Episode86 想いの系譜
バーウィッチ魔法学校には特大の図書館が存在する。
魔術に関する書籍が保管されているが、一般公開はされてない。
一部、貴重な本も存在するからだ。
生徒の知識向上と、王国の東領土バーウィッチ地域全域の魔法書誌を保管するために存在する。
貸出は行っていないが、生徒なら館内で読むだけは許可されている。
ここに俺が入れたのは完全にコネのおかげである。
ドウェインありがとう。
さて、いろいろと読みたいものは山ほどある。
でも俺が真っ先に調べたかったのは、この国の戦士事情だった。
世界の時事に詳しくない俺だが、戦いに生きると決めたからにはどこでどういった役割の戦士たちがいるのか把握しておきたかった。自分の進路に関することだ。この王国に生きていて、小規模の争いはいろいろと体験してきたけど、国外同士がぶつかり合う戦争の類がそもそもあるのかどうかはちゃんと把握していなかった。
グノーメ様に尻叩かれて気持ちをリセットした俺だ。
意気込んで調べようと思ったが、それにしても広すぎて颯爽、嫌気がした。
壁に沿ってそそり立つように存在する本棚は、梯子を使わないと一番上にまでたどり着けない。
さらにその上にぐるりと足場が取り囲み、その足場の奥にも本棚が乱立している。
つまり吹き抜け構造になっているみたいだ。
でも、こんなところで挫折したらあまりにも意志が弱すぎる。
頑張ろう。
…
リナリーの送り迎えの合間の丸一日を費やした。
元々、本を読むのは得意だ。
オルドリッジ家の書庫では延々と本を読むしかなかった幼少期だしな。
おかげで、戦士という存在がどういうものなのか何となく理解できた。
まず、エリンドロワ王国が頻繁に戦争していた時代はもう当の昔に過ぎ去っている。
だから、お国のために戦おうという発想は古いようである。
だが、王国の属国だった北東のフリーデンヒェンという小国は戦争によって土地が奪われ、紛争地域になっている。その隣国の東の魔法大学が存在するアーケルベルクという国からは、戦士や兵士がフリーデンヒェンに多く派遣されて戦いに身を投じているとかなんとか。
つまり、戦士として戦いに身を投じたいならその国へ行って兵士や傭兵として戦う。
というのが一つ。
あとは、国内なら騎士団や近衛隊に務めることもできる。
一番エリートコースだと言われてるのが王宮騎士団だ。
王宮で王族に仕える騎士団である。
他に知名度の高いものは、メルペック教会聖堂騎士団。
宗教色の強い騎士団かと思いきや、メルペック教会とそれほど癒着しているわけでもなく、わりと自由な独立した騎士団らしい。
やっている事と言えば聖地防衛と教会指定の聖遺物の確保などで、少数精鋭の部隊らしい。
いや、こいつらの存在は嫌というほど知っている。
コリンとジョバンバッティスタ……これまで敵として登場してきて、あまりイメージが良くない。
あとはエリンドロワ王国の代表の兵団である「近衛隊」である。
これは各地の街へと派遣されて、地名+近衛隊という呼称がつく。
普段は街の警備の仕事が主で、国の有事の際にはどこかへ招集される。
こっちもあまり良いイメージがないな。
ダリ・アモール近衛隊は、光の雫演奏楽団と徒党を組んで子どもの誘拐を企てていたわけだし。
うーん……本で紹介されているものだと、俺の中で悪い印象がついてるものが多すぎる。消去法で言えば、アーケルベルクで傭兵として戦うか、王都の王宮騎士団として王家を護るか。
兵士か騎士か。
傭兵か騎士団か。
もういっそのこと既存の戦闘部隊に所属するよりも、新しい世俗騎士団でも創り上げてしまうとか。―――いや、それなら冒険者パーティーとやってることは変わらないか。
なかなか難しいものだ。
まぁ勉強にはなったし、現代の戦いの場にはどういうものがあるのかの知識整理になった。
○
いつものようにリナリーが戻るまで、校庭の隅の林で楽器練習をした。
今日は剣術の鍛錬は無し。
というのも、新しい楽器と譜面を買ってきたから、楽器演奏に専念したいというのが理由だ。リュートだと弦が足りなくて弾けないから、今はマンドリンの練習中。
譜面は例の「ハイランダーの業火」。
歌詞つきだから歌も歌える。
歌なんて歌ったことないから歌わないけど。
第一楽章から第四楽章まで。
