第七十話 目指すはペグーニャ
ノスリさんが父親に会った日から数日。今日は露店も開かず、私は配達に出かけていた。馴染みの客が経営する店である。
ミーナさんが里帰りする前に受注していた仕事は全て終わっている。本来なら只今絶賛休業中なのだが、今向かっている相手ばかりは別である。今日のように、2週間に1度、腰痛や肩凝りに効く薬を持って行くよう頼まれた。
昼間は家より店の方に行った方が手っ取り早いとは、最初にここまで案内してくれた時ミーナさんが言った言葉だ。
「お邪魔します」
建付の悪い扉を軋ませながら開ける。中に入ると、古い木の匂いと 「おう」という低く枯れた声に出迎えられた。
「こんにちはバーツさん。澪です。いつもの薬を持ってきました」
入り口から斜め奥、雑多な商品を前衛的なオブジェのように積み上げた台の奥が、店主であるバーツさんの定位置だ。今日もいつもと変わらず、机とカウンターを兼ねる台の狭い空き場所で何やら商品をいじくっている。
「おう。今日は1人か」
「はい」
バーツさんはティフを知っている。ミーナさんの下で働き始めたばかりの頃、ここに一緒に配達に来た時にティフはしれっと姿を現した。ここで扱う品物に興味を惹かれたらしい。バーツさんはティフを見ても驚いた様子はなく、言葉を失う私を尻目に2人はあっさり打ち解けていた。
「ミーナはまだ帰らないか」
「……そうですね」
今日でミーナさんが里帰りしてから20日が経つ。彼女はまだ帰ってこない。
早くて2週間、遅ければもっとかかると言っていた。しばらくは気長に待つしかないだろう。あまり長く休業し過ぎて、他の店から取引を打ち切られないかは気になるが。
「実家で面倒事が起きたそうだな」
ミーナさん曰く、バーツさんとの付き合いは古いらしい。元は先代店長、つまりミーナさんの祖父と交流があり、今に至るという。そんな彼だから、ミーナさんの実家の内情も多少知っていて、彼が言う「面倒事」にも見当がつくのかもしれない。
何か知っているのかと尋ねたいが、他の人から事情を聞くのはフェアでない気もする。
結局、何も聞けずに代金を受け取り店を出た。
次に来る時までに何の音沙汰も無かったら、何か知っているか尋ねよう。
そう決めた翌日、ミーナさんの実家であるシュトック家から「ミーナはもうそっちには戻らないからよろしくね」という内容を遠回しに綴った手紙が届いた。
……どういうことなの。
***
緊急会議である。
といっても、私とティフだけの身内オンリー会議だが。
「ミーナさん、お店辞めるってよ」
辞めるもなにも、彼女の店なんだけれどもな。それだと 「ミーナさん、お店畳むってよ」の方が正しいか。
「じゃあ僕ら失業?」
「手紙には、お詫びにこのお店あげるから好きにしてって書いてあるけどね。手切れ金代わりって事でしょコレ」
私は頬杖をつきながら、シュトック家からの手紙をひらひら振った。
何の知識もない小娘と黒い粘液に店だけ渡してどうしろと。経営どころか維持管理だってやっていけない。
「ミーナ、本当に帰ってこないのかなあ」
「どうだろう。里帰りする前は、ミーナさん絶対帰ってくるって言ってたけど」
あの時の様子だと、気が変わったなんて事もなさそうだし。
「その手紙、ミーナ本人からじゃないんだよね」
「そうそう。そこだよ」
私は行儀悪くティフをびしりと指差した。
手紙の差出人はあくまでヒルエナ家。書かれた内容はあくまで家の意向であり、ミーナさん本人の気持ちを無視しているという可能性も捨てきれない。
「ミーナさんと直接話せればなあ」
「会いに行く?」
「そうだね……」
それができない訳でもない。
幸い、ミーナさんが置いていった書置きに実家がある町の名前が書いてある。調べれば行き方も分かるだろう。
「ミーナさんの実家がある町の名前って何だっけ?」
