第八話 正体は…?
屋敷の中に足を踏み入れると正面に途中から左右に分かれる豪華な階段のあるエントランスが広がっていて、上を見上げると三階まで吹き抜けの天井にこれまた大きく豪華なシャンデリアがあった。
先ほど荷馬車の中にいた他の三人は誰かを待つかのように入り口横に控えている。
ついその中にシンという男を探している自分に気づいて苦笑する。
彼はこちらに興味がないらしく他の二人のように振り返り見ることも無い。
(あとで時間あったらあの短剣について聞きたいんだけど、正直に話してくれるかな。)
さっきは縛られたくなくてあれ以上問いただせなかったけど、絶対に聞き出してやるんだから!
決意を込めて睨みつけた後、次にちらり後ろを振り返ると先ほど私を連れてきた男がなぜか従者のように私の斜め後ろに立っていた。
屋敷の中に入るまでも箱を持つ私を気遣ってなのか、先導してドアを開けてくれたりしたし…実は意外とフェミニストなんじゃないかと思っている。
「…もう逃げたりとかしないからお仲間のところに行ったら?」
「…………………」
「まぁ、いいけど…」
無言を貫く男に軽く息を吐いて、よいしょと箱を持ち直す。
軽く見渡しても絵画や壷、刺繍を凝らした絨毯など豪華な調度品の多い部屋を眺めながら、犯人の人物像に考えを巡らせる。
これだけ大きなお屋敷に調度品の数々。この屋敷の主が雇い主なら貴族の可能性が高いかも。
同時に晩餐会や謁見で会った事、もしくは見たことのある人かも知れない。
この箱が狙いだったらしいけど、だとして自分の顔を知るかもしれない私も一緒に攫うかしら。
でも私を知らないご子息って可能性もある。
王族に謁見できない成金貴族だって沢山いるわけだし。
それにしたって私だったら箱だけ奪って、人はいらない。
”おまけ”に連れて来てくれてご苦労様ですけど、私を攫ってただで済むと思ってたら大間違いなんだから!そもそも箱の中身が何か知ってるのかしらね!
眼光強く目の前の箱を睨みつけていると、階段を下りてくる足音がしてはっと顔を上げる。
「あぁ、これは美しいお嬢さんもご一緒に来ていただけたのですね。我が屋敷へようこそ。歓迎いたしますよ。」
大げさな身振り手振りを加えて話す金髪の男と、体格の良い色黒のスキンヘッド男が階段を下りてきた。
艶のある金の髪は肩の上で内巻きにカールされ、長い前髪が目元にかかり表情はよくわからないが話し方の芝居がかった口調に不信感が増す。
やはりどこかの貴族の子息だろうか。声の感じや顔からしてまだ若い。
意外と長身なその人は目の前までくると片手を胸にあて、屈みこんで私の目を覗き込んできた。
「わたくしのことはミランとお呼び下さい。お噂には聞いておりましたが、噂以上の可憐な美しさ…。やはり一国の王子殿下の傍にはそれなりに相応しい侍女が居られるのですね、フィーナ殿。」
(私の事を知ってて攫った?)
誘拐した人たちは私の素性を知らなかったみたいで、部屋の中が微かにざわめく。
「…私が王子付の筆頭侍女であると知っての誘拐ですか?ミラン卿。」
「誘拐とは心外ですね。わたくしの素晴らしい屋敷にあなたをご招待しただけですよ。このエントランスだけでも有名な美術館に引けをとらないと思いませんか?美術品の採集がわたくしの趣味でして、世界各国から金を惜しまず手に入れています。」
招待…無理やり荷馬車に連れ込んで剣を突きつけて脅す事のどこが招待…?
