第二話 (王と王妃side)
フィーナが謁見の間を出て行き重厚な扉の閉まる音が響いて消えた。
無音ともいえる中、先に口を開いたのはハザール王だ。
「………で?」
ハザール王は五十を過ぎる年齢ではあるが、後ろに撫で付けるように上げられた黒い髪には所々に白髪がみられるだけで、光沢はほとんど衰えてはいない。歳をとっても整った彫りの深い顔立ちの中、目元に微かにあるしわが黒髪同様の漆黒の瞳の輝きをいっそう引き立てていて、今はいたずらっ子のように探るような眼を肘掛に頬杖をつき下から見上げるようにして隣にいる王妃をみていた。
「なんですか?」
王妃は好奇心満載の瞳から隠すようにして、今まで見ていた紙をまた胸元にしまいこんでいる。
サウラ王妃はハザール王よりも二十近く若く、子供を産んでも尚そのナイスバディともいえる肢体は健在していた。昔から妖艶な雰囲気を持っていた人だったが、歳をとるにつれ誘惑する色気は増しているようだ。金に近い色をした細く長い髪と白い肌を引き立てるような気品ある真っ赤なドレスは胸元が大きく広がる形をしていて、深い谷間が王の欲望を刺激する。
「っきゃぁ!!!」
突然王が手を伸ばしてきて、胸元に手を入れてきた!
「なにっ…を!……っぁあ!…やっやめて下さ…ぁ…やぁ!!」
まさぐる手から逃れようと前かがみになり手を引き抜こうとするが、触れられた場所から発生するほのかな快感が抵抗する力を削いでしまう。
ここは謁見の間。今は二人きりとはいえこんなところで女の声を出すのは恥ずかしくて堪らない!
顔を羞恥や怒りで真っ赤にして王妃は拳に力を溜めた。
「……やっ…やめて下さい!!!!」
「おっと!」
王妃の放った強烈なアッパーを、王は紙一重でかわした。手には先ほど王妃が胸元に入れた紙を持っていて器用に片手で開き見ていた。
「あっ!」
「なんだ、やはり先ほどのような内容は何も書かれていないではないか。よくもまぁ、スラスラと嘘を読み上げられるものだな。それとも………」
紙を持っているほうの手とは反対の手で王妃の髪を一房とって口付け、王妃をじっと見つめる。
「目の前の理想の男を、自慢せずにはいられなかったのか…?」
瞳の奥に熱い光を灯して、柔らかく、けれども誘うように向けられる視線と台詞に王妃は更に真っ赤になって「バカね」と顔を背けてしまう。この人は結婚した時、いや結婚する前からこうだ。二十近くも年上で大人な王子様は私と結婚できなければ王位を継がないとまで言ってしまうほどの情熱を、今も変わらず注ぎ続けてくれている。
女としても恋人としても妻としても王妃としても、向けられる愛情に不満を持ったことはないけれど、時と場所を考慮してくれないのも昔から変わってはいなかった…。
「セルク・フロルデ・グランディア。たしかグランディア国の第四王子だな。確か視察と称して各国を旅することが多い放蕩王子…と、聞いたことがある。」
紙に書かれていたのは一人の王子の名前だけ。
「昨年、ルカシェーラがグランディア国に一年留学していた時に仲良くなったそうです。歳も一番近い王子だから気が合うのですね。放蕩王子と呼ばれるだけあって、興味も多方面、知識も豊富な方だと聞いています。ぶっきらぼうなところはあるけれど、優しく、真っ直ぐな強さを持ったいい奴だ!とも言っていました。」
だから…と王妃は言葉を濁した。
しばらく待っても続きを言わない王妃に王は優しく笑ってこう続けた。
「だから…、娘に会わせたかったのだろう?」
王妃は無言で自分の手を見つめている。
王妃の胸の中には、もしも…、もしかして…という想いが渦巻いていた。
もしも…娘を大きな心で受け入れてくれる方だったなら。
もしかして…娘を連れ出してくれるかもしれない方だったなら。
娘を。
フィーナを幸せにしてくれるたった一人になってくれたなら。
これほど嬉しいことはないのに…と、母親として強く思わずにはいられなかった。
王は手をギュッと握り締め考え込む王妃の肩を引き寄せて抱きしめると、なだめるように背中をぽんぽんと軽く叩いた。
「こればっかりは二人の相性もあるしな。良い王子がフィーナにとっての良い男になるとも限らないだろう?侍女をしているフィーナも凛々しく可愛く幸せそうだとは思うが、王女として育ててあげられなかった分、今以上に幸せになる手助けをしてあげようではないか。ルカシェーラも兄としてそう思っているだろうし、弟王子のウィルナートも今は幼く、現状を理解してはいないかもしれないが姉の幸せを祈っているよ。」
静かに王の胸に頭を預け聞いていた王妃も、王の優しく温かい言葉と手のぬくもりに波立っていた心が落ち着いていくのを感じていた。何を焦っていたのだろう。漠然とした不安感にとりこまれていた心はいつも王の言葉で癒される。
この方との娘ですもの。
あの子は必ず幸せになれる。
その幸せの一抹の希望にあの王子がなってくれたらと…ささやかな希望だけが胸に残っていた。