「ペグーニャだよ。行くの?」
「うん。そのつもり」
もし本当に帰ってこないなら、尚更話し合いの場が必要だ。主に店のその後について。
明日、またバーツさんの店に行こう。事情を話して追加の薬を持って行かないと。
「明日出発は無理だろうな……できれば明後日か明々後日が目標だね」
「はいはーい」
そうと決まれば荷作りしないと。急にやる事が出てきたぞ。
***
翌日。午前9時の鐘が鳴ると、私は鞄に衣類を放り込むのを切り上げ、バーツさんに渡す薬を持って店を出た。
帰りに乗り合い馬車の集合場所に寄って、ペグーニャへの道のりも聞こうかと考えながらバーツさんにの店の扉を開ける。
「バーツさーん、こんにち……あれ?」
「うん?」
振り向いた人と目が合う。同い年くらいに見える男性。この店で初めて見るお客だろうか。なぜか室内でも帽子を被っている。
私は眉を寄せ、誰かさんはぱちぱちと目を瞬かせて 「うっひゃあ」と変な声を上げた。
「……大変だよバーツ爺さん。1度に2人もお客が来るなんて。きっと明日は店の周りにだけ槍か矢が降ってくるに違いないよ」
言い過ぎだろ。どれだけ客が来ないんだ。うちも人の事言えないけどさ。
「馬鹿言ってんじゃねえあほんだら」
バーツさんはいないのかと思ったが、よく見たらいつもの定位置にいた。誰かさんが衝立て代わりになって見え難くなっていただけだった。
「ミオか。少し待っとけ」
「はーい」
「いいの爺さん?こっち時間かかるし、先に用件済ませてもらった方がいいんじゃないの」
「お前が話しかけてこなけりゃ倍早く終わる」
「あーはいはいはい。分かりましたよ、黙ってますよ」
誰かさんはぶつくさ呟きながら近くにあった丸椅子を引き寄せて腰掛けた。
バーツさんは職人気質で無口な爺さんだと思ってたが、以外と口が悪い。新発見。
「えーと、君さ」
「……あ、はい」
誰に話しかけたのかと思ったら私か。
「ミオさんだっけ。ボクはハンスっていうんだけど。君みたいな女の子がこの店に来る用事って何なのかな。差し支えなければ教えてくれない?」
「あー、私は客じゃないです。むしろバーツさんがお客様です」
「何それ。爺さんが客?」
「はい。薬を届けに来たんです」
私はかれこれ数ヶ月愛用している肩掛け鞄から薬の入った包みを取り出すと、よく見えるように持ち上げた。
ハンスは私が客ではないと分かって納得したのか、「そうだよねえ」と1人うんうんと頷いている。
「こんな陰気な店主がやってる店に来るなんて相当な物好きだよ」
その言い方だとあなたもその物好きに入ってます。
「まあ仕事の腕は確かだから、わざわざ来るような物好きもいるんだけど……いてっ」
ケラケラ笑っていたハンスの後頭部に何か小さな部品のような物が当たる。跳ね返ったそれを、バーツさんが片手で器用に受け止める。
「ちょっと爺さん、何すんのさ」
「馬鹿な事くっちゃべるのもいい加減にしとけ。終わったぞ」
バーツさんは机兼カウンターの上に平たい筒型の物を置いた。黒い枠の中にレンズが嵌まっていて、手持ちルーペに似ているなと思った。
「どうもどうも。いつもありがとう」
「確認してみろ」
ハンスは筒型を目に当てる。人差し指で突起を動かしながら部屋の中をぐるりと見回す。
「……うん、オッケーオッケー。やっぱ仕事に狂いはないね」
「当たり前だ。しっかし、お前は目が曇ったんじゃないか」
「はあ!?ちょっと爺さんそれどういう意味さ!」
聞き捨てならぬとばかりに目を見開き、ハンスはバーツさんを振り返る。バーツさんはハンスの剣幕も気にせず、布袋を取り出すと台に置く。
「そのままの意味だ。一通り見させてもらったが、普段と比べて随分質が落ちてる」
それを聞いたハンスは渋い顔になる。
「……最近ロクな獲物がなくってね」
「ヘマやらかす前に詐欺師にでも転職したらどうだ」