全体的に楽譜もそれほど難しいものではなかった。こういう吟遊詩人が取り扱う譜面は、歌がメインだから楽譜の難易度は低いみたいだ。
夢中になって弾き続ける。
この辺りは人気が無いから大きな音を出しても注意されない。
かつてメドナさんに期待された通り、才能あるのかもしれない。
それほど弦を押さえるのに苦労しなかった。
なかなか楽しい。
楽しいけど何だか複雑な気分だった。
これは戦士の歌だ。
メドナさんは戦士嫌いなのに、何故これを聴かせてくれたんだろう。
まず、あんまり気にしてなかったけど、こうやって譜面で読み上げてみると歌詞がおかしい。
第一楽章はこうだ。
―――――あぁ、目覚ましくや、暴君の侵攻を嘆き姫
―――――草木も枯れた大地を前に、なぜ我が神ヘイレルは救わぬかと。
―――――屈して祈りを捧げ続け、ついぞ戦士や舞い降りる。
―――――漆黒の衣纏いし豪傑。瞳の色や、まさに万物の理を見えん。
悲壮感が漂う歌詞だが、最後には救世主的に戦士が登場する。
だけど「漆黒の衣纏いし豪傑」が妙に違和感ある。英雄ってのは白い高潔なイメージなのに、漆黒というのはダークサイドな印象だ。
あと戦士なのに「瞳の色や、万物の理を見えん」?
「万物の理」っていうのは多分、魔術師の探究の理念になってるものだ。
戦士なのに魔術師と同じものを見ている?
考えれば考えるほど訳が分からない。
まぁ詩っていうのはそういうものだけど……。
なにか引っかかった。
―――カサ……と、葉擦れの音が耳に届いた。
背後に人の気配。夢中になっていると時間が経つのもあっという間なのか、生徒たちの下校の時間になったようである。
もしかしてまたパトリックくんか?
彼は俺の不注意によって何度も犠牲になったのだ。
「……お兄ちゃん?」
「なんだリナリーか。今日は早いな」
もうすっかりお兄ちゃんと呼ばれることに慣れてしまった。
オルドリッジ家では一番末っ子だけど。
今ではセカンドジュニアが一番末っ子扱いか。
俺という人間はなかったことにされている。
空気のような扱いだ。
あぁ、なんとかしてオルドリッジの屋敷に入りたい。
そして全力で存在感を主張して父親と母親に再会して話をつけたい。
俺はマンドリンをケースに仕舞って立ち上がった。
リナリーは呆然とその光景を見上げている。
違和感だ。いつもだったら、俺のパンツ攻撃を恐れて一定の距離を開けるために立ち上がると同時に遠ざかるのだが、今日はそれがない。
「………どうした、リナリー?」
「―――はっ! ……な、なんでもないもんっ」
しかし、違和感も少しだけ。
声をかけると同時に、ぷんぷんと怒るリナリーに戻ってしまった。
ユースティンのような刺々しさとは少し違う。
いつもぷんぷんして怒ってる謎の幼女。
体もぷにぷにしてそうだし。
ぷんぷんぷにぷにのリナリーか。
ユースツンの時みたいにあだ名をつけるとしたら"プナリー"だな。
"プナリー"と呼ぼう。
○
そしてプナリーは次の日もその次の日も、同じ反応を繰り返した。
こっそり俺の背後に忍び寄り、俺の演奏を黙って聞いている。
木の裏に身を隠して、俺を遠くから観察しているような感じだ。
バレてないと思ってるんだろうが、全身真っ赤な姿は緑色の風景の中ではかなり目立っていた。気づかないふりして放置した事もあったが、ずっと遠くから観察してくるだけ。
背後から近寄ってくることもあったが、忍び足が下手ですぐ気配に気づいた。面白がって勢いよく振り返ってみると慌てて木の裏に身を隠すのだが、その赤いヒラヒラのミニスカートが雑木林ではかなり目立つ。
そんな様子を可愛らしいと思って放置していたが、どうにも気になる。
マンドリンの練習も集中してできない。
「うーむ……」
俺は頬杖をついた。
今日はシアが働いてるコンラン亭に晩飯を食べに来ている。
シアがコンラン亭に働いているというのは最近知った事実だ。
しかも、エプロンドレス姿で。
その姿はストライド家で見かけたメイドさんを彷彿とされる。云わば、メイド姿と言ってもいいだろう。後からそれを知ったときには衝撃的だったが、シア自身も隠したかったようだ。
まぁ、メイド姿と言っても、ただの食膳の支給係だ。よくよく思い出してみたらナンシーさんも同じ服装をしていたし、そんなに浮いてるわけではない。
「眉間に皺」
そのメイド姿のハーフエルフにデコピンされた。
最近デコピン流行ってんのか?
