生きる世界は恐ろしい
一年以上放置して、そろそろ連載したままのも何とかしなきゃと思い、まずは書くリハビリだよね、と少しずつ短編から練習しようかと、最初の一行だけで放置していたのを発掘して書いてみました。
あの頃に還れるならば、と人はよく言うものだけど私もまたそれができるならば、是非とも還ってあの時の私にこう言ってやりたい。
「ダメ!絶対!近寄るな危険!」と。
私は地方の海辺の小さな町で生まれた。
母は小さなバーを開いており、私を生んだ時には世間で言うところのいわゆる愛人と呼ばれる存在だった。
人から二号さんとも呼ばれ、二号さんとこの飲み屋の娘、あるいは店の名前である「チェリー」の娘とよばれていた。
私の名前である桜なんて人に呼ばれる事なんて幼い頃からなかった、それが当たり前で育った。
閉鎖的な小さな町の、隣近所どころか、町中の人間が皆それなりに知り合いで、それぞれの家を名字でなく屋号で呼び合う、夏だけは海水浴の客で賑わうそんな町で私は生まれ育った。
私の覚えている最初の記憶は陽の射さない暗いじめじめとした家屋から年中漂い匂う独特のお酒の臭いと、階下から夜の暗がりの中に聞こえてくる漁師を生業とする潮に焼かれた男達の大きなダミ声と、それに被さるように聞こえる女達のけたたましい嬌声だった。
その独特の雰囲気を持つひと時が終わり全てが寝静まる朝がくるまでの静かな時間に聞こえてくるのはどこまでも重く被さるような暗い波の音だ。
他の全てを侵食するように聞こえる、低く響く寄せては返すあの独特の波の音はいつも私の記憶の底にあった。 そのせいなのか私は今でも海が好きで、そうして大嫌いだった。
母という人はただ私を産んだ、本当にそれだけの人だった。
私という存在がこうして無事にあるのは店で働く気立てのいい女や、店の掃除にくる年配の女がどうにかこうにか、かろうじて生きていくぐらいには面倒をみてくれたからだった。
口さがない連中がこれみよがしに話しをしているのを幾度か聞いたが、どうやら母は父に対して後妻はまだしも、子供を産んだことでそれなりのお手当を狙っていたらしい。
ところが蓋をあけてみれば、本妻さんに頭が上がらない、大きな口だけを聞く少しばかりの金だけを持ってる情けない男だった。
母はすぐに金にもならない口だけ男を捨てた。
そんなものだから母は私がどうなろうと一切の関心もむけなかった。
いたらいたでいい、そんなもんだ。
そうして育っていった私は、何とか自分でそこらへんをあさって物を食べられるようになると、自然と誰も面倒をみるものがいなくなった。
自分でも思うが、感情というかそういうものを一切なくしたような可愛いげのない子供の面倒をみようなど誰も思わない、とってもそれはわかる。
もちろん私にだってちゃんと心はあったんだ。
それを何かがおこるたび内深く揺らしてはいた。
ただそれが表にはあらわれず、人に伝えるすべがわからなかっただけだ。
今思えば、ものごころのついたころから人との関わりをなくしたせいで、芽生えたはずの感情をぶつける相手がおらず、そのまま消してしまうことだけを上手に覚えて育ったからだと思う。
そんな私に変化が訪れたのは、いつのまにか近所に住み着いた野良犬の「しろ」と接するようになってからだった。
子供の私は「しろ」を抱きしめる事で暖かい体温を知り優しい気持ちを知った。
田舎の町はまだ捨て犬には寛容で、まあ無関心とも言うけど、それほど野良犬の住み心地は悪くなかった。
店で客や女達が食べ散らかした残飯を「しろ」以外の野良犬にもあげるようになると、それらの犬でだんだん私の周りは賑やかになっていった。
放し飼いのそれらに誰も私に文句は言わなかった。
あまり人目のつくような所で犬達と遊ばなかったのも良かったのかも知れない。
まだまだ田舎には人が入らない林などが豊富にあったから。
私はその犬達を自分の犬として扱った。
いや飼っていると思っているのは私だけで周囲はただの捨て犬との認識だったのかもしれないが。
子供の私は朝起きて寝るまで犬達と一日中過ごした。
食べ物には本当に困る事がなかった。
前夜食べ残されたオツマミとか客のとった店屋物の残りなどがいつもあったから。
犬達と私はそれらを一緒に食べて、まだ暗いなかから外に出て一日中遊んだ。
まだまだ自然が残るそこには私と犬達がさ迷い歩いても、誰とも会わずに過ごせる場所がいくらでもあった。
