◆ 静かな殺意
初老の男性が、書斎で資料をまとめていた。
魔法大学で様々な分野を極めた魔術師ガウェイン・アルバーティである。
ここは彼の運営する魔法学校の敷地にある自室。
云わば、校長室である。
「……ふむ、アリア・フリーか」
今、最近入学してきたばかりの女子生徒の通信簿に目を通していた。
彼は昔から責任感が強い男だった。若かりし頃はその責任感ゆえに、魔術ギルド、魔法大学でさまざまな派閥と揉めた。
貶められたアルバーティは、魔法大学でも「古典魔術・民俗学研究室」の椅子しか与えられなかった。本来、優秀な魔術師であれば、魔法を直に研究する組織に優待されても良いものだ。
だが敵を作りやすい彼の性格では、その座に登り詰めるまでの"ごますり"が足りなかったのである。
それでも彼はそこの教授としての職務を真っ当し、人類史に大きく貢献する発見をいくつも重ねた。
聖典"アーカーシャの系譜"の発見がその代表的なものである。
しかしそういった功績をよく思わない派閥がいくつもあった。
そんな派閥争いや腐った組織に嫌気が差し、アルバーティはこうして地方へと逃れ、子どもへの教育に力を入れている。
彼が今感じている苦悩は、そういった子どもたちの才能一つ一つが、現実では無下に扱われているという事実である。
この魔法至上主義の社会では個々の魔力がその子の将来を決定しうる要因だといっても過言ではない。幼少期に調べられた魔力、それ以外の能力によってエリートの道を進むのか、あるいは不幸な境遇に陥るかの優劣が決まってしまう。
その原因が、簡易魔力能力測定器―――マナグラムの普及にある。
マナグラムは、転移や重力と並んだ新規魔法の一つである"鑑定魔法"の力が付与された魔道具だ。
鑑定魔法とは非常に特殊な力だった。
外界へと働きかける超自然的な力が、本来、魔法と定義されるものである。基本5属性の魔法も、封印魔法も、転移魔法も、重力魔法も。
しかし、鑑定魔法は真逆である。
外界へ働きかけるのではなく、外界から得る情報量を最大限に高める"強化魔法"の類に近い。
それ故、その魔法が提唱された当時は一躍注目を浴びた。
そして、この世の基準を創り上げてしまった。
―――優れた魔力を有すれば良し、乏しい魔力とあらば悪し。
アルバーティはそんな世界に疑問を感じている
鑑定魔法にも限界があるのではないか、という事を考えている。
魔法学校に通う子どもたちの様子を見ていてもそうだ。
先日入学したリナリーも、マナグラムで鑑定される魔力は並以下である。
だが実際は准神級魔法を放ち、それを自在に操る秘めた能力を持っていた。
あるいは、これまでもそういう子どもがいた可能性がある。
魔力ゼロと測定されても、目覚ましい潜在能力を持ち得た子どもがいた可能性はないだろうか。
それは人類魔術史における最悪の衰退を意味している。
魔術師として使命を受けた以上、その悪循環を正していかなければならない。アルバーティはその責任感からか、近々、魔術ギルドや魔法大学へ直談判をしようと考えていた。
しかし地方に逃げたアルバーティでは、力が弱すぎる。
せめて名のある魔術師の力を借りることが出来れば―――。
…
「ふぅ……」
生徒たちの通信簿を見返し終わったアルバーティ校長は、窓を開けて部屋の換気をすることにした。
入口の扉を少し開けるだけで、秋の夜風が吹き抜けていく。
彼も老いたものである。
かつては息子のドウェイン同様、一晩中部屋に引き籠って研究に明け暮れても疲れなど微塵も感じなかった。魔術を究める時間はあっという間に過ぎた頃が懐かしい。
現に、息子のドウェイン・アルバーティは今もこの校舎の実習室で怪しい魔法に着手している。
彼の研究対象は闇魔法だ。
昔はすべての魔法を網羅的に扱う魔術師が優れていると言われた時代だった。今では専門を究めたものがより優れているというのが時代の潮流のようだ。
窓から校庭を見下ろした。
ここは校舎最上階の3階の校長室だ。
高いところに位置するため、ここからは校庭や実習棟、修練棟や大図書館などすべてが映る。
「うむ……? なにか……」
ガウェイン・アルバーティはその違和感に気づいた。
物事の理を見極める心眼スキルを持つ彼の眼は、決して衰えてなどいなかった。
闇夜に紛れるその黒い魔力。
それを纏った何かが揺らめいていた。
大図書館の屋根の上だ。
―――その黒い陽炎は、静かな闇夜に紛れる殺意だ。