もう遅い時間で客足もかなり少ない。アルバイトも終わりが近かったので、シアも俺の座る卓テーブルの隣に座って休憩していた。
メイド姿のシア目当てでこの店もかなり繁盛しているらしい。
だが所詮は片田舎の、一宿屋の、一レストランだ。
夜中になれば人もすごく少ない。
俺は夜遅くまで働くシアのお迎えでこうしてコンラン亭に通っている。
どこでもお迎え係だ。
こうしているとアザリーグラードのシムノン亭での日々を思い出す。
シアは俺の反応を伺っているようだった。
シアはほとんど無表情だけど、俺には多少の仕草の違いで何を求めているのかが理解できる。
「あぁ、いや、プナリーのことなんだけど」
「誰ですかそれ」
「え? あ、リナリーのことだった」
思わず、心の中だけのあだ名を口にして出してしまった。
「リナリーさんがなにか?」
俺は最近のプナリーの様子を詳細に話してみた。
シアなら何か的確なアドバイスをくれるだろう。
「そもそもリナリーさんとは仲良くなりたい系男子?」
「なんだよ、その系男子って」
「ロストさんは男子なので」
この子の突拍子な言葉遣いはどこから仕入れてくるんだろうか。
「まぁここ1週間会話とか全然だし、朝も帰りも気まずいもんだよ。せめてそれくらいは解消したい」
「ご自身から近づいてかないと」
「努力はしたけど、無視されたんだよな」
「最近また怖がらせるような事したんじゃないかしらー」
どうだったかな……。
そういえばリナリーじゃないけど、パトリックくんという少年を怖がらせてしまった事はある。俺はその時のことも詳細に話してみた。
「まぁ怖い」
「やっぱり怖いか」
「剣が目の前から突然飛んできたら誰でも怖いです」
「そうだよな……」
なんと間の悪い事か。
パトリックくんだけじゃなくて、それを目の当たりにしたプナリーも当然怖がるだろう。変な修練なんてしなければ良かった。でも、両手が塞がったときは蹴りで剣を弾き出すのが便利だと思ったんだよな。
もう修復不可能なレベルまで嫌われてるんだろうか。
アルフレッドとリンジーの子どもというだけにショックだ。
あの2人とは仲良いのに、娘とはうまくいかないのは何故なんだ。
年齢的な問題か。
俺は目の前の卓テーブルにうな垂れた。
「もしかしたらリナリーちゃんもジャックさんに近づきたいのかもしれませんわよ」
背後から声が掛けられた。
振り返るとナンシーさんがいた。
相変わらず金色のウェーブがかった髪を後ろに軽く結わえてエプロン姿をしている。俺と久しぶりに会っても全然普通だったし。
あら、もしかしてジャックさん? みたいな軽い反応だった。
というかこの人、年齢いくつなんだろう。
当時から見た目が何一つ変わっていない。
「えぇ、まさか……」
俺は大袈裟に手の平をひらひらと振り上げた。
「女心と秋の空ですわ。気持ちも複雑なんですのよ」
「そんなもんなんですか、5歳児の女の子でも?」
「最初をつまづいただけに感じられますわ」
だとしたら、もう一度俺の方から近づいてみるのもいいかな。
どうにも子どもの扱いってのは苦手だ。
「そろそろテーブルも下げますわね」
俺が気怠そうに卓テーブルに寄り掛かっているのが目についたようである。ナンシーさんは俺を退かしてそのテーブルを運んだ。明日の早朝は清掃から始まるらしい
「邪魔してすみません。外で待ってます」
「ふふふ……今日もシアさんは大人気でしたわ」
「そうですか」
