檻の中
「どうですか警部、女ジェイソンのほうの調査は」
「エリナ・ウィリアムズなら、現在絶賛逃亡中だ」
煮詰まったまずいコーヒーをすする刑事に、若い顔見知りの警官が声をかけてきた。
「最近の若い女は、物騒になったもんです」
「オマエの彼女のことか?」
「いや、今日駐在している中学校で、女生徒が男子2人の顔面を叩き割りまして……豚箱にブチ込んだら危害を加えそうになったんで、独房に移しました」
「おいおい、いくら粋がってるとはいえ、女子中学生をプロのアバズレどもの中に放り込むのはキツ過ぎるだろ」
刑事は空になった紙コップをゴミ箱に投げ込む。
「いえ、狼はレベッカ・ヨスター・ミンツのほうでした。女子中学生がトーニャ・メンデスの乳を揉んでたんですよ」
「え? トーニャ・メンデスってのは『マッチョ・トニー』の本名だろ? どう見てもガチムチのオッサンの、なんで女子房に入れられてるのか分からねえアイツ。
それにあの胸は乳じゃなくて大胸筋だろ」
「そのトニーの大胸筋をひねり上げてたんですよ。自分の3倍ぐらい太い両腕を片手で抑え込んで」
「レベッカってのはジュードーとかカラテとかシステマの達人か何かなのか?」
「チアリーディングの達人ではあったみたいですけどね。典型的なJAP……ジューイッシュ・アメリカン・プリンセスですよ」
警官は、肩をすくめる。
「……ちょっと待て、なんでユダヤ系なのにミドルネームがあるんだ」
「同じようなことを、本人も言ってましたね。あと、ミドルネームは中国語でしか書けないようでした」
女に絡んだ暴力事件、元々存在しないのに存在する奇妙なミドルネーム。それに、さっきから窓口で弁護士を引き連れて粘ってる、弁護士より知能が
高そうな、厄介なミンツ氏。
「……そのヨスターってクリスチャンネームは、中国語ではどう書くんだ?」
刑事は、駐在警官に本人直筆の署名入りの調書の写しを用意させた。
「刑事さん、私の娘はいつまで拘束されるんですかな?」
刑事の目の前には、弁護士を引き連れた身なりのいいユダヤ人の中年男がいる。
「ご心配なく、ミンツさん。彼女は『安全上の配慮で、独房に隔離』されています」
「お分かりかと思いますが、私の娘はチアリーダーに抜擢されたばかりで、よほどの理由がない限りは暴力行為に及ぶようなタイプの人間とは考えられませ
ん。若い男女にありがちな何らかのトラブルが原因で、娘は身を守る必要があったのでは?」
その結果、男子2名の顎と頬骨を肘鉄で粉砕。その後も、マッチョ・トニーを力でねじ伏せて隔離されている。チアリーダー型のオランウータンか何かなのか。
「……では、お嬢さんの名前をお伝えください。……確認の意味で」
刑事は、最後にエクスキューズを付けながら問う。
「お嬢さんの名前は、レベッカ・ミンツ。年齢14歳……」
「ああ、結構」
刑事は、早口にまくし立てる弁護士を早々に遮る。
「お嬢さんのミドルネームは、なんですか?」
刑事は、既に知っている答えを、あえて問いかける。
「ユダヤ人はミドルネームを持ちません。洗礼を受けないからです」
父親は、躊躇なくあっさりと答えた。
「……そうですか、失礼しました。いやなに、捜査のヒントになるかと思って伺ったまでです」
刑事はそのまま立ち去そぶりを見せ、立ち止まりながら振り返りもせずにミンツ氏と弁護士に話しかける。
「そうだ、ミンツさん。綴りは間違っているかもしれませんが、ヨスターという洗礼名に聞き覚えはありませんか?」
「いいえ、珍しい洗礼名ですね」
父親にも弁護士にも、これといった反応がない。強いてあげれば、なんでこんなことを聞くのか? という疑問が表情に浮かんでいるだけだ。
「そうですか、それがこの文字なんですが」
刑事は、中華系の同僚が模写した『義輝』と書かれたメモを差し出す。
「こう書いて、ヨスターと読むようです。この文字に見覚えは?」
「中国語のようですな……いえ、見たことがないと思います。お役に立てなくて申し訳ない」
レベッカの父親と弁護士は、交互にメモを見て考える。しかし、なにも思い当たることはなかった。
「いえ、お気になさらずに。悪いようには計らいませんし、経歴に傷が残ることもありません」
刑事は厄介なミンツ氏と弁護士を刺激しないように、その場を去っていく。
女に絡んだ異常な暴力事件、父親ですら知らない中国語のミドルネーム。
「見つけたぞ……奇妙なミドルネームの女」
アカツキ機関が追っている女が一人だとは、あのスーツ女は言わなかった。
今スーツ女が追っているフットボーラーのアダム・J・ステッドラーによる暴行事件も、娘のアメリ・F・ステッドラーが絡んでいると言えなくもない。
もしも……アメリ・F・ステッドラーに妙なミドルネームが増えていたとしたら?
