第九話 じゃじゃ馬と王子
フィーナが連れて来られた屋敷の南の棟の最上階。
その一番奥の豪華な一室は入ってすぐ左側に天蓋付のベッドが置いてあり、その両側の窓は繊細なレース地のカーテンと金の刺繍が施されたワインレッドのカーテンが陽を浴びていた。右側にはソファセットが置いてあり、テーブルには色とりどりの花が飾られている。
窓から見える景色からは屋敷と同じくらい背の高い木々が見えるばかりで、この屋敷の位置を特定するような物や建物は見えてこない。
でも今はこの屋敷から逃げる事よりも、外の景色を眺めるよりも、優先するべき事が目の前にあった。
「あぁ、そうだ」
「な、何?」
人をじゃじゃ馬扱いしたその人は、頭から外した布を傍にあったソファの背に放り投げて突如入り口に向かって歩き始めた。
高鳴っている自分の鼓動と、問われたじゃじゃ馬発言で頭が真っ白になっていた私は黙ってシンの行動を見つめる。
色黒スキンヘッド男に言われた通りここに私を閉じ込めて監視する為に出て行くのだろうと思って、やっと一人になれるとその背中に向かって小さく息をついた瞬間、ガチャッと音がして鍵を閉められたと気づく。
鍵が閉められた事によって密室感がより濃厚になった。
「なんで中から鍵かけるのよ…部屋から出て行かないよう監視するなら外にいればいいじゃないの!」
非難の声を浴びせるも、シンは無言のままゆっくりとこちらに振り向いた。
ドクン
(―――え?)
一瞬、体中に電気が走った気がした。
先ほどまで居たシンという人と、この人は違う…。
入れ替わった訳でも、容姿や服装が変わった訳でもない。
この人の身に纏う雰囲気や存在感、威圧感、瞳の奥の光の強さまでもが桁違いに輝きを増したように、
彼はそこに在った。
とてもじゃないが、一介の誘拐犯の一人が持つオーラではないと思う。
(どうして急に…)
顔を覆っていた布を取ったから?
鍵を閉めて仲間が入って来れないと安心したから?
変化が起きた理由を考えて見るけれど、これといって心当たりが見つからない。
そんな単純な理由で人はここまで変わるのだろうか?
そんな訳、ないよね。
でも…なぜだろう。
彼が醸し出す雰囲気は少し前のものより心地良い。
目の前の変化に戸惑うフィーナにかまわず、ゆっくりと振り返ったシンは笑みを浮かべながら一歩一歩近づいて来る。
対して私も一歩ずつ後ろに下がる。
それに気づいたシンは小さくクスリと笑った。
「何?じゃじゃ馬が怯えてんの?」
「そ、それは関係ないでしょ!?」
「じゃあ下がるなよ。話があるからさ。」
と言って歩みを止めないまま腰にある短剣に手をかけた。
それを見た私は後ろに下がるスピードを上げた。
「こ、来ないで!私に手を出したらあのミランって人に怒られるわよっ………っ!?」
ついには壁際に追い込まれてしまい、それでも左右に逃げようと顔を巡らすが笑みを深めたシンがすぐ目の前に来て顔の横に左手を付いた。
崖っぷちの抵抗で睨みつけてやろうと顔を上げたら、顔の前に短剣の刃を見せ付けられる。
思わず息をするどく飲み全ての動きを止める。
同時に、この人はいい人かもという自分勝手な想像が崩れ落ち、やっぱり他の人と同じ悪党なんだと落胆した。
(やっぱり殺されるのかな…)
まったく知らない人に勝手な期待をして勝手に裏切られて、そんな自分は本当に勝手な人間だなと思わずにいられない。
さすがの私も密室の状態で男に刃物を見せ付けられて、すぐに回避策を考え付くほど余裕はなかった。
怯えつつも悲しい眼で短剣を持つシンの手を見ていたら、上から優しい声が響いてきた。
「…この紋章、気づいたか?」
「…紋章?」
そういえば、と改めて短剣の刃をみると荷馬車で見た時と同じように紋章が浮かび上がっていた。
せっかくだから、先ほどからずっとしたかった質問をぶつけてみる。
「これ、この剣。なぜ、あなたが持ってるの?今回みたいに悪事に手を染めて奪った?これはある王家に伝わる剣で、あなたが持っていていいものではないと思うわ!」
話しているうちに感情が高ぶってしまい、最後の方は叫ぶようになっていた。
それでもシンは動じてはいないようで、ははっと軽く笑う。
何がおかしいのよ!
