アカツキ
月明かりさす署の裏口。納得しかねると顔に書いてある憮然とした表情の刑事に見送られながら、義輝はデボラに促されて用意された車に乗り込む。
裏口からの身柄引渡しとなったのは、レベッカの父親からも逃れるためだった。
「牛なしの牛車に鉄の馬か……そんなものに、平民までが乗っておる。まこと奇怪な光景よの」
自分自身が乗り込んだ車の窓から義輝は外を眺める。
「のう、デボラとやら……わしは、どういう男であったかの?」
デボラ、かつて18年間もの間、義輝の知らない義輝と行動を共にしたという女。義輝自身の主観は座して野太刀を肩越しに抱えて自らの首を刎ねて畳に
転がり、その首を常世稲荷が抱え上げて義輝の首なし胴の両手の間に置いたところから、
い ま だ 一 昼 夜 と 経 過 し て い な い。
自分のあずかり知らないデボラとの足利義輝とはどういう男であり、どう生きたのか。それが知りたかった。
「さっきスケベって言ったでしょ?」
デボラの答えは、にべもなかった。
「ううぬ、男はつまるところ全員助平じゃからな、しょせん一般論に過ぎぬのではないか?」
「じゃあ言い直すわ、ドスケベで浮気者で大名にでも平気で手を出す征夷大将軍・足利義輝」
「……本当にわしのことを知っておるようじゃな」
義輝は、少なくとも己を知られていることだけは認めざるを得なかった。
「知ってるどころか、そもそもあなたはわたしだったんだから」
『それで納得しちゃうんだ! それより最後にものすごい爆弾発言を聞いた気が』
レベッカは心の声で叫んだ。
「わしの衆道は……そのう、いろいろと政治的な要素も絡まりあっておってじゃな」
義輝は、レベッカに言い訳するようにつぶやく。
「レベッカ、聞いてる? 義輝って『もののふ1000人に聞いてみた、抱かれたい武将トップテン』に入ってたのよ?」
レベッカが最初に会ったときの恐ろしい大人の男だったときも、よく考えれば男らしい男だった。今は絶世の美少年だが、順当に筋肉をつけてたくましく育つ
と、ああいう感じになるのは納得できる。ただ、アンケート対象がもののふ=戦士というのは意味が分からない。
「と、当世風に言うとそうなるのか? この地は切支丹の地なのであろう、衆道は悪徳とされておるのであろうな」
『衆道ってなに?』
「レベッカの知ってる言葉で言えば……そうじゃ、《ボーイズラブ》のことじゃな!」
義輝は、レベッカの持つ語彙の中から、最も妥当なものを選び出す。
『あはは……無いとも少ないとも言えないけど、いいことだとは思われて無いかな』
「レベッカも、ボーイズラブが悪徳と思っておるのかのう……」
『い、いえ……どう悪いかは……ぐ、具体的に聞かせてもらわないと分からないかな……』
「具体的に言わねばならんのか? あれはわしが将軍職を父上から引き継いだばかりの頃、まだ子供であったわしは、父上の趣味で将軍でありながら稚児
そのものの衣装を着せられておった。稚児装束というのは、常世の逢瀬でのわしの服装のような、無駄に華美なものを指す」
夢の中で義輝が着ている、美少年以外には絶対に着こなせそうもない豪華な衣装と、それに全く負けていない闇色の髪の美少年将軍・義輝。
レベッカは自分が充分に金持ちのお嬢様だという自覚はあるが、父親が連れて行ってくれたどんなパーティでも、あれほど艶やかなドレスを着たことは一度
もないと断言できた。認めたくはないものの、どう考えても14歳の義輝は自分より美人だった。
「……おかげで稚児将軍、傾城将軍などとも陰口を叩かれておったものだ。城が傾いておったのはわしのせいではなかったがの」
そんな義輝が、ボーイズラブ!