「妬かないでくださいな。私が守って差し上げますから」
「……ナンシーさんの方が看板娘として人気なんじゃないですか?」
「あら、嬉しいことを言ってくださるのね」
事実そうらしいけど。
シアは愛想が悪すぎるみたいだ。
それが良いという客もいるが、スタッフとしては良くないだろう。
俺はコンラン亭を出た。
この辺りは空気が綺麗だ。
星を眺めると満天の星空が広がっている。
虫の鳴き声がうるさい。
心が洗われるようである。
俺はこんな田舎町ソルテールが好きだ。
……今日は図書館で本探ししてていつもより疲れた。
早いところ切り上げて、シアと一緒にリベルタ邸に戻ろう。
○
今日こそは真意を問いただそう。
プナリーめ、お兄ちゃんをなめるなよ。
朝は眠すぎて話しかける気力はなかったが、今日はたっぷり昼寝して今が元気だ。とりあえずいつも通りに振る舞って、マンドリンの演奏の練習をしながらプナリーを待つ。
「ハイランダーの業火」を弾きながら、下校してくるのを待った。
しばらくするといつも通り、気配を察知した。
間違いなく、プナリーの気配だ。
限界まで引きつける。
プナリーは背後から徐々に近づいてきている。
木蔭から木蔭へと息を殺しながら。
なかなか上手い立ち回りだ。
アルフレッドと毎朝トレーニングしているだけある。
基礎体力をつけるだけでなく、もう遮蔽物を利用した敵への迫り方も叩き込まれているのかも。
英才教育もいいところだな。
「プナ……リナリー!」
「……っ!」
引きつけたところでその場で声をあげて呼び止める。
俺は地べたに座ったまま振り向き、その少女の存在を確認した。
ちょうど木から木へと映るところを呼び止められたのか、困惑したように立ち尽くしている。
「………」
見つめ合う。
いつもだったらここで「じゃあいくか」とか「何してんだ」と突っぱねてしまうところだが、今日は違う。シアと相談して話法を考えてきてある。
「もう学校には慣れたか?」
「………」
答えない。
答えなかった場合も想定済みだ。
「俺は学校とかいけなかったから、どんな感じなのか気になってるんだ」
「……ふぅーん……」
よしよし、少し反応してきたな。
「だからもしよかったら学校の様子とか教えてくれないか」
リナリーは炎魔法に絶対的な自信を持ってるし、自信家だ。それは俺によって「ふぁいあぼーる」が打ち消された時の反応で確認している。
だからきっと俺という存在が自分の自信を砕いてくる存在だと感覚的に嫌っている可能性もある。俺が下手に出て、俺が知らなくてリナリーが知ってる世界を持ち上げれば「よしよしいいだろう」という感じで話もしてくれるし、そこから会話も広がっていくに違いない。
うん、接待だな。
でも最初はそこから入るしかない。
「………いいよ」
よし、きた。
こちらの期待通りの反応。
順調だ。
「でも条件があるのっ」
「えっ」
交換取引、だと。
く、それは想定してなかった。
5歳児の女の子にまさかそんなものを提示されるとは。
さすがアルフレッドの子。侮れねえ。
「な、なんだ……?」
リナリーは頬を赤らめてもじもじし始めた。
言い出しづらい事なんだろうか。
まさかパンツのことはもう忘れろとかそういう事だろうか。
そんなの俺の方がもう気にしてない。
リナリーは腕を後ろ手に組んで、足先で落ち葉をぐりぐりかき回している。
「わたしにも……その…………欲しいの……」
「え? なんだ?」
大事な要求を聞きそびれてしまった。
