Episode85 マインドセット
求人募集の紙を頼りにその裏路地へやってきた。
そこには懐かしすぎて思わず涙するほど見覚えのある光景があった。
アザリーグラードの魔道具工房だ。
瓜二つだった。
あっちの街では聖堂騎士団の2人組にぶっ壊されたが、こうして再現されているところを目の当たりにすると、あそこの日々を思い出して心が打ち震える。
俺は躊躇せずにその扉を開いた。
「グノーメ様ー!」
豪快に開け放たれた扉の先に映るのはあの輝かしきアザリーグラードでの冒険者の日々。
やること全てが未知の体験、楽しかった迷宮での狩猟ライフ、辛く苦しい仲間との共闘。そしてこの右腕の改良をしてくれた恩師との思い出。
―――いま、輝かしいあの日々が蘇る!
「ひゃ……!」
よみがえる……?
いや、俺の目の前に映ってるのはそんな爽やかな青春の光景ではなかった。そこにあったのは別の意味で輝かしいもの。
小さな裸体だ。
ドワーフ由来の少し土色のなまめかしい肌。
艶やかに映る穢れのない綺麗な身体。
彼女は幼女体型のくせに、目の前で胸元の下着を外している最中だった。隠すほどの大きな丘があるわけでもあるまいに、覆い隠すための絹が少しずれ落ち、それを落ちないように腕で支えている。頬は赤らめて、目は信じられないほどに大きく見開くグノーメ様がそこにいた。驚きのあまりに口をぱくぱくさせている。
チャームポイントだった鍛冶師ゴーグルも着けてないから、ショートカットの緋色の髪は珍しく目元に垂れ下がっていた。
しかも、下は何も履いていない。
言うならば、すっぽんぽんだ。
パンツも履いてない。
身に着けているといえば、手で押しつけてる胸元のブラジャーだけ。
うぉぉーー!!
眼福きたぁぁあああ!!
「て、テメェ―――!」
グノーメ様はしばしの驚愕の後に眼をぎりっと尖らせて、そこら中にあったガラクタを所構わず投げつけてきた。
「人ん家に勝手に入ってくるバカ野郎がどこにいるんだっ! 下衆! 変態! スカタンがっ!!」
「い、いや、でもそんなところで着替えてるグノーメ様もおかしくないですか?!」
「うるせぇ! あたしがどこで着替えようと勝手だろうがっ! 賢者の裸を安く思うな! 今すぐ死ね! 死んで償え!」
「鍵くらいかけてくださいよ!」
「掛けてあったわっ! テメェがぶち壊したんだろうが! 鍵の分も死ね!」
嘘だろ。
懐かしき思い出に感極まってて全然覚えていない。
俺の力って鍵のかかった扉も無意識に壊してしまうほどなのか?
成長期を過ぎて筋力も思った以上に強くなってるのかも。
怒りに見境をなくしたグノーメ様は片手で持てるとは思えないような大型の魔道具(箱やら円盤やら)を投げつけてきた。
「わぁあ!! すみませんでした! 今すぐ死にます! ごめんなさい! 許してください!」
俺はそれを両腕でガードしながら、工房から出て扉をすぐ閉める。
やってしまった。
我ながら不注意すぎた。
グノーメ様は親分気質でそういう対象じゃなかったから、油断していた。
最近こういうの多いな。
俺の中の思春期が、幸運を呼び込んでいる?
リナリーのパンツ、グノーメ様の半裸。
だいたい幼女だ。
気をつけよう。
○
作業着に着替えたグノーメ様が玄関扉を開けて迎え入れてくれた。
このまま門前払いかと思ったからまだ良かった。
でも明らかに不機嫌であることに変わりない。
まだちょっと顔を赤らめている。
魔道具工房の脇に置かれた革製のソファに座らせられた。
「それで? なんだよ、突然……」
素っ裸を見られたとあったら当然か。
仕事の相談にきたのに、採用の可能性が遠ざかったじゃないか。
こういうときは世間話から入って機嫌を取り戻そう。
「グノーメ様、元気そうで安心しました」
「まぁな」
「体も見た感じ、健康そうで……」
「あぁ?! なんだって?!」
「あ、違う。そうじゃない」
まずい。
さっきの光景が頭に焼き付いて離れないぞ。
グノーメ様も精霊とはいえ元々は小人族の女。
そうだ、女なんだ。
さっき見たのは、女の裸なんだ
ダメだ、意識するな。
絶対に意識するなよっ!