彼はその存在を確認するや否や、慌ててその異変を排除しにいくことにした。外套を羽織り、戸締りもおざなりなまま、部屋を飛び出た。
ガウェイン・アルバーティが慌てる理由はただ一つ。
大図書館には、教会が封印指定とする聖遺物が厳重に保管されているからだった。
○
その殺意を察知したのは、ガウェイン・アルバーティだけではなかった。
息子のドウェインには魔力探知スキルがある。
ショートスリーパーであるドウェインは、夜間は実習棟で闇魔法の研究をしながら、そのスキルを常に作動しておくことで魔法学校の警備の役目も担っていた。
地方の魔法学校といえど、貴重な資料や魔道具が保管されているこの学校を付け狙う盗賊は多い。
最も質が悪いのは、魔術師が付け狙う場合である。
真っ当な教育を受けずに育った野蛮な魔術師は見境がない。
冒険者パーティーでの失態の腹いせに学校を襲ったり、魔法の向上のために図書館を荒らして奪い去ったりと、酷いことをしてくれるのだ。
ドウェインはすぐに図書館へと駆けつけた。
今回の盗賊は明らかに図書館を狙っている。
しかも、端から隠すつもりがないのか、あるいは隠そうとしても漏れてしまうのか、強力な黒い魔力を惜しみなく撒き散らしている。
実習棟から校庭へと出て、その校庭を跨ぎ、大きな扉を構える大図書館の入り口前までたどり着いた。
気配は確かにこちらから漂っていた。
ドウェインは呼吸を整えながら、周囲を見渡す。
まさかもう既に図書館へ侵入されたのだろうか。
―――刹那、上空から迫り来る静かな殺意を感じた。
「………ッ!」
その場から後方へと退く。
ステップを踏むだけで、ひらりと躱してみせた。
だが、躱した本人は余裕のなさそうな表情を浮かべていた。
「へぇ……今回はまた、変わったご来賓の登場のようだねぇ」
苦虫を噛み潰すような顔で歯軋りした彼だが、至って余裕な言葉を並べてみせる。
「………」
舞い降りたソレは何も喋る事はなかった。
言葉がなくともそれが答えだと言わんばかりに、一本の長刀を引き抜き、両手で構えた。もしドウェインに身軽さがなければ、先ほどの上空からの一撃で串刺しとなっていた事だろう。
ソレは黒い靄だった。
膨大な黒い魔力が体を覆い尽くしている。
かろうじて分かるボディラインからは、かなりの長身で長髪の男だと分かる。サンバイザーのような無防備な兜が目元に装着されており、その容姿を伺い知ることはできなかった。
唯一顔で確認できる口元は、真一文字に閉じられているのみだ。
そこに狂人さも、冷酷さも感じることがない。
「仮装パーティーなら会場を間違えてるみたいだよ」
ジョークで挑発してみるも、特に乗ってくる様子はない。
そもそも人なのかも怪しい。
まるで魔力の塊で作り上げた人型の人形のようでもある。
「そうかい。なら、こうしようか………ッ!」
ドウェインは左手を前に突出し、バレット魔法を一撃だけ放つ。
聖属性の光の魔力弾。
相手の素性は分からないが、纏うオーラは黒い魔力。
魔力に現れる色とはその属性も表している。
黒ければ闇魔法だと考えるのは当然である。
だからその弱点である光魔法を選んだ。
小手調べとはいえ高速で放ったものだ。ダメージは少なくとも牽制として使うには十分だろうと思っていた。
―――黒い騎士はそれを難なく切り捨てる。
弾かれることは予想はしていた事だ。
だが、その斬り返しの早業に、熟練の冒険者だったドウェインですら目で追うのはやっとだった。
その動きの速さに不安を覚えた。
牽制されたのはドウェインのようである。
彼はその光景を目の当たりにしてもう軽口を叩く余裕はなくなった。
「………」
そして神速で迫る黒い騎士。
「――――くっ」
ドウェインはその速攻に対処するためには、東流の魔術の力を借りるしかないと考えた。実用性を追求した東流は、即時発動のためには都合がいいのだ。
「Chant Start Eiswand! ―――リフレクター!」
詠唱している暇はない。
西流の魔法は元々、大戦向け。
火力を極めた派手な戦い方をする。
ダンジョン攻略、対軍、対陣で効果を発揮する魔法だ。
そのため、相手に自らの凄みを知らしめるために放つ目的が強い。
だが、桁違いの力を有する相手と対人戦闘する場合には向かない。
ドウェインは目の前に氷魔法を展開して防護壁とし、さらにその前に対魔法用の反射壁を生成した。対物・対魔、どちらも念をおいての布陣である。
