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おれがドッペルゲンガー   :約2000文字 :霊

作者: 雉白書屋
掲載日:2026/05/18

「っ!?」


 おれは思わず声を上げそうになった。

 トイレのドアを開けたら、そこにもう一人おれがいたのだ。

 ズボンを膝まで下ろし、便座に腰掛けたままこちらを見上げている。目をこれでもかと見開き、口をぽっかりと開けていた。きっと今のおれもまったく同じ表情をしているに違いない。まるで鏡を見ているかのようだ。

 おれはそのままトイレの中に足を踏み入れた。


「……いや、なんで入ってくんだよ」


 もう一人のおれがぼそりと言った。

 おれは何も答えず、ドアを静かに閉めた。無意識のうちにそうしていたので、答えようがなかったのだ。


「おまえ、ドッペルゲンガーなのか……?」


 おれはごくりと唾を飲み込み、そう訊ねた。芳香剤の甘ったるい匂いが鼻腔をくすぐり、妙に現実感が増していった。


「いや、それはお前のほうだろ……」


 もう一人のおれが震えた声で言った。

 ……やはりそうか。ドアを開けた瞬間に見せたあの呆けた顔。とても演技には見えなかった。そして、ドッペルゲンガーに会うと死ぬという話を思い出したのだろう。顔が青ざめ、膝は小刻みに震えていた。


 おれがドッペルゲンガーなのだ――。


 トイレに入る前の記憶が曖昧で、頭の奥に薄い靄がかかっているような感覚がある。だからこそ間違いなさそうだ。ということは……おれは消えるのか?

 途端、背筋が寒くなり、ぶるりと震え上がった。「あ、あ、あ」と言葉になり損ねた声が勝手に喉から漏れた。


「な、何をする気だよ……」


 もう一人のおれが怯えた声を漏らした。

 おれが消える? 消えたらどうなる? 死ぬということか?


「で、出てけよ……頼むから……」


 もう一人のおれが震えながら言った。おれが何かしてくると思っているのかもしれない。だが怖いのはこっちのほうだ。

 消える。死ぬ。それはいつだ? このトイレを出た瞬間か? 消えたあと、おれはどこへ行く? またどこかに現れることはできるのか? そのドッペルゲンガーはおれなのか? 


「ト、トイレ中だぞ……出てけよ……」


 ああ、なんてことだ。じゃあ、おれは何のために生まれてきたんだ。

 こいつがクソをしている姿を見届けるためか。ははは、まさにクソみたいな人生だ!


「な、何笑ってんだよ……やめろよ……ほ、ほら、おれ同士仲良くやろう。な? な?」


 もう一人のおれが今にも泣き出しそうな声で言った。 

 さっきからうるさい。それにしても情けないやつだ。おれだったら……待てよ。

 おれがこいつに成り代われないのか? 

 ドッペルゲンガーって、たしかそういう存在じゃなかったか。抑圧された欲望や押し込められた衝動が形になったものだとか。……よく分からない。知能や知識は本体に依存するらしい。だが可能性はある。


「はは、はは……そうだ、代わるか?」


 もう一人のおれが引きつった笑みを浮かべ、腰を浮かせた。


「……ああ、そうだな」


 おれはもう一人のおれをじろりと見下ろして答えた。


「あ、ああ。今どくから……」


「そういう意味じゃない……人生を代われ」


 おれはもう一人のおれの首を掴んだ。もう一人のおれは仰け反り、背中を便器の蓋に強く打ちつけた。だがすぐに両手でおれの腕を掴み、抵抗してきた。


「やめろ!」


「お前が消えろ!」


「お、お前こそ出てけ! トイレ中だぞ!」


「まだ出してないだろ!」


「い、今から出す……とこ、なんだ……」


 指が喉に食い込み、もう一人のおれの顔がみるみる赤く変わっていく。口の端から泡が滲み始めた。

 ふと視線を落とすと、もう一人のおれのペニスはすっかり縮こまっていた。

 おれはにやりと笑った。


「お前みたいに小さいやつより、おれのほうが――ぐっ」


 もう一人のおれも片手を伸ばし、おれの首を掴み返してきた。喉を圧迫され、おれは小さく咳を漏らした。


「お前も……どうせ……小さい……」


「いや……お前のほうが……小さい……」


「お前……」


「お前……」


 息が詰まり、言葉が出てこない。視界がじわりと白く濁り始めた――その瞬間だった。

 突然、ドアが開いた。

 おれたちは同時にそちらを見た。

 そこに立っていたのは――おれだった。

 今しがた帰宅したばかりなのだろう。肩から提げていたカバンがするりと床に落ちた。


 次の瞬間、おれは自分が生まれた理由を悟った。

 入口に立つおれのズボンの股間に、じわじわと染みが広がっていったのだ。そして、おれたちの体は薄れていき――

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