありますよ……」
「ははは、ジョークが分かる年頃になったんだね」
俺だって迷宮都市の野蛮な連中と会話し続けてきた。
そんなジョークくらい軽く流せる。
つまり私に会いたいなら死ねばいいって事だろう。
「そうだ、最後にもう1つ」
「……?」
「敵という言葉を聞いて警戒しているかもしれないから、忠告だよ」
「なんですか?」
「……キミは、これまで会った多くの人たちと"予想もしない形で"再会することになる。それは今夜こうして私と会えたみたいにね」
「これまで会った多くの人たち……」
誰のことを言っているか分からない。
でも屋敷を追い出されてから色んな人と巡り合ってきた。
「その人たちの事、寛容な気持ちで受け入れてあげて。キミを赦した私みたいにね」
その言葉は、どこか深々と俺の心の奥底に突き刺さった。
恨み辛みのある人なんて山ほどいる。偶然ばったり再会すれば、どういう気持ちが湧いてくるかも分からない。オルドリッジの屋敷の人間たちがそうだ。
「いいね、激昂したらキミの負けだ」
それだけ言い残すと、メドナさんは次第に闇に溶け込むように下がっていった。徐々に黒い姿が暗黒と同化して、輪郭が朧げになる。
「………グレイスによろしく」
メドナさんは、消え去る直前にそんな言葉を遺していった。
途中まで名前は伏せていたが、どうしても言いたかったのかもしれない。
直にグレイスさんとも再会するってことか。
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