「馬鹿言ってんのは爺さんの方じゃないか!何だよ詐欺師って」
「その口八丁活かせる仕事なんざそれくらいのもんだろう」
そもそも詐欺師は職業に数えていいんですか先生。
「ああ言えばこう言う。おーやだやだ」
「お互い様だ」
「歳取っても変わらないのは腕じゃなくて減らず口の間違いじゃないのかな」
「用が済んだらさっさと行け。後がつかえてる」
「はーいはい。これ代金。それじゃあ」
ハンスは数枚の硬貨を置き、布袋を受け取ると店を出て行った。
……あの人、ノスリさんと同年代くらいだと思うんだけど、あんまりそんな感じがしない。年相応というか。まあ12歳から働いてるノスリさんと比べたらいけないのかな。
私のぼんやりした考えは、 「やっと静かになった」というバーツさんの声で打ち切られた。
「それで、お前はどうした。薬なら一昨日持ってきたばかりだろう」
「私達も暫らく店を空ける事になりまして。2週間後に戻れるか分からないので、先に薬を届けに来ました」
「何かあったか」
「ミーナさんの実家から、もう彼女はこちらに帰らないという手紙が届きました」
バーツさんは少し黙った後、そうか、と唸るようや言った。
「……あいつは言わなかっただろうが、あいつの実家はそれなりにでかくてな。金も力もある代わり、しがらみも多い」
ミーナさんの実家が普通の家でない事は、ダリウスさんが来た時点でなんとなく分かっていた。しかし、他人にはっきり言われると、改めて気後れのようなものを感じてしまう。
「あいつのジジイは実家と完全に縁を切っているが……ミーナはそうもいかんのだろうな」
「……ミーナさんは、実家が嫌いなんでしょうか」
「幼い頃から縁が切れてる祖父を頼ってまで家を出たんだ。好いてるって事はないだろう」
気をつけろよ、とバーツさんは言う。
「さっきも言ったが、あいつの家は金も権力もある。危険な目に合わないようにしろ」
……行くの怖くなってきた。
***
やる気に下方修正をかけながら店に帰る。
「ただいまー……」
「おかえり。どうしたの?元気ないね」
バーツさんから聞いたミーナさんの実家について話す。といっても大した情報ではないのだが。
「ミーナの家ってお金持ちなんだね」
「多分ねー」
普通の格好してたら相手にすらしてもらえないかもしれない。それっぽい服を何着か持っていこうかな。
「バーツさんがねえ、危ない目に合わないように気をつけろって言ってたよ」
でも具体的にどうすればいいんだろうか。ナイフ持った奴らに囲まれたりしたら詰む。お茶や食事に毒を盛られても気づかないと思う。
「最悪の場合はティフだけでも逃げるんだよ」
「そうならないように気をつけるんでしょ」
「ごもっともです」
これぞ正論。
「前に18番から沢山服もらったじゃん。あれ着てけばいいんじゃない」
「え?」
「あの服、全部魔術とか刃物除けの術がかかってるし。普通の服より安心だと思うよ」
「へえ、そうなんだ」
超ハイスペックなのは最初にもらった1着だけじゃなかったのか。
「じゃあ持ってく服全部18番さんが作ったやつにしよう」
元々私が持ってる服よりお洒落だし。
「ねえミオ、ペグーニャに行く方法は分かったの?」
ターヴァーさんの屋敷から借りパクしたナイフを荷物に追加するか悩んでいた私は、その問いにハッと顔を上げる。
「……しまった、忘れてた。明日買い物に行く時に聞いてこないと」
痛恨のミスだ。かなり大事な事なのに、すっかり忘れていた。
「もういっそ今から行こうかなあ。どうせ暇だし」
「あ、僕も行く」
そうと決まれば、とナイフを放り込んでトランクケースの蓋を閉じる。備えあれば憂いなしと言うが、使う機会が無い事を祈るばかりだ。
財布代わりのポーチに中身を幾らか補充し鞄に戻す。
「ペグーニャまで、馬車を乗り継いで行けたら良いんだけどな。野宿は嫌だし」




