第二十話 仔鹿というよりゾンビに近い
目が覚めた。
木の天井。人の顔に見える木目やシミはない。
「…… 」
ミーナさんのお店の2階。私の部屋だ。
あれ?私、昨日なにしてたんだっけ。
「ミオ?起きた? 」
「うん、起きてる。いま何時?私いつ寝たんだろ。全然覚えてな…… 」
思い出した。
ミーナさんと出かけてはぐれたことからファッキン糞野郎との出会い、別れに至るまで鮮明に。
掛布団を跳ね上げながら身を起こすとティフが布団の上によじ登ってくるところだった。
「……ティフ、あの後どうなった?」
「ミオが倒れた後?僕がここまで運んだよ」
「ああ、うん。それについてはありがとう」
それはここに寝ていたことからよく分かる。あのままだったら確実にファッキン糞野郎の慰み者になってただろうから。
「ミーナさんは?」
「大丈夫だよ。凄く心配してた」
「そっか……」
申し訳なさで言葉もない。あとでひたすら謝り倒そう。
「あの野郎どうなったか知らない?」
あんな奴らが幅を効かせてるようならもう日が落ちた後は店から出れない。あいつがあのままどっかに逃げただけでも外に出たくない。
夜道本当に怖い。暗がりなんて通れやしない。
「どっち?」
「ふぁっき、私を捕まえてた方」
おっと、年頃の娘がファッキンだなんてはしたない。
「あいつならまだあそこにいるよ」
「はあ?」
あの行き止まりの辺に?逃げてないし捕まってないの?
「動いてないんだ。どこにも行ってないの?」
「あれは動けないよ」
まず無理、とティフは言う。
なんでだろう。
「ミオ、お腹空いてない?」
「空いてる」
今にも腹の虫が鳴き出しそうだ。
「ご飯できてるよ」
「やった。嬉しいな」
ベッドから降りて、床に足を付ける。立った瞬間、ガツンと頭に殴られたような衝撃。続けて頭が酷く痛んだ。
「っ痛……」
つんのめって転びそうになった。膝打った。痛い。
膝も痛いが頭も痛い。
ガンガンと内側から頭の中をぶん殴られてるみたいに。
なんだこれなんだこれなんだこれ。
「ミオ?」
「あたま、いたい……」
膝立ちのまま歯を食いしばることしかできない。
たらりと汗が額を流れた。
目を固く閉じてひたすら耐える。
「ミオ、口開けられる? 」
ティフの声に首を振る。歯を食いしばっていないととても耐えられそうにない。
頭が痛い。痛い、痛い、痛い痛い痛い。
瞼を閉じて黒いはずの視界が真っ赤に変わっていた。チカチカと白い光が瞬いている。
頭破裂しそう。そうなったら多分死ぬよね。やだなあ。
もし頭パーンしたらごめんなさいミーナさん。部屋がスプラッタもいいところだ。
すぐ現実逃避にも限界が来る。
食いしばった歯の隙間からか細い呻き声が漏れた。
意識が朦朧としてくる。でもこんな痛みなら、気絶した方がいいかもしれない。
次、無事に目が覚める保証はないけど。
「んー、んー、どうしよう」
え?ティフ何か言った?ごめん、悪いけど後でお願い。
横向きに倒れて胎児のように丸まった。
デッドにしてバットなエンドになりませんように。
「ちょっとごめんね」
「……ぁ、ぇ?」
痛くない?いや痛いけど。これは頭を掴んでる両手に力が入りすぎてるだけで、頭痛自体はどこにもない。
嘘のように頭痛が治まった。
またすぐに頭痛が襲ってくるかと思って全身を固めたままだったけど、痛みがぶり返す気配もない。
身体中の筋肉が緩む。止めていた息を大きく吐いた。まだ脈はまだ速い感じもするけど、すぐに戻るだろう。 何度か目を瞬かせると、ぽろぽろと涙が落ちた。
「大丈夫?」
ぷよぷよと震えるティフが尋ねてくる。
「うん。なんとか」
起きようとしたけどできなかった。腕立て伏せみたいに左腕を突っ張って見たけどガクガク震えてあえなく床に沈んだ。生まれたての仔鹿ちゃんですうふふ。冗談です。
右腕は痺れて上手く動かせない。手の辺りの痺れが特に酷い。時折指が痙攣している。
ガクガクべしゃ。ガクガクべしゃ。
これは……なんというか足を破壊されたゾンビのようだ。
ゾンビ、ではなく仔鹿ごっこを繰り返していたらベッドに転がされた。
固い床じゃないだけで全然違う。
「なにしてるの」
「仔鹿の懸命に生きんとするあの本能を表現してみました」
決してゾンビではありません。
「まあ鹿肉は美味しいけどね」
んな話してねえよ。
「でも土の気が強いから1度に5、6頭しか食べられないんだよね」
5頭も食べれば十分過ぎる。
「お腹壊すよ……」
「うん。前に10頭食べたら具合悪くなっちゃった」
具合悪い程度で済んだんだ。つくづくティフって人外だ。
「鹿って蹄も美味しいんだよ。硬いけど。小さいのは食べではないけど柔らかいよね。魔力も多いし、血もなんかとろとろな気がする」
血の一滴まで啜るとかティフってば片付けいらずだね。
「ミオお腹空いてるんだっけ。ミーナに頼んでなんかもって来てもらおうか?」
「今の話だけでお腹いっぱいです」
胸焼けすら起こしそう。
「もうしばらく休んでからにするよ」
寝ることもできそうにないけど、起きて食事はもっと無理そうだ。
「そっか。僕、ミーナにミオが目は覚ましたって教えてくる」
「うん。お願い」
ティフが部屋を出ていって、残ったのは幸いにもゾンビの材料になり損ねた私が1人。
ベッドに転がっているうちに、昨日のことを思い出した。
よくまあ無事に帰ってこれたものだ。これから夜に出かけないといけない時は気をつけよう。何が何でもティフかミーナさんを引っ張ってこよう。
頭痛が治まっても、若干の気怠さがあった。それと右手の痺れ。体が怠いのは疲れと空腹としても、この妙な痺れはなんだろう。腕を持ち上げるのもおっくうだ。指の痙攣は治まったけど、今度は手首から先がじわじわと熱い。
昨日、何かの拍子に怪我をしたのかもしれない。そこにばい菌が入って膿んじゃったとか。
気になって、右腕をのろのろと起こす。肘から先を立てるだけのことでここまで苦労すると思わなかった。
手の平に変わったところはは何もない。問題は手の甲にあった。
皮が横にばっくりと切れている。
手の甲を横断する切れ目は両端から徐々に広がり、目の輪郭のような形になっていた。そこからは不思議と血も零れないし肉も覗いていない。その代わりなのか、「今泣いてるんです」と言わんばかりにタールのような黒い粘液がだらだらと流れていて私の度肝を抜いた。
「ぎゃあああ!」
なにこれ怖い!物凄く怖い!
怪奇!手の甲に開いた目。〜黒い涙が意味するモノは〜
そんなキャッチコピーが浮かんで速攻消えた。
右手から距離を取ろうと腕を精一杯伸ばす。うわああ止まらない。液体が止まらない。
悲鳴を聞いて駆け付けたティフとミーナさんが見たのは、床に粘液を垂れ流しながらベッドに寝そべってべそをかく私だった。