これは切り札に取っておくか……それとも今すぐ切って勝負にかけるか。
「……ここは拙速に賭けてみるか」
刑事は「義輝」と書かれたメモをポケットに押し込み、ステッドラー事件の現場へと向かった。
「なに? ここはアカツキ機関の現場よ。昨日のレイプ犯返り討ち事件の捜査でもしたら?」
スーツの女は、あからさまに刑事を追い返そうとする。
「ごたくはいい、アンタにいいものを見せにきた」
刑事は、わざとくしゃくしゃに丸めたメモを手渡す。
「いいものって、な……」
スーツの女は言いながらメモを開きつつシワを伸ばし……絶句した。人形じみたその冷淡な表情が一瞬にして豹変する。
「なあ、アカツキ機関のお偉いさん。奇妙なミドルネームってのは、それのことか?」
刑事は、そのメモの威力の大きさに内心驚きながら、問いかける。今、このスーツ女は明らかに隠しようがないほど動揺している。
「……これは、誰のミドルネームなの? エリナ・ウィリアムズ?」
スーツ女は、かろうじて切り出す、
「さあな、アメリ・F・ステッドラーかもしれないぜ」
「アメリはもう分かってるの! 隠さないで、教えてちょうだい!」
「だったらアンタも隠さず教えてくれ、奇妙なミドルネームってのは、この中国人の名前のことか? こりゃいったい何なんだ?
ナニを隠してナニを捜してる?」
「……まず、これは中国人の名前じゃないわ」
「だったらコリアンか?」
「いいえ、日本人の名前よ」
女の動揺が、少しづつ納まってゆく。
「ヨスターなんて名前の日本人がいるのか?」
「日本語が分からなければ発音の区別が付かないかもしれないけど、正確にはヨシテルと読む。次はこっちの番よ、教えて!
これは、エリナ・ウィリアムズのミドルネーム?」
「……いいや、違う」
刑事は否定する。どう考えていいのか分からないのだ。
「だとしても、このミドルネームを持った女性を見つけたってことよね?」
「ああ、いま署の独房に留置してある。同級生の顔面を叩き割って拘留房にブチ込んだが、すぐさまゴリラ女を締め上げたそうだ。
ただの中学生のチアリーダーが、だ」
「義輝様……お戯れが過ぎます……続きはすべて、このミドルネームの少女の前で話します」
スーツ女は嘆息し、刑事の車の助手席に乗り込む。
「なにしてるの、早く車を出してちょうだい!」
「……アイアイ、マム」
刑事は何か言おうとしたが、結局これだけ言い、車に逆戻りした。
独房の中で、レベッカは眠り続ける。
朝焼けに映える一面の黄金色の稲穂。さわさわと風が吹き抜け、重く実った一面の稲の穂が、ゆらゆらと揺れる。
実りの季節を迎えた水田を見下ろしながら、少年貴族とレベッカは石の上に腰を下ろす。
「ワシはこの景色が好きじゃ。剣の稽古を終えたときは、よくここに来て景色を眺めたものよ」
「うん、素敵な景色ね……」
しばし、2人の間に言葉はない。
「……どうして、2人を殴ったの?」
一陣の風が吹き、眼下に広がる黄金色の稲穂が再び揺れる。
「この壮大な景色の前に、そんな瑣末なことはもうよいではないか?」
「……もしかして、嫉妬? 正義感? あからさまに、かっこいいことを言ってごまかそうとしてる!」
レベッカは、言葉の余韻に浸りながら澄まし顔の義輝をからかう。
「べ、べつに嫉妬ではない! 取調べの最中にも言ったであろう、レベッカの貞操を狙うものすなわち、我が敵にほかならん。
おぬしこそなぜ、ワシが女をからかっただけでここまで怒ったのだ! おぬしはワシの正室か!」
「側室なんて認めないんだからね! ……ていうか、なによそれ!」
「ワシがおぬしと太極を形成できるのは、おぬしが生娘であるからこそ! レベッカに惚れるということすなわち、レベッカの生娘
を奪いワシを暁に逆戻りさせる意図ありということに他ならん。その罪、万死に値すると思わんか?」
「じゃあ、義輝は私がセックスしたら消えちゃうんだ?!」
レベッカは、敢えてからかうように、義輝にささやく。
「おぬしにふさわしき男児が現れれば、ワシも潔く散華もしよう。しかし、ワシが邪魔だとかそういう下らぬ理由で散華はしてやら
ぬわ!」
義輝は、怒ったように言う。つまり、それは本当だということだ。
「おぬしの生娘の喪失、これすなわちこの義輝との太極の破綻。すべての記憶が失われることになるのだ、互いにな」
