第四話 司祭様と黒いステッキ
いや、涼やかな声というよりはむしろ冷たい氷のような…。
「おはようございます。アステル・スージー。まだ寝起きで目が覚めていないのではないですか?頭の風通しをよくしてさしあげましょうか…?」
男性の声にしては高めのよく通る声と同時に目を開けてみると、先ほどまで目の前にあったアステルの顔は黒い棒のようなもので押し離されていた。
「お、おはようございます、サージュ様っ…!!」
首に力を入れながらも返事をしたアステルの顔は朝の光の中でも若干青ざめていて、先ほどまでの綺麗な笑顔も引きつっている。私の目元に触れようとした手も今は宙に浮いていた。
黒い棒が押し付けられている額をうわぁ~痛そうと思いながら見ていると、冷ややかな気配を身に纏った背後の人物に声をかけられた。
「おはようございます、フィーナ。朝から寝ぼけている人に絡まれるとはあなたも災難でしたね。」
(寝ぼけてる人に決定ですか!?)
「お、おはようございます。サージュ様。アステル様には寝不足の顔を心配されていただけで、絡まれていたわけではありませんから。ご心配なく!」
慌てて振り向いて挨拶をする。ついでに何やら誤解を招いているようなので、軽くフォローをいれてみたんだけど、その手にある彼ご愛用のステッキの先端は未だにアステルの額にぐぐぐっと押し付けられたまま。
「そうなのですか?それにしても女性の顔をまじまじと至近距離で見るなど、失礼極まりない行為ではありませんか?特にあなたの顔はとても愛らしい…。変な気を起こさないとも限らないでしょう。」
私の目を覗き込みながら語る彼の肩から、腰近くまであるストレートの銀髪がさらさらと零れ落ちる
細い飾りフレームの丸眼鏡をかけた理知的な顔立ちの彼は、
名をサージュ・アングレットといって、この城にある竜の神殿の司祭の一人であり、王子達の教育係でもある。
昔はここにいる私達三人にも勉強を教えてくれていた。
先生とはいえ三十を少し超えたばかりで、見た目は脅威の二十歳前半をキープ。年齢を知らなければレインやアステルと同年と思われることも頻繁にある。
いつもは冷静で穏やかなサージュ様だけど、たま~に、顔はにっこり笑顔で凍てつくような空気を出す事があった。
そんな時は機嫌が悪いのか、怒っている時だと思って、私がフォローに入ることもしばしばあるけど、よくアステルに「フォローになってない!!!」と怒られる。
今もさりげな~くアステルを庇ってみた、つもりなんだけど…。
サージュ様のステッキを持つ手に更に回転が加えられているのを私は横目に見てしまった。
後ろから小さく「いだだっ!、熱っ!!」という声が聞こえてきて、思わず自分の額を押さえたくなった。
今回もフォロー失敗なのかしら?
アステルが寝ぼけているように見えたから怒ってたんじゃないかと思ったんだけど、違ったのかな…?
顔が愛らしいとかいつも女性が喜びそうなことをスマートにさりげなく言うことが出来るのはサージュ様だから出来ることであって、そもそもアステルが私のことを愛らしいとか思っているはずがないし。
付き合いが長すぎて男とか女とかいう境界線も曖昧な私たちの関係上、変な気を起こすとかあるはずないじゃない。
まぁ…たまにはさっきみたいにドキドキすることもあるけど、他人の顔があんな近くにあってドキドキしないわけないでしょ!?
じゃあ、サージュ様は機嫌が悪いだけなのかな…?
今もアステルの額をステッキでグリグリしているサージュ様の顔色を伺いながらそう考えていると、事の発端のくせに一部始終を傍観していたレインが横から会話に入ってきた。
そう、元はといえばクマの話題を出してきたのはこの人だった…。
「おはようございます、サージュ様。何か、ご用事があったのではないのですか?」
沈黙を守っていたレインが、サージュ様のステッキを持つ手とは反対の手に持つ箱を指差しながら話に加わってきた。
そこでやっと本来の目的を思い出したサージュ様が「あぁ、そうでした」とステッキを下ろしてくれた。
そっと横目で見ると、アステルは額を押さえてしゃがみこんでいる。
せっかくの綺麗な顔なのに…同情を横目で投げかけているとサージュ様が話しかけてきた。
「これをフィーナに持ってきたのですよ。」
差し出されたものを見てフィーナはあっと声を上げる。
「わざわざ持ってきてくれたのですか?出発前には取りに伺おうと思ってましたのに。」
受け取った木箱は外見こそ何の変哲もない普通の箱だけど、変わっているのが蓋の部分。
鍵穴が左右に二つずつ計四つあって、いかにも大事なものを入れてそう。
「私が一刻も早くあなたに会いたくて来てしまっただけですから、気にすることはないですよ。」
「そ、そうですか。ありがとうございます。」
冗談なのか本気なのかの理由はともかく、これ以上ご機嫌を損ねないよう笑顔でお礼を言っておこう。
するとサージュ様は上から下までゆっくりと眺めるとご満悦とばかりに笑顔になった。
「今年は桃色のワンピースにしたのですか?あなたの柔らかい子馬のような栗毛色の髪にとてもよく合っています。せっかくのお祭りなのですから少し化粧をしてみてはいかがですか?そのままでも黒曜石のような瞳と朝露をまとったような艶のある唇が可愛らしい顔立ちを引き立ててはいますが、また違う雰囲気をお祭りで楽しむのも気分転換になるとおもいますよ。よろしければ、………私があなたを大人の女性にしてさしあげますが…?」
「お、大人の女性って……!??」
最後の言葉だけとても近い距離から色気ある上目遣いで言われた私は、その言葉に軽くショックを受けて思わずその意味をききかえしてしまった。
だって十八歳にもなって、桃色とか…化粧してないとか…可愛らしいとか…。総合すると子供っぽすぎると言われた気がして…。
先ほど、サウラ王妃というナイスバディな大人の女性を見てきたばかりなだけにいつもは気にならない言い回しにとても引っかかった。
そんな慌てる私を見て一瞬目を見開いたと思ったら、とても優しく甘く蕩けるように微笑まれてしまい更に不安に駆られた。
私の反応が子供っぽくてかわいいとか思われてたら逆効果もいいところじゃない。
サージュ様からすれば私は妹感覚でしか見られていなくて、何をしてもどんな格好をしていても可愛いという感想しか出てこないのかもしれないけれど、ほか一般的な目からみても子供っほすぎるという感想しか出てこないのは胸に痛い…。
街に出て大人になったねー!とか、綺麗になったねー!とかいう感想を頂けると勝手に期待しちゃってるのもどうかと思うけれど、ほとんどを城で過ごしていて自分の変化を鏡の中の自分でしか推し量ることが出来ない今、城の外の反応や会話も楽しみの一つなのに!!