先ほどの恐怖や落胆、驚きなどの感情の行き場が逆切れという形で現実化した。
さらに追求しようと口をあけた時、
「これは俺のだよ。」
は?
「何を言って…」
奪った物は自分のものとでも言いたいの!?
さらに怒りが増している私に対しても、彼はいたって冷静で、やっぱり楽しそうな顔をしている。
「王家に生まれた王子に一人一振り与えられるもので、これは俺の。」
ここ見て…と言いながら壁から離した手で刃に浮かぶ紋章の下の方を指差す。
指差された所を眼を凝らして見ると、紋章と同じように小さい文字が浮かんでいた。
「……セ…ル…ク…?」
どこかで聞いたような?
私の呟きを聞いた彼はふわりと頷いて、
「セルク・フロル・デ・グランディア、これが俺の本当の名。
フィーナ・アルベルト嬢、ルカに俺の話は何も聞いてなかったのか?今回花祭りに合わせて来る事も伝えてあったはずなんだが。」
ん?と首を傾げて聞いてくるが、すぐに返事は出来ない。
頭真っ白。
え?
どういうこと?
グランディアって…サウラ王妃が言っていたグランディア王子!?
そういえば第四王子がセルクって名前だったような…。
「ええええええ!!???」
思わず絶叫する私と、笑う彼。
だって…
「だって、私を誘拐したあの人たちの仲間でしょう!?それに、シンって名前が!」
「それはあいつらの仲間になった時に適当につけた名前。国に入る前に入った酒場で、雇われたらしいあいつらがペラペラ依頼内容を話してたから、どうせなら内側から計画ぶっ壊してやろうと思って仲間に入った。」
入ったって…
とてもじゃないが一国の王子という人が起こす行動とは思えません。
「でも、そんな情報を事前に聞いていたのなら、まず城に連絡を入れてくれれば良かったのに…!」
「もう少し探ってからでもいいかと思ったんだ。最初の計画では箱を奪うって話だったし最悪奪われたとして、俺が箱を城に持ち帰ればいいかと思って。お前を連れてくる指示が出されてたのは予想外だった。…悪かったな怖い思いさせて。」
短剣を鞘に納めながら苦渋の表情で謝罪してくる。
その顔をさせてしまったのが自分だという事がとても心苦しかった。
彼はきっと始めから私を助けようとしていたに違いない。
荷馬車の中で私が無茶な行動を取らないようにわざと剣を見せて威嚇し大人しくさせたのは彼。
他の三人だったら縛り上げられて視界も口も塞がれていたかも。
なんだかんだ、助けられていたんだな…。
「…あなたが謝る必要はありません。荷馬車でも、今も、助けてくれてありがとうございました。」
頭を下げて謝罪する私の顔を上げさせるように顎に手が添えられた。
見上げたそこには真上から興味深そうに覗きこむ整った顔。
触れられている場所から熱が広がるように、自分の顔が赤くなるのがわかる。
ドキドキと高鳴っていく鼓動を、胸に当てた両手で静めようと試みるが無駄に終わりそうだ。
「なん…ですか?」
沈黙に耐えられなくて眼をそらし問いかけるが、セルク王子は顎にあった手を滑らせるようにして額に上げると…。
「いたっ!!?」
デコピンしてきた。
反射的に胸に当てていた手で額を押さえようとしたらその手を掴まれて顔の横に押さえつけられる。
(なんなのっ!?)
真意の読めない行動の連続に先ほどまでとは違う意味で鼓動が早まる。
怒りさえ込み上げてきそうだ。
本当は王子である彼に失礼な態度をとったことを怒っているのかもと思った。
でも正体を隠していた自分にも責任があるし、一方的に怒られるのは納得いかないんですけど!?
手を塞がれたせいで擦ることも出来なく、未だにジンジンと微かな痛みを発する額に意識を集中しつつ心の中で文句を言っている私にはこの時セルク王子が顔を近づけて来ている事にも気づいていなかった。
(…………………え)
額に柔らかく温かい感触が湿った空気と共に触れてきた。
何?と考えるまでもなく、目の前に男性らしい喉仏と鎖骨が見えて位置的に唇が額に触れているのだと気づく。
(からかわれてる!?)
我慢も限界にきていたフィーナが「何するの!?」と文句を言いながら顔を上げた瞬間、
今度は同じ感触が自分の唇に触れた。
それは額に触れた時よりも力強く、熱く、優しく、長い時間そこに在った。