毎日そうして私は犬達と自由気ままに過ごしていけたのは、私に関心をむけるものが誰一人としていなかったからだろうけど。
そんな日々を私は小学校に上がってからも続けていた。
小学校にはいかなかった。
担任の先生はおろか自分のクラスさえ知らなかった。
私は犬達やそれにたまに混じる猫達とひがな一日気ままに過ごしていた。
雨の日やひどく寒い日には人が住まなくなった空き家や、夏の間だけくる別荘族の高台にある住まいなどに潜り込み私は過ごした。
何度か小学校の先生が家にやってきたようだけど、母はああだし、それは形式だけのものになっていった。
そんなある日、私はそこらで拾った木の棒を振り回し見回りと称した遊びをした。
雨の日に訪れる隠れ家の一つ一つを回って歩いた。
私の後をいつものように犬達がついてきて、いつものように一日が終わるはずだった。
そこは小高い山の中腹にある夏の間だけ貸し出される古びた建物の一つで、天窓がある私のお気に入りの一つだった。
いつものようにしけった陽のさしこまない裏の勝手口に積んである酒などが入っていた木の空き箱をよじ登り、2階のベランダまで身軽に飛びのった。
犬達がク~ンと鳴くのに、「待ってな」と声をかけ、カギががたついてかからない2階の窓から中に入りこんだ。
すぐに犬達を迎えるべく一階に向かおうとして、私はその気配に気がついた。
こう見えてもいつも自然の中をふらついているせいか、ひどく勘だけはいいのだ。
私は何が私にピリピリと訴えているのか思うより先に一回りそこをゆっくり見渡した。
いつもならただ何もないだだっぴろいだけの空間なのに、今日は違った。
違う、のだ。
そして私は天井を見あげるとそこを見ながら声をあげた。
「にゃあ~」 そのまま少し上を見続けたが、何の物音もしなかった。
けれど確かにそこには何か生き物の気配がある。
それも大きな生き物の気配が。
私はもう一度お気に入りの猫のミャアの鳴き声を真似て小さく「にゃあ~」と鳴くとそのまま下に降りていった。
一階に降りると入口のドアを爪でガリガリとやる音が聞こえる。
すぐにドアを開けて私は私の犬達を入れてやった。
まあ、2階の天窓のあるロフトに続く私のお気に入りの場所には誰かがいるようだから、そこは先に取ったもん勝ちだろうと私は納得し、今日の目的だったそこではなく1階でいつものように犬達と少し過ごし次の場所に行こうと思った。
けれど犬達が落ち着かず上に向かって吠えたり唸ったり、揚句の果てには階段を一匹がかけ上がると皆それに続いてしまった。
それからはまあ犬ってこんなにうるさく騒ぐものかという状態。
一匹ずつ首に手をかけ落ち着かそうと声をかけ宥めようとするけど、その時だけ私を見てなき止むけど私が腕を離すとすぐに吠えだす。
こりゃあダメだとここから出ようとした時、同じようにお手上げだったらしい見えない上から突然声がかかった。
「お嬢ちゃん、頼むわ~、静かにさせてくれねーか」と。
私は確かにうるさかったよな~と思い、そのままコクンと見えない天井に向かって頷くと、そのままわざと走って1階の玄関に向かった。
犬達はこのまま威嚇を続けるか、私を追うか考え、すぐさま私と追いかけっこをして遊ぶことにした。
いつだって追いかけっこが大好きだから尻尾をクルクル回し嬉しそうにかけてくる。
そのまま私は犬達と追いかけっこを楽しんで、 そうして私はその出来事をすっかり忘れてしまっていた。
それから数日がたったある夜、母の店の雰囲気がいつも以上に賑やかだった。
いつもより多い女の人の嬌声と、次々に届く店屋物や寿司屋のバイクの音。
私は下にそっとおりカウンターの隅のくぼみに隠れて様子をうかがった。
店はいつもの漁師達ではなく黒いスーツ姿の男達で貸し借りだった。
食べ物の数の多さに、私はニンマリと笑いこれならば食べ残しではなく綺麗なままでもわからないとホクホクと積み上げられて置いてある寿司桶を一つ素早く持つとそっと2階にもどった。
次の夜もそうだった。
カウンターで隠れて食べ物をあさっていた私の耳に客の男の一人がカウンターごしの反対側から
誰かに電話を小さな声でしているのが聞こえた。
「はい、この町が最後です。ここら一帯しらみ潰しで捜してます。明日は山の方いって・・・、はい、おまかせ下さい」
どうやらこの男達は誰かを捜しているらしい。
山、山?私はやっとこの間の出来事を思い出した。
あそこにいた人を捜しているに違いないと思った。
