Episode82 聖と蛮の境界線
親子2人から一歩引いて歩く。
母親と子どもが手を繋いで歩く後ろ姿は見ていて微笑ましいものだ。それは誰も侵してはならない聖域だった。ましてや俺のように蛮人として育った人間には特に。
近づくだけでも罰が当たるってもんだろう。
今はリンジーとリナリーの護衛で、商業街バーウィッチまで同行していた。
多忙なアルフレッドの代役である。アルフレッドは町の"何でも屋さん"をやっていて忙しい。娘もできてソルテールという田舎を拠点にするため、今までみたいに冒険者としてクエスト遠征はしていない。その代わりに自慢の腕っぷしやら勇敢さを売りにして、町の住民の困りごとを解消する手助けをしているそうだ。
魔物の襲撃の対処から迷子探し、隣人トラブルの仲裁、屋根の修理などなど――――。
要するに、町の守衛さんのようなものだ。
フレッドも丸くなったと思うけど、この妻と娘2人置いて危険なんて冒せないんだろうな。俺にとってもリンジーは命の恩人だし、リナリーもそんな2人の子だ。……未だに変態のレッテルを張られて警戒心が解けてない状況だけど。
まぁこの親子はこれからずっと何事もなく幸せに生きていてほしいと思ってる。
初めてリンジーに拾われたときは面倒見のいい優しい女の人という印象だった。母親になってそれも倍増の勢いで強化されていた。聖女が聖母にランクアップしたみたい。
そして手を繋いで歩くリナリーは、"お転婆娘"という表現がぴったりだ。ゆっくり歩く母親を急かすように前につんのめって駆け出そうとしている。その様は散歩好きな犬が、早く早くと飼い主を手綱ごと引っ張る様子を連想させる。
ほのぼのの権化である。
そんな光景を呑気に眺めていると、自分の境遇の異質さが浮き彫りになる。
この子くらいの歳から両親から図書館に幽閉されて、兄弟たちからは虐待を受けてたんだもんな……。
そう考えると我ながら酷い境遇で育ったものだ。
しかも冒険者に拾われて、迷宮都市というスラムへと流れ着き、劣悪な環境で野蛮に育った。
理想は"聖騎士"だが、今の俺は"野蛮人"という表現が正しいかもしれない。
礼儀も気品もあったもんじゃないな。
「ジャック、なんで後ろにいるの? ちゃんと付いてきて?」
「……あ、あぁ、うん」
だけどそんなのお構いなしでリンジーは俺に手招きした。
ちょっと駆けて追いつく。
いいのだろうか?
こんな幾度の戦いで穢れきった人間が、隣を歩いて……。
というか、俺がこんな風に横に並んで歩いたら、まるでリナリーの父親が俺みたいじゃないか。それはつまり、リンジーの夫が俺というように見える可能性が――――いや、それはないか。見た目まだ若造すぎる。でもこうしてリンジーと肩を並べると、どうしようもないくらい緊張した。
いろんな世界を見てきた後だから分かる。
やっぱり、リンジーは美人さんだ。
目元は素朴なのにくりっとしていて幼く見えるけど、顔の輪郭は細く、均整のとれた小顔。さらに肌も白くてキメ細かい。ボリュームのある髪は触り心地が良さそうだ。肢体に関しては文句のつけようがない。出るところは出て、絞まるところは絞まる。特に太もも。太ももの張りと艶やかさが色っぽすぎる。一度は子を産んだ女性とは思えない奇跡的なスタイルの良さだ。
まずいな、俺の中の思春期が、リンジーを女として見るようになっている……!
だめだめ、命の恩人だし。
俺とリンジーの関係はそういうものじゃない。
男と女のあれやそれじゃない。
言うならば、そう、信頼し合った家族。
姉弟みたいな。
―――だが羨ましいぞ、アルフレッドめ。
「なんか変な気分だね」
「……え?! なにが?」
変な気分?
リンジーも変な気分なのか?!
