平穏なんて絵空事ですね。
それは、その日の放課後のHRの時間のこと。
帰りの準備をしたりスマホをいじりったりしながら、先生の話を聞き流している者達の中、それは起こった。
「先生、新秀則君が隣のクラスの金崎の被害を受けているのはご存知でしょうか」
机に両手をついて先生を睨みつけるその黒髪は、秀則の平穏を、音もなく破り捨てた──
◇◆◇
「おい、秀則ィ」
教室でのことだ。
聞こえたのはいつものごとく、金崎の呼ぶ声だった。今回は珍しく、金崎の方から秀則の教室に来たらしい。
また秀則の金をむしり取りに来たに違いない。だが、無視するとそれはそれで面倒だ。
「なんだい」
「金」
やっぱり。
金崎はその一言だけ伝えると、ポケットにてを突っ込んだまま、秀則の席にズンズンと近づいて来た。
なんだろうか、また暴力だろうか。
秀則は読んでいた本を机の上に置き、金崎にバレない程度に身構えた。
「この前も言ったけどさ、僕は今金を持ってないんだ。余計な物は持ちたくない主義でね」
「ンなこと聞いてねぇんだよ」
金崎は秀則の言葉など気にもせず、相変わらずの厳つい風貌で秀則を見下ろしてくる。
だがその顔には、どこかいつもと違う何かが見られる。
なんだろうか?
「だから、持ってないんだってば」
「知らねぇよ。いいから出せっつってんだよ」
「無いよ」
「っ! てめェッ……!」
金崎の拳が、サッと振り上がった。
来た。金崎お得意の「言うこと聞けパンチ」。
秀則はぐっと歯を食いしばり、来たるべき衝撃に耐えようと──
(………………あれ?)
振り上げられた拳は、ぷるぷると震えたまま空中で止まっていた。
金崎は躊躇しない男だ。パンチ一つでこんなにもビビるとは思えない。
なんだろうか?
「……チッ」
と、舌打ちが一つ。
そのまま金崎は拳を下ろし、秀則の前から去っていった。
パンチの一発も覚悟していた秀則は、その呆気なさにポカンと口を開けていた。
(珍しい……金崎が僕に八つ当たりしないなんて)
そう言えば、今回はイレギュラーばかりだ。
先生や周りの目を一応は気にしている金崎は、人のたくさんいる教室や昇降口などでは絶対に秀則に絡んでこない。
それに、彼は所謂サル山のボスといった感じで、いつも子分を二、三人は連れている。
まして、こんな風に簡単に逃げ去ることも無い。
その教室に居合わせた人達でさえ、その違和感は感じているようだった。
「……まぁ、ともかくね」
金崎が暴力を振るわなかった。それだけで十分不思議だが、それが痛みを伴わないことに越したことは無い。
越したことは、無い。
自分の中で完結したはずなのに、心の中では納得しきれない所が一部。
それは、きっと──