第十二話 少女の涙
―――お前を国に連れて帰る―――
「な、にを…」言ってるの?
綺麗なセピアの瞳をじっと見つめるが、揺れる事なく強い光を放つそこには何の答えも見出せない。
セルクが真剣な眼差しで放った言葉を頭の中で繰り返しているうちにある一つの考えが浮かび、そのせいでどんどん心が冷えていく自分を感じた。
「…………」
「フィーナ?」
初めて会ったこの人に国に連れて帰ると言われる覚えがない。
先ほどのキスは挨拶みたいなものだとして、私を国に連れ帰りたい理由はなんだろう。
そう考えて一つだけ可能性を思いついた。
それが本当かどうかはわからないけれど、本当だったらと考えただけで胸が痛む。
先ほどまでの興奮したやりとりから一転、沈み込み俯いて考え込む私の前にセルクが一歩近づいて顔を覗き込んできた。
フィーナは覗き込んでくるセルクの目を見ることが出来ず、顔を逸らして聞いた。
「…頼まれた、の?」
「は?」
「私を、グランディアに連れて行って欲しいと、誰かに…」
怖くて名指しで聞く事は出来なかった。
もし本当にそんな事を頼むような人がいるとしたら、私が王女だと知っている人の可能性が高い。ということは、私の大好きな人たちの誰かだということ。
悪意を持ってではないかもしれない。
私の為を思ってのことかもしれない。
でも、理由はどうでもいい。
ただ、国を出て欲しいと思ってる人がいるかもしれない。そう考えただけで胸が張り裂けそうに痛んだ。
そう思う人がいてもおかしくないことも分かってる。
私は、歩く王家の秘密、だから。
少しの沈黙の後、セルクは落ち着いた声で答えた。
「…ああ、そうだ。」
やっぱり……。
「ルカに頼まれたんだ。」
「………ぇ?」
嘘……。
ショックで頭の中が真っ白になる。
「フィーナは女らしさ、落ち着きが足りないからグランディアで花嫁修業でもさせてやってくれ、って。」
「……はな、嫁、修行?」
真っ白な頭では意味を理解するまで結構時間がかかってしまった。
問いかけと共に顔を上げるとセルクは腕を組んで楽しそうに見下ろしていて、からかわれたのだと気づく。
「じょ、冗談言わないで!王子がそんなこと言うわけ…」
「言うわけないか?」
「……………」
言うかも。
普段から言いたい事ずばずば言っちゃうし(だって兄妹だから遠慮なんてないような時もあるし)、剣や弓だって教わってるし(周りは騎士とか多いから…)、他の女性達のように普段から着飾ったりとかもないし(侍女の仕事してたら私生活も仕事のうちだもの)。
―――来賓、来客の前でだけ有能侍女の顔してたって貰い手ないんだからな!!―――
とも言われた事があるようなないような…?
「な?王子の許可は出ているようなもんだし、一度遊びに来るような気分でいいからさ。」
「う…ん。わかった……?」
「なんで疑問系なんだよ。まだ疑ってんのか?」
「いや、だって…」
なんだか納得いかない気がするけれど遊びに行くということであればここまで悩む必要はないのかと思い始めてきたので、とりあえずは了承してみる。
それにアルスメリアの国より外に出た事が一度も無い為、好奇心の方が勝って嬉しいという感情すら湧き上がって来る始末だ。
話が本当なら国を出ていいって許可だものね!
自然笑みの浮かぶ顔で、他国での生活に思い馳せているとセルクが耳元に口を寄せて囁いた。
「一生、俺の元で花嫁修業してくれてもいいんだぜ?昼も…夜も…、な」
「…っ!!」
耳に感じた温かい吐息と台詞に驚いて顔を真っ赤にしてセルクを突き飛ばす。
突き飛ばされた方は痛くも痒くも無いようで、楽しそうに笑っている。
「はははっ!さーて、俺の目的を理解していただいたところで、さっさとこの事件を解決して祭りを楽しみに行くぞ。詳しい話は祭りが終わってから話そうぜ。」
「…もうっ」
こうやって話していても本当に王子らしくない人だなと思う。
気さくだし、屈託無く良く笑うし、スケベだし……。
アルスメリア城を訪れた各国の王族達は皆気品に溢れ、気位の高い人が多かった。笑う時も口角だけを上げて笑うか見下すように鼻で笑う方が多く…アルスメリアの王族だけが変わっているものだと思っていたのだけど。
「…グランディア王家も変わってるのかしら…。」
それともセルクだけ?