「あれから5年しか経ってないのに、今度はジャックから守ってもらう側になるなんて」
「………あ、あぁ~。まぁでも俺は当時からリンジーのことを………リンジーのことを………? い、いや、何でもない。気にしないでくれ。俺も変な気分だ」
緊張と混乱と、若干の興奮の中で意味不明な返答をしてしまった。
それを聞いてリンジーは面食らったように丸い目をさらに丸くさせている。
「ふふ、そうだったね。昔から守ってもらってたよね」
にこにこするリンジーを見てほっとする。その反面、徐々に顔が火照ってるのを感じた。恥ずかしいんだ。やましい事を少しでも考えてしまった俺自身が。
落ち着こう。
早く、落ち着くんだ、俺。冷静になれ。
こういうときは怖かったときのことを思い出そう。
最近怖かったこと、怖かったこと―――そうだ、リナリーのパンツを観察していたときに遭遇したシアのあの無機質な仮面のような顔。
あれは怖かった。
「でもジャックは大変だね。モテるから」
「―――え?!」
「いろんな女の子に追いかけられてるじゃん」
予想外の切り返しに少し冷え始めた俺の顔に再度、火照りがぶり返す。リンジーはふふふと口元に手を当てて笑い出した。俺の狼狽ぶりがどうも愉快らしい。
「こないだシアちゃんと話してて思ったんだけど、あの子間違いなくジャックのことが好きだよ」
「えぇ!」
そんな真っ直ぐに言われても!
「それにアイリーンちゃんはどうするの? あの子は言うまでもなくジャックに夢中だし」
「………」
「掘り出せばまだまだいる気がする。モテる男は辛いね」
「……そうだったっけ」
どうせ中には子どものオママゴト気分のも含まれてるんだろう。名前の挙がった2人に関しては自覚はしてるけど、他にいるはずもない。
それに俺如きでモテるってなったらユースティンはどうなる。もはや新興宗教の教祖レベルじゃないか。かろうじてあの性格が幸いして薔薇の棘のようにプロテクターの役割を果たし、あいつ自身を護ってきた。だが、あの巨大な迷宮都市であの人気……この街の女全員連れて帰れたとしても不思議じゃない。
「ジャックは抱え込みすぎるんだよ。そんな態度でいたら、女の子に失礼だぞっ」
そうしてリンジーは俺にデコピンを食らわせてきた。
―――優しく、だけど。
これはきっと姉からの忠告ってやつだ。愛想尽かされる前にちゃんとした態度でいろ、という意味合いの。
肝に銘じておこう。
女心と秋の空とはよく聞く話だ。
その様子を見て、前のめりに歩くリナリーはケラケラと笑っていた。こんなやりとりで笑いが取れるならいくらでもデコピンされてもいい。というか、本音を言うとリンジーからもっとデコピンされたい。
いくら街中の人から感謝されようとも、英雄として像が建てられようとも、俺は人間として未熟すぎる。トラウマを前にして足も竦んで泣き出す雑魚だ。まだまだ間違った道を歩く可能性だってある。
そういう時にもっとデコピンしてほしい。
「でも目の前にいる人が困ってたら助けたいって思うんだ。これはもう性格というより本能に近いよ」
「あのね~…………自分以外に1人でも守れたら聖人じゃないかな」
呆れたように溜息をつくリンジー。
思い返せば、俺は自分の事こそ守れていない。迫る危険に対して捨て身で暴れてるだけの無能だ。仮に何でも守れる剣があったとしても剣自身が壊れてしまえば、持ち手にも傷――つまりは迷惑をかけてしまう。
迷宮都市での事件が良い例だ。最後にはシアに支えてもらわなければ、俺の無理は通らなかった。それは他人から自分勝手だと指を差されても仕方ないほどに。
最低限、我が身は守る。その次に他人じゃなければ、害を被るのは一番近い身内なんだ。
十を守るうちに一が愛想を尽かし、九を守るうちにまた一が愛想を尽かし……そんなことを繰り返したら結局は独りになってしまうのかな。
ふと気づくと、リンジーは自問自答をしている俺を黙って眺めていた
「うん……? どうしたんだよ、リンジー」
「ふふ、ジャックの良いところはそういうところかな」
良いところはそういうところ?