『ぼ、ボーイズラブのあたりを、もうちょっと詳しく』
レベッカは、思わず言う。
「もっと具体的にボーイスラブの部分を説明せよと申すのか! 仕方がない、あれはわしが……」
義輝が渋々ながらといった面持ちで具体的な顛末を語りだそうとした矢先に、耐えられなくなったデボラは噴き出した。
「……プフッ! もうダメ、耐えられない! ……義輝、レベッカになにを聞かれてるのか分からないけど、心配しなくてもレベッカは理解があるわよ、ボーイズ
ラブに」
「なに? それは本当か?」
『わーっ! わーっ! 義輝! このオバハンものすげー大ウソツキだからね! 信じちゃダメ!』
「……と、レベッカは言っておる。伴天連教の南蛮坊主は衆道を批判するものと相場が決まっておるようじゃが、レベッカは伴天連教の信徒ではないのか?」
「レベッカはクリスチャンじゃなくてユダヤ人だし、そもそもボーイズラブって英語じゃなくて日本語だから。知ってるだけでアウトね。あと、有名な言葉もあるの。
『ボーイズラブが嫌いな女なんていません!』ってね。つまりそういうこと」
「ボーイズラブに女が差し挟める余地など何もないのにか? 意味が分からんのう。ともかく、レベッカがボーイズラブに理解があるようで助かったのじゃな」
『べ、べつに美少年の、しかもボーイズラブに興味なんてぜんぜん無いんだからね!』
レベッカは、未練たらたらの口調で言った。しかし、義輝はその言葉を額面どおりに受け取る。
「そうか、ならば下世話な話はここまでとしよう」
「レベッカがなにか墓穴を掘ったみたいね」
デボラは楽しそうに笑った。
「もうすぐ機関の支局に到着よ、準備して」
デボラの用意した車が、ある女性向けファッションブランドビルの通用口の前へと停車する。
「のう、デボラ。ひとつ質問をしてもよいか」
「なに? 義輝」
「わしを、怨んでおるか?」
「怨むって、なにを?」
「御褥御免とし、おぬしをなんたらいう男に下賜したことを」
「どうしてそんなことを聞くの?」
「わしがおぬしを捨てたように聞こえてな……」
「いいえ、そんなことないわ」
デボラは簡潔に答え、車から降りるように薦めた。
「暁の君は、どなたもレディファーストをご存知ありません」
「もともと偉そうにしている女どもに、いったいこれ以上なにを譲るというのだ?」
『なに言ってんのよ義輝!』
「義輝、南蛮ではそうではなかった。もともと虐げられていたからこそレディファーストという概念が生まれたり、私たちが顕現したりするようになったの」
「おぬしたちは、単に請願した時に生娘だっただけじゃろう?」
義輝は生娘でるなら誰でも常世に暁の輩がいれば、請願を聞き届けることが出来ると考えていた。でなければ、こんな南蛮の土地に顕現するはずが
ない。
「……いいえ、私たちは同じ女を祖に持つ血族。日本以外に私たちが大量に存在することそのものが、アカツキ機関にも西洋世界にも許されざる罪の
証」
デボラは、従業員通用口のエレベータのパネルを操作しながら、答える。
「う、うわ……! なにがあったのだ」
エレベータは起動し、初めてエレベータに乗った義輝は困惑する。エレベータは存在しないはずの地下階に向けて降りていく。
「豊臣秀吉公による、大規模な切支丹弾圧」
「秀吉? 聞いたことがない名じゃ。なぜ弾圧などされたのじゃ!」
義輝には、豊臣秀吉という名は聞き覚えが無かった。どこの田舎侍がそんな大それたことをしでかしたのか? いっとき、本気で考える。
「九州での切支丹による……奴隷交易の発覚が原因よ。
切支丹大名が奴隷交易で、女を大量に南蛮に売っていました。100年未満のキリスト教布教期間に奴隷として売られた女は、最低でも20万人。キリスト
教布教の闇の側面が、奴隷交易だったの。だから力ある国では必ずキリスト教は最後には淫祠邪教と断罪され、民族浄化の対象になった。