―――だが、それも無駄だった。
黒い戦士の前では突き破られて、粉砕される。
その反動を受けて、ドウェインはバク転しながら距離を取った。
気づけば魔法学校の校庭がバトルフィールドとなっている。
この黒い靄の人物は、意志があるのかないのか一切不明だ。
目的も分からない。
ドウェインは襲われる覚えもない。
その無差別さに恐怖感を感じずにはいられなかった。
「僕も、やるしかないよねぇ」
悠長にもそんな事を言いながら溜息をついた。
その間も黒い騎士は、次の踏み込みに備えて剣先を"水平"に構えた。
アレは中段の構え。距離の空いた敵影に対し、瞬時に迫るための構えだ。
間合いが広く、振り抜くときにはなるべく前傾姿勢に剣先を伸ばす。
黒い騎士の剣術は、まだ真っ当な"騎士"だった頃の技が体に染みついていた。
「こっちからもそろそろいくよ――――Starkung Anfang……einen Windstoß」
ドウェインの詠唱とともに、その白い魔力が拳や脚部に纏わりつく。
強化魔法だ。
"刳剔の旋風"はつむじ風である。
これを強化に用いるのは、防護性、スピード性を重視するためだ。
彼は敵を倒すためではなく、追い払うための戦いだと考えている。
だから自己防衛を優先したのだった。
「………」
黒い靄は揺らめくように迫って来た。
緩慢な動作に見えて、その実、瞬速。
油断すればその長刀で斬り伏せられる事だろう。
ドウェインはその剣戟を、拳と脚ですべて防ぎきった。
強化された四肢は、多少の攻撃では傷つくことはない。
ドウェイン自身の鍛え抜かれた肉体以上に、強化魔法の恩恵が大きい。
激突の度に白い魔力と黒い魔力が弾け合う。
夜更けの魔法学校に稲妻でも降り注いだかのような閃光が飛び散り、明るく照らしていた。黒い金属と白い筋骨が、繰り広げる剣術と拳闘術の鬩ぎ合いに悲鳴を上げる。
その飛び散る閃光が、黒のヴェールを透かしていた。
「……ドウェ……イン………」
黒い騎士のその唇が初めて動く。
呼ばれた張本人も、その声を聞き逃しはしなかった。
閃光で透過した黒い魔力の仮面の下からは、見知った顔が一瞬だけ映った気がした。
「―――!」
驚いたドウェインは後方へと飛び退き、一度態勢を整える。
困惑しながらもその黒い戦士を眺めた。
見返してみても、そこにいるのは黒い靄だ。
かつての仲間であるはずがない。
しかし振り払った数々の剣筋―――ドウェインもよく知る剣筋であることは認めざるを得ない。
その靄は次に、剣先を下げて下段の構えを取った。
先ほどの構えも今の構えも、その剣術も。
黒い騎士はそこからさらに姿勢を下げる。
腰を低く据え、腕を絞った。
「………ォォ………」
力を込めている。
あの技も知っている。
暗殺者の中でも秘剣と呼ばれる神速の奥義―――ソニック・アイ。
対人剣術では、その素早さから"必殺"の剣と云われているものだ。
あれに迫られたら、いくら魔力で体を強化していようが防ぎきることは出来ないかもしれない。
ドウェインが死を覚悟した時のこと。
「――――我が樵路を防ぎし生骸を葬れ! 出でよ、インテンス・レイ!」
校舎側から詠唱の声が耳に届く。
それと同時に6つの光球がその術者のもとから放たれた。
霊源とみなされた黒い騎士めがけて、その光の球は高速回転しながら誘走した。
「………っ……!」
黒い靄はそれに気づくやいなや、跳躍してその場から離脱した。
校庭から実習棟の壁へ、実習棟の壁からその屋根の上へ。
人間離れしたその素早い跳躍に、ドウェインは自分自身が先ほどまで交戦していた敵が尋常な存在ではないことを思い知る。
「大丈夫か!」
そして父親のガウェインが駆け足で寄ってきた。
既に現役引退しているわりには、なかなか魔術師らしい事をしてくれるものだと、ドウェインは父親に感謝した。
よく見ると、腕や脚は切り傷で血まみれになっていた。
強化魔法によって深い傷にはならなかったが、それすら貫通されてダメージを負っていたようである。
父親の肩を借りて寄り掛かる。
「なんだ、あれは?」
「さぁね……」
ドウェインには検討がついていた。
信じたくはないが、あれは変わり果てたかつての同胞。
あらゆるダンジョン、戦地を共に駆け抜けた仲間だ。
「………トリスタン、どうしてキミが……」
ドウェインは小声で悪態をついた。