一体、どういうところの事だろう。ポジティブな言葉なのに、あまり褒められている気がしなかった。まぁ、こういう時に俺の迷いを正してくれる存在がいてくれるってだけで嬉しい事ではあるけどな。
「でもさ、もしジャックにまだ余力があるなら―――」
「うん?」
「この子のことも守ってあげてほしいな」
リンジーはふざけた顔でもなく、真面目な表情でそう告げた。
さっきのが姉としての忠告なら、これはきっと母親としてのお願いだ。彼女、布いてはアルフレッドでも守れない脅威がないとは言い切れない。そんなとき、蛮人の力も必要だという事だろう。
「もちろんだ。そのために"今日"付いてきてるわけだし」
「……ふふ、そうだった。ありがとね」
微笑む聖母さま。
リナリーだけじゃない。
守りたいこの笑顔。
一方でリナリーは横から「パンツァーお兄ちゃんなんてイヤっ」と反抗していた。俺はいつのまにか変態お兄ちゃんからパンツァーお兄ちゃんに昇格していたようだ。本来の意味ならめちゃくちゃ強そうだが、由来を知ってる人間からしたら変態という意味に変わりはない……。
「鎧装お兄ちゃん?」
リンジーにはその背景まで伝わってなくて良かった。
○
バーウィッチ魔法学校。
バーウィッチの郊外に位置する広い敷地を有する魔法学校だ。この近くでは他に魔法学校が無いことから、周辺の町―――ソルテールやダリ・アモール、小さい集落や村などからもこの学校に入学する子どもが多いそうだ。一応、寮もあるみたいだが、ソルテールくらい近い町だったら通学用の馬車も出しているみたいで、だいたいの生徒は通学しているらしい。
入学が決まったリナリーが寮生活が出来る年齢ではないのもあって、通学することになった。
そういえば、アランとピーターもこの学校に通ってたのかな……。
あのときの俺にもう少し戦う力があれば――――いや、あれは事故だった。そうやって"抱え込み"すぎるのは毒だと言われたばかりだろう。もう自責に捉われるのはやめにしよう。
この学校に入学する年齢に決まりはないが、だいたい7歳~10歳程度から通い始め、在籍期間は普通は5年。特例ですぐ卒業する生徒もいる。
特例といえば、リナリーもそうだ。
この子は歴代初の5歳入学。
ちょっと早すぎる。
しかもそんな5歳の子が1人で通学するとなれば親の送り迎えをつけた方がいい。だが、ソルテールとバーウィッチの距離を考えたら、親が送迎で2往復もしていたら丸一日潰れてしまうし、かといって終業時間まで街で時間を潰していたら仕事や家事が手につかない。
―――そこで出てきたのがこの俺だ。
俺がご令嬢警護兵となってリナリーの送り迎えをするということになった。そもそもアルフレッドとリンジーは我が子を魔法学校に通わせたかったらしい。自分たちが魔法学校出身で充実した経験、良き友との出会いがあったという事もあるんだろう。
彼らの悩みの種はリナリーの年齢。5歳児じゃ寮にも入れられない。家事や仕事を放って送り迎えするわけにもいかない。俺の登場は、そんな板挟みの状況をまるで解消しにやってきたかのようなタイミングだったとか。
アルフレッドが俺がやってきた日の晩、上機嫌で大盤振る舞いをし、そして最後にこの件の相談事をしてきたのはそういう事だったようだ。曰く「まさに女神様からのお恵みを感じたぜ」とか言っていたが、その本人はすっかり女神様のことを忘れているんだから呆れたものだ。
まぁ俺もバーウィッチで目的があるから好都合。
父親との再会の機を待ちながら、仕事も探す。