冷めた目で男を見据えるが、そんな私の心の突っ込みを無視するかのようにその後もあの絵画はどーだの、壷は何百年前のものだの、この敷物は伝説の動物で作られただの、本当かどうかわからない解説を一つ一つ嬉々として語り始めた。
「そう、私は手に入れたいものには金も努力も惜しみません。必ず手に入れる自信があります!」
自分の演説に満足したのか目を閉じて陶酔しているその様子に嫌悪感が増大する。
それに比例して自分の口元に冷たい笑みが浮かんでいた。
「…そうでしたか。招待の仕方に品位の欠片も見られませんでしたので、てっきり誘拐かと。お迎えにこられた方々もあなたの従者にしては素朴で乱暴な方々ばかり。主の質は従者の質…。どんなにお屋敷の中が煌びやかでも、あなたご自身にはそれなりに相応しいという従者は、おられないようですね。」
最後はにっこりと笑顔で締める。
ミラン卿の笑顔はビシッと引きつり、周りの男達は自分達が素朴で乱暴だと自覚があるのか私を睨んでくることはなかった。それどころか横に控えている三人の男の内一人が笑いを堪えているのが横目に見える。
言いたい事を言って少し気分がスッキリ。
心の中でざま~みろと思っていると、しばらくしてミラン卿が小さく笑い出した。
「ふふ…ふふふ……そうですね。あなたの、言うとおりです。」
「……?」
挑戦的な笑顔を向けられ、なぜか背筋がヒヤリとした。
「わたくしの今回の目的はその箱の中身です。正直言いますと、フィーナ殿のことは存じ上げてはいましたがご招待する予定ではありませんでした。ただし状況によっては箱を持つ者も一緒に連れて来ても良いと…女性ならば丁重に扱えと指示を出しておりました。」
「予定になかったのであれば、私だけでも帰して頂けませんか?」
一応駄目もとで聞いてみるが、予想通り…いや、予想以上の返事が返ってきた。
「あなたには、わたくしの侍女になっていただきます。」
「は?」
「王子殿下に相応しい侍女のあなたがわたくしの侍女になれば、すべてが丸くおさまると思いませんか?」
言って私の手から箱を奪い取った。
「あっ…っ!!」
取り返そうと乗り出した身は、横にいた色黒スキンヘッド男の剣先が喉元に当てられた事で元の場所に戻される。
馬車の中で短剣を突きつけられた時とは違い、冷ややかで鋭い眼光を瞳に宿した男からは本気の殺意が伝わってきた。
「それ以上抵抗しない方が良いですよ。この者は今回雇った荒くれ共と違い、わたくし直属の部下の一人。汚い仕事でもわたくしの命令なら何でも忠実に実行します。意味、わかりますよね?」
それはつまり、命令があれば躊躇い無く私を殺すという事だろうか。
でもミラン卿が言っている事が嘘ではないと男の鋭い眼光が教えていた。
一つ呼吸をして息を整える。
「私は第一王子ルカシェーラ様の筆頭侍女です。王子以外の方に第一の忠誠を誓うことは決してありません。そして王子はお優しい方です。私を見捨てることもあなたを許すこともないでしょう。早めに私を城に帰す事を心からおすすめいたします。」
喉元にある剣の鋭利な光に目もくれず、ミラン卿の眼を見据えて進言する。
私の言葉に少しの沈黙で返すとミラン卿はニヤリと笑い返してきた。前髪で眼の見えない口元だけの笑みは必要以上に人に不快感を与えるんだなと初めて知った。
「では、これからあなたがわたくしに仕えたいと思うようになれば良いのですね。」
(…さきほどの私の話を聞いてましたか?)
「だから、私は王子以外の…」
「わたくしに忠誠を誓いたいと思うようになるまで、ここにいることを許可します。」
「なっ…何を言ってるの?」
「そう、時間はたっぷりあるのです。連れ攫われた事は知っていても、ここにあなたが居る事は誰も知らないはず。わたくしの侍女になりたいと思える日まで、あなたはここで生活をすればいい。」
ナイスアイディア!とばかりにポンッと手を打って笑顔を向けてくる。
この人何馬鹿な事言ってるの!?と思いながらも本気でこの屋敷に閉じ込めるつもりだという空気を感じて、ここで過ごす事を想像して身震いした。
「もちろん、不自由な思いはさせませんよ。望むものがあれば大抵のものは与えましょう。もちろん外部の者と連絡を取る事は禁止しますが、心配しなくてもそんなに時間はかからずわたくしの魅力に惹かれ自ら仕えたいと思えるようになります。」
この人の自信はどこからやってくるのだろう。
かなり自分勝手で自意識過剰な内容にあきれ返って口を挟めずにいたフィーナだったが、ミラン卿が顎で色黒スキンヘッド男に指示を出す様子を見て我に返った。