明日山に捜しにいかれて見つかれば、この素晴らしいパラダイスが、おいしい食べものがまっさらな状態で食べられる、このお祭り騒ぎがなくなってしまうんだ。
それに気がつくと私は急いで食べ物を掻き込み、もうひとつ丼ものが置かれているお盆からそっとカツ丼とおぼしきそれをさっと抱え2階に戻りながらどうしたらいいか考えた。
そうだ、 捜しても見つからなければいいんだ。
私はそう結論を出し、そっと家から離れ、あの場所に向かった。
ところが「しろ」がすぐさま私に気がつきついてこようとする。
他の犬は縄張りの確認で出払っているらしく姿が見えなくラッキーなのに。
私はついてこようとする「しろ」に困り、しょうがないので、また一度部屋に戻りカツ丼を「しろ」にあげてその隙に駆け出した。
ごめん、「しろ」おいしいもんの為だもん、あんたたちだって、凄いご馳走続きじゃん、おいていくけどゴメン、そう心で声をかけながらこれまでになく慎重にあの家までやってきた。
すぐさま2階まであがり天井に向かって小さく声をかけた。
「うちの店に男の人がいっぱいきた。昨日もきた。明日こっち探すって」
そう一気に言って家に戻ろうと踵を返した。
背中を向けた私の耳に「ガタン」と天井の開く音が聞こえた。
私はそこですぐさまトンと飛び降りてきた一人の男に拘束されてしまった。
ありえない身体能力の男だった。
なぜなら私はその気配にすぐに反応しすぐさま逃げたのに、私の自慢の素早さなんて何の役にも立たない動きであっというまに追い詰められ捕まった。
初めは何か殺気だっていたけれど他に誰もいないと確認すると根掘り葉掘りと聞いてきた。
どのくらいその人間がきてどんな様子だったとかいろいろ。
私がそれに答えていると他に二人の男も降りてきて、三人で何やら話しだした。
私の拘束はすでに解かれていたけど、かといって逃げられないのがさっきでわかったので、ただボケッとしてると一人の男が私の事をいろいろ聞いてきた。
たま~に声をかけてくる人に対すると同じように知らんぷりしていたんだけど、その男は犬達の事も聞いてきた。
私は何もしゃべらないつもりでいたのに、普段の無口ぶりはどこに消えたのか犬達についていかに可愛いかを怒涛の如くしゃべっていた。
はっとおしゃべりしている自分に気がつき、私はうろたえるのと同時に恥ずかしくて「早く逃げろ」と彼らに不機嫌に言ってやった。
私が知ってるここからの裏道の幾つかを教えてやってそれで終わり、そのはずだった。
その男がそう言うまでは。
三人の男の中でも私を初めに捕まえた男はひょろりと背が高く目が細くていつも笑っているような顔をした狐のような男で、後から出てきた男の一人はその男より縦も横も大きく首も太くて、土佐犬のような男で私に話しかけて犬の事も聞いた男だった。
そうしてここからさっさと逃げようとした私に声をかけてきた最後の一人、同じように背が高くそれでいてその雰囲気はテレビで見た猛獣のような物騒な感じがしてビリビリする男、私が一目見てヤバいと思い、その勘に従って絶対見ないようにしていた男からの声かけだった。
「なあ、お嬢ちゃん、俺らも拾ってくんないか」
「まともに飯も食ってねぇんだよな。それに隠れんぼの基本を教えてやんぞ」
そううっそりと子供相手に容赦なく物騒なものを隠さず笑う男に、その瞬間脱兎の如く駆け出したい気持ちをおさえ、野生の勘に従って犬のように服従の腹を見せた私を誰が責められるだろう。
初めて至近距離から目を合わせてしまった私はその男の言う事を聞く以外にない、と瞬時に理解した。
奴らは大胆にも私と共に私の家にそのまま帰り、まだドンチャン騒ぎしている階下を鼻で笑いながら私の狭い部屋で暮らしだした。
階下でちょろまかしたご馳走を当たり前のように食べながら、だ。
私がいる部屋は誰も入らないし小さなシャワー設備もある。
階下は水洗トイレだが上のトイレは昔ながらので私以外使わない。
隠れて住むにはいい条件だった。
その奇妙な同居は捜している彼らがあきらめて帰っても、その後しばらく続いた。
時々部屋にいる人数が減っていたりもしたが、彼らは当たり前のように私と隠れて暮らした。
その彼らでさえ私への周囲の無関心ぶりに驚いていたけど。
そんな彼らを見つけてからちょうどひと月が立った頃、彼らは忽然と消えた。
数日たってもう帰らないと実感した時の私の気持ちはわかってもらえるだろうか?