大人の女性…オススメの化粧とか洋服とかあるのかな…。
教えて欲しい…かも!
一瞬で考えに考えて強張っていた顔に気合を入れながら、渡された箱を持つ手に力を入れた。
「サージュ様!!私を大人のじょっ…っンん!」
「……用事がお済であれば、神殿にお戻りになられたらいかがですか?」
朝会った時の明るく元気の出るような声とは正反対の、微かな怒りと焦りが含まれた低く威圧するようなアステルの声が頭のすぐ上から響くように聞こえてきた。
私はというと彼の手で口を塞がれた直後、後頭部をアステルの胸に押し付けられてしまっていた。
驚いて口を塞ぐ手をはがそうと思ったのも一瞬で、両手に持つ箱を思い出しどうにも出来ないことを知る。
軽く首を振って抵抗を訴えるが、絶妙な力加減で押さえられていて放してくれる気配はない。
「俺達はフィーナを第一神殿に送るよう王様に命じられています。戯れはこの辺で終わらせていただきましょう。」
「……………………」
再度傍観を決め込んでいたレインも、アステルの言葉に続いて一歩前に進み出てくる。
(な……なに?)
私の目の前にいるサージュ様を二人が無言で睨んでいるのを感じる。
でもそんな時間も一瞬で、軽く溜息をついたサージュ様は綺麗な笑みを浮かべて姿勢を正した。
「そうですか。それは長く引き止めてしまい申し訳なかったですね。フィーナ、気をつけて行ってきなさい。食べすぎには注意するのですよ。」
まだ口を塞がれた状態の為、首を縦に動かして返事をする。
食べすぎって…やっぱり子供扱いの気がする…。
「レインとアステルも気をつけるのですよ。最近人攫いの事件が起こったと報告が来ていました。すぐに犯人は捕まったそうですが、同じ事を考える不届き者が増える可能性もあります。フィーナを送り届けたあと、街の様子にも警戒を怠らないように。」
二人がうなずいたのを確認すると「ではね。」と言って来た道と反対側に歩いていった。
姿が見えなくなってからやっと私はアステルから解放される。
強く押さえつけられていたのは最初だけで、途中からは息苦しくはなかったけれど口を塞がれたせいで聞きたいことを聞けなかった不満は残っていた。
「ちょっと!なんで止めるのよ!せっかくサージュ様に大人の女性の秘訣を聞こうと思ったのに!」
憤慨して叫びながら振り返ると二人はうなだれて深~く溜息を吐いていた。
「なによっ。どうせお前が大人の女性?とか思ってるんでしょう。」
「そうじゃない。」
「そうそう。俺もフィーナが大人の女性らしくなることは大賛成なんだけどな。あの人に教わるのはやめておけ。」
レインに続いてアステルもなだめる様に言ってくるが、意味がわからない。
二人よりも大人なサージュ様の方がいろいろ知ってて勉強にもなるじゃないの。
納得のいかない顔をしているとレインがボソッと呟いた。
「………食われるぞ。」
「はっ?」
「だな。」
「何が!?」
二人で何を納得してるのよ!?
意味がわからず問い詰めようとした私の手から箱をとりあげて歩き出すアステルに続いて、レインも私を置いて歩き出した。
「ちょっと待ってよ!意味がわからないってば。」
「あれだな、お前はもう少し警戒心を持て。」とはアステル。
「見てるこっちの心臓に悪い…。」とはレイン。
歩みを止めないまま好き勝手言う二人に、頭の中でプチンと音が聞こえた気がした。
「……なんなのよっ二人して。いいわよ!街で大人の魅力身につけてきてやるんだからっ!!」
声高らかに渡り廊下から望む青空に向かって叫ぶと、どこからか鳥が一斉に羽ばたく音がした。
こうして祭りを楽しむという目標の他に、魅力UPの目標を掲げて花祭り一日はスタートしたのだった。