桜窓
国語の時間に、「敬語について」を聞きながら書きました←
うわ、こけた。痛そうだけど、あの子大丈夫かな。
そばに行ってあげたいけど、お母さんが近くにいるし、何より今は国語の時間で、そして国語の先生は授業中トイレにも行かせてくれないような人で、到底行けそうにない。
─────一生傷になりそうだけど、小さいうちに痛い思いした方が、後々楽かもしれないよ。
というのは、私が誰かに言われたことだ。小さいうちに怪我をたくさんしておくと、成長した時の怪我なんて「何のこれしき」と思えるらしい。
まだ実感したことはないが、それを聞いた時も、妙に納得したものだ。
「この小説は────」
先生の声が聞こえて、私は黒板の方に目を戻した。
やっと、つまんない文法が終わったかな。物語文は、大好きだ。しばらく、国語の時間は注意もなくなるだろう。
窓から見える景色というのは、何も自然だけではない。ここから見ると、山の葉が色づいたのも、桜が咲いたのも見ることが出来るが、私は外の人の会話も楽しんでいる。さっきのように小さい子は少なくて、普段はおばさん達だけど、その「井戸端会議」に耳を澄ませるのだ。
嫌な話題だったらすぐ授業に戻るけど、大抵は楽しい会話ばかりで、暇であるはずの50分間が至福の時に変わる。
そのせいで先生に怒られることも多いけど、それはみんながこの窓の良さを知らないからだ。……それでも、やっぱりこの窓は一人占めしておきたいと思う。────ここは、桜の穴場でもあるんだから。
山の桜ではなく、学校内に立っている桜の木。桜の枝が窓に少し重なるように垂れていて、新芽や蕾まで見えた。それだけに成長の過程が分かって、散ってしまった時は寂しくなる。でも、───これが、一番の魅力なのだが───風が吹いて花びらが舞い散った時、ノートの上にも落ちてくるのだ。その時は、今日1日が幸せになれそうな、そんな気分になれて、やっぱり、怒られてもいいよなぁ、と思える。
でも、その時は少しだけ違った。
親に強制的に行かされた春休みの補習で、私は自分の席、窓際のそこに座った。────もうすぐ、この場所ともお別れだと思いながら。
3年生になったら校舎が変わり、たとえ窓際に座れたとしても見えるのは向かい側の校舎の側だ。つまんないなぁ、と3年になることを嫌がっていたが、ついに2年の春休み、次の4月では「3年生」になる。私は1人ため息をつきながら、渡された数学のプリントを見た。思わず顔をしかめて、シャーペンを握る。
最初に出てきた「簡単」であるはずの1年生の時に習った計算に手こずり、桜の花を見て休憩。次の単元はテスト前に必死で克服したもので、スムーズに進めることが出来た。これで1枚目が終わり、次の2枚目へ移る前に、伸びをする。───と、その時春風が吹いて、花びらと─────紙飛行機が落ちてきた。
花びらはあっても、紙飛行機が舞い込むのは初めてだ。私は不思議に思いながら、それを手に取る。外で遊んでた子供のかな。そう思って窓から身を乗り出してみると、小さい子らしき影はなく───そのかわり、私よりも年上そうな男の子がこちらを見上げていた。開けてみろと手振りで示され、指示通りに紙飛行機を広げてみる。
『そこ、俺の席』
そう書かれていて、下の方に「山中千博」と名前もあった。どこかで見たと思い、壁を探して笑う。壁にも、同じ名前が削るように記してあった。
『今は、私の席ですよ。……もうすぐ終わりますけど』
私もノートの後ろをちぎって、書く。その下に「雨郷千妃」と名前も書いて、同じ名前ですね、と付け加えておいた。
それを紙飛行機に折り、また窓から体を乗り出して飛ばす。学校の中に落ちたらどうしようと思ったけど、なんとか風に乗り、千博さんの手元に届いたようだった。
「雨郷さん、プリント出来たの?」
先生の鋭い声が後ろから飛んできて、補習でも怒られたと苦笑いしながら席に座り直す。2枚目のプリントを見て、よし、とシャーペンを握り直した。方程式と格闘して、やっと終わったと思えば二次方程式が出てきて思わず泣きそうになり、それもやっつけ仕事と思って終わらせる。
あと1枚だ、と思った時、紙飛行機が来た。これが楽しみになってきて、思わず笑う。
『春休みだもんね。……そこ、景色がいいの知ってる?』
─────『知ってます。桜が綺麗だっていうのも、もちろん』
今度は先生の目を盗んで飛ばしたので、何も言われずに済んだ。
ただ、届けてから「桜が綺麗」だけで通じたのかと不安になってくる。単に、山桜が、という風に捉えられたらどうしよう?