「いえ、そうじゃなくて……えーっと、そうだ。工房を再開させたんですね!」
「まぁな」
「もうさっそくあんなにたくさん魔道具を作られて……」
「あぁ?! なんだって?!」
「これもダメか」
見渡すと、さっき俺に投げられた魔道具が散乱していた。
どうしてもそっちの話題に繋がってしまう。
考えれば考えるほど何も言えなくなってくる。
「………」
「そういう遠回しなのはいいからよ。結局、あたしに何の用だよ?」
仕方ない、もうストレートに話そうか。
「実はこの工房のアルバイトの募集を見たんです」
俺は冒険者ギルドから入手したその求人票をグノーメ様に見せた。これには"メカニッカー"募集と書いてるけど、仕事内容はよく分からない。身内だから働きやすいだろうなと思って気楽に訪れただけだ。
「あぁ、それか」
思った以上にグノーメ様の反応は素っ気ないものだった。
嫌な予感がする。このパターンは10歳の俺がリベルタ入隊の不採用を食らった展開に似ている。直感がびんびんと告げている。
それとも機嫌悪いからかな?
「なんだい、ロスト。あんたまさか、ここで働きたいとか言い出すんじゃねぇだろうな?」
「え……? ダメなんですか」
グノーメ様は呆れたような顔して頭を掻いた。
「なんでここで働きたいんだ?」
「いま、アルフレッドとリンジーを……一緒に住んでる家族を支えたくて金を稼ぎたいんです」
「それで?」
「それでって……それだけですけど」
「不採用だ!」
手前のテーブルに両手でバンっと叩いて、その結果通達とともに俺のことを威圧した。
「お願いします」
「だめだ。ここにも書いてあんだろう? 漢のロマンがないと話にならねぇ」
求人票をトントンと指で叩くグノーメ様。
そんなの求人票によくあるアレだろう。「やる気があれば誰でもオッケー」みたいな文言と同じようなもんだろう。それを見て本気でやる気を持って面接にやってくる奴なんてそうは居ない、気がする。グノーメ様自身、ロマンが口癖みたいなところあるし、気にするほどのものじゃないと思っていた。
「でも俺、魔道具好きですよ。よく買い漁りますし、面白い魔道具も思いつきそうな気がします」
まだ食い下がるぞ、俺は。
条件的にもこの仕事は都合が良い。
リナリーの送り迎えの合間に出来る仕事だからな。
「はぁ………」
グノーメ様は俺の真剣な眼差しを困り顔で見返した後、溜息をついた。
これは「お前の熱意に負けたよ」って感じでいけるんじゃないか?
「ダメだ」
ダメなのかよ。
「ロスト、本当に魔道具をつくることが、あんたのやりてぇことなのか?」
う……ん……?
何だろう、その言い方は意味深だ。
やりてぇこと?
魔道具は好きだけど、別に魔道具作りを本気でしたいと思っているわけじゃない。グノーメ様はそんなのお見通しって事かな。
「これはアザリーグラードでも言った事だが―――」
どれの事だろう。
あっちの大陸でグノーメ様から教えてもらったことは山ほどある。
たくさんありすぎて思い出せない。
俺の気持ちや心構えのことが多かったかな。
「あんたからは欲望ってのを感じねぇのさ。いつも誰かのために何かするだけで、振り回されてばかりだ。自分ってもんがありゃしねぇ。そんな奴が面白い魔道具を思いつく? はん、おかしな話だぜ」
「誰かのためにってのが悪いことなんですか?」
「悪いことじゃあねえ。だが自分のない人間ってのはよ、空っぽなんだ。中身がねぇ」
「空っぽ………」
中身のない空っぽな奴か。初めてグノーメ様に右腕のことを調べてもらったとき、同じような話をされたっけ。いつも周りに振り回されてばかり。そうやって身を粉にして生きてきた。
―――ジャックはもっとジャックのやりたいことをやってて欲しいな。
リンジーの言葉が蘇った。
いつだっけ。
いや、いつもだ。
いつも言われ続けていた。
リンジーだけじゃない。みんなに言われ続けてきた事だった。
「人のために作る魔道具なんてつまらねぇ! "あたしはこれが欲しい"! "俺はあれが欲しい"! そういう欲求の塊が、理想ってもんを創り上げていくのさっ! それが漢のロマンよ」
「理想……ですか……」
「そうとも、理想だ! で、あんたに理想はあるのか? どうなんだい?」
俺の理想―――なんだっけ。
ずっと、大事にしていたものがある気がする。
「これが欲しい、これがしてぇ、こうなりたい……どうだっ?」
こうなりたい。
そうだ、俺は何かになりたかった。
いろんな事件に翻弄され、忘れていた何かがあった。
◆
エリンドロワ王国の貿易の中心地バーウィッチ。
商業の街として発展し尽くしたこの街で独り、路地裏で蹲る子どもがいた。