とっさに後ろの入り口から外に出ようと踵を返したけれど、色黒スキンヘッド男に腕を掴まれ捻り上げられて身動きが取れなくなる。
「いっ痛い!放してよ!!」
身体を捻って抵抗するが男の腕を掴む力はまったく緩まず、それどころか抵抗する私をものともせず両手首を紐で一纏めにされてしまった。
「この状況でまだ逃げようとするその勇気に免じて、我が屋敷で一番景色の良い部屋を用意して差し上げましょう。お前達、最近入ったばかりという新人がいただろう?そいつにフィーナ殿を南の最上階部屋に連れて行かせ監視させなさい。他のものはわたくしと共においで。やっとこれが手に入ったのだから、思う存分楽しませてもらわないとね…。」
言って愛おしそうに箱を撫でながらミラン卿は階段横の扉に去っていった。
「…新人の男はどいつだ?」
「…………シン」
色黒スキンヘッド男が問いかけると、私の後ろにいたフェミニスト男が先ほどのシンという男の人を呼んだ。
呼ばれてこちらに近づく間もシンは私の顔を見ることは無い。
そのことに胸の奥がツキンと痛んだが私は気づかない振りをした。
「あの階段を左に進んだ棟の最上階が南部屋だ。連れて行き指示があるまで部屋の外で監視を続けろ。」
色黒スキンヘッド男は私と部屋の鍵をシンに押し付けて指示を出すと、他の者は俺に着いて来い!と言って男達を連れてミラン卿の後に続いた。
二人きりになったエントランスに遠ざかる男達の足音だけが響いて消えた。
「……………」
「……………」
「…………じゃ!」
―――ガシッ
言いながら入り口に行こうとするも手首の紐を掴まれて、失敗。
「もう、離してよ!…っきゃあぁ!!」
逃げようと踏ん張った足は宙に浮き、腕は後ろで縛られたままシンという男の肩に担ぎ上げられてしまった。
そのまま階段を上って指示のあった部屋に行こうとする男の肩の上で足をばたつかせて抵抗を試みる。
が、
「そんなに嫌なら階段途中で頭から降ろしてやるよ。それが嫌なら大人しくしてろ。」
意地悪くわざと階段を上りながら落とすマネをされて、仕方なく大人しくするしかなかった。
こうなったら部屋についてからなんとか脱出を試みないと…
美術品の飾られた広い廊下を二階、三階へと上り、三階一番奥の部屋の中でやっと肩から下ろされた。
さっき肩に担ぎ上げられた時も思ったんだけど、この人そんなに体格良い人でもないのに、すごく力がある気がする。
物を持ったり押したりする時に動きに溜めがない…というか。
よいしょっ!とか、どっこいしょ!という力を籠める瞬間というものがない…というか。
まるで重さを感じていない動作に似ているの。
私を担ぎ上げる時も下ろす時も、まるで人形を扱っているみたいだった。
でもそれが眼に見えてわかりづらいのは、この人が力任せに扱うのではなくとても優しく扱ってくれるから。
紳士的に、すごく、丁寧に。
「…ありがとう。」
壊れ物を扱うように静かに下ろしてくれて、悪い人だとわかっていてもついお礼が口から出た。
その人は驚いたような眼を向けたあと呆れたような溜息をついた。
「…後ろ向いて。腕、解いてやるよ。」
「あ、うん。ありがとう。」
今更ながらこの人と部屋に二人きりという状況に緊張してきた。
静かな部屋にシンが紐を解く音だけが響く。
なんで、こんなに胸がドキドキしてるんだろう。
さっき会ったばかりの知らない人だから?
アステルやレインと二人きりでも、こんなにドキドキしたことはない。
自分のうるさい鼓動の理由を、紋章が浮かぶ短剣について問いただすのに緊張していると無理やり納得させる。
はらりと紐が解かれ、微かに赤くなった手首を擦っていると後ろで衣擦れの音が聞こえた。
「お前、じゃじゃ馬って言われたことあるだろ?」
「え?」
後ろを振り向くと、シンが頭に巻いていた布と口元を覆っていた布を外して面白そうにこちらを見ていた。
見下ろす瞳は荷馬車の中で見た瞳よりも明るく意思を持つセピア色に輝いていて、縁取るまつげが濃い影を落としている。
均整の取れた顔立ちに、柔らかそうな琥珀色の髪が艶めいてサラリと揺れる。
やっぱり想像通り若い。
眼が合った瞬間、ドクン、と自分の鼓動が更に高鳴った。
心の中。
自分でも見えないほど深い深いところで、ずっと前から目覚めたがっていた感情が疼く。
嬉しい。
愛しい。
でもその時の胸の高鳴りの意味を知るのも理解するのも、もっとずっと遠い先のことだった。