日中の空いた時間にこっちで受けられる冒険者クエストや、アルバイトでもあれば引き受けてお金を稼ぎたいと思ってる。アザリーグラードみたいにダンジョン中心の街でもあるまいし、クエストだけじゃお金にならないかもしれない。
それで今日は学校の入学手続きの日。
魔法学校は、夏が過ぎ去って肌寒くなってきた秋頃から始業するらしい。最初の日は母親であるリンジーも同席し、ガイダンスや入学レクリエーションを受けるとか。大きい施設だけにその手のところもしっかりしていた。
その門をくぐり、三人で学校施設に入場した。
石畳の通路が広く続いている。その先に学校の正面口がある。正面口は綺麗に石工された石段を5段ほど登ったところに大きく戸口を構えていた。そこが本棟のようで一際大きい。
その建物の横には修練場のような整地されたスペースがあり、その奥にも大きな屋内施設がある。一目見ただけでは何がどういう施設なのか分からない。
とにかく広い。それだけだ。
俺がその庭をキョロキョロと見渡していたところ、正面の方から親しげに呼びかける声が耳に届いた。
「おーい、リンジー」
「あ、ドウェインだ」
え、ドウェイン?!
俺はその声のする方に目を向ける。
魔法学校の正面口前に立つ男。
癖のあるロングウェーブの髪を後ろで1つに結んで佇んでいる美丈夫がいる。優しそうな顔でこちらに手を振っていた。動きやすそうなブーツに、肘まで捲った白シャツの袖、茶色いベストの姿。その格好は、魔術師というよりも探検家のような印象を受ける。
「ドウェイン、こないだはありがとね。これから娘をよろしくお願いします」
「快く任されようじゃないか―――と言っても、僕は上級生が学ぶような闇魔法の担当だから、当分は直接教えることはないけどねぇ」
俺が最後に記憶しているドウェインとはすっかり違っていた。むしろ記憶が吹っ飛ぶ以前のドウェインのままのような気がする。いや、それ以上に落ち着いている気がする。本当に本人なのか?
髪もだいぶ伸びたな。
「んん? そっちの子は…………おや、この頬の痣は……うーん……」
その彼に俺はまじまじと見られた。主に右頬から首筋を。
それは5年前と同じ反応だった。
「あ、ジャックだよ。覚えてないかな? 5年前までリベルタにいた子」
「―――あぁ、キミが? いや、悪いけど直接は覚えてないよ。徐々に思い出してはいるんだけど、どうしてもキミが現れる前くらいからの記憶が抜けたままでね……ぼんやりと霞がかかってるみたいなんだ。でもキミのことは話には聞いてる。当時はいろいろと迷惑をかけたみたいだね……あらためて、ドウェイン・アルバーティだ。よろしく頼むよ」
ドウェインはペラペラと流暢に喋っている。俺への態度はあっさりした印象だが、相変わらずの雄弁さだった。……まだ鍛えてるんだろうか。差し出された右手、そしてそれに続く腕は学者気質の人間にしては使いこまれたように逞しい。
握手を求めているんだろう。
俺はそれを握り返して自己紹介し直すことにした。
「俺には名前はないけど……ジャックだ。ドウェイン、元気そうで良かった」
「名前が無い? ふむ、実際に見ると益々と不思議な子だねぇ―――それにこの右手は」
掴まれたままの右手を手繰り寄せられて間近で観察される。眼をこれでもかというくらい見開いて、その紋章に釘づけになっていた。
「ドウェイン、それよりも早く案内してよ。話し出すと長いんだから」
「―――あぁ、そうだね。ごめん、こっちだよ」
俺にとっては大事な部分だったんだが、まぁ今度ゆっくり話せるときでいいか。復活したドウェイン頭脳で女神ケアの所在でも引き当ててくれるかもしれない。
俺とリンジーとリナリーの3人は魔法学校の中へと通された。