「それって」
『……輝さま! 義輝さま!』
『義輝を』呼ぶ声により、レベッカは眠りの対話から目覚めさせられた。
レベッカは耳元での声にも動じず眼を見開き、簡素な壁付けのベッドからゆっくりと上体を起こす。
「御褥の最中、失礼いたします。南蛮人の身体構造上、正座できぬ無礼をお許しください」
レベッカの真横では、スーツ姿の女が汚れた労の床に片膝をついている。
「……なに、ちょっと横になっておっただけのことよ」
義輝との協議の結果、応対するのはレベッカのほうとなった。ただし、あくまでも義輝のふりをしながら応答することが決まっていた。
「率直にお答えいただきたく存じます。あなたをここに導かれたのは、どなたですか?」
『常世稲荷という白拍子じゃ、白拍子とは男装の芸奴のことを指す。あやつこそ本物の妖怪だ』
義輝は説明し、レベッカはそのとおりに答える。
「常世稲荷、男装の女狐じゃ……わしのときは、白拍子であったの」
「……征夷大将軍・足利義輝様に相違はございませんか?」
『先に向こうに名乗らせよ。わしを誰か知っての誰何の場合は、特にな』
「……今の世でも、人に誰何するときには、何とやらと言うのではないか?」
スーツの女はさらに深く頭を垂れる。髪は既に床にまで届いている。
「私はデボラ・チェン。さる暁の君より臣下スタンリー・チェンに下賜されし端女にございます」
『……ふむ、デボラ・チェンか。あいにく南蛮人の女には知己がおらぬ……レベッカは知らぬか?』
「え? ほ、ほう……下賜とはどういうことだ?」
『下賜のほうを掘り下げるのか!』
「三十路の齢を迎え、御褥御免を賜りましてございます」
「お、御褥御免とは、どういう意味だ?」
『ええい、女というやつは……』
「御褥とは、余人からは眠りと見える夢の境地での会合のとこでございます」
『触れ合うことすらかなわぬ夢幻の境地での逢瀬を指して、《 セックス》に例えるとは。なかなか面白い言葉遊びよの』
心の中で囁く義輝を無視し、レベッカは続ける。
「えーと……それがなぜ、御免となるのだ?」
「申し上げにくきことにございますが……ひとたび結ばれた男女陰陽の太極は、特例を除いて女の30歳の齢にて解消することが、陰陽事諸法度
により定められております。法度に即し、女は生娘を御免せねばならぬしきたりとなっておりますゆえ。
その際に、信用の置ける配下の者に報償として純潔が下賜され、女の余生が託されるのです」
「……そのとき、男はどうなる?」
『待てレベッカ! わしはそれを知ってお』
「暁の君の記憶は本人の死の直後まで巻き戻り、ただちに請願を行った別の生娘に移り変わります。義輝様、それは暁の輩であれば誰もがご存
知のはず。今は義輝様を騙る下賎の女のほうですね?」
「ちょ……下賎ってなによ!」
『待て、これは挑発じゃ!』
昼に同級生を小突いたときとは逆に、義輝がレベッカを制止する。
「黙りなさい端女」
レベッカの抗議は、心底感情のこもらない一言で切り捨てられる。
「私はあなたの内側にいる義輝様に話しています。替わるか黙るかしていなさい」
肉体の支配権が、義輝に移る。
肉体の支配権は、現在支配している側の意識が認めなければ移行されない。逆に言えば、対極が認めなければ現在の展開が不満でも、対極にし
か聞こえない文句を言うしかないし、面倒な状態になってから後始末を任されることもある。
『くやしい! なんとか言ってやってよ! 義輝!』
「……まあ待て。まだわしは、何者か名乗ってすらおらぬぞ」
今回は、完全に面倒になってから丸投げ出された状態だ。
「義輝様でございますね?」
「その根拠は?」
「まずは、レベッカは義輝様であることを否定するよりも先に下賎と言ったことを否定しました。そして動揺が収まりました」
真に高貴な者は、下賎と罵られてもまったく痛痒を感じない。自分より強くも偉くもないものが何を言おうと、弱った野良犬が唸っているのと何の違い
も無いためだ。
「ふむ、続けてよい」
「次に、義輝というミドルネームは有り得ません。しかも英語ではどう書くか、ご存知なかったご様子。この国において漢字を知っていて、読み方を知っ
ていて、なおかつ自分の名前のヘボン式……ヘップバーン式ローマ字記述法を知らないということが、まず有り得ません」