雨に打たれて腹を空かせている。
この世の絶望を見た顔をしている。
何日も飯にありつけず、窶れ切って今にも死んでしまいそうだ。
だけど、その瞳に宿る闘志は―――まるで何かに憑りつかれたように、遠くを見ていた。
――――……になりたい、と。
そう願って、遠くを見る。
今は遠くても、いつかは辿り着いて見せる。
その強い眼差しが語っていた。
◆
思い出した。
俺がこれまで何を目指していたのかを。
「まぁ……キツいこと言っちまったが、あたしはロストという人間を理解してるつもりだ。そんなあたしがあんたには生産側は向いてないって言ってんだ。前向きに捉えなっ」
「はい!」
「うん? なんかやけに覇気が出てきたじゃねぇか」
「グノーメ様、ありがとうございました!」
俺は立ち上がって背筋を張ってから、姿勢よくして礼を告げた。
「おう? なんだい、水を得た魚みたいに」
「いえ、やりたい事というか、自分が何になりたいのか思い出したんです」
「いい事じゃねぇか。若いときは理想を高く持てっ」
幼女から若いという言葉を聞くのも変な気がするが、グノーメ様の年寄臭い説教はもう慣れっ子だ。
踵を返して、俺は魔道具工房から去ることにした。
俺は戦士になりたい。
物語に出てくる理想の戦士に。
それが原点だった。
オルドリッジ書庫で何度も読み直した孤高の戦士の物語。
メドナさんが聴かせてくれた「ハイランダーの業火」の主人公。
アルバイトなんてやってる場合じゃない。
時間を持て余しているだけだった。
やるべきことはたくさんあるのに……。
戦術を磨け。
どこかの兵団でも、騎士団でもいい。
戦いに身を投じるんだ。
それが俺の理想なんだ。
グノーメ様、すごいなぁ。
俺の進路すらちゃんと方向性を正してくれるんだから。
賢者とはこうでなくちゃな。裸を見てしまうというハプニングはあったものの、やっぱり尊敬する人物に違いなかった。
マインドセットだ。
腑抜けていた心が整然と正された。
○
魔法学校は静まり返っている。
この時間になるとどのクラスも魔法の演習がないそうで、校舎の中にいるそうだ。
リナリーの下校を待ちながら、俺は校庭の隅に位置する林の木蔭で、背中を預けていた。いつものようにリュートを取り出して、彼女が出てくるまで演奏の練習をすることにしている。
リュートの扱いにもだいぶ慣れてきた。
そろそろ難しい曲にチャレンジしてみたい。
せっかくだし、メドナさんから教えてもらった「ハイランダーの業火」がいいな。
その曲は、俺の理想の姿そのものを歌で表現していた。
今度、譜面を買ってきて練習しよう。
さっきはグノーメ様に背中を叩かれて迷いが消えた。
思い返せば、リベルタに入隊したのも戦い方を勉強するためだった。
それが演奏楽団と出会って、女神に体を魔改造されて、誘拐事件を解決して……あの頃はあっという間の1年だった。漂着したリバーダ大陸でも、仲間を助けたり、魔術ギルドの陰謀を阻止したりしているうちにすっかり"事件解決屋さん"に成り下がっていた。
これからは理想を忘れないようにしよう。
もちろん、リベルタ一家に渡す生活費のことを忘れたわけじゃない。
でも戦士になりたいって決めたからには、やっぱりそれに関わる仕事をしたいな。
もう一度、仕事探しのやり直しだ。
…
校庭の土から剣を造り上げて、地面から生えるその柄を引き抜いた。
それをまじまじと眺める。
精度は落ちていない。
土製でも、切れ味はしっかりしているはず。
あとは剣術だ。リナリーを待つまでのこの空き時間―――楽器演奏だけじゃなくて剣術の訓練にも活用しよう。
ということで、少しの間、素振りをしてみた。
俺の剣術はトリスタンに教えてもらったままのものだ。
初心に戻って、基本の素振りからやってみよう。
まず上段の構え。
剣先を上に向けて、両手で柄を握る。
脇は絞めて、胸元で構える。
振り下ろすときは一気に。手首のスナップを利かせて刃をブレさせない。
これは一撃に駆けるパワーアタック用の構えだ。
これで50回振る。
一振入魂で。
次に中段の構え。
脇を絞めるのは変わらない。刃を水平に向ける。
足をしっかりと前に踏み込み、振るときはなるべく腕を伸ばす。
水平の刃を前に放つ。
放り投げるくらい先まで剣を伸ばす。
中段はレンジアタックだ。
間合いが広いから、距離のある敵にも牽制をすることができる。
これも50回。
一振入魂で。
最後に下段の構え。
構える位置は腰。剣先を地面に下げる。
これは他の構えみたいに力むのはやめる。
なるべく緩く構えて、敵の攻撃の応戦に使うのが目的だ。
防御とカウンターとしての側面が強い。