でもあまりにも声が小さすぎて聞こえなくても仕方ない。
俺に伝わらないのに苛立ったのか、リナリーは大きな声を張り上げた。
「わたしにも、それ教えて欲しいのーーっ!!」
リナリーが指で示したのは俺が腕で抱え込むマンドリンだ。
「楽器か?」
「……うん」
「楽器に興味があるのか」
「そ、そうよ」
なんだ、そんなことだったのか。
もしかしてリナリーの様子がおかしかったのって、俺がマンドリンで演奏の練習をしていたからか。
俺と同じように音楽を奏でてみたくて気になってたんだ。
誰かに教えを請うというのがそんなに恥ずかしい事なのか、リナリーの顔面は真っ赤である。
顔を逸らして目を瞑っている。
突然、楽器を教えてほしいとは言いにくかったのかもしれない。
「あぁ、もちろんだ。こんなもの、いくらでも教えてやる」
「ほんとっ?」
俺の返事に、目を輝かせるリナリー。
「もっと聴きたいか? 弾いてやるから、こっちにおいで」
自分で言って、はっとなる。
その時、一つのデジャブが蘇った。
ソルテールの石畳の広場。そこに座る少年と吟遊詩人の女性。
―――もっと聞きたかったら別の歌も聞かせてあげるよ。こっちへおいで。
「わーいっ!」
今までの蟠りが嘘のように、リナリーは万歳して俺の元へと駆け寄ってきた。そしてすぐ真横でちょこんと座りだす。現金な奴だな、と思うが、今はそれが嬉しい。
「といっても俺が弾けるのは、これだけだ」
そう言って俺は"ハイランダーの業火"を弾いた。
あの時と同じように。
立場は逆だけど。
リナリーは気分良さそうにその音色を聴いてくれた。悲愴感漂う曲調から激しい戦火の音色へ、そして伝説を謳う整然とした曲調。
メドナさんもこんな気持ちだったのかな。
「弾いてみるか?」
「いいの?」
「あぁ、こうやって構えて左指で弦を抑えて、この爪で弾くんだ」
リナリーは自分の体ほどある大きな楽器にかなり悪戦苦闘していた。
だが、必死に演奏しようとしている。音色もへったくれも無い滅茶苦茶な音だが、それでもリナリーは楽器に興味深々だった。
「すごーい! すごい、すごい!」
リナリーにマンドリンは早すぎるな。
安かったし、最初に買ったリュートはプレゼントしてあげよう。
「もう少し簡単なやつもあるんだ。そっちの楽器はリナリーにあげるよ」
「えっ、いいの?!」
「あぁ」
「わぁーい! ありがとうっ、お兄ちゃん!」
満面の笑みを浮かべるリナリー。
それはリンジーと同じ笑顔だった。
母親からは守ってあげてと言われている。
もちろんだ。
俺はここでようやくリナリーのお兄ちゃんとして認められたような気がする。きっかけは些細な事だけど。でもそういうきっかけを逃さない事が大事なんだろう。
それに楽器の弾き方がこうして伝わっていくのは俺も嬉しい。
メドナさんが教えてくれたものが、こうして伝わっていく事が。
―――大事なのは難しく弾こうと考えないで、心で弾くことだよ。
難しく考えないこと。
それは演奏だけじゃなかった。俺は一生懸命にマンドリンを抱えるリナリーを見て、それだけは伝えておこうと思った。
こんな些細な言葉がどれだけ伝わっていくか分からない。
でも、一つ一つの言葉や思いが世代を超えてこうして伝わっていく。
それが人の営みってやつなんだろう。
「大事なのは、難しく弾こうと考えないで、心で弾くことだ」
ありがとう、メドナさん。
俺は目元を押さえて、今は亡き憧れの人物に思いを馳せた。