日本はその民族浄化に成功した、数少ない国のひとつ」
デボラは、敢えて立て板に水のごとくスラスラと、感情を交えずに答える。
「なんということだ……」
戦国時代前期の日本人の感覚では、人間を金で売り買いするという発想自体が、そもそも記録すら残っていないほど大昔の野蛮な風習だった。
『……奴隷交易って、アフリカ人だけだったんじゃなかったんだ』
レベッカも言う。
「火薬一樽で50人の娘が売られていったその中で、おそらく何百人もの寄代巫女が一緒に売られたと思われます。だから本来日本にしか生まれないは
ずの暁の君の巫女が、現在世界中に散らばり誕生しているのです……レベッカ」
『はい?!』
「レベッカは聞いておるよ」
義輝は、レベッカの心の声を伝える。
「あなたたちユダヤ人は、母親がユダヤ人でなければ真のユダヤ人ではなかったはずよね?」
『確かに……パパはただのイギリス人の不可知論者で、元の姓はブラウンだった。私がユダヤ人なのは、死んだママがアシュケナージ……東欧系ユダ
ヤ人だったから』
義輝は、レベッカの言葉をそのまま代弁する。
「でもあなたはそれ以前に、暁の君の巫女……奴隷として売られた日本の巫女の末裔。暁の君へ請願が届くのは、巫女の血統の生娘だけ。だからアカ
ツキ機関は、キリスト教を世界の敵と呼んでたの……『自分たちが日本国外に存在している』ということ自体を根拠に。ほんの100年ほど前までね。
さあ、着いたわ。ようこそ、アカツキ機関へ」
デボラは軽く頭を振り、開いた自動ドアを示した。
「待てデボラ、キリスト教は今後も世界の敵であり続けるだろう、おそらくこれからもずっと……お待ち申し上げておりました、義輝様」
扉が開いた真ん前には、小柄な赤毛の女がいた。名乗りもしないが、誰何もしない。
「うむ、よしなに」
義輝は、それ以上聞くことを思いつかない。
「報復はもう充分したでしょう。直接の敵だったイエズス会は戦闘能力と植民地を失い、マルタ騎士団も領土を失った。そもそもキリスト教自体もプロ
テスタントとカソリックに分裂した。日本国内のキリスト教徒もほとんど切支丹大名もろとも棄教させました」
デボラは、義輝に理解させるように、赤毛の女に反論する。
「……このように、キリスト教側にしたら50年かけてほんの50万人ほど奴隷にして持ち出しただけで、ここまでしつこく報復されたことを怨んでたというわ
けです」
赤毛の女は、そう言って幅の狭い肩をすくめた。
「キリスト者に対する呪詛と怨嗟は、そのぐらいにしていただけませんか。その時代に生きていた人間は、われわれ側にはもはや一人もいないのです」
暴力性を一切漂わせない服装に身を包んだ女が、やんわりとたしなめる。
「むろん、分かっておるとも伴天連。江戸幕府が大政奉還して以来、我々が幕府。アカツキ機関とは……つまり幕府です。征夷大将軍を頂点に奉じる、人
類の敵をいかなる手段をもってでも殲滅する一切の権利と有し義務を負う」
赤毛が尊大な口調で応える。
「その点で、我々キリスト者とアカツキの方々は末永く共闘関係でいたい、と願っています」
伴天連教の尼僧は、表情をこわばらせながらも嫌味を受け流す。
「ゆえに神職を暁の君に打ち殺されて顕現されても文句はナシ、ということよのう」
赤毛は敢えて、決定的なことを口走った。明らかに、喧嘩を売っている。
「……あんまり舐めたこと言ってんじゃねえぞ、涜神者ども! 確かに教会で請願を行われ、神職を隠れ蓑にしたキリスト者の恥さらしがブチ殺されるの
はクソいまいましい。いっそウチらが自分で火あぶりにしてやりてえぐらいだ! でもテメエらキリスト者殺しのクソ悪魔のクソ顕現のための生贄にされん
のは、ゴキブリ一匹だって惜しいんだよ!」
伴天連の尼僧は一気にまくし立てる。こっちが、この尼僧の本質のようだ。そして今、義輝が顕現してようやく24時間が経過しようとしていた。