振り下ろすのと比べると威力が劣るし、体力も使う。
だから、素振りの最後はこれがキツいのである。
これも50回。
敵の攻撃をイメージしてそれを薙ぎ払う感覚。
「ふー……」
素振りも一振一振に集中するとかなり疲れる。でもこれを繰り返すことが、本番でもブレのない剣撃を放つトレーニングになる。
ここまではトリスタン流の剣術のトレーニング。
そしてここからは自己流だ。
俺にとって武器とは装備するものじゃない。
戦いの直前、はたまた戦いの最中に至るところから造りだすものだ。
心象抽出スキルと剣術、格闘術を織り混ぜることで、多彩な剣術を披露することができる。
例えば、地面から生成した土製の剣。
これをいちいち手で引っこ抜いてたら、時間のロスになる。
だから柄を足で蹴り上げることで即時に剣を手元に持ってきて、素早く臨戦態勢にシフトすることができる。
複製剣を蹴り上げて、素早く掴み、振り下ろす素振りをする。
さらにこの応用。
地面から生える剣を蹴りつけることで直接、敵に投擲する。
遠距離攻撃として使えるから、敵が弓師、魔術師の場合に有用。
また近接戦でも、多数の敵を相手にしていて腕が足りないときに使える。
これは蹴りのコントロールが重要になってくる。
そしてここからはもう曲芸の域になるが―――。
両手両足でも有り余るほどの剣を無数に造り出し、それを蹴り上げて宙を舞わせ、手刀、肘、膝、かかとを使って"お手玉"をする。
俺は勝手にソード・ジャグリングと呼んでる。
これは投擲のコントロール練習に最適。
条件が整えば実戦でも使える。
いくつもの剣を携えるわけだから、手に取って斬りつけるもよし、投擲するもよし。
これは高度な技術がいるから、現実的じゃないけど。
だが、今日の俺は調子が良かった。
剣の蹴り上げもうまくいくし、宙で回転する4,5本の剣を、他の剣で弾いてジャグリングし続け、たまに落ちてきた剣を肘で叩いて投擲できた。
ノってきた。
今日の俺はいけるぞ!
調子に乗った俺は周囲に生える木々を的に、宙を舞う剣を打ちつけた。
トスン、トスンと軽い音を立て、土剣が突き刺さり、少し経つと土くれになって零れ落ちた。その軽快な音がまるで音楽を奏でているようで心地良くなってきた。
トスン、ボロボロ。
トスン、トスン、ボロボロボロ。
リズミカルに軽快なステップで投擲する。
そして最後の1本が、くるくると弧を描いて目の前を落下してきた。俺は回し蹴りを柄頭にジャストミートさせると、勢いよくその剣を標的の木に打ち付けた。ストンッと綺麗な音を立てて剣が突き刺さる。
決まった!
「ひっ―――!」
と同時に誰かの引き攣った声。
「ひ?」
最後の木に目を配らせると、そこには恐怖に怯えて体を震わせる少年の姿が目に映った。
複製剣がただの土塊に戻ってボロボロと崩れ落ちる。
その真横で、生徒は涙目になっている。
「あ……ぁあ………わわわ……」
よく見ると、それは午前中の講義で俺が気絶させてしまったパトリックくんだった。
本日2回目の遭遇である。
なんでこういう危険な事をしてる時に限って現れるんだ。
「……えっと……パトリックくん、だったか? 朝は大丈夫だったのか?」
「わぁっ! わひゃぁあああ!!」
近づいて声をかけると、奇声を上げて彼は逃げ去ってしまった。
俺は未だに彼の素の声を聞いたことがなく、悲鳴しか聞いたことない。
「お、おい……」
寮の方へと一目散になって逃げるパトリックくん。
まさか彼の目には、俺が脅したように見えたんだろうか。
離れ業ソード・ジャグリングと突然襲い掛かった剣戟。
そんな驚異を目の当たりにしたらビビっても当然か。
なんだか彼とは間が合わない。
朝も気絶させちゃったし、少し間違えれば怪我させていた可能性もある。
いる。そういう相性の悪い人物はいる。
彼にとっては今日一日は最悪の厄日になっただろう。
……ごめんよ、パトリックくん。
「お兄ちゃん、なにしてるの?」
そして次にリナリーが入れ違いのように現われた。小さいリュックを背中に背負って、帰る準備万端のようである。
さっきの彼の悲鳴は聞こえていたに違いない。
「よわいものイジメなの?」
「それは違う! ほら、パトリックくんは朝、頭を打ち付けただろ? だから少し言動がおかしいんだ。俺も心配して声かけただけだったんだけど」
「ふぅん……」
翠緑の瞳が俺をじとーっと睨む。
頼むからそのリンジーと同じ色の目でそんな風に見ないでくれ。
それにしても相変わらず、この子とは距離が開く一方である。
後味悪いなぁ……。
授業参観のときも思ったが、この子と早いところ関係修復したい。
じゃないと俺も毎日の送迎が辛い。