もうこれで私の食いぶちは減らない。
食べ物を探しても全部自分と犬達だけのでいいんだ!
私は狂喜した。
やつらはお金をくれて食べ物を買ってこいと言うが、対人間スキルがない私にはそれは苦行でしかなく、自動販売機で買えるものだけを買いあさり、後はいつもの食べ残しや冷蔵庫にあるものをちょろまかすという私にとっての最終手段を使って奴らに食わせてやっていた。
小学生に食わしてもらう大人の男達・・・。
ましてや「しろ」達のように可愛い訳じゃない。
私は生まれて初めて神様に感謝した。
私はあれから一つだけ決心した。
世間の大人について冷静に考えた。
自分の両親と言われる人間に周りにいる大人達、奴らを探しにきた男達。
きわめつけはあの三人の男達。
ダメだ。
世の中はありえないほど馬鹿ばかりで危険な奴らばかりいる。
いつか私が大人になったら、ああいう奴らと生きていくのか。
頭に浮かぶのは私の部屋で喜々として人さまを陥れる陰謀を語る三人の男。
人の命を何とも思わない会話。
まあ、私だって私と犬達以外どうなろうと関係ないけど、少なくとも人には迷惑はかけてないと思う。
けれどいずれああいった大人がわんさかいる世界で生きなきゃならない。
私はウンウン考えた。
本当に考えた。
けれどどうしてよいかいくら考えてもわからない。
体を鍛えるのはわかった。
あとは何をすればいいんだろう。
いつか体も大きくなり上手に隠れるのも難しくなる。
ましてや、隠れる技は確かにあいつらの方が上だった。
途方にくれていたら、自転車を押して歩くおじさんのラジオからそれが聞こえてきた。
ラジオの声の人がたくさん勉強をしてそのおかげで今自分の好きな事ができる、そう言っていた。
「勉強をすれば好きな事ができる」
私はその言葉に飛びついた。
あの馬鹿で恐ろしい大人があふれる世界で「好きな事ができる」んだ。
私は「好きな事」などないから、「自分を守る」のが目標だ。
なら勉強をすればもっと簡単なはず。
それからの私はちゃんと小学校に通った。
ひらがなもカタカナもわからなかったけど。
それを一生懸命覚えて勉強した、それがわからないとダメだと先生が言うから。
みんな私を馬鹿にしたけど、あの大人達がいる所にいずれ出ていく事を考えれば、全然平気だった。
余裕がある同級生達には尊敬の念を覚えた。
あんたらは凄いよ、そう思っていたせいか、私を嫌がり馬鹿にしていた同級生が一人二人と「しょうがない」と言って私に勉強を教えてくれる子が出てきた。
それから少しずつ遊びにも混ぜてくれるようになった。
そして何より小学校で素晴らしかったのは給食だった。
こんなシステムがあるなら絶対学校を休むなんて馬鹿はしなかったのに。
初めて給食を貰った時は急いで食べて味がわからなかった。
残りものを何とか貰おうとしたがダメだと言うので、次の日はいつも学校の送り迎えにきてくれる犬達に食べさせてあげようとしたんだけど凄い怒られた。
なぜだかわからないがしちゃいけないというなら仕方ない、「決まり」だそうだ。
「決まり」を守らなければ学校にはきちゃダメだ、とみんなが言うので私は守った。
この先のあの大人達に対抗するには「決まり」
が必要なんだろう。
私は生きるために勉強しなきゃいけないから「わかった」と言った。
そんな感じで何とか今だ不思議な事はたくさんあるが私は学校に通っている。
まだまだ成績は悪いらしいが、字の読み書きも簡単な計算さえ出来るようになったのに。
まだまだ他の子には遅れていると先生がいうんだからそうなんだろう。
いつもいつも私は頑張って勉強をした。
だから小学校を卒業する年には何とか皆に追いついた。
その間に犬達の数も事故や怪我などで少しずつ減っていった。
ある時姿が見えなくなり、それっきりの犬もいた。
自然な事だもの、寂しくてもちゃんとお別れした。
小さな変化はあるもののこうして私はこの春、中学校にいく。
今だ母には制服を買ってもらえてないのがちょっと心配だけど、まあなるようになるだろう。
そう思ってのんびり構えてた私がある日家に帰ると、家の前にずらっと見たこともないような大きな黒い車が所せましと並んでいた。