ポソリと呟いた言葉は自分の耳に聞こえるだけの音量しか持たないはずで…、
「それは自分の目で確かめろよ。」
すでに部屋の出口にたどり着いていたセルクが取っ手に手をかけたまま振り向いてそう言った。
聞かれた事への気まずさに言い訳をしようと口を開いたが、楽しそうな、けれど優しく笑む彼は私の気持ちなんて全て分かっているような気がして。
一つ頷いて笑いかけることで返事とした…。
「くっそーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
男の叫び声に周囲に居た女の子達はびくりと身体を震わせ、手と手をとって縮こまった。
年齢は見た目から7歳から12歳位の女の子達が十人。
着ている服は色鮮やかなワンピースを皆身に着けているが、その顔は曇っていて笑顔はない。病的に白い肌に目の下にはクマの目立つ子も多い。
ここはミラン卿の実験棟の中。
普段は花の匂いだけが充満しているはずの建物内は、今は火薬と焦げた匂いに満ちている。
自らも顔に黒いススを付け、恐ろしい形相で見つめる先にはフィーナから奪った木箱がある。
何度か爆破させたにもかかわらず、傷一つなくそこにあった。
「なんなんだこの箱はっ!!ただの木で出来ているのではないのかっ!?」
叫ぶミラン卿の問いに答えるものはいない。後ろからは新たな爆薬をもった男達が入ってきた。
「鍵師を呼んで開けさせたほうがいいのではないですか?」
爆薬をミラン卿に差し出しながら色黒スキンヘッド男が問いかける。
「やろうとしたが、鍵を開ける道具自体があの鍵穴に入っていかないんだ。触ると確実に鍵穴は開いているのに道具は通してはくれぬ。忌々しい…!!これが王家の結界か!?」
肩で息をしながら差し出された爆薬に手を伸ばそうとして、その手は空中で止まる。
「………………」
「どうしました?」
「あの女…」
「女?」
「屋敷に閉じ込めているフィーナを連れて来い。あの女なら、この箱について何か知ってるはずだ。」
色黒スキンヘッド男は主の考えている事を汲み取り、一つ頷くと部屋の隅に控えていた一人の男に命じた。
「おい!そこの男!!屋敷に戻ってあの女を連れて来い。暴れるようならまた縛り上げてもいいが、気絶だけはさせるなよ。聞きたい事があるからな!」
命じられた男は一瞬視線をミラン卿に流してから無言で部屋を出て行く。
「…ここまで手間がかかるとは予想していませんでしたね。あの女が鍵を持っているとも思えませんし、第一神殿にいけば鍵は手に入るでしょうが、それこそ簡単な事ではない。」
口元に手を当て呟きながら考え込むミラン卿の顔は歪み、思い通りに行かない現状にイライラを隠せない様子だ。
そんな彼におずおずと話しかけようとする少女がいた。
「あ、…あのミラン様。」
「…………」
ミラン卿は威嚇するように少女を見るが、それも一瞬で視線は箱に戻される。
何の興味もないという風に。
それでも少女は引かなかった。
腕に抱く少女の為に。
「あの、この子、さっきそこの植物で手首に怪我してから具合が悪いみたいで…。部屋に戻って休ませてあげてもいいですか?」
その子は女の子達の中でも年長にあたる子らしく、その子を中心として集まり身を寄せ合っていた。
具合が悪いという少女は赤い顔をして息も荒く、座っている事も辛い風で年長の少女に凭れ掛かって目を閉じている。
ミラン卿は一瞬だけ少女と、少女に凭れ掛かる子を見るが、やはり興味の無さそうに目を逸らす。
やはりダメかと肩を落とした少女に声がかかった。
「……アリウム。」
「は、はい!」
「残念ですが、その子は諦めなさい。」
「……………え?」
アリウムと呼ばれた年長の少女だけではなく、その周りにいる女の子達も目を瞠ってミラン卿を見つめた。
「そこにある植物とは、緑に白い線の入った草のことでしょう?」
「あ、…はい。そうです。」
アリウムは後ろを振り返り、その植物を確認する。出入り口付近にあり、最近になって移植された変わった柄の植物だから間違いはない。
「あれの葉には猛毒があります。もしあの植物で切ったのであれば、具合が悪いのは毒のせいでしょう。そして研究中のため、わたくしも解毒薬を持ってはいない…。治療するだけ無駄ですよ。」
「そんな…!!」
女の子達の少女特有の甲高い悲鳴が部屋に響く。
だが幸いにもアリウムの腕の中の少女は気絶してしまい、今の事実が聞こえぬまま荒い息をはいてた。
「黙れっ!!!」
非情な発言をしたミラン卿への抗議の悲鳴は色黒スキンヘッド男の怒号のような一言で遮られ、部屋の中は強制的な静寂で包まれる。
静まり返った部屋の中、ミラン卿の溜息が一つ。
「そんなに助けたければ、自分達の力で治してあげればどうですか?お前達は幼いとはいえ、わたくしが選び抜いた正当な竜の血を引く珠巫女なのです。治癒や生命の活性化は得意中の得意でしょう?今その力を使わずしていつ使うのです。」
淡々と語るミラン卿の声は冷め切っていて、本当にどうでもいいという事がありありと分かる。
それは言われた内容からも汲み取れた。
「まぁ、植物の美しさを通常より長く保持する事と、擦り傷を治すこと位しか出来ないお前達の小さな力では全員でかかっても治るとは思えないですけど。」
そう言って鼻で笑う男の顔を、目に涙をいっぱい溜めてアリウムは睨んだ。
悔しいがミラン卿の言うとおりなのだ。
小さな怪我を治したり、小さな花を咲かせる事は出来る。
でも、それだけだ。
病気を治したり、毒を消したりなど私達に出来るはずもない。
風邪をひいた時でさえ、皆で助け合い慰めあうことしか出来ず、痛みを取る事も出来ず、ただ耐え苦しみが去るのを待った。
くやしい…!!
こんな男に買われ珠巫女なのだと教えてもらい力の使い方を覚え、この人の役に立っていると一瞬でも誇らしく思っていた最初の頃が本当に恨めしい。
珠巫女という存在がどれだけ小さな存在か、身に染みてわかっていた。
何度も逃げようとしてその度に捕まり、あげく他の子たちを盾にされ逃げられなくなった。
神頼みなんかとうの昔に捨てたはずだった。
頼る人も家も無く、一人彷徨っていたあの頃に。
でも今は神にでも何でも、祈るから。
だから
どうか
お助けください。
少女は目を強く閉じ彼方の空に祈る。
流した涙は祈りと共に大地へと還っていった。