……悩んでいても仕方がない、誤解されたらそれまでだ。と私は開き直り、最後の3枚目。証明の応用編のようなものが集結していて、嬉しくなった。これもさっと、終わらせた、つもりでいたが、私の「得意」は「苦手」の中の「得意」、要するに下の上で、そこまで早くもなかったらしい。
周りを見回すと、もう毎回苦手だとぼやいているような人しか残っておらず、もう少し紙飛行機を待ちたいところだったが、窓から千博さんに「降ります」と合図をし、私は教室を出た。
「あと1回」
あと1回だけ、この教室、この場所に来れる。
この場所の温もりを、もう一度だけ、吸い込んだ。
「補習、終わったの?」
降りると、千博さんが聞いてくる。さっきまでは書く会話だったので、声を聞くのははじめてだ。優しげな表情に似合った、あたたかい声だった。
「数学、苦手なので時間はかかったんですけど」
私の答えに、俺も数学は無理だ、と千博さんは笑った。
「あの席、桜の蕾とか芽とか見れていいですよね」
さっきの誤解を解こうと、私は言う。
「分かってるよ。普通に、そう思ったもん。……成長が見れるだけに、散った時は寂しいよね」
本当に同じ意見で、私はやたらとうなずいた。
「千博さん、中3の時はどんな席だったんですか?」
あまりいい答えは期待せずに、私は聞く。なんとかいい答えが返ってきますように────
「うん、あれと同じ、窓際に座ったよ。……桜も、景色も話声もないけどね」
その言葉に私はがくりと膝をつきたい気分だった。その表情を見て、千博さんが声を明るくする。
「でもね、友達がいるんだ」
「友達?」
意味が分からなくて、私は聞き返す。
「うん。1年生の校舎と隣り合ってるから、1年生の窓際の子と仲良くなれたよ、俺は」
1年の時は、大して窓に興味もなく、3年生の知り合いが出来るなんて考えもしなかった。
「頑張って作ります。千博さんに出来たなら、私にも出来ると思うし。……似た者同士っぽいから」
声を明るくした私に、千博さんが「そうだ」と声をあげる。
「千妃ちゃんも壁に名前書いちゃえば?あと1回教室行くでしょ。似た者同士、さ」
私はうなずいて、約束ね、と指きりをする。そして千博さんは時計を見て、またね、と自転車を漕いで行ってしまった。
「────またね、だって」
きっとまた、千博さんには会える気がした。
離任式の日、クラス発表も同時にあった。机を新しい教室に移動させるため、最後に教室へと足を踏み入れる。みんながお互いに話している間、私はかつて千博さんがそうしたように、壁に────千博さんの名前の隣に────「雨郷 千妃」と書いた。
千博さんが好きになったんだと気付いたのは、2つの名前を相合傘で結んだ後だった。
「新しい友達」に期待しながら、私は始業式の日、校門の前に立った。桜の花びらが、春風に乗って舞い散っていく。
「何組だった」
と後ろから声をかけてきたのは、高校の制服をぎこちなく着た千博さんだ。
「6組です」
と答えると、千博さんは俺は7組だった、と言う。
「お隣さんですね。……私、友達出来るかな」
不安げな声になった私の「友達」を、千博さんは正しく解釈してくれた。そして、
「似た者同士だもん。大丈夫だって」
千博さんは手を私の頭に乗せて言う。
そして、今回も「またね」と手を振って歩いて行く。
「千博さんも、頑張ってください。高校も、いい窓だったらいいですね」
その背中に私は言った。すると、振っていた手がVサインに変わる。私も小さくVサインを作って、3年の教室へと走った。
新しい担任がいろいろと説明している間、私はそっと窓を開けた。
こことは違い、開け放たれた窓の1年生の教室が見える。女の子が暇そうな顔をしていて、ふいに顔をこちらへ向けた。私と目が合った途端、その表情が明るくなる。私が小さく手を振ると、向こうも振り返してくれた。
千博さん、出来ました。
と、窓のすき間に笑うと、どこからか、桜の花びらが舞ってきた。
久しぶりに、同年代の話です。
若干季節遅れちゃって、ごめんなさい^^;
私も、3年6組で、数学苦手なんですよ(笑
では、最後までありがとうございました。感想、アドバイスお待ちしてます。