私がそれに気がつくと、その中の一台の車のドアをあけて一人の男が降りてきた。
ニコニコと目を細めて笑う男を訝しげに眺めると、これまた一人降りてきた。
ここで私は気がついた。
あの狐男と土佐犬男だと。
私は自己流で体を鍛えてきた。
誰よりも早く駆けるし、同級生の男の子にも喧嘩は負けた事はない。
今じゃ小学校のテリトリーの頂点にいる。
おいしい給食のおかずも一番多くよそってもらえるし、みかんも貢がれている。
だけど、だけど彼らを見てわかった。
私もバージョンアップしてるけど、あいつらはもっと、あの時よりももっとすさまじくバーージョンアップしてやがる。
私はランドセルを歩み寄ろうとする奴らにぶんなげると、すぐさま回れ右して駆け出した。
何しにきたんだと頭の隅に思ったけど、どうせろくなもんじゃない。
何日か山に逃げ込むかといくつかの隠れ家を頭に思い浮かべながら走った。
逃げたんだよ、ちゃんと。
最近お気に入りの山の廃屋に向かおうとして、私の勘が山はダメだと囁きだした。
私は山道の途中から薮の中をかきわけ海辺に向かうルートに変えた。
海水浴場で夏は賑わう遊泳場所ではなく、乙姫御殿と称して何がやりたかったのか中途半端な観光施設のまま廃業したうらぶれた建物の中に逃げこんだ。
周囲を見渡し誰にも見られていないのを確かめそっと入った。
食堂施設を通りすぎ奥に作られてまだそのまま残っている大きな水槽に息を整えるため寄り掛かってしゃがみこんだ。
ここは自殺する人が多いという噂のため、迷信深い海に生きる人間がほとんどのこの町では、地元の人間は誰も近寄らない。
私は時々変な黒い影や神社にあるようなお面のような顔をしたもの、手だけのものなどそこらで見るけど、何が怖いのかわからない。
あいつらは何にもしないでほっとくものだ。
それで大丈夫。
やっぱり生きてる大人の方がどんだけ怖いかと思う。
だってカツンカツンと迷いのない足音を響かせここにやってくるのは生きてる人間で。
結論から言うと私はあの猛獣じみた男に捕まった。
足音を聞いてすぐさま上に飛びあがり小さな窓から勢いよく飛び降りた私をその下で軽々と受け止めたのは、あの男だった。
いつ下に現れたのかと茫然とする私をその腕に抱え歩き出したのは、バージョンアップもはなはだしい猛獣みたいなあいつだった。
「飼い主の事を全て知ってるのは飼われてるもんの特権だよな」
そう言って更に逃げられないようにきつく抱きかかえ、同じように、いつのまにか我が家の前からここに現れた、猛獣男の両隣りに並ぶ狐男と土佐犬男にそう笑いながら話すんだ。
私はそのまま車に乗せられ生まれた町を離れた。
猛獣男は権力闘争に巻き込まれ、やる気がなかったんで唯一自分が認める二人の側近を連れて、ブラブラと「それなりに」逃げていたらしい。
私が何でと後から聞いた時、
「パフォーマンスは大事だろーが。あんときゃ逃げときゃ何とか収まるはずだったんだ。戦線離脱つー形で話しがつく事になってたんだよ」
そう言ってすぐに、
「でもよ、話しは変わっちまったんだよ。やっぱペットの犬としちゃあ、飼い主を大事にしねーとな」
だからが何なのか知らないが、彼らは方針を転換し権力闘争のただ中に躍り出て、あっというまにトップに立って、飼い主だと言う私の為にひたすら頑張っていたと言う。
褒めろとえばりくさって言うその態度のどこが私の犬だというんだろう。
可愛いしろを見習えと言いたい。
しろの足元にも及ばない。
私はあのまま連れ去られ戸籍上はあの猛獣の妹になった。
大都会に住んでいるけれど私は警戒を怠らず、私立の女子中学校に通っているけど、しっかり勉強は頑張っている。
もちろんここのテリトリーの頂点に立つべく戦っている。
あの狐男がこれには役に立ち情報戦で先を越し、猛獣男に見た目を磨かれ、おかしい事にここでは腕力ではなくバックの力と知能と見た目で勝負をしていく。
もうじき三年生が高等部にあがり、私の天下がやってくる。
私は庇護を求めるものにはどこまでも与え、逆らうものには立ち上がる事も許さずやっていく。
隙を見せたらどんな事になるか、あの三人のやりようを見てればわかる。
やっぱりあの大人達の恐ろしい世界で生きるには勉強あるのみだ。
そう思う。