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灰色の窓  作者: ドネルケバブ佐藤


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第1話


窓ガラスに映る自分の顔を見つめながら、私は何度目かの煙草に火をつけた。外は相変わらず雨が降っている。三日前から降り続いているこの雨は、街のすべてを灰色に染め上げ、時間の感覚さえも曖昧にしてしまう。


六畳一間のアパートの部屋は、午後三時だというのに薄暗い。電気をつければいいのだが、どういうわけか私はそうする気になれない。この薄明かりの中で、私は自分が存在しているのかいないのか、よくわからなくなる。それが心地よかった。


三ヶ月前に会社を辞めてから、私はこうして部屋に閉じこもっている。理由は特にない。いや、理由がないわけではないのだろうが、それを言葉にすることができない。ただ、ある朝目が覚めたとき、もう会社に行くことができないと思った。体が拒絶していた。魂が拒絶していた。


貯金は残り少ない。来月の家賃が払えるかどうか怪しい。だが、不思議と焦りはない。すべてが他人事のように思える。まるで、私は自分自身の人生を外側から眺めているようだ。


煙草の煙が天井に向かってゆっくりと立ち上る。私はそれを目で追いながら、昨夜見た夢のことを思い出していた。


夢の中で、私は見知らぬ海辺にいた。砂浜は黒く、波は静かで、空には月が浮かんでいた。そして、遠くに女の人が立っていた。顔は見えない。ただシルエットだけが月明かりに浮かび上がっている。


私はその女の人に近づこうとした。だが、一歩進むごとに、彼女は一歩遠ざかる。私が走り出せば、彼女も走り出す。私が叫べば、波の音にかき消される。やがて彼女の姿は見えなくなり、私はただ黒い砂浜に一人取り残された。


目が覚めたとき、頬が濡れていた。涙だった。なぜ泣いていたのか、私にはわからない。ただ、胸の奥に重い何かが沈んでいくような感覚があった。


携帯電話が鳴る。画面を見ると、母からだった。私は電話に出ない。三週間前にも電話があったが、あのときも出なかった。母の声を聞くと、何か言い訳をしなければならない気がする。でも、私には言い訳する気力がない。


雨の音が少し強くなった。窓の外を見ると、傘をさした人々が足早に通り過ぎていく。彼らにはそれぞれ行く場所がある。帰る家があり、待っている人がいる。そう思うと、私は自分がこの世界から切り離されてしまったような気がした。


冷蔵庫を開ける。中には賞味期限の切れた牛乳と、しなびた野菜が入っている。買い物に行かなければならない。でも、外に出たくない。人と目を合わせたくない。コンビニの店員と言葉を交わしたくない。


結局、私は冷蔵庫を閉めて、また床に座り込んだ。空腹は感じない。いや、感じているのかもしれないが、それに反応する気力がない。すべてが面倒くさい。生きることそのものが、途方もなく面倒くさい。


本棚を眺める。昔は本を読むのが好きだった。哲学書、文学作品、詩集。様々な本が並んでいる。でも、今はどれも手に取る気になれない。活字を追うことさえ、億劫だ。


ふと、高校時代の友人、田中のことを思い出した。彼は二年前に自殺した。遺書はなかった。誰も理由を知らない。葬式で彼の母親が泣き崩れているのを見て、私は何も感じることができなかった。ただ、遠くで起きている出来事のように思えた。


今なら、少しわかる気がする。田中も、きっとこんな灰色の世界に住んでいたのだろう。すべてが色を失い、すべてが重力を失い、ただ浮遊しているような世界。


でも、私は田中のようにはならない。そう思う。いや、思いたい。ただ、何が私を踏みとどまらせているのか、自分でもよくわからない。恐怖なのか、それとも惰性なのか。あるいは、ほんの少しだけ残っている希望なのか。


窓の外で、誰かが笑っている。若い女性の声だ。恋人同士なのだろう。雨の中でも、彼らには世界が輝いて見えるのだろう。私はかつて、そういう時代があったことを思い出す。遠い昔のことのように思える。


煙草を消す。灰皿は吸い殻で溢れている。部屋中に煙草の臭いが充満している。換気をしなければならない。でも、窓を開ける気力がない。


時計を見る。午後四時。あと何時間かすれば、また夜が来る。そして、眠れない夜を過ごし、また朝が来る。その繰り返し。終わりの見えない繰り返し。


それでも、私は生きている。呼吸をし、心臓が動き、血液が流れている。意味があるのかないのかわからないが、私は生きている。


雨は降り続いている。窓ガラスを伝う雨粒を見つめながら、私はぼんやりと考える。明日は、少しだけ外に出てみようか。コンビニまででいい。ほんの少しでいい。そうすれば、何かが変わるかもしれない。


いや、何も変わらないかもしれない。でも、試してみる価値はあるかもしれない。


そんなことを考えながら、私は再び煙草に火をつけた。煙が天井に向かって立ち上る。その煙を目で追いながら、私は灰色の窓の向こうを見つめ続けた。

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