「わしが大嘘吐きなのやもしれんではないか」
「知ってることを知らないという嘘のほうが、つくのは難しいものです。それに、『ミドルネームだけは嘘をつくことが出来ない』ことは、いかな現代の事
情に疎い義輝様とて先程の事情聴取で痛感されたのではないですか?」
「……ふむ。名の否定は、自己の否定に他ならん。いかにも、余は征夷大将軍・足利義輝である。大樹なり大御所なりと、好きに呼ぶがよい」
「……失礼いたしました義輝。ご無礼ついでに、もうひとつ御免」
好きに呼ぶがよいとは言ったが、呼び捨てにされるとは考えていなかった。
その虚を突き、デボラは義輝となったレベッカの手を掴み、首を引き寄せる。
この手の近接戦闘術は、義輝のもっとも得意とする領域だった。引き寄せる腕をかわすためにいなそうとするが、逆にその手を封じられることに義輝
は驚く。
そして----
義輝とデボラの唇が重なる。
「何をする!」
「私は、デボラ・チェン。7年前まで18年にわたりデボラ・義輝・ハルゼーだった者です……やっと会えたね、義輝。それとも、スケベの義輝でも年増じゃ
ダメかしら?」
スーツの女・デボラは、ずいぶん久しぶりに……正確には、デボラ・チェンとなってから初めて、心の底から笑みを浮かべた。
「今のはその、なんたらチェンとかいう男に対する不貞であろう!」
スケベなのに、そういうところはこだわる。自分のこともスタンリーのことも完全に知らないくせに。でもそここそが、以前とまったく同じだとデボラは思っ
た。
「ひどい人ね……スタンリーが泣くわ」
「おぬしの不貞に対してな」
「終わったかい?」
拘留室の扉の外、刑事はスーツの女・デボラ・チェンを出迎える。
「ええ、レベッカはアカツキ機関の預りとなります」
デボラは殺人の状況からして、エリナ・ウィリアムズこそが坂田金時か足利義輝だと踏んでいた。あれほどの殺戮を単身で行えるのは、現在存在が
確認されてる中で現在どこで誰と陰陽の太極を成しているか分からない、つまり行方不明の暁の輩の中でも、そう多くはなかった。
もしくは、今代の陰陽の太極において大量殺戮を可能とする能力を獲得したか。
しかし、エリナが行った4人目まで確認された殺戮方法は絶妙の域に達するものではあったものの、少女の体で出来ない業ではなかった。
少女の体で可能な範囲で、生前の暁の輩の技量であの殺戮の芸術を完成させた。
「ちょっと待て! 事情を説明しろ!」
「『レベッカは、アカツキ機関が預る』それが全てです」
「俺の縄張りでそんなことはさせんぞ」
「ほうっておいても明日には裁判所命令で釈放することになりますし、そもそも弁護士同伴のミンツ氏も黙ってはいないでしょう」
「そりゃ俺のセリフだ! 腐っても留置所は警察署だが、訳のわからねえアカツキ機関なんてとこにガラを攫われて黙ってる親がいるかってんだ!」
「アカツキ機関は、ひどい暴力や虐待によって心に傷を負った女性のための機関です」
嘘は無い。
アカツキ機関の定義に、一点の嘘も無い。ただ、心に傷を負ったこと自体はどうでもいいだけであった。ひどい暴力や虐待といった、人間による脅威
がもたらす生娘の魂の叫びが、常世の『暁の輩』を呼び出す。
そしてその脅威を生贄として捧げることにより、陰陽の太極は成る。具体的には、脅威の死を心の底から請願すること。
そして暁の輩と陰陽の太極となった存在のための組織だ。つまり、まったく嘘は無い。
金太郎は殺生戒により、金太郎がどれほどの傷を与えても相手が死ぬことは有り得ない。しかし、ほとんど人間とは認識できない形状に変形させる
ことで、人としての存在の死をもたらしている。金太郎の現場から回収された生きた肉塊も、これから先は不可解な臓器の塊として扱われ、人間とし
て尊厳ある扱いを受けることは出来ない。
「傷ついた女を救済するっていうんならカウンセラーも教会もあるじゃないか!」
「カウンセラーとは、つまり我々のことです。そして教会は、性犯罪の巣窟です。私達がどれだけ教会から女性を助け出しているか、ご存知?」
デボラはサラリと言い切る。実際に牧師や神父を殺して顕現し、面倒なことになる暁の輩は多い。なにより、暁の輩はキリスト教とは根本的に相容れ
ない。
どちらも、100年ちょっと前まで、互いを世界の敵と呼